旅の宿
馬を厩舎に預けてからナロー姫とシールズは、いよいよ宿屋「へっぽこ亭」の中に入っていきました。
人の良さそうな受付のおじさんの出した名簿に名前を書いて、荷物を預けると、二人は部屋の支度が整うまでの間に、とりあえず宿屋の食堂で食事をする事にしました。
「ここの料理は最高ですよ、姫。期待して下さい」
シールズにそう言われて、ワクワクしながら彼と共に大きな食堂に入ったナロー姫でしたが、食堂の中の様子を見て、彼女はびっくりしました。
食堂の中には二十あまりのテーブル席があって、チラホラとお客がいたのですが、その人達の顔ぶれを見て、彼女はびっくりしたのでした。
「あ、あれは、勇者アルス様!魔王軍討伐の総大将ですわっ!」
「その隣に座っているのは、ハイエルフのジーナ姫!森の貴婦人と呼ばれる、最強の弓の使い手ですわ!」
「大賢者サルマーもいますわっ!虹の剣士ナパールも!あそこのテーブルにいるのは有名な吟遊詩人セティ様ですわーっ!」
興奮して、食堂にいる人々を指差し、キャーキャーと騒ぐナロー姫。
シールズはそんなミーハーな王女を呆れた様な口調で諌め、早くテーブルの席につくように促します。
「ほらほら、姫。騒いでないで、早く席について下さい。他の人達に迷惑ですよ。この店は、静かで落ち着けるのが売りなんですから」
シールズに急かされて、とりあえず食堂の丸いテーブルに座ったナロー姫でしたが、彼女は相変わらず周りを珍しげに、キョロキョロと見回していました。
そして隣に着席したシールズに、興味深げに尋ねます。
「ねぇ、シールズ。この宿には何で、こんなに大物の冒険者たちが集まっているんですの?こんな、見すぼらし・・・いや、こじんまりとした宿屋に」
テーブルに肘をついたシールズは、軽く肩をすくめて答えました。
「この宿屋は、いわゆる穴場なのですよ。一般には知られておらず、静かに過ごせて、おまけに料理が美味い。大きな宿屋だと人の数が多い分、どんな危険人物が紛れ込んでいるか分かりませんからね。暗殺者とか刺客とか。むしろ、勇者の様な名の知られた人物にとっては、ここみたいに目立たない、隠れ家っぽい宿屋の方が、色々と都合が良いのです」
「ふうん、なるほどですわ」
ナロー姫は納得して相づちを打った後、さっきから気になっている事をシールズに聞きます。
「ところで、わたしたちの泊まる部屋はツインルームですの?ま、まさか、ダブルルーム!?まぁ、わたくしは、どちらでも構いませんけど・・・」
ナロー姫のその言葉を聞いたシールズは、部屋中に響き渡る大声で叫びました。
動揺しているせいか、声が裏返っています。
「そんなわけないでしよっ!!ちゃんと部屋は、別々にとりましたよ!!いい加減にして下さいっ!!!」
「えーっ」
ちょっぴり残念に思い、不満げな声を出すナロー姫。
彼女は、もしかして同じ部屋なら、シールズの素顔が見れるかもと思っていたのです。
思わず大声を出してしまったシールズは、周りに迷惑をかけたと思ったのが、キョロキョロと部屋中を見回します。
彼の隣でテーブル席に座るナロー姫は、幼馴染みの騎士のそんな挙動不審な様子を、なんだか面白そうに眺めていたのですが、やがて彼女は、自分たちの座るテーブルに近づいて来る、一つの人影がある事に気付きます。
「シールズ。今日は可愛い、お連れさんがいるんだね。随分と親しそうじゃないか」
それは、エプロン姿の恰幅の良い中年女性でした。
優しげな顔や声の調子から、陽気で気さくな人柄が伝わってきます。
手にカップの載ったお盆を持っているので、おそらく、お店で働いている人だと思われました。
テーブル席に座るナロー姫は、隣にいるシールズに尋ねます。
「シールズ、この方は、どなたですの?」
姫の隣でテーブル席につくシールズは、肩をすくめて答えます。
「この宿屋の、おかみさんですよ。グレンダさんといいます。先程、玄関口で受付をしてくれたチャールズさんが、宿のご主人です。お二人は御夫婦で、長年、ずっとここを切り盛りしているのですよ」
「まぁ、素晴らしいですわ」
ナロー姫はそう言うと、テーブル席から立ち上がり、グレンダおばさんにペコリと会釈をしました。
「わたくし、ナローと申します。グレンダおばさま。以後、お見知りおきを」
ナロー姫の挨拶を聞いたグレンダさんは、豪快に笑います。
「あははははっ!!ずいぶんと、礼儀正しい子だね。まるで、お姫様じゃないか。シールズ、あんたの恋人かい?」
その言葉を聞くと、ナロー姫の顔がパァッと、明るく輝きます。
けれども、テーブル席に肘をつきながら座るシールズは、銀色の仮面に覆われた頭を軽く振って、グレンダおばさんの言葉を否定しました。
「違いますよ。実はこの方は、わたしの仕えるバックレー王家の娘さんでしてね。冒険者になりたいと言うので、特別にお手伝いしているのです」
そして彼は、テーブルの上に出されたお茶を飲もうとしたのですが、その姿を見て、ナロー姫は呆れ返りました。
なんとシールズは、顔をすっぽりと覆っているフェイスガードを外そうともせず、スライド式になっている口の部分だけをパカリと開けると、そこから喉奥に流し入れるみたいに、ズーズーとお茶をすすり始めたのです。
そのあまりの行儀の悪さに、シールズを睨みつけるナロー姫。
「ちょっと、シールズ、何ですの!?飲食の時くらい、兜を脱ぎなさい!周りが変に思うし、第一、グレンダさんにも失礼でしょう」
だけどグレンダおばさんは、楽しげに笑いました。
「いいよ、いいよ。家の決まりなんだろ。まぁ、この宿には、変わった連中も多いしね。誰も気になんかしないさ。それよりもあんた達、お腹が空いたろう。今、料理を持ってくるからね」
そう言うと、グレンダおばさんは厨房の方へと向かい、しばらくしてから、大きなお盆に料理をいっぱいに載せて戻って来ました。
テーブルに料理のお皿を、次々と並べるグレンダおばさん。
その料理たちの、素朴だけど美味しそうな見た目と食欲をそそる香りに、ナロー姫のテンションは一気に上がります。
「美味しそうですわっ!お城で出される料理と違って、なんだか、野生味に溢れる感じがしますわ!!」
ナロー姫の喜ぶ様子を見て、グレンダおばさんは嬉しそうに目を細めます。
彼女は、明らかに高貴な生まれであり世間知らずな、この女の子の事が、何故か気に入ったようでした。
ナロー姫は、食事の際にも相変わらずフェイスガードを取らずに、口の部分だけを露出させた状態のシールズを、横目でキッと睨みつけていましたが、おばさんの料理を食べた途端に、その表情は一変します。
「とっても、美味しい!!こんなの、初めてですわ!!このハンバーグとか、まん丸で、こんなに大きいのに、良く火が通って、尚且つジューシーですわ!中には半熟卵も入ってますっ!!」
グレンダおばさんは更に目を細め、誇らしげに胸を張ります。
「うちの自慢料理、さ◯やかハンバーグだよ。気に入ってくれて、嬉しいよ。さあさあ、どんどん食べておくれ。後で、デザートのプリンとコーヒーも出すからね」
「ありがとうございます、グレンダおばさま。ところで、この宿屋は、御夫婦だけで切り盛りされてますの?」
すると、グレンダおばさんは愉快そうに笑顔を浮かべると、食堂の他のテーブルを何ヶ所か指差します。
ナロー姫が指差された方を向くと、お盆を持ったまだ小さい男の子や若い娘さんが何人か、テーブルの間をスイスイと移動しているのが見えました。
「わたしの子供たちにも、手伝ってもらってるよ。ウチは家族経営の宿屋だからね。もっとも、店のオーナーは別にいるんだけど」
グレンダおばさんの言葉を聞くと、ナロー姫は両手を胸元で組んで、うっとりとした口調で言いました。
「家族で宿屋を経営するなんて、すごく素敵ですわ。きっと、人件費も安く済みますわね・・・」
ナロー姫は母親譲りなのか、案外と経済観念が発達しており、王族には珍しく、お金に関しては結構シビアでした。
それを聞いたグレンダおばさんは、更に愉快そうに笑いました。
「ハハハハ、やっぱり、面白い子だね。意外と性根はしっかりしてるし、年齢が合えば、ウチの嫁に欲しいくらいだよ」
ナロー姫は、ちょっと顔を赤くしました。
何故か、シールズの方をチラリと横目で見ます。
そして、彼女は絶句しました。
シールズはフェイスガードの口の部分だけをパカリと開いており、更にはそこから覗く剥き出しとなった顎の下に、恐らくは汁気の多い料理が下にこぼれるのを防ぐ為でしょうか、片手で持ち上げた料理の皿をピッタリとくっつけていました。
そしてもう一方の手でフォークやスプーンを使い、まるで流し込むかの様に、口の中に黙々と食べ物を詰め込んで、食事を続けていたのです。
「・・・」
ナロー姫の生まれたカスニート王国では、食事中に手で皿を持ち上げる事は、マナー違反であり、非常に下品な行為とされていました。
従者で幼馴染でもある騎士シールズの、あまりの行儀の悪さにナロー姫は、思わずテーブルの下の彼の足を、蹴り飛ばしたい衝動に駆られます。
しかし考えて見れば、シールズとは幼少の頃から行動を共にしていましたが、一緒に食事のテーブルを囲んだ事は全くありませんでした。
多分、親族同士や一人で食事をする時は、そのフルフェイスの銀製の兜を脱ぐのでしょうが・・・。
ナロー姫の探る様な視線に気付いたのか、シールズは口をモゴモゴと動かしながら、彼女の方に首を向けます。
「何ですか、モゴッ、姫?モゴモゴ〜ッ」
さすがに、ナロー姫が怒りました。
「口に物を入れながら、喋るんじゃありませんっ!!お行儀が悪い事、この上無いですわっ!!!」
「モゴ〜。モゴ〜ッ、モゴッ」
グレンダおばさんが二人のそんなやり取りを、ニヤニヤしながら見ています。
一方、ナロー姫は怒りながらも、いつか必ずシールズの素顔をこの目で見てやると、固く心に誓うのでした。
[続く]