旅立ちの朝
ナロー姫は旅立ち前に母親たちに冷や水を浴びせられ、少し意気消沈してしまいました。
それでも何とか自分自身を奮い立たせ、顔をツンと上げて、王宮の広い廊下を歩きます。
そして自分の部屋の前まで来た時に、ナロー姫は部屋の扉の前で佇む一人の人物に気付きました。
最初は、旅のお供になるはずの騎士、シールズ・ガウェィンかと思ったのですが、違っていました。
「ダダ兄様ー」
その人物はナロー姫にとって兄にあたる、ダダ・オ・コーネル・バックレー王子。
通称ダダ王子でした。
横分けにした金髪を指で弄び、軽薄な笑顔を浮かべる、いかにもチャラそうな男です。
彼は、ナロー姫の部屋の扉のすぐ隣で、通路の壁に腕を組んでもたれかかりながら、妹を胡散臭そうな目付きでジッと見つめます。
「冒険者として旅に出るそうだな、ナロー。フンッ、お嬢様のお遊びにしては、いくら何でも度が過ぎているのではないか?ちょっとは、人の迷惑も考えろよ」
ナロー姫は兄の顔もまともに見ないで、ツンと横を向き、無愛想な声で答えます。
「お兄さんには関係ありませんわ。それに、ちゃんと陛下の許可は得ました」
そう言うとナロー姫は、側の壁際で腕を組み自分を見つめるダダ王子を完全に無視して、彼の傍らを通り過ぎると、部屋の扉を開け、そのまま自室の中へと入っていきました。
バタンと王子の目の前で、ナロー姫の部屋の扉が閉まります。
ダダ王子は部屋の外の通路で、その閉まった扉をしばらくの間、無言で見つめていましたが、やがて肩をすくめると、その場から去って行きました。
実はナロー姫とダダ王子は、本当の兄妹ではありません。
ナロー姫は国王夫婦の一人娘であり、長子なのですが、この国では男子でないと、基本的に国王の座を継ぐ事が出来ません。
そこで十年くらい前に、国王陛下は彼の弟に当たる某貴族から、一人の男子を後継ぎ候補として養子にもらったのです。
それが、ダダ王子なのです。
つまりナロー姫とダダ王子は、血筋からいえば、父方の従兄妹に当たるのでした。
そんな二人は幼少の頃はいつも一緒に遊んで、実の兄妹の様に仲が良かったのですが、成長し思春期に差し掛かると、何となくお互い壁が出来て、近頃ではかなり険悪な関係になっていました。
それに、最近のダダ王子は非常に素行が悪く、特に女性関係で悪い噂が絶えませんでした。
宮殿で働く何人かの侍女に、手を出していると言うのです。
ナロー姫は、母に仕える親しい侍女から直接その話を聞かされ、信じざるを得ませんでした。
ナロー姫は兄がすっかり変わってしまったのだと思い、とてもガッカリしました。
そんなこんなでナロー姫は、ダダ王子とは距離を置くようになっていたのでした。
さて、ナロー姫は部屋に戻ると旅支度を始め、必要な物を次々にリュックサックに詰め込みました。
着替えの下着に、携帯食料や水筒。
それに雨具や地図にコンパス、寝袋に夜のお供のライトノベルなどです。
もちろんお金は必要なので、今までに貯めたヘソクリの金貨を、全て皮袋の財布に入れて、持っていく事にしました。
そして明日の旅立ちに備えて、いつもより早めにベッドに入り、眠りに就いたのでした。
しばらくはこんな柔らかなベッドで眠る事は、出来ないだろうなと思いながらー。
翌朝、城の城門の前に、旅支度を整えたナロー姫と、お供の騎士シールズの姿がありました。
ナロー姫は、動きやすく丈夫な長袖の上着とフレアスカートを着ており、その上から旅人用のマントを羽織り、山道でも平気な革製の長靴を履いています。
そして魔法使いの杖を片手に持ち、荷物の入ったリュックを背負いながら、茶色い仔馬に乗っていました。
姫の隣には、彼女のお付きの騎士である、シールズ・ガウェィン卿も控えています。
シールズは、全身を覆う銀製のフルアーマーを装着しており、ナロー姫の乗っている仔馬よりも何回りも大きい、巨大な黒い軍馬にまたがっていました。
重騎士である彼は、顔までもがすっぽりと銀製のマスクで覆われている為、その素顔をうかがい知る事は出来ません。
しかしナロー姫は、子供の頃から護衛騎士として、ずっと自分に仕えてくれている彼に対して、全幅の信頼を寄せており、今回の旅でもとても頼りにしていました。
さて一方、そんな風に城門から旅立とうとしている二人を、高い城壁の踊り場の上から見下ろす、一団の人々がいました。
国王陛下やお妃、それにお城に仕えている家臣や侍女たちです。
彼らはナロー姫とシールズ卿を見送る為に、わざわざ、その場所に集まったのでした。
ナロー姫は城壁の上にいる国王陛下たちを見上げると、杖をブンブン振って、別れの挨拶をします。
「行ってきます!お父様、お母様、それにみんなっ!!ナローは必ずビッグになりますわ!!」
そうして姫は仔馬の手綱を取ると、横に並んで馬に乗るシールズと共に、城門の前から旅立って行きました。
次第に小さくなっていく、二つの馬影を、城壁の上から国王陛下たちが心配そうに見送ります。
やがて二人の姿は城下の村々へと続く、小高い丘の向こう側へと消えて行きます。
「大丈夫かなぁ・・・」
城壁の上の誰かが言いました。
[続く]