第三章:『ハチミツのようにスウィートな』
第三章:『ハチミツのようにスウィートな』
1
「はぐっ。あっふぁーい。あふぁいれすよれるやさん」
「落ち着けっての。何言ってるか分かんないぞ」
確かにここのハチミツはおいしいけどな。ハニートーストも絶品だ。
電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、県のはずれにあるこの養蜂場についたのが昨日の夜。
併設されている宿屋に泊まって現在は朝食の最中だ。
俺と佐奈は、ある人物に呼ばれて蜂谷養蜂場にやってきていた。
その人物とは…
「おはよう、鉄也くん。肉倉さんはなんというか、面白いわね」
俺のことを名前で呼ぶ、佐奈のライバルといった感じの女性だった。
名を蜂谷美津子。現在二十歳の売れっ子アイドル兼養蜂家だ。
実家が代々養蜂を営んでおり、アイドル、モデル業の傍らこの養蜂場でミツバチの世話をしているらしい。
「なんですか、蜂谷さん。今は鉄也さんとの朝食なんですから、要件なら後にしてください」
つっけんどんに跳ね返す佐奈をいなし、美津子は話を続ける。
「でもあなたは食事中でも話ができるって聞いたけど、肉倉佐奈ちゃん」
「ちゃん付けはやめてください。子供っぽいです」
「そうよね、佐奈ちゃんは体つきも大人っぽいわよね」
「蜂谷さん。いい加減しないとそろそろ怒りますよ」
珍しい。佐奈が食事の手を止めて、蜂谷さんをにらみつける。
「おーこわい。からかうのはこれくらいにしておくわね」
「美津子、改めて言いますが、用件は何でしょう」
仕方がないので俺が話を進める。隣で佐奈の眉がぴんと跳ねる。
「危うく忘れるところだった。要件ね。あなたと話したかったからっていうのはダメかしら」
「ダメです」
変な色目遣いをしてくるので、拒否して話を促す。
「じゃあ、真面目な話ね」
彼女の目の色が変わる。
「私の祖母が亡くなったの。二週間ほど前に」
2
「死因は急性トリカブト中毒。あなたたちには釈迦に説法だろうけど、一応説明しておくわ」
「お願いします」
食品衛生学に明るいといっても、トリカブトに詳しいなんてことはないからちゃんと説明してほしい。
「トリカブトの致死量は○○グラム、中毒症状が現れる時間は○○分。祖母は今日と同じメニューの朝食を食べている最中に苦しみだしたわ」
今日の朝食ということは、ハニートーストとミルク。近くの山で育てた野菜を使った、季節のサラダ。それにこちらも近所でとれたトウモロコシを使った、コーンスープ。
「じゃあサラダに間違えてトリカブトが入っていたとか」
「そうだとしたらあなたたちを呼んでいないわ。サラダにはトリカブトが入っていなかったの。もちろん他のメニューにもね」
まあ、そうだわな。
「トリカブトが入っていないのにトリカブト中毒…」
「そう、解剖の結果トリカブト毒が検出されたけど、トリカブト自体は認められなかった。これが私があなたたちを呼んだ理由よ」
「なるほど…」
「ま、個人的には鉄也くんを招待したい気持ちもあったけどね」
なんで、美津子はそんなことを言うんだ。
「ぐるるるるる」
ほれみろ。佐奈が獣みたいな声で威嚇を始めたぞ。
「心配しないで。今はまだ祖母のことで頭がいっぱいだから。あなたの彼氏を取ろうだなんて思ってないわ」
「当然です」
取る取らないって、俺は所有物か。
「でも覚悟しておくことね。なんたって鉄也くんは私の幼馴染なんだから」
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ」
今度はうなり声やうめき声とも取れる声を上げ始めたぞ。
そう、俺と美津子は幼稚園の頃、家が隣同士でよく遊んでいた。記憶がおぼろげだが、『大きくなったら結婚しよう』みたいなことを言った覚えがある。
まさか、彼女はそれを覚えていて今こうしてアプローチを…。
「とにかく、今日二人を招いたことに他意はないわ。…ところで、なにか気づいたことはある?」
「ハチミツです」
「ハチミツ?ハチミツがどうしたの。確かに祖母もハニートーストが大好きで、事件の時も食べていたけど」
「そのハチミツに毒が入っていたという可能性は?」
「誰かがハチミツに毒を仕込んだってこと?無理よ、そんなの。祖母はこの食堂で朝食を摂ったんだもの。衆人環視の下、ハニーポッドに毒を入れる余裕なんてないわ。それに、ハチミツにも毒物検査をして、トリカブトは検出されなかったわ」
「そうですか」
佐奈は美津子の話を聞いても釈然としない様子で、首をひねってうなっている。
「ここのハチミツの提供方法について聞いてもいいか」
佐奈が黙りこくったので、今度は俺のターンだ。
「なに、鉄也くんもハチミツが気になるのね。いいわ。ハチミツは前日獲れた新鮮なものの中から、特に上質なものを選んで宿泊客の朝食用に提供しているわ。これで満足?」
「ああ、大満足だ」
だいたいわかったな。佐奈はどうだろうか。
「養蜂場って私たちが見ることはできますか」
「ええ、もちろん。見学会も開いているくらいだから」
俺と佐奈、美津子は早速ロッジを出る。途端に目いっぱいの緑が広がる。
「ついてきて。養蜂場に案内するわ」
美津子はそう言って俺に向かって手を差し伸べてきたのだった。
3
「では、行きましょうか」
その手を見た佐奈が般若の表情で言い、俺に腕を絡ませてくる。心なしかいつもよりきつい気がする。
「あら、仲がいいのね」
美津子は手を引っ込め、前へと歩を進める。
養蜂場は、車一台分くらいの舗装されていない砂利道を十分くらい進んだ先にあった。
「ずいぶん広いですね」
「うちは一杯作ってるから。ここ以外にもあるわよ」
なんでも、天敵であるスズメバチの襲来に備えるためと、蜜の採集をまんべんなく行わせるために、この山のいたるところに養蜂箱が密集した養蜂場があるらしい。
「朝食のハチミツはここから?」
「ええ、一番近いし、採集体験会で余ったものも多いから。それがどうかした?」
「なるほど」
「ちょっと、なにか気づいたら教えなさいよ」
それでも佐奈は黙ったままだ。俺と同じことを考えているのだろう。だから俺は提案をする。
「他の養蜂地点も見せてくれないか。できれば全部」
「全部!?大変な時間と労力がかかるけど、大丈夫?」
「ええ、大丈夫です」
佐奈が代わりに応える。
「じゃあ、わかったわ。案内する」
※※※
「養蜂地点はこれで全てよ」
最後の地点を巡り終えた時には日が少し傾いていた。
「ここにもない、ということは」
佐奈がぶつぶつとつぶやく。
「ここが一番ロッジから遠い地点ですか?」
「ええ、そうよ」
もはや尋ねることをあきらめた美津子が、素直にうなずく。
「この山にトリカブトが自生しているという可能性は?」
「ないわ。月に一度ロッジのスタッフが山狩りをしているもの。トリカブトはおろか、他の毒草もないわ。もしかして、あなたたち…」
ミツバチが毒を持つ植物の蜜を採取すると、できるハチミツが有毒化する可能性がある。
「ああ、俺はその可能性を追ってる」
うんうんと佐奈もうなづく。俺と佐奈は同じ考えだったようだ。
「ありえない、ありえないわそんなこと。スタッフの中の誰かが毒入りハチミツを作っていたなんて」
だがそれがありえてしまう、中毒事件が起こってしまったのなら。
「この辺りを散策してもいいか?」
「え、ええ」
「ありがとう、美津子」
名前を呼ばれて美津子は青い頬を赤らめた。反対に佐奈の顔が白くなる。
なんだよ。幼馴染なんだから名前で呼んでもいいだろ。佐奈も美津子も過剰に反応しすぎだ。
「どれどれ」
二人を差し置いて、養蜂地点付近の茂みを念入りに捜索する。しかし、トリカブト特有の紫の花はどこにも見つからなかった。
しかし、代わりにあるものがあった。
「トリカブトは生えていないな」
「鉄也くん、どういうこと」
熱から覚めた美津子が詰めよってくる。
「えーっと。これはだな」
「帰りましょう」
当てが外れて困っていた俺に、佐奈が助け舟を出してくれる。
ああ、神様仏様佐奈様。
「帰ってから私たちの推理をお話しします」
あれ?
4
ロッジに戻ってきた俺たちは朝の席へと座りなおした。
「では説明します。今回の事件の真相を。と言っても、証拠がないので憶測ですけどね」
「それねもかまわないわ。お願いするわ」
美津子が居住まいを正す。
「まず、今回の事件の犯人から。本件は、間違いなくロッジのスタッフによって引き起こされたものです。蜂谷さんとしては心苦しいでしょうが、理解していただけますか」
「わかった。そこはもう飲み込むわ。話してちょうだい」
「ありがとうございます。犯人はスタッフであるといいましたが、具体的に誰かはわかりません。強いて挙げるなら、一番遠くの養蜂地点でハチミツを採集している人でしょう」
「それもわかった。最も朝食に選ばれないであろうハチミツを育てているからよね。でも周辺にはトリカブトはおろか、毒草一本すら生えていなかった。これじゃあ毒入りハチミツを作ることができない。そうでしょう?」
「たしかにそうです。しかし、あるものを使えば簡単に可能になります」
「それはいったい何?」
「植木鉢だ」
実際に現場を見た俺がバトンタッチする。
「植木鉢!」
美津子が驚きの声を上げる。
「確かにそれなら…」
「ああ。犯人はトリカブトを植えた鉢植え、もしくはプランターを養蜂箱の近くに置いて、毒入りハチミツを作っていたんだ」
「本当にそう言い切れるの?犯人はもしかしたら粉末の毒をスープに入れていたのかもしれないじゃない」
「鉢の置いてあった跡があったんだ。丸い轍が木立の中にはっきりとね。茂みの中に隠しておけばミツバチが蜜をとってくれるが、巡回に来たロッジの人間には気づかれにくい」
ここで一度呼吸を整える。
「また、山狩りがあったときや事件後には、別の場所に隠してしまうだけでいい。事件後に現場に残ったハニーポッドは、別のテーブルのものとすり替えておけば、誰も口にできないまま事件後に処分できる。そういうからくりで犯人は完全犯罪をやってのけたんだ」
「そんな…」
美津子が絶句する。
「さらにこの推理を裏付けるのが、犯行の動機だ。犯人は美津子のおばあさんに、トリカブトを違法に栽培していることがばれてしまったんじゃないか。それで凶行に及ぶに至った」
「そう考えれば、犯行にトリカブトを使った説明がつく」
彼女は自らに言い聞かせるようにそうつぶやく。いまだに犯人が内部の人間だったことを受け入れきれないようだった。
「元気を出してくれとは軽薄に言えないが、おそらく真実はこれに則ったものだと思う。後はどうするか、美津子自身に委ねるよ」
「…通報するわ、もちろんね」
一秒迷った挙句、彼女は自身のスマホを取り出した。
5
二時間後、駆け付けてきてくれた里崎さんにすべてを話した後、美津子は署に連行されることになった。俺たちの言ったことが本当に可能かどうか、養蜂家としての意見を聞くとともに、犯人の心当たりを聴取するためだ。
「ありがとう、鉄也くん」
去り際に美津子が俺の元に近づき、手を握ってくる。
近くのテラス席で座ってハチミツ入りヨーグルトを食べていた佐奈が驚いて立ち上がる。
「何やってるんですか!人の彼氏に!」
「私はあきらめないわ。なんてったって鉄也くんは初恋、運命の人だもの」
「丁重にお断りするよ」
「そう言うと思った」
美津子は小さく笑って、
「昔と変わらないわね、てっちゃん」
「だいぶ変わったと思うが、みっちゃん」
「じゃあね」
美津子はパトカーに乗り込んだ。彼女を乗せた車は静かに山道を去っていった。
それに伴い、佐奈の憤慨が徐々にしぼむ。同時に何か慈しむような目で俺を見てくる。
「本当に仲が良かったんですね」
いつの間にか座りなおしてヨーグルトを食べている。
「ああ、俺が幼稚園の頃引っ越してきて最初にできた”友達”だからな」
「よかったです」
佐奈は安堵してスプーンを操り、最後の一口を含む。
「ごちそうさまでした」
「帰るか」
「そうですね。…あ、パトカーに乗せてってもらえばよかったです」
「タクシーじゃないんだから」
他愛のない話をしながら、俺たちは夕日の灯るテラス席を後にするのだった。