第7話 花の襲撃
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「珍しいですね、お嬢様。一週間のうちに二度も婚約者のお方のお屋敷に伺うなんて……」
「えぇ、私でもびっくりよ。だけど、お誘いしてくださった以上、無下にも出来ないもの」
鏡台の前でエスメーに髪の毛をセットしてもらいながら、私とエスメーはそんな会話を交わす。あの二人きりのお茶会から三日後。私はまたアルベール様の住まうクールナン侯爵家のお屋敷に向かうことになっていた。今までの私とアルベール様は、大体週に一度顔を合わせるか合わせないかのレベルだった。二週間に一度の二人きりのお茶会と、ほか社交の場で鉢合わせるぐらい。しかし、お茶会では会話なんてほとんどなかったし、パーティーでも鉢合わせればぺこりと頭を下げるだけ。……だから、何故あんな風になってしまったのかが本当に分からない。
「えっと、本日は婚約者のお方がお嬢様をお迎えに来てくださるのですよね?」
「そうよ。お父様とお母様方が本日馬車を使っていると説明したら、迎えに来るとおっしゃったのよ」
今日は、本当は断るつもりだった。本当ならば、私もお父様やお母様方とともに領地の見回りに行こうかなぁみたいな感じだった。なのに、お父様とお母様は変な気を回して「シュゼットはアルベール様と一緒にいなさい」とおっしゃった。そして、私のことを置いていってしまったのだ。……正直なところを言えば、連れて行ってほしかった。
しかも、このカイレ子爵家は貧乏なので馬車は一台しか所有していない。お父様方が使用する以上、私には移動手段がない。そこも言い訳にしてお断りしようとすれば、アルベール様はあろうことか「じゃあ、迎えに行きますね」とおっしゃったのだ。それも、とても素晴らしい笑顔で。あんな笑顔、私今まで見たことがないわ。
「お嬢様。婚約者の方がいらっしゃいました」
「分かったわ。すぐに向かうわ」
髪の毛をセットし終えてしばらくした頃。扉越しに従者がそう声をかけてくれる。あぁ、来てしまったか。そう思うと気が重いので、私は必死に「大丈夫大丈夫」と自分に言い聞かせた。だって、三日かけて私はアルベール様のことを少しは理解した……つもりだもの。穏やかに接することが出来る……と信じたい。ちなみに自信は全くない。
ゆっくりと階段を下りて、玄関の方に向かう。従者によれば、アルベール様は応接間で私のことを待ってくださっているらしい。……そうよね。馬車の中で待っていただきたかったけれど、相手は名門侯爵家のご令息。そんな失礼なこと、出来るわけがないわ。
「お待たせいたしました、アルベールさ……」
応接間の扉を開けて、部屋に入ろうとした私は……一瞬で固まった。……ねぇ、何故? 何故――……。
「……アルベール様。何故、お花が応接間を占領しているのですか……?」
入って一番。これは夢だと思いたかった。何故、こんなにもお花が所狭しと置いてあるのだろうか。うーん、観察するところ薔薇などの系統が多いかな。特に、赤色と桃色と青色。って、違う違う! こんな現実逃避をしている場合じゃない……!
「あぁ、これはシュゼット嬢へのプレゼントですよ。花をプレゼントしようと思いましたが、何を買っていいのかがさっぱり分からなくて。とりあえず、と思って買ってきました」
「いやいやいや! 待ってください! 赤色と桃色の薔薇はまだしも、青色の薔薇ってかなり高価なものじゃないですか! しかも、こんな大量を買ったのですか!?」
青色の薔薇とは、たった一本で平民の給金一ヶ月分に相当するもの。そんな高価なものが、百本以上ある。……このお方、本当に何を考えていらっしゃるの? いや、何も考えていないからこんな頓珍漢な行動に出られるのか。はぁ、頭が痛い。
「シュゼット嬢には、青がお似合いですからね。本当はもう少し淡い系統の色が良いかなぁって思ったのですが、通りかかった花屋にはこれしかなくて……。あと、恋人に渡すには赤色とかが王道でしょう?」
「確かに赤色の薔薇は王道といえば王道ですけれど……これは、やりすぎです!」
部屋中に散らばる、花、花、花。これじゃあまるで、花に襲撃されたみたいだ。……後片付けはともかく、どうやって運んだのかが切実に知りたい。そもそも、これは大層な無駄遣いだ。質素倹約をモットーとしているこのカイレ子爵家では考えられない行動。……金銭感覚が、合わない。正直、このお方とやっていける自信がない。
「ですが、俺の父は二部屋分を埋め尽くすような青薔薇を贈ったと言っていました。それで、母も付き合うのを了承してくれたとかなんとか……」
「それは多分、感動とか嬉しさじゃなくて、呆れから来るものですよ……」
今、私はアルベール様のお母様であるクールナン侯爵夫人のお気持ちがよーくわかった。お花を贈られて感動する気持ちも、嬉しくなる気持ちもわかる。でも、さすがにここまでされたら感動を通り越して正気に戻る。そして、怒りが湧いて呆れる。もう、嫌だ。
「アルベール様! もう、今後こんなことは一切やめてくださいね。無駄遣いはダメです!」
「……女性は、財力があって贅沢をさせてくれる男に惹かれるのでは……? 俺、顔はまぁまぁですけれど、財力と権力はたっぷりあるので、貴女を贅沢させることは容易いですよ……?」
「まず、それは一部の女性の考えです。それ以外のパターンもあるということを、ご理解ください。あと、アルベール様のお顔が『まぁまぁ』なのでしたら、この世の男性の大半は『中の下』になります。そこをお忘れなきよう」
もう嫌だ。そう思って、私は泣き出しそうになっていた。なのに、アルベール様は嬉しそうな表情をされる。……大方、私がアルベール様のお顔を遠回しに褒めたのが嬉しいのだろう。何故、何故私はこんなことを言っているのだろうか? あぁ、円満に婚約を解消するだけのつもりだったのに……。
(アルベール様は、優良物件じゃなくて事故物件じゃない……!)
アルベール様との婚約が決まったとき。とんでもない優良物件との婚約が舞い込んできたなぁと思った。だけど、今ならばわかる。このお方は外見だけを整えた事故物件だ。あぁ、神様。どうか私の元に「まとも」で「素敵な」男性をよこしてください……! じゃないと、心労で倒れそうです。どうか、どうかお願いいたします……!