第36話 縋るしかないけれど……
(何よ、それ……)
私は心の中でそう呟きながら、ただ呆然とアルテュール様を見据える。彼は相変わらず緑色の目を柔和に細めている所為で、感情が全く読み取れない。アルテュール様に惚れるなんて、まっぴらごめんだ。だけど、もしもこのままアルベール様が目覚めないのならば……? だったら、私が犠牲になってでもアルベール様を救うべきなのではないだろうか。そう、思ってしまう。
「確認ですが、毒などではないのですよね?」
「あぁ、もちろん。俺はシュゼット嬢が好きなんだ。だから、殺すつもりはない」
アルテュール様はそうおっしゃると、私の唇にさらに瓶を押し付けてこられた。……これを、飲めば。そして、アルテュール様に惚れれば。アルベール様が救えるの? そう思ったら、確かに心が揺れた。アルベール様への気持ちを理解したばかりなのに。一瞬そう思ってしまったけれど、アルベール様が助からないのならばこの気持ちは無意味だ。……だから、助けるためには。
そう思って、私はその瓶をアルテュール様から受け取った。禍々しい赤紫色の液体は、まるで毒か何かのよう。いや、これも一種の毒なのか。惚れ薬なんて、毒に等しいものに決まっている。
「もう一度確認ですが、私がアルテュール様に惚れれば、その解毒剤をいただけるのですよね?」
最後の確認とばかりにそう問いかければ、アルテュール様は静かに頷かれる。
「まぁ、そうだね。でも、キミが交渉を断るんだったら、瓶は割るよ。だって、必要ないからね」
そうおっしゃって、アルテュール様は瓶を割るような仕草をされる。それが怖くて、私は小さく「飲み、ます」と言ってしまった。そうすると、アルテュール様は私の上からどいてくださる。だから、私は起き上がってその禍々しい赤紫色の瓶を見つめた。息をのんで、その瓶のふたを開ければ、中に入っている液体も同じ色。……恐ろしい、色だった。
「さぁ、どうぞ」
アルテュール様は私の戸惑いを感じ取ってか、私にそう告げた。私は何度も何度も飲む素振りを見せながらも、怖くて飲めなかった。……飲まなくちゃいけないのに。今はもう、この人に縋るしかないのだから。じゃないと、アルベール様は目覚めないのだ。だから、だから――。
「シュゼット嬢の躊躇う姿は可愛らしいなぁ。でも、そろそろこっちもしびれを切らしそうなんだよね」
にこにこと笑われながら、アルテュール様はそうおっしゃる。そして「本当にそろそろ行動してくれない? 俺、結構短気だから」と私に告げてこられると、解毒剤の瓶に手をかけた。それが、怖くて。本当にこのお方は人の命を何とも思っていないのだな、と思った。それが、私の背を押してくれた、気がした。
「……うぅ」
小さくそううめいて、私はその瓶を口に付ける。その後、ゆっくりと上を向いていく。まだ、液体は口の中には入らない。恐る恐る、その液体を飲もうとする。でも、喉が震えて、怖くて怖くて。涙が零れてしまいそうになる。そんな私を見つめるアルテュール様のエミは、忌々しい記憶の中にある笑みそのものだった。
(……さようなら)
心の中でそう呟いて、液体に口を付けようとしたときだった。
「シュゼット嬢!」
「っつ!」
私の名前を呼ぶ声が聞こえて、私は驚いてその瓶を落としてしまった。私のワンピースの上に、その真っ赤な液体が零れて、布に染み付ていく。真っ赤な液体が染み付いたワンピースは、まるで血まみれのようにも見えた。
「……なんで、お前」
アルテュール様の驚いたような声が、聞こえてくる。そして、その視線は扉の方を向いていた。だから、私もそちらに視線を向ける。すると、そこには――何故か、アルベール様がいらっしゃった。なんで? 目覚めていないはずじゃあ……。そもそも、あの解毒剤がないと目覚めないはずなのでは……?
「悪いんですけれど、アルテュール・プレスマンの計画は面白いくらい大失敗ですねぇ」
アルベール様はそうおっしゃると、私とアルテュール様の方に近づいてこられる。そして、アルテュール様の肩を乱暴に掴まれていた。
「俺、お前の正体知っていますし、知った瞬間にいろいろ手を回しましたから。……だから、お前の計画は失敗したんですよ」
そうおっしゃって、アルベール様は私とアルテュール様の間に入り込まれる。その後、私のことを抱きしめてこられた。その温もりが、とても嬉しくて安心した。……アルベール様は、生きている。本当に、よかった。
「……魔女の血を引いているから、特殊な魔法が使えるんですよね。そして、あの毒にも魔女の血が入っていた。つまり、特殊なものです。魔女の血を入れた毒を解毒するには、別の魔女の血が入った解毒剤が必要。でも……お前は、計算していなかったんですよね、バカなことに」
――俺たちの側に、魔女の血を引いた令嬢が、一人いたじゃないですか。
アルベール様はそうおっしゃると、不敵な笑みをアルテュール様に向けられた。