閑話6 リーセロットとアルテュール(リーセロット視点)
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「あぁ、どうしてうまくいきませんの!?」
マーセン伯爵家のお屋敷に帰ってきたわたくしは、自分の爪を噛みながらそう叫びました。近くにあった椅子を勢いよく蹴り上げれば、侍女がびくりと震えます。……そうですわ。それが正しいのです。誰もがわたくしのことを敬い、怯える。だからこそ、あの貧乏娘の態度が気に食わなかったのです。……何ですか、あのわたくしをバカにしたような無表情は! 何故、表情を恐怖に歪めないのですか!?
「リーセロット様。少々落ち着かれては……」
「貴女、わたくしに意見が出来る立場ですの? クビにされたくなかったら、お下がりなさい! わたくしは今、一人になりたい気分ですのよ!」
「……承知いたしました」
わたくしの専属侍女を下がらせて、わたくしはソファーにふんぞり返るように座ります。……クールナン侯爵家のご令息との婚約話があると知ったとき、わたくしは舞い上がりました。そして、アルベール様のお姿を見て一目で恋に落ちましたわ。あのお方が、わたくしの生涯の伴侶なのだと、信じていました。疑いませんでした。ですが、ふたを開けてみればその婚約話は白紙。さらにはアルベール様はほかのご令嬢と婚約されてしまいました。……そのお方が、わたくしよりも高貴なお方ならば許せました。なのに、何ですの。どうしてあんな……貧乏娘ですの!?
「シュゼット・カイレなんてわたくしからすれば格下ですのに……!」
伯爵家は子爵家よりも爵位が一つだけ上と位置付けられていますが、実際その間には越えられない強大な壁があります。子爵男爵の爵位はお金でも買えますが、伯爵以上の爵位はお金では買えませんもの。ですから、普通に考えてわたくしの方がアルベール様に相応しいはずでございます。……あぁ、ですが、アルベール様はあの貧乏娘のことを心の底から愛していらっしゃるご様子でした。
「わたくしに、付け入る隙などないのでしょうか……?」
ふと、そう零してしまいます。ですが、認められなかった。そのため、わたくしは必死に首を横に振り「違いますわ!」と自分に言い聞かせました。わたくしとアルベール様が結ばれるわけであって、邪魔者はあの貧乏娘ですわ。そう、そうに決まって――。
「そうだよ。キミの言っていることは、正しい」
「ひっ!」
そう、思っていた時でした。ふと、わたくしの前に見知らぬ青年がいたのです。漆黒色の髪と、濃い緑色の目を持つその青年に、わたくしは確かに見覚えがありました。お名前はえっと、確かアルテュール・プレスマン様、だったはずですわ。ですが、何故ここに……? ここは、わたくしの私室ですのに……。
「ど、どうやって入ってこられましたのよ? 人を呼びますわよ! 不法侵入――」
「――うるさいなぁ。キミは喚くことしか出来ないの? そもそも、キミが自ら侍従を下がらせた、違う?」
「んんっぐ」
アルテュール様に手で口を塞がれ、わたくしは何も言えなくなります。た、確かにわたくしが人を下げたのでこうなったのもある意味正解かと思いますが、それは不法侵入をしていい理由にはなりませんわ! それに、どうして警備はこの男に気が付きませんの!?
「ぷはぁ……! あ、貴方、ここを何処だとお思い? そもそも、警護は……」
「あぁ、残念。俺って、隠したり隠れたりする魔法が得意でさ。……その延長戦で、ここに忍び込んできた」
あっけらかんとそうおっしゃるアルテュール様に、殺意が湧く。プレスマン伯爵家はマーセン伯爵家と同等の家柄ですので、適当にあしらうことは許されません。ですが……そもそも、不法侵入なんて許されることではありません。しかも、魔法を悪用してだなんて……魔法協会に訴えられますわよ!?
「う、訴えられ……」
「うるさいって言ってるだろ。シュゼット嬢以外の女の声何て、俺は聞きたくねぇんだよ」
わたくしがわざわざ注意をしてあげようとしているのに、アルテュール様は纏うオーラを変えられると、わたくしを強くにらみつけてきます。その目の奥には侮辱の感情がこもっていて。……わたくしは、悔しくなった。……そして、シュゼット嬢。それは間違いなく、アルベール様の婚約者の名前。
「シュゼット……」
「そう、シュゼット嬢。俺はね、あの子を手に入れたくて仕方がなくてさ。だから、キミの元に来てみた。……リーセロット・マーセン嬢。キミには、利用価値があるからね」
そう言ったアルテュール様は、わたくしの額に人差し指を押し付けてこられました。……指自体は痛くない。でも、わたくしの身体の中で何かが芽生えていくような感覚に陥ってしまう。憎しみ、恨み、嫌悪。そして――焦り。
「悪いけれど、キミには俺の手駒になってもらうから。……キミの行動一つで、マーセン伯爵家が滅びちゃうかもしれないけれど、そこはご愛嬌ってね。大丈夫――俺の望みが叶うか失敗するかのどちらかが達成されたら――その呪いは自然と解けるから」
何故か薄れゆく意識の中、わたくしの耳に届いたのはアルテュール様のそんなお言葉。そして、身体の中から燃え上がる憎悪。酷く胸を突きさす焦燥感。……あぁ、そうですわ。わたくしはあのお二人の間を引き裂かなくてはなりませんの。
(そう、アルベール様に相応しいのはこのわたくし。あの女は、邪魔者)
あのお二人の間を、引き裂く。
例え――何をして、でも――……。