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第9話 見てはいけなかった光景


「どうぞ」

「……はぁ」


 馬車を降り、クールナン侯爵家のお屋敷がある敷地内を進んでいく。アルベール様は私の手を握ったまま、放してくださらない。……逃げないってば。そう言おうかと思ったけれど、口を閉じた。逃げないという約束が出来なかったから。誰だって、自分の身に危険が迫ったら逃げるでしょう? そう言うこと。


「今日は何をしますか? 庭でお茶をしてもいいですし、屋敷の中を見学してみてもいいですよ。いずれ、ここに住むのですから、中を知っておくのも必要でしょう?」

「そうですね。……このまま、婚約が続行されればですけれど……」


 ぼそりと自分にしか聞こえない音量でそんなことを言う。正直、私はここ数日で「別の意味」でアルベール様のことが苦手になってしまった。私は元々男性が苦手だ。特に、見た目麗しい男性が大の苦手だ。それでも、アルベール様との婚約を受け入れたのは、ただ単にメリットが大きかったから。まぁ、我慢しようと気を張り続けた結果、我慢が爆発してあんなことになったのだけれど。


「そうですねぇ……。お屋敷の中の見学もいいですけれど、出来ればお茶が飲みたいです、まずは」

「分かりました。では、使用人に準備させてきますね」


 アルベール様はそうおっしゃって、近くで別のお仕事をされていた従者に指示を出されていた。……いや、お仕事の邪魔なのでは? そう思ったけれど、その従者は朗らかな笑みを浮かべて「承知いたしました」と言ってくれた。そして、彼は最後に私の方を見てふわっと笑ってくれた。……素朴な感じが、いいわね。


「では、お茶をするスペースに向かいましょうか。多分すぐに準備が出来ると思うので……」


 そうおっしゃったアルベール様が、私の手を引いて移動しようとしたときだった。庭の奥の方から、何やら絶叫のようなものが聞こえてくる。なんと叫んでいるかは、よく聞こえない。でも、何だろうか。嫌な予感がする。あの叫び方は、アルベール様にそっくりな気が……。聞きたくない。


「嫌だー! ティナ、実家に帰らないでってば! 俺のこと捨てる気だ! 絶対にそうだ!」

「だーかーらー! ちょっと実家に顔を見せるだけだって言っているでしょう!? そもそも、あんたのことを捨ててもアルベールがいるから帰ってくるわよ!」

「今捨てるって言った! 俺のことを捨てるって言った! 絶対に実家になんて帰さないから! そのまま離縁届だけ送ってきて、俺と縁を切る気だろ!?」

「そうしたいのは山々だけれど、実際にはするわけないわよ!」


 ……うん、聞きたくない会話だった。何故か、私とアルベール様のここ数日のやり取りを聞いているようで、他人事には思えない。そう思いながらアルベール様のお顔を見上げると、何でもない風に「行きましょうか」とおっしゃる。うん、大体わかった。日常的な光景なのね。使用人たちも動じていないようだし。


「あらあら、旦那様は奥様にまた縋っていらっしゃって~」

「少しは学習していただきたいですよね。奥様が何をしたら怒るかが、どうして分からないのでしょうか……」


 近くにいた数人の侍女が、そんな会話を交わしている。それを聞いた私は、一気にアルベール様との婚姻が嫌になった。アルベール様のご両親が、そう言うお方だとアルベール様のお話から読み取っていた。しかし、これはない。ほぼ私とアルベール様じゃない。……遺伝、怖い。


 そんなことを考えながら、私はアルベール様とお茶をするスペースに向かう。しかし、大きくなる叫び声。……今まで、アルベール様とお茶会をしても、こんな叫び声が聞こえてきたことはないのだけれど? それは、どういうことなのかしら?


「アルベール様。こんな叫び声、私今まで聞いたことがないのですが……。これ、日常なのですよね?」

「えぇ、そうですよ。俺とシュゼット嬢の二人きりのお茶会の日には、決まって母が父を連れ出していましたので、知らないのも当然です」

「……そう、ですか」


 つまり、私がクールナン侯爵家のお屋敷を訪れていた際は、いつも侯爵夫妻はいらっしゃらなかったのね。まぁ、普通こんな叫び声が日常だと知ったら逃げるわよ。危ないところだって思うわよ。今、私が実際にそう思っているのだから。


 そう、私が思っているときだった。二つの人影が、はっきりと見える。……うん、ここらへんでもめていらっしゃったのね。通りでよく声が聞こえてくるはずだ。


「ティナ!」

「あぁ、もう! うるさ……い」


 そして、ばっちりと私と視線が合ってしまった。私と、縋られている方の女性の視線が、ばっちりと交わる。その女性は、数回目をぱちぱちと瞬かせた後、縋っている男性の頭を思い切りはたかれていた。正直、見ているだけでもかなり痛そうだった。


「あ、アルベール。……今日、貴女の婚約者のご令嬢がいらっしゃる日……だった、っけ?」

「いえ、急に決めました。俺が、どうしても会いたくなって……」

「そ、そう……」


 女性が、気まずそうに私から視線を逸らす。艶やかできれいな黒色の髪と、真っ赤な目が特徴的なその女性はクールナン侯爵夫人だろう。そして、何処かアルベール様にそっくりな顔立ちで、夫人に縋っている男性がクールナン侯爵。髪色は、アルベール様と同じで青だった。


「ティナ! 俺のこと、捨てないで!」

「……今この状態で、そんなことを叫べる貴方が私は恐ろしいわ……」


 夫人が、そうおっしゃって遠いところを見つめられていた。うん、その気持ち分かります。分かりすぎて……頭が痛くなってきた。


 こうして、私はアルベール様のご両親との対面を、予期せぬ形で果たしてしまった。クールナン侯爵が夫人の腰に巻き付いているという、とんでもない光景も、見てしまった。……正直、見てはいけなかったと後悔している。そして、あれが私の未来の姿だと思ったら普通に泣きたくなった。

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