8 初めての茶会(シルベローナ)
専属使用人を得て、それなりにコミュニケーションを取り時間が流れる。婚約者殿も一度本を持って遊びに来た。最近はどういったことがあり、どんなことをしたかと互いに話すくらいで、これといったおもてなしはできなかったが、楽しそうだった。
これから何度も顔を合わせるだろうとコーラルを紹介すると、私と話すときと違って婚約者殿の表情も口調も硬くなった。まだまだ人の目が気になるのだろうな。
そのことについてコーラルはなにも言わなかった。メイド長の教育が行き届いているようだった。
今日はゴートル家の茶会に誘われているということで、コーラルと熟練のメイドに手伝ってもらい髪をハーフアップにして、ワインレッドのドレスを着る。初めての茶会だが、緊張よりも出席へのめんどくささが大きい。さぼりたかったが、家族全員そろっての参加だ。さぼりなんぞ無理だろう。
リビングに向かうと父上と兄上の準備は終わっていて、母上の準備終了を待っている状態だった。
「よく似合っているよ、ジーナ」
「うむ、ありがとう父上」
「ゴートル公爵に挨拶するときは口調は丁寧にしてくれよ?」
「承知いたしましたわ、お父様。これでよろしいでしょうか」
「ああ、十分だ」
整えた髪を崩さないようにか、そっと頭を撫でてくる。
「茶会では僕のそばから離れないようにね」
「承知」
口調を元に戻しての返事に兄上は苦笑を浮かべた。
母上の準備はそう長くかからず、リビングに入ってくる。父上が早速近寄り、綺麗だとささやき、母上は嬉しげに微笑む。あの様子だと夫婦仲は今でも新婚当時とかわらないのかもしれない。
「いつまでもあのような姿を見たいものだ」
「そうだね。茶会にでると、夫婦仲が悪いところがあると聞こえてくることもある。うちはそうならずにすんでいて嬉しいよ」
「子供からしてみれば夫婦が喧嘩している姿は悲しいものでしかないからな」
そんなことを子供同士で話していると、両親が近づいてくる。
「あなたたちもいずれは結婚する。私たちを見習えとは言わないけど、できるなら夫婦幸せに過ごせるよう努力はしなさいね?」
「うむ、ガルフォードと喧嘩しないようにしよう」
「僕もヒステルと仲良くできるよう気をつけるよ」
ヒステルは兄上の将来の嫁で、この国の貴族ではない。別の大陸の貴族の娘であり、今は実家で暮らしている。二年前に婚約が決まってから年に二度、こちらに父親と顔を出している。
褐色に黄色の髪で、活発的な印象を受ける少女だ。彼女も私の目を見てマイナスイメージを受けていたようだが、兄上と話し合ってからはそこまで気にせず話しかけてくる。兄上のことを気に入ったようだから、その妹のことで不仲にならないよう考えての行動だと思われる。こちらとしても兄上の幸せを壊す真似はしたくないので、無用な争いを起こさぬよう普通に交流している。
「たまに小さく喧嘩するくらいなら夫婦生活にメリハリがでてきていいんじゃないかなと思うけどね」
「母上たちが喧嘩しているところを見たことがないが?」
「見えないところで口喧嘩することがあるのよ」
「喧嘩というより、激しい意見交換ともいえるけどね。互いになにを考えているのか理解することができるし、大きくやらなければ悪いこととは私も思わない」
そう言った父上は「これは自分たちの付き合い方だから、二人は二人に合った方法をみつけなさい」と付け加えてきた。
匙加減が大事なのだな。現状のガルフォードは小さな喧嘩でもしようものなら、あとあとまで長引きそうなショックを受けそうだ。
家族がそろったので、屋敷を出て馬車に乗り込む。ゴートル家まではそう遠くないらしい。ゆっくり馬車を移動させて三十分もかからないと聞いた。十分歩いて行けそうだが、そこは貴族として見栄を張る必要があるということだろう。
ゴートル家に到着し馬車を下りる。周囲にも到着した貴族たちの姿がある。
馬車は離れたところに駐車場として確保された場所があるということで私たちが下りると、ほかの客の邪魔にならないよう去っていった。
父上の顔を見た貴族たちが近づき、挨拶している。それに両親はにこやかに挨拶を返し、ここでは通行の邪魔になるだろうと移動を提案し歩き出す。
「僕らも行こう」
兄上に差し出された手をとって、集団についていく。茶会の会場は大部屋と庭を合わせた場所だった。
部屋の中では楽団がゆるやかに曲を披露していて、それを聞きながら客は挨拶を交わしている。庭は今日のために丁寧に手入れされた花が目を楽しませてくる。それらを見ながらテーブルでお茶を楽しんでいる者もいる。
私と似た年齢の子供もいて、使用人に見守られながら庭の片隅でかけっこをしていたり、おしゃべりに花を咲かせている。
兄上と似た年齢の子供は一ヶ所に集まり、騒ぐことなくなにかを話している。あの年齢ならば大きくはしゃぐことはないか。ちらほらと熱を込めた目で話している相手を見ている子供もいる。パートナー探しかな、気が早いとはいえないのだろう。私も兄上も婚約者がいる身だ、年齢でどうこうはいえない。
兄上に手を引かれつつ周囲を観察しながら歩き、両親が足を止めたことで私たちも止まる。そして父上が私を呼ぶ。
「ジーナ、こちらへ」
近づくと父上は私の背中に手を当てて、皆に笑顔を向ける。
注目が集まり、彼らの表情が驚きに染まる。まあ、気力と光のない目を見て驚くなという方が無理だな。
「娘のシルベローナです。このたび初めて社交の場に参加することとなりました。さあ、皆さんに挨拶を」
「紹介に上がりましたシルベローナです。皆様よろしくお願いいたします」
習い覚えた所作で頭を下げる。こんな感じでいいだろう。あとは両親任せだ。
両親に私に関していくつか質問が飛ぶ。目を悪くしているのかといったものや婚約者の有無だ。
両親が答えていく声を聞きつつ、ぽけーっとしていると静かだった曲が数秒大きくなる。
「主催しているゴートル一家が入ってくるんだよ」
不思議そうな表情の私に、兄上が耳元で小さく理由を教えてくれた。
入場の合図ということか。それを理解している客はおしゃべりを止めて、開け放たれている扉に視線を向ける。
すぐに両親と似た年齢の男女と二人の少年と私と同じくらいの少女が入ってくる。
ゴートル公爵が会場を見渡し口を開く。
「本日はこのように多くの客を招くことができて嬉しく思う。心づくしの準備をしたつもりだ、楽しんでもらえるとありがたい」
そしてと続け、少女の背を軽く押して公爵の隣に移動させる。緊張のせいか少しばかり表情が硬いように見える。ガルフォードのように自信のなさからくるものではなく、失敗を恐れている感じのように思えるな。
「娘のミーアが初めて社交の場に参加することになった。今後とも娘のことをよろしく頼む」
「ミーア・ゴートルでございます。公爵の娘として相応しくありたいと願っております。皆様、よろしくお願いいたします」
ミーア嬢が頭を下げて拍手が送られる。私も一拍遅れて拍手する。
拍手が止まり、客は公爵一家へと挨拶に向かう。もちろんうちもだ。
順調に挨拶がすんでいき、うちの順番がくる。
「本日はお招きありがとうございます」
「ああ、よくきてくれた」
こちらとあちらの両当主、硬い感じがなく笑顔での挨拶だ。母上も向こうの夫人とにこやかに挨拶をしている。兄上も面識があるのであろう、向こうの長男次男と挨拶をかわしている。私はなにも言われないので黙ったまま彼らの様子を見ていた。ミーア嬢はこちらを観察するように見ている。
父上に呼ばれ公爵の前に立つ。ミーアも移動し、ちょうど真正面で向かい合う形だ。
ミーア嬢は父親譲りの濃い金髪をツーサイドアップにしていて、深い森を思わせる緑の目は勝気そうな釣り目だ。白を基本とした赤も使ったドレスがよく似合っていると思う。
父上に挨拶をと促され、特にミスなく挨拶をすませる。ミーアはまだ緊張が続いているのか、硬さが残っていた。
「うむ、よい挨拶だ。ミーアは少しばかり緊張がな」
「主催の一人として注目されているのです。緊張は当然のことかと。少し硬いだけですませているだけ上々でしょう。ジーナはマイペースな子ですからね、緊張とは縁が遠い」
ミーア嬢がこちらを強い視線で見てくる。私が褒められたことで、対抗心でも持たれたか?
私が緊張しないだけで、優れているわけではないのだから、対抗心など持っても意味はないのだがな。
これといって問題もなくうちの挨拶が終わり、公爵から離れる。
「父上、このあとはどのように過ごすのだ?」
「顔見知りと挨拶とか近況の話をして過ごす感じだね。ほらこっちを見つけた知人が近づいてきたよ」
何人もの貴族と言葉を交わしていく両親。私と兄上は紹介されたときに挨拶するだけだ。
そうしているうちに少しばかり休憩したくなった。貴族が離れた今がチャンスだろう。父上に話しかける。
「少し喉が渇いたから離れても大丈夫だろうか」
「そうだね……顔見せはほとんどすんだし、ウェルオンと一緒に行動するなら。頼めるかい、ウェルオン」
「うん。任せて」
行こうと誘われて兄上と一緒に飲み物や茶菓子の置かれているスペースに向かう。
給仕として待機していた使用人に冷たいお茶とクッキーをもらい、近くのテーブルに移動する。こくりとお茶を飲み、ほっと息を吐く。
兄上も美味しそうにお茶を飲んでいる。そこに貴族の子供たちが近づいてくる。顔見知りのようで兄上は飲むのを止めて立ち上がる。
離れたところにいる集団に来ないかと誘われているようだが、私の世話を頼まれているからと断っている。
「兄上、ここから動かないから行ってくるといい」
「でも父上から頼まれたことだし」
「兄上も付き合いというものがあるのだろう? 父上は理解してくれると思う。気になるなら手早く挨拶をすませて戻ってくればいい」
言葉づかいゆえか、驚いた視線が集まる。
兄上は少し考えて頷く。
「ありがとう。少しだけ行ってくる。そこの君、妹がどこかに行かないよう見ていてくれないか」
「承知いたしました」
給仕役の使用人に声をかけて、兄上は知り合いと離れていく。
私はおかわりを頼み、ゆっくりと周囲を眺めながらお茶を飲む。私も付き合いを考えるなら積極的に子供の集団に混ざっていかなければならないのだろうが、目がマイナスイメージを与えるだろうし、おとなしくしている方が余計な問題を起こさずにすむだろう。
そんなことを考えているとミーア嬢が一人歩いているのをみつけた。こっちに近づいてきている、彼女も喉が渇いたのだろう。
おや? 給仕の方ではなくこっちにきたな。私の前で仁王立ちになった。
「あんた!」
「なにか?」
「その辛気臭い目をやめなさい! あんたみたいのが客にいるとうちの品位に関わるのよ! 今後もそんな目をするならお茶会の出入りを禁じるわよ!」
ここまでド直球で言ってくる人はいなかったな。いっそ清々しい。でも少しばかりまずいな。主催が客にいきなり文句をつけているようにも取れる状況だ。注目も集まりかけている。
「黙ってないでなにか言いなさい! 公爵家令嬢が話しかけてあげているのよ!」
「このような場所でそのような物言いはやめた方がよろしいかと存じ上げます」
せめて外に連れ出して注意するとか穏便にいかないものか。
「なんでよ! 客に気を配り、トラブルがあれば解決するのか主催の役割でしょ」
「その考え自体は良いものと思いますが、そうも激しく注意してくるとなにかしらのトラブルが起きていると周囲の人間に思われます。楽しく過ごしている皆様に不快な思いを主催が与えるのはいかがなものでしょうか」
「公爵令嬢がじきじきに動いて文句などでるわけないでしょう!」
「それは権力でもって押さえつけるということでしょうか? なんでもかんでも力で押さえつけるというイメージをもたれることは公爵家にとってまずいかと」
「ああ言えばこう言うっ。あんたは黙って従えばいいの!」
「難しいですね」
「……私の言うことに従えないっていうの?」
気に食わないという表情でこっちを見てくるが、目をどうこうしろというのは無理だ。
「この目は生まれついてのものです。私がわざとこうしているのではなく、ずっとこれなのですよ。ミーア様もその目の色が問題ある今すぐに別の色に変えろと言われてもどうしようもないでしょう?」
これで納得してくれればいいのだが、あとは騒がしくしたことを周囲に一緒に謝れば……あ、時間切れだ。
ミーア嬢がなにか言おうとする前に、父上と公爵が来てしまった。
「なんの騒ぎだね」
「っ! お父様。お騒がせして申し訳ありません。この子に主催として注意していたところですわ」
「ふむ……見たところなにか問題あるように思えないのだが、なにがあったのか教えてくれ」
「この子の態度です。特に目が。公爵の茶会に招かれていて、あのような目をされては、当家の品位に傷がつきます」
「シルベローナ嬢の目のことは侯爵から生まれついてのものだと話を聞いたところだ。命じてどうにかなるものではない。生まれついてのものを欠点となじることは貴族以前に人として問題ある行為だ」
叱られていると理解したミーア嬢は顔を強張らせスカートをぎゅっと握る。注目が集まっている場面で、こうして叱られることは失態だと理解しているのだろう顔色がやや悪い。
これ以上大事になる前にフォローしとこう。立ち上がり、公爵に顔を向ける。
「ゴートル様、そう叱らないであげてくださいませ。この目が悪印象を与えることは承知しております。知らなければ注意の一つもしたくなるのも当然のこと。ミーア様は初めての茶会で役目を果たそうと少々力みすぎただけでしょう」
フォローだと気づかれたようで、公爵の目に少々の驚きとともに謝意が表れる。
「そうだな。私も茶会の前に注意しすぎたか。シルベローナ嬢、茶会を楽しんでくれるとありがたい」
「はい。美味しいお茶と茶菓子、美しい音楽を楽しませていただきます」
公爵は頷き、父上に小声で詫びて、ミーア嬢の肩を叩いて一緒に去っていく。集まっていた注目も散っていった。
小さく溜息を吐いて椅子に座る。
「大丈夫かい、ジーナ」
「大丈夫。少し驚いただけ」
よかったと父上が頭を撫でてくる。そこに兄上も戻ってきて、大丈夫かと聞いてくるので大丈夫と返す。
「ウェルオン、一緒にいるように言っただろう」
「申し訳ありません、父上」
「兄上は悪くないのだ。ここでじっとしてるからと知人へと挨拶に向かわせたのは私なのだ。兄上は残る気だったが、付き合いもあるだろうと」
父上はじっと私の目を見て、納得したように頷いた。兄上の頭も軽くポンポンと叩く。
「さすがにこのあとトラブルはないだろうけど、ウェルオン頼んだぞ」
「うん。もう離れずにいる」
「過保護な」
「ほらあっちを見てみろ、母上も心配そうだぞ。安心させるためにもウェルオンと一緒にいるんだ」
父上の視線の先では夫人の集まっているところから母上がこちらを見ていて、心配そうな表情を浮かべていた。
大丈夫だと手を振って、父上と兄上に了解したと告げる。
父上が離れていき、兄上と一緒にお茶を飲み、そのあとは庭に出て散歩がてら花などを眺めていく。
ちらりと見えたが、ミーア嬢は公爵の隣で静かにしていた。
再びトラブルが起こることなく、茶会は解散となる。しょっぱなから中々の茶会だったな。やはりさぼれるものはさぼった方がいいと思う。