3 婚約者(シルベローナ 1)
やあ、友人。私は故郷に帰ってきたらしい。生まれも育ちも王都だから、あっちが故郷という感覚だが、血筋的には領地の本宅が故郷なのだろう。魂的には日本の関東地方が故郷であるのだが。そんなことを考えていたら、ゆでたての落花生が食べたくなってきたな。
あらかじめ帰還が知らされたおかげで、大通りの両端に人々が避けて注目されながら本宅へと馬車が進む。車外から歓声が聞こえてくるのは領主として父上が上手く領地経営を行えている証左なのだろう。それを言うと父上が照れたように笑む。
「兄上もいずれこのように歓声を受けるのだな」
「だといいんだけどね。父上たちが守ってきたこの土地を僕の代で荒らすことにならないよう勉強を頑張るよ」
「日々頑張っている兄上なら大丈夫。周りの者たちも支えることに不満などないように見えている」
「このまま学び育っていけば大丈夫さ。私もお爺さんもまだまだ現役だ。ウェルオンが一人前になるまでしっかりと管理して受け渡す。だから焦らず進んでいけばいい」
父上に兄上がしっかりと頷きを返す。継ぐということに誇りを持ち、先代に敬意を持ち信頼した様子からみるに、今後の心配なさそうだ。それこそ王が乱心するといったアクシデントがなければ。そういった話は父上から聞くことはないし、国が荒れるにしてもすぐにということはなさそうだ。
私としても実家の今後が安泰なのは喜ばしい。家族の安寧は心に平穏をもたらし、魔法研究に邁進できる。
「すぐに到着します」
御者が小窓を開けて知らせてくる。
一分もせずに馬車が止まり、門が開く音が聞こえてきた。再び馬車が動いて、またすぐに止まり、ドアが開かれる。
まずは父上と母上が降りて、兄上、私と続く。
玄関前に使用人たちが並び、祖父祖母が笑顔で待っていた。使用人たちは頭を下げており、そこから視線をそらして建物を見ると、窓からこちらを見ている者たちがいる。分家や家臣が待っていると父上たちが言っていたから、それらなのだろう。
見ていると兄上と似た年齢の少年と目が合い、すぐにそらされた。
「帰りを待っていたぞ」
祖父が父上に声をかけている。声が弾んでいて、帰還を楽しみにしていてくれたのだとわかる。
「家族皆何事もなく到着しました、父上母上」
「ええ、無事の到着喜ばしいことです。さあさあ長旅で疲れたでしょう、特にジーナは初めての馬車旅、中に入って休みましょう」
「お気遣い痛み入ります。皆中に入ろう」
声をかけられ歩を進める。顔を上げた使用人たちから少しだけ好奇の視線が向けられているな。まあ、この程度なら気にならないが。
うん? 兄上、手を繋ぎたいのか? 別にかまわんよ。
兄上に手をひかれて屋内に入り、ホールを通ってリビングらしき部屋に入る。
「ジーナ、こっちへ」
祖母に呼ばれて近づくと抱き上げられる。すぐそばに祖母の笑顔がある。兄上は笑顔の祖父に言葉をかけられている。
「ふふ、また大きくなったわね」
「うむ、皆のおかげで順調に育っておるよ」
「その話し方も相変わらずねぇ」
若干呆れ気味だが諌めることなく受け入れられているのはありがたい。初めて聞いたメイドは視界の隅で驚いていた。
「明日あなたに会ってもらう子がいるわ」
「分家などの子息?」
友人候補として紹介されるのだろうかと思っていると、祖母は首を横に振って続ける。
「あなたの婚約者」
「……こんやくしゃ。それは十年以上先に結婚する相手ということだろうか」
「その通りよ。公爵家の次男でね、朝に到着して今は部屋で休んでいるわ。結婚といってもあまり理解できないと思うから、友達ができたと考えなさい」
この話、両親は知っていたのかと視線をそちらに向ける。
なにが言いたいのか察した両親が頷いて口を開く。
「今回の帰還はジーナとガルフォード殿の顔合わせが目的なんだよ。ガルフォード殿の祖父と父上の間で交わされた約束でね。生まれたときからこの婚約は決まっていた」
「そうなのか」
少しばかり驚いたが地球の歴史を振り返ってみても珍しい話ではない。公爵家と繋がりができるので、悪い話でもない。そして貴族として生まれたと知ったときから自由な結婚ができるとも思っていない。なのでそうなのだなと受け入れよう。
「僕は賛成しかねます」
婚約の話を聞いていなかった兄上がそう言い、どうしてかと父上が聞く。
「彼と言葉を交わしたことがありますが、とてもジーナを託せるような方ではない」
きっぱりと言った兄上に、父上が諌めることなく苦笑を浮かべて頷いた。同意するのか、そうか。
「たしかに現状はそうだろう。しかし今後変わっていけばいいと思うけどね。年下の婚約者を得て、頑張らねばと奮起するかもしれないよ」
会ったことのない婚約者殿は少々問題があるようだ。暴力的な者だと嫌だな。多少我が強いくらいなら、こちらもそうだし気にしない。というか魂的に考えるとこちらの方が年上であるわけだから譲ることも考慮するべきか。
対応を考えていると父上がこちらを見る。
「会ってみてどうしても嫌なら断ってもかまわないよ。相性というものはあるからね」
「良いのでしょうか。公爵家とのコネをなくすことになる」
「そういった難しいことはこっちに任せなさい。ジーナが幸せになれないのなら、多少の負債は笑って受けいれよう」
そう言ってくれるのはありがたいし嬉しい。けれども現当主はそれでいいとして、約束した前当主はどう考えている? 祖父に視線を向けてると少し困ったように笑っている。
「できれば受けてもらいたいが、酒の席で決めたことだからな。話がなくなってもこっちも向こうもそう大騒ぎはせんよ」
「では会ってから考えることにする」
「うむ、ありがとうな。次はわしに抱かせてもらおう」
祖母から祖父へと渡される。かわりに兄上が祖母と挨拶をしている。
祖父は厳つい顔つきだから近くで見ると迫力がある。
「赤子の頃からジーナはわしの顔を見てもまったく怯えんのう」
「たしかに厳ついが、目にはいつでも慈しみがあった。それを見れば怖がらせようとしていないのはわかる」
「そうかそうか。人を見る目があるようでなによりだ」
上機嫌に笑い頭を撫でてくる。父上と同じように硬い手のひらだ。
そのままソファに移動しても抱かれ続け、以前会ったときからここに来るまでのことを話すことになる。
そうしているうちに叔父一家が到着したとメイドが知らせて、そのすぐあとに叔父たちが入ってくる。
父上の三歳下であり、父上が当主となったあとは主家と分家の橋渡し役として働いていると聞いている。叔父一家とも会うのは久しぶりだ。最後の会ったのは三年前くらいだろうか、叔父夫婦に子供が生まれてから会っていない。
叔父の奥方に手を引かれて三歳ほどの男児がリビングに入ってくる。
叔父が近づいてきて、祖父に挨拶する。奥方は祖母の方にいった。
「父上、ご無沙汰しております」
「うむ。元気なようでなによりだ。耳に入ってくる仕事ぶりも問題なく、ハーベルトもありがたがっておったぞ」
「それはよかった。今後もこの調子で励むといたします。ジーナも久しぶりだ」
「お久しぶりです。叔父上方も壮健な様子、喜ばしく」
相変わらずだなと苦笑が返ってきて、頭を一撫でされる。
叔父が再び祖父に視線を戻し、仕事の話をしているうちに祖母たちの挨拶が終わり、奥方が息子を連れてこちらに来る。
「お義父様。ご無沙汰しております」
「今日はよく来てくれた。夫婦仲も問題ないようでなによりだ。エミリオを支えてやってくれ」
「もちろんでございます。エリク、お爺様にご挨拶なさい」
母に促されエリクが前に出て祖父を見上げた。一瞬固まったかと思うと、すぐに母の後ろに隠れてしまう。
「申し訳ありませんっ。ほらどうしたのお爺様よ?」
「よいよい、この顔つきじゃからの、そういった反応は慣れておるよ。ジーナならばどうだ、呼んでみてくれ」
「うむ。エリク、初めましてだ」
祖父の膝に座ったまま声をかけると、エリクが少しだけ顔を出してこっちを見てくる。そして目が合うと一瞬固まって隠れてしまった。祖父のときと同じ反応だな。やはり目か。
「お爺様、私も駄目だった。おそろいですな」
「おそろいか、はっはっはっは! そうだな、おそろいだな」
祖父が気にしていないとわかり奥方はほっとしつつ頭を下げる。
「二人とも申し訳ありません。のちほどきちんと挨拶させます」
「無理にさせずともよい。元気な姿を見れただけで十分だ。もっと大きくなれば慣れてくれるだろうさ。そのときを楽しみにしよう」
「お爺様と同意見。ゆっくり慣れてくれればそれでいい」
一通りの挨拶が終わり、そのまま親類そろって穏やかに過ごす。祖父たちは今日のために仕事を前倒しで終わらせていて、急なトラブルがなければこのままのんびりできるらしい。
夕食時には客人も皆そろっての食事となる。そのときに祖母から婚約者殿が誰か教えてもらった。本宅に到着したときに目が合った少年だった。何人かに挨拶されて、弱弱しい笑みを浮かべて返している。
私も軽く挨拶をと思ったが、集まってくる分家の対処に追われて、声をかけることもできなかった。明日正式な場を準備されるということなので、そのときに詫びの一つでも入れればいいか。
あと分家たちは私を微妙な目で見てきた。まあ、予想通りだな。
翌朝の朝食後、祖父と祖母に呼ばれる。
「このあと婚約者と顔合わせするから準備したドレスに着替えるように」
「ドレスは部屋に持っていかせていますからね」
「わざわざ着替える必要が?」
いつもの服もいいものだと思うし、わざわざ準備しなくてもいいと思うのだが。
「私たちがあなたのドレス姿を見たいのですよ。着飾ったところを見せてくれないかしら」
「似合うと思うものを準備した。その姿を楽しみにしていたのだ」
期待に満ちた目で見てくる。それほどまでに楽しみなのか……親孝行ならぬ祖父母孝行として着るとしよう。
部屋に戻ると、小型のマネキンにネイビーブルーのドレスが着せられていた。その横にあるワゴンにはリボンやネックレスが置かれている。白のリボンにもネックレスにも宝石があしらわれていて一目で高価な品だとわかる。リボンには紫の宝石が、ネックレスには真珠が。貴族といえども子供の衣装に気合い入れすぎではなかろうか。
そんなことを思いつつ服を脱いでスリップ姿になる。父上と兄上もこの場にいるが、下着姿を見られたところでどうというものでもない。
母上が少し眉をひそめたが、この年頃が恥じらい少ないのは当たり前だから見逃してくれ。
メイドにドレスを着せてもらい、髪を整えてリボンをつけ、ネックレスもつける。
「いかがでしょうか」
家族に習い覚えたカーテシーを披露する。合格点をもらっているので、目以外は完璧なはずだ。
「あらあらあら! お義父様とお義母様に見ていただきましょう。とても喜んでいただけるはずよ」
「うん、とてもいい。よく似合うものをいただけた」
「綺麗だよ」
うーん、そうストレートに褒めてこられると少しばかり照れる。照れたことを察せられたようで微笑ましい視線が注がれる。
むぅ、この場に居づらい、祖父母のところに逃亡だ!
誤字指摘ありがとうございます