3:24『フラクタル』
遺言もないまま、崩れ落ちるシビルの肉塊。キリサメは叫び声を上げると、尻餅をつきながら後退りをする。サラたちもその光景には思わず愕然としていた。
「盛大に逝っちゃったわねぇ?」
「チッ……」
私は右肩に打ち付けられた刀身を何とか引き抜き、ミランダの元まで駆け出す。
「遅い復帰じゃない? "メス猫"ちゃん?」
こちらへと伸ばしてくる右腕を潜り抜けると、ミランダの左胸を握り潰す勢いで掴み上げ、
「──インフェルノ」
蒼色の獄炎で炎上させ近くの木々まで吹き飛ばす。ミランダの強固な身体は大木を粉々にし、木々を何本もへし折った。
「まだ思いつかないのか?」
「あ……あぁあぁ……っ」
「……おい」
キリサメの側まで近づき、名前を思い付いたのかと尋ねるが、シビルだった肉塊を眺めながら口元を震わせていた。私は舌打ちすると、キリサメの顔を両手で掴み、視線を強引に合わせる。
「私を見ろ」
「お、俺がのせいで……シ、シビルさんが……っ」
「話を聞け」
「……!?」
こちらの話をまったく聞かないキリサメの頬へ、私は左手で平手打ちを食らわせた。頬の痛みにより我に返ったのか、キリサメはやっと視線を交わす。
「時期に日が昇る。それまで耐えることができれば、私たちは生き残れるだろう」
「……」
「だがあの女のように、私はお前を庇うことはしない。次に狙われれば、最期だと覚悟しておけ」
私とキリサメの元へ迫りくるミランダの気配。私はキリサメを突き放し、気配のする方角へ振り向くと、
「生きる術は、お前自身で考えろ」
こちらへ伸びてきたミランダの両手首を掴んだ。
「うっふふ、アタシも混ぜなさいよぉ?」
「貴様の席はない」
「あらぁ、それは残念ねぇ」
押し返そうとするが、一ミリもミランダの腕は揺るがない。むしろ弄ぶようにジリジリと怪力で押し通し、私へ両手を伸ばしてくる。
「……日光浴でもしたいのか?」
徐々に辺りが明るくなっていく。その光景を横目に眺めながらもミランダへほくそ笑む。
「もう一人ぐらいはイカせてあげたいのよねぇ?」
「強欲だな」
「違うわ。アタシなりのサービス精神よぉ」
ミランダの細い両手が私の首へと到達すると力強く絞め上げる。気管から空気が逆流し、私の口から掠れた呼吸が漏れた。
(あの小娘より馬鹿げた力だ)
手先から伸ばした蔓をミランダの両腕に巻き付け、引き剥がそうと試みる。しかしステラ・レインズとは比較にならないほどの怪力には敵わない。
「ここで野垂れ"死になさい"──薄汚いメス猫」
(……マズイな)
定まらなくなる視界に、抜けていく腕の力。死がすぐそこまで迫っているのを感じ取り、意識を手放さないように両足に力を込める。
「やめろッ……!!」
「あらぁ? お触りは禁止よぉ?」
どうしたものかと途絶えそうな意識の最中、脳内で思考を張り巡らせていれば、先ほどまで背後で呆然としていたキリサメが、ミランダの右腕に掴みかかった。
「アレクシアを……離せッ!!」
「情熱的なアプローチねぇ。そういうの嫌いじゃないわよぉ?」
当然だがキリサメでは敵わない。その証拠に首を絞め上げる力は弱まらず、当人のミランダは余裕そうな笑みを浮かべていた。
「アレクシア……ッ!! 聞こえるか……!?」
キリサメはミランダに掴みかかりながら、私に大声で呼び掛けてくる。私は迫りくる死を朦朧とする意識の最中で睨みつけ、キリサメの言葉を耳にしていた。
「俺は──で──たいんだッ!」
「……?」
「お前は──て──なッ!」
(……意識が揺らぐせいで上手く聞き取れん)
途絶え途絶えに聞こえてくるキリサメの声。視界が真っ白に点滅を繰り返し、一輪のヒマワリの花が脳裏に映り込む。
『テメェはバートリが残した希望だ。ここでくたばるんじゃねぇ』
(……希望か)
『分かってんだろ。ワタシに新しい名前を付けるんだ』
キリサメの顔が私のすぐ近くまで迫り、こちらへ必死に呼び掛けてくる。耳元で叫ばれているせいか、今度はハッキリとこう聞こえてきた。
「だから、その力の名前は──」
一言一句、聞き逃さないように耳にしたキリサメの言葉。
「──"フラクタル"だ」
(……"フラクタル")
脳内に言葉が浮かび上がるとヒマワリの花は、黄色から蒼色の花弁へ色を変える。
『ほぉ、名付け方がバートリの側にいた"ヘタレ野郎"と似てんな。いいセンスしてんじゃねぇか』
蒼色の花弁となったヒマワリから蔓が伸び、こちらの意識を包み込むように纏わりつき、体内へと吸収されていく。
『ワタシの名は"フラクタル"。ワタシの主はアレクシア・バートリだ』
(……)
『ウェンディのこと、頼んだぜ。それと……これからはテメェが──』
朦朧とする意識の中でヒマワリの花びらが散っていく光景。ラミアの声も掠れ、姿すらも薄れゆく。
『──バートリの意志を継いでやってくれ』
私は飛び散る花弁で視界が塞がれた瞬間、揺らいでいた目の前の視界がハッキリと映し出された。笑みを浮かべるミランダと必死に掴みかかるキリサメ。私は首を絞め上げているミランダの両腕を握り、
「──"フラクタル"」
「……!」
蒼色の蔓を体外へ放出させながら、ミランダの両腕をジリジリと引き剥がし始めた。キリサメはすぐ隣で歓喜の表情を浮かべる。
「あら、どういう仕組みかしらぁ? 急に"メス猫"らしからぬ怪力になるなんてぇ」
私は蒼色の蔓をミランダの両腕に巻き付け、今度はこちら側が力で押し返し、逆十字架の首輪が付けられたか細い首に両手を伸ばした。
「見届けてやる。貴様が灰に変わる姿をな」
「うっふふ、そうねぇ……」
陽の光が辺りを照らし始め、空に太陽が昇るまで数分もない。このままここで拘束し続ければ、原罪であるミランダを葬ることができる。
「ちょっとだけ──」
「下がれ」
「うおぉッ!?!」
ステラ・レインズと交戦していたときにも感じた"悪寒"。災禍を発動しようとする予兆。私は傍に立っていたキリサメを蹴り飛ばし、蔓で拘束していたミランダの身体をサラたちが倒れている場所と真逆の方角へ放り投げた。
「──本気、出しちゃおうかしらぁ?」
周囲に撒き散らされる"黒色の粉末"。花粉のように森林地帯を覆いつくす。ミランダの姿は粉末により隠されてしまい、距離感すらも分からない。
「な、なんだよあの黒いのは──むぐッ!?」
私は大声で叫んでいるキリサメの口を右手で塞ぎ、散らばっている黒色の粉末を見据える。
「死にたくなければアレを吸い込むな」
キリサメは私からの忠告聞くと何度もその場で頷く。実際に死ぬのかどうかは不明だが、吸い込んで確かめることなどできない。私はこちらへと近づいてくる"黒色の粉末"をどうせき止めようとかと考えていれば、
「……?」
太陽の光に触れた途端、あっという間に"蒸発"をしていく。空を見上げれば朝日は既に昇り、陽の光が森林地帯を照らしていた。
(あの女、朝日が昇り切る前に逃げたな)
せき止めずとも黒色の粉末は陽の光により消えていく。私はキリサメの口から手を離すと、その場に立ち上がってから一呼吸置いた。
「……生き残れたか」
「お、終わったのか?」
「あぁ、取り敢えずはな」
「……」
黙り込むキリサメ。あの黒色の粉末は災禍だったのか、それとも逃走用の煙幕だったのか。疑問に思いながらも、跡形も無く崩れ去ったドレイク家の洋館まで歩み寄る。
「この本は……」
瓦礫の上に落ちていたのは二度と読めないと諦めていた『悲劇の王女』という題の本。前半部分は酸で溶けてしまっているが、最後の部分だけは辛うじて残っているようだ。
(運が良いのか悪いのか分からんな)
口からこぼれ出る溜息。私はボロボロの本を拾い上げ、中身が読めることを確認していれば、
「レ~ド~シ~ド~♪」
不協和音に近い歌声が聞こえ、その方向へと視線を移す。
「……誰だお前は?」
陽の光が当たらない木の下で笑みを浮かべながら、じっとこちらを見つめる"女性"。真っ赤な髪色に、紅色のドレスを着た"貴婦人"らしい服装。
「ご機嫌麗しゅうお過ごしですか? 本日も楽しくお過ごしですか?」
「お前は誰だと聞いている」
「こちらのお屋敷で素敵な歌声が聞こえてきたので、本日も楽しい一日を過ごすために出向いたのですが……あらまぁ、これはどういうことですか?」
「……会話が成り立たないということは"吸血鬼"か」
陽の光を避けている時点で吸血鬼なのは間違いない。私は血涙の力を発動できるよう軽く身構える。
「その瞳、バートリさんのものと似ています」
「……バートリ卿とやらは私を産んだ母親だ」
「あらあらまぁ、そうでしたか。貴方はバートリさんの娘さんでしたのね」
お面でも被っているかのようにピクリともしない"笑顔"。
「ワタクシはてっきり──」
その笑顔のまま、顔の角度を九十度曲げ、
「──あの憎き"ヒュブリス"かと」
「……!」
千年以上も前から呼ばれていた私の異名を述べる。視線の先で立っている吸血鬼がその異名を口にした事実に、私は目を細めた。
「貴様、その名を知っているのか?」
「おほほ、"憎き"というのは冗談ですのよ」
「会話のできない吸血鬼だな」
「どうお呼びしましょうか? アレクシア? それともヒュブリス? 貴方のお話しを聞かせて欲しいの。どうかここまでいらっしゃって」
手招きをする胡散臭い吸血鬼。私は逆に距離を取りながら、ルクスαの持ち手に指先を触れた。
「どうなさったの? ワタクシはここですのよ」
(……ヤツは危険だな)
風格は人柄の良い穏やかな貴婦人だが、異様な程に近寄りがたい。脳内で"関わるな"と激しい警鐘を鳴らしている。もし少しでも近づけば"ナニカ"に"丸呑み"されるような感覚だ。
「貴様は公爵か?」
「あらあらまぁ、ワタクシはバートリさんのパートナーですのよ」
「……パートナー?」
「おほほ、大変仲睦まじい関係でしたの。同じ四卿貴族として」
「四卿貴族だと?」
私がそう尋ねれば九十度に曲げていた顔の角度を元に戻し、木に立てかけていた日傘を手に持つ。
「ワタクシは"スカーレット卿"。愛しいヒュブリス、貴方に期待していますのよ」
「……」
「おほほ、愛しいというのは冗談です。もしワタクシとまた会いたければ……あの"メロディー"を口ずさむと楽しめますのよ」
こちらへ背を向けた途端、視界にノイズのようなものが走る。そして気が付けば、既にその場から姿を消してしまっていた。
(千年の間で何が起きた?)
私は懸念すべき課題が増えたことに溜息をつき、原罪の奇襲によって呆然としているサラたちの元へと向かう。
「ほんと、災難だったわ……」
「サラ・トレヴァーに同感だ。派遣任務で眷属と原罪に遭遇する確率など、雷に直撃する確率と変わらない」
「うん、雷に当たる方が怖いけどね」
地面に座り込み、疲れ切った様子で各々そう呟いていた。私は三人から視線を逸らし、粉々になったミアの遺体の前で屈むウェンディへ歩み寄る。
「ラミアは、私たちを守ってくれたんですよね?」
「恐らくな」
遺体の側に落ちているヒマワリの花。ウェンディはそれを拾い上げると、その場にゆっくりと立ち上がった。
「私も、私もラミアやあなたのように、誰かを守れるようになりたいです」
「……」
「私でも、強くなれるでしょうか?」
こちらへと振り返り、真剣な眼差しを送ってくるウェンディ。私は口を閉ざしたまま、しばらく視線を交わすと、
「知らん」
「そ、そうですよね、私なんか強くなれ──」
「だがお前は今回の件で一歩だけ前進した。前に進む素質はあるのだろうな」
「……!」
それだけを伝えて、サラたちの元へ戻ることにした。
「……惜しい人を亡くしたわね」
「シビル・アストレアは勇敢な方だ。最期の最期までその強い意志で私たちを守ってくれた。どうか安らかに」
「……」
シビルの遺体を土に埋葬し、サラが墓標代わりにルクスαを突き立てる。セバスとクライドは目を瞑りながら、墓標へ手を合わせていた。キリサメも静かに墓標を見つめている。
「ねぇ、これからどうするのよ?」
「徒歩でグローリアまで戻る」
「徒歩……!? わざわざ歩かなくてもそのうち迎えが来るでしょ!?」
「嫌ならここで一日待っていればいい。来るかも分からん馬車をな」
「ちょ、ちょっと待ちなさいって!」
私は黒色の眼帯を左目に付け、グローリアの方角へと歩き出す。
「時間は有限だ。私はアレクシア・バートリの意見に賛成する」
「うん、僕もついて行くよ」
「あ、あんたたちも歩くつもり!?」
私の後に続くセバスとクライド。キリサメとウェンディも顔を見合わせると、こちらへ駆け寄ってきた。
「分かったわよ! 歩けばいいんでしょ歩けば!」
サラは文句を垂れながらも私たちを追いかけてくる。
「ねぇ、あんたは何者なのよ? あの炎は加護なの?」
「いいや違う」
「ならば災禍か?」
「それも違うな」
「もしかして、バートリさんって吸血鬼?」
「半分正解だ。そもそも私は──」
私は自身の生まれについて歩きながらサラたちへと説明した。あそこまで見られてしまっては誤魔化せはしない。
「うん、その話は僕でも驚いちゃうな」
「……カイト・キリサメ。お前はアレクシア・バートリの境遇を知っていたのか?」
「ああ、まぁな。本当はそういう事情もあったから、楽って噂の派遣任務に選ばれたんだよ。わざわざ先生が手配してくれたりしてさ」
「それで結果的には……一番過酷な派遣任務になったってわけね」
吸血鬼の血が流れていることに対して、サラたちはやや驚いている様子だったが、不思議なことに私へ恐怖心を抱いたりはしなかった。妙に落ち着いている三人へ私はこう問いかける。
「肉体の半分が吸血鬼、つまりはお前たちの敵になる。警戒しなくてもいいのか?」
「あんたがほんとに敵なら、私たちはとっくに死んでるでしょ。あんたの性格上『今まで敢えて生かしておいた』なんて言わないだろうし」
「サラ・トレヴァーに同意だ。常に行動を共にしていたカイト・キリサメが生きているという過程も、その結果へと結びつけられる」
「うん、バートリさんは僕たちの味方だよ」
「……不意に背中を刺されても文句を言わないことだな」
「その時は刺し返して相討ちにしてやるわ」
私たちが会話をしていると、歩きながらうつらうつらとしているウェンディにキリサメが気が付き、その場にしゃがみ込む。
「ウェンディ、グローリアまでおぶるよ」
「だ、大丈夫です。ひ、一人で歩けますから……」
「無理すんなって。それに、今はもう一人じゃないだろ? まだ子供なんだし、俺たちを頼ってくれ」
「……はい、ありがとうございます」
ウェンディはキリサメの背負われると瞬く間に意識を失い、スヤスヤと寝息を立て始めた。サラはその光景を目にすると、セバスへ視線を向ける。
「サラ・トレヴァー。私はお前を背負うつもりはない」
「地下室であんたを助けた借りがあるわよね?」
「それを言うのであれば、クライド・パーキンスも同様に借りがあると思うがね」
「うん? 僕はトレヴァーさんが戦線離脱したとき、代わりに前線に出たよ? だから借りはちょーどゼロかな」
「……って言ってるけど?」
「ならば私は蔓の拘束からお前を助け出した。これで互いに貸し借りはなしになるのではないか」
「あー、私はもう眠くて眠くてしょうがないの! 男ならつべこべ言わずに背負いなさいよ!」
他愛も無い会話を耳にしながらも、私は洋館の瓦礫から発掘した『悲劇の王女』の結末を読み進めることにする。
『長女のアメリーと次女のクラリス。隠れていたヨハンナは二人のことが脳裏に過ぎる。命を顧みず、悪魔へ抗おうとした果敢な姉たち。ヨハンナは決意すると、隠れていた場所から勢いよく飛び出す』
(……悪魔を倒そうとした神父に危機が迫るシーンだったか)
心地よい風が吹き、キリサメに背負われているウェンディの髪がなびく。その姿を横目に次のページへと視線を移した。
『神父が息の根を止められる直前、ヨハンナは"十字架"を悪魔の額に押し当てその危機を救った。そして神父へ悪魔は心臓が弱点だと伝え、持っていた十字架を手渡した』
『神父はヨハンナから受け取った十字架を握りしめると、悪魔へと飛びかかり、その心臓に突き立てれば──悪魔はおぞましい悲鳴を上げ、みるみるうちに浄化され、悪魔は宮殿から消え去った』
『安堵するヨハンナ。そこで初めて神父から聞かされた真実。それは長女のアメリーが体制を整えたのは両親の死に関与する者がいないかを洗い、宮殿を改築したのは、両親の死の手がかりを見つけるためだと』
『次女のクラリスが他国との交流を行ったのは、強力な悪魔払いを探すためだと。そう、彼女たちは最初からヨハンナに託そうとしていたのだと。ヨハンナはそれを聞くとボロボロと涙を流し、夜が明けるまで泣き続けた』
『……こうして悪魔は無事に浄化され、宮殿に平和が訪れた。ヨハンナは家族の想いを胸に宿し、今日も王女として君臨する。悪魔のことを知った国民たちは、ヨハンナをこう呼ぶようになった。"希望の王女"──"勇気ある王女"と。もう二度と、悲劇は起きなかった。そう、ヨハンナの勇気が、長女と次女の覚悟が──』
『──悲劇の連鎖を断ち切ったのだ』
最後のページに書かれた一文。私はその一文を黙読すると、ボロボロの本を森の中へと投げ捨てた。




