3:22『インフェルノ』
神経毒によって意識を失い、私は気が付けば暗闇の中で立っていた。辺りを見渡しながら、自身の状況をこう判断する。
(……死の淵か)
生死の瀬戸際を彷徨っている。光も無い、温かみもない。凍えるような寒さに、一歩先も分からぬ闇が広がる。限界を迎えていた肉体に神経毒などを注ぎ込まれれば、このような場所へ送り込まれて当然だろう。
「また会ったな、あのお方の娘よ」
「……お前は」
私の元へと近づいてきたのは茶色の毛並みを持つ大型犬。どこかで聞き覚えのある声。私はしばらく考える素振りを見せ、
「誰だお前は?」
大型犬へ何者かを尋ねた。
「……仕方ない。この姿を見れば分かるであろう」
やや呆れたように大型犬は両目を閉じると、身体を巨大化させながら頭部を三つへと増殖させていく。私はその姿を目にして、やっとのことで何者かを理解した。
「あぁ、お喋りな犬だったか」
「我のことを忘れているとは驚いたぞ」
「私も驚いた。死ぬ間際で私の前へ現れるのがお前だとはな」
大型犬の正体は一ノ眷属であるケルベロス。実習訓練で血涙の力を発現させることになったきっかけとなる犬。
「あのお方の娘よ、ラミアは強いだろう?」
「……お前はアイツと顔見知りなのか」
「勿論だ。我と同じ眷属だからな」
ケルベロスは姿を元の大型犬に戻すと、その場に伏せをする。私は悠長に構えているケルベロスの前でしゃがみ込み、
「お前がアレと同じ眷属だと?」
「そうだとも」
「実力も規模も何もかもが違う。アレと比べればお前など茶番に過ぎん。お前は眷属の中でも最弱だったのか?」
「……ごもっともな意見だが、我はそれなりに傷ついたぞ」
眷属としての桁違いの実力差に苦言を呈した。ケルベロスは少し項垂れると、私と視線を合わせる。
「しかし我とラミアとでは決定的な違いがある。その違いにより、我とラミアとで実力の差が出ているのだ」
「違いは何だ?」
「ラミアは"原罪"から血を分け与えられている」
「血を?」
ケルベロスは尻尾をゆったりと振りながら、私へ自身とラミアの違いを告げた。
「ラミアはあのお方のことを忘れていただろう。対して我は覚えていた。この違いは原罪に血を分け与えられているかいないかだ」
「お前が最後に"他の眷属は洗脳されている"と私へ伝えたのは、そういうことだったか」
「その通り。我はステラ・レインズから血を分け与えられることがなかった。それが功を奏し、あのお方を想い続けられたのだ」
「……つまりバートリ卿の血が、原罪の血によって浸食されている。ラミアはそういう状態ということだろう?」
「勘が鋭いな。流石はあのお方の娘だ。我を打ち倒し、血涙の力を扱えるだけある──ふぐっ!?」
私は危機感も無しに語り続けているケルベロスの頭部に左手を乗せ、軽く上から押さえつける。
「必要のないお喋りは不要だ。私が求めているのは役立つ情報だけ。それこそラミアを殺す方法を教えてくれてもいい」
「……我の炎でラミアを燃やせなかっただろう?」
「あぁ燃やせなかったな。お前の炎はせいぜい痛みを与える程度の弱火だ」
「当たり前だ。お前は"我の力"を扱っているのだからな」
「……どういうことだ?」
そう問いかけながらも頭部から置いていた手を離すと、伏せているケルベロスを見下ろした。
「我はあのお方から"ケルベロス"という名と"獄炎の力"を与えられた。お前は血の涙を口にはしたが、受け継いだものは"ケルベロスの力"に過ぎない」
「何が言いたい?」
「獄炎は"お前自身の力"ではないということだ」
その場に伏せていたケルベロスは四つ足で立ち上がると、尻尾を振りながらその肉体を三つ首の姿へと変えていく。全身にはあの獄炎を纏っていた。
「あのお方の娘よ、我の力をお前自身の力にするのだ」
「……どうすればいい?」
「簡単だ。あのお方が我に名を与えてくれたように、今度はお前が我に"新たな名"を与えればいい」
「お前に名前を付ければいいのか」
「そう、名前だ。さすればあのお方から与えられた力が形を変え、お前自身の力へと変化するだろう」
私はしばらく俯いて、ケルベロスの新たな名を考えることにした。
「"お喋りドッグ"」
「……」
「"犬の眷属"」
「……」
「"ミュートドッグ"」
「……」
ケルベロスが大きな溜息をつきながら頭部をがっくりと落とす。
「あのお方と同じか」
「同じ?」
「名前のセンスが絶望的だ」
「だが名前を与えたのはバートリ卿とやらだろう?」
「あのお方の側には"変わった男"がいた。あのお方はその男から知恵を借り、我らに"ケルベロス"という名を与えたのだ」
「……"変わった男"」
「あのお方が愛し、夫として選んだ人間。発想とセンスは悪くなかった」
父親は吸血鬼共の奇襲により行方不明となったまま。生きているのか、死んでいるかも不明。
「……それとだ、我は既に死んでいる。我に名を与えるのではなく、我の力に新たな名を与えるのだぞ」
「力に名前を……」
ふと脳裏を過ったのは実習訓練での怪我が完治し、久しぶりに教室へ顔を出したときの記憶。スマホの充電が切れる直前、キリサメが呟いていたあの一言。
(……アレにするか)
私の隣で獄炎の名前について設定や意味などと、理解の及ばない説明をしていた。その記憶を思い出しながら、ケルベロスを見上げる。
「……決まった」
「ほう、我に言ってみろ」
私はケルベロスの鼻先へと手を乗せ、キリサメの言葉をハッキリと思い出した。
「お前の新たな名は──」
『あの炎の力に名前を付けるなら──』
そしてケルベロスと視線を交わすと、
「──"インフェルノ"だ」
『──"インフェルノ"だな』
新たに"インフェルノ"という名を与える。するとケルベロスの獄炎は一瞬にして蒼色へと変化し、私の身体へと吸収され、凍える暗闇に熱が帯びていく。
「インフェルノ、良い名前だ」
「……」
ケルベロスの肉体は蒼色の獄炎へと姿を変え、私の前で実体のない身体で漂う。
「我の名は"インフェルノ"。我が主の名はアレクシア・バートリ」
「……」
「我の肉体を力へと還元し、お前の一部となろう」
そして実体のない蒼色の獄炎の身体が私へと突進すれば、体内へと瞬く間に吸い込まれ、
「これで真の別れとなる。さらばだ──我が主、アレクシアよ」
何も見えない暗闇は白い光へと覆われた。
────────────
「──"インフェルノ"」
「キィアァアァアァアッ!!?」
ラミアの全身を蒼色の獄炎が包み込めば、今まで以上の悲鳴を大広間に響かせる。私はすべての巨大な花弁に蒼色の獄炎を纏わせた弾丸を撃ち込み、瞬く間に炎上させていく。
「アチィッ、アチィイィイィッ!!! カ、カラダが、カラダがヤケちまうぅうぅぅッ!?! キィアァアァアァアァッ!!?」
私はラミアの花弁から飛び退くと、キリサメの傍へ着地する。
「アレクシア、目を覚ましたんだな!」
「……よくやった」
「ん? 今なんて言って──」
「出口まで走れと言ったんだ」
歓喜の声を上げているキリサメにそう命令すると、私は外への出口を塞いだ太い蔓を蒼い炎であっという間に焼失させた。
「館が崩れる。外に出るぞ」
「そうね。感動の再会は後ってことにしましょ」
寄生植物が焼け落ち、館の床や壁が崩壊していく。私たちは大広間から外へと脱出し、中庭を駆け抜けながら、整えられた道まで辿り着くと足を止めた。
「クソがクソがクソがぁあぁッ!!! テメェら、テメェら、ヨクも、ヤッテくれたなあぁあッ!?!」
「ラミア、何という生存力だ。炎上しているうえで、まだ私たちを追いかけてくるつもりかね」
「うん、自然は恐ろしいね」
外の明るさも時機に朝日が昇る頃合い。
振り返ってみれば蒼色の炎と赤色の炎に身体を燃やされたラミアが、私たちを追いかけてきている。森に生えた木々もラミアに共鳴するように、大きくざわめき始めた。
「ウェンディィイィィイッ!!! ナンで、ナンで、コイツのことを裏切ったんだぁあぁあッ!?! オマエの、オマエのトモダチだろうがぁあぁッ!!!」
「……ミア」
「グローリアをツブしたら、コイツと二人で、どこかトオいところで、暮らそうってッ……そう約束したじゃねぇかぁあぁッ!?」
「グローリアを潰すだと?」
「はい、ミアはこのドレイク夫妻の領土で寄生植物を利用して……グローリアへ攻め込もうとしていたんです」
寄生型の食屍鬼に寄生植物。ここまで環境が整えられていたのはグローリアへ奇襲を仕掛けるため。私はウェンディの言葉で納得すると、ルクスαを鞘から抜いた。
「ワタシはッ、ワタシはぁあぁあッ!! コイツがトモダチとシアワセに暮らせれば、それでよかったのにぃいぃッ!! オマエは、オマエはコイツのオモイをムダにすんのかぁあぁあッ!?!」
「……」
「おい答えろヨッ、答えろウェンディィイィイィッ!!!」
ウェンディは私の隣に立つと、こちらへ迫ってくるラミアを見上げる。
「確かにミアは、ミアは私にとって初めての友達です。同じ歳の友達が作れて、私はとても嬉しかった。仕事ができなくて辛い事ばかりだったけど、ミアが声を掛けてくれたおかげで、私は毎日頑張れました」
「だったらッ!! だったらドウシテぇえぇッ!!」
「でも……!! 私の大切な人や、無関係の人たちを傷つけるのは許せません!!」
「……ッ!!」
「"ラミア"、あなたはミアのことを何も分かっていない!! ミアは、ミアはこんなこと望んでいません!! あなたは"死んだミア"の心を勝手に創り上げて、それをミアの為だと思い込んでいるだけッ……!!」
ウェンディに言葉をぶつけられ動揺するラミア。ウェンディは追い打ちをかけるように一歩前へと踏み出し、
「私の知っているミアは明るくて、優しくて、どんな時も他人を想いやれる子です!! あなたが勝手に創り上げたミアなんて──私の"友達"じゃない!!」
友達という言葉を強く否定した。ラミアは愕然とした表情を浮かべ、炎上しながらも、
「グッ、ググッ、ウグァアァアァアアァアッ!!!」
太い蔓を何度も地面に強く叩きつけ、怒りの叫びを上げた。
「コイツが、コイツがイチバンにキズつくことをッ!! テメェは、テメェは言いやがったなぁッ!?! ウェンディイィイィッ!!」
「お前は下がれ」
跡形も無く崩壊した館。ラミアは寄生植物を集合させ、地面に蔓を這わせながらこちらへ猛進してくる。私はウェンディへ下がるよう指示を出し、ルクスαを折れていない方の左腕で持ち直した。
「援護の必要は?」
「私一人で事足りる」
サラにそう返答すると蒼色の獄炎をルクスαに纏わせ、ラミアと正面から衝突する形でその場から駆け出す。
「コイツは、コイツはッ……ニンゲンどもをニクンデいるッ!! ノゾンデいないわけがねぇんだぁあぁッ!!!」
地面を這ってくる太い蔓を次々と焼き斬り、巨大な花弁と融合したラミアの元まで徐々に接近していく。
「ダッテ、コイツはッ──テメェらニンゲンにコロサレたんだからなぁあぁあッ!!」
振り下ろされる蔓を回避し、横払いを仕掛けてきた蔓を斬り捨て、足を止めることなくひたすらに前進し続けた。
「ダカラ、ダカラぁあぁあぁッ!!」
ラミアは冷静な判断が下せず、闇雲に人骨が埋め込まれた蔓で乱打を繰り返す。私はある程度の距離まで接近できたことを視認し、剣の持ち方を逆手持ちへと切り替える。
「マチガッテいるのは、ここでシヌべきなのはぁあぁあぁ!!!」
「……」
「"ワタシ"じゃなくてッ──"テメェら"のホウだろうがぁあぁあぁッ!!」
前方からは巨大な花弁から伸びてくる針の触手。左右からは太い蔓の薙ぎ払い。私はラミアの花弁に向かって地を蹴り飛び上がった。
「貴様の憎悪に塗れた過去などはどうでもいい。私は貴様の復讐劇にもミアとやらの生前にも興味がない」
「クソぉッ!! コッチにクルんじゃねぇえぇえぇッ!!」
こちらへ迫りくる針の触手を剣で斬り刻み、一斉に蒼色の獄炎で塵にする。ラミアは近づかせまいと太い蔓で私を捕獲しようとしたが、
「貴様は眷属で吸血鬼共に手を貸している。その事実だけ分かれば十分だ。いいや、十分すぎる」
「アチィイィッ!?!」
触れられないよう自身の肉体を蒼色の獄炎で包み込み、後方から迫ってきた数本の蔓へ獄炎を引火させた。
「吸血鬼に一度でも手を貸した貴様は──同情される資格などない」
「クッ、クルンじゃねぇッ!! このアバズレおんな──キィアッ!?!」
私は剣を上空へと放り投げた後、ホルスターから獄炎を纏わせた銀の杭を一本ずつ取り出し、接近しながら眼球の無い二つの空洞と胸元へとすべて投擲する。
「貴様も声帯に寄生しているんだろう?」
「……ッ!!」
「逃げられると思ったか?」
本体の寄生花。ミアの体内を動き回り逃げられないよう、声帯の上下を蒼色の獄炎で塞いでいた。
「今度は貴様が──"詰む番"だ」
「キィヒィアッ!?!」
私は上空から落下してきたルクスαを左手で掴み、蒼色の獄炎を再び纏わせると、逆手持ちの状態ですれ違いざまに剣の刃をラミアの首へ食い込ませ、
「未来永劫、この世に生まれることなく――」
「テ、テメェッ!! ヤ、ヤメロぉおぉおぉッ!!!」
横目でラミアの焦燥感に浸った表情を眺めながら、
「――永久に眠れ」
「ギィア"ァア"ァア"ァア"ァア"ァッッ!!!?」
耳元でそう囁き、ラミアを斬首した。




