2:21『血涙』
斬り離された胴体はその場に崩れ落ち、ケルベロスの頭部は地面に勢いよく転がった。私は完全に意気消沈したことを確認し、亡骸となったであろう頭部に歩み寄る。
「人間、人間、人間……ッ」
「……犬、私の質問に答えろ。貴様らは吸血鬼共に作られたのか?」
「……」
「答えろと言っている」
黙り込んだままのケルベロス。私は「ならば」とディスラプターの銃口を頭部に押し付け、銀の弾丸を何発も撃ち込んだ。
「我らは、人間が憎い……ッ」
「貴様、私の言葉が分からないのか――」
「人間が憎いから、吸血鬼に魂を売った」
「……魂を売っただと?」
その言葉に私は表情を険しくさせ、押し付けていた銃口を離す。
「我らは元々、犬と呼ばれる動物。人間に復讐を誓った……捨て犬だ」
「元も犬だとはな」
元々捨て犬だったと語るケルベロス。私はルクスαを鞘に納め、ディスラプター零式に弾丸を込める。
「……人間、お前の名は何だ?」
ケルベロスが巨大な右目で私を見つめた。その眼差しは敵意を抱いているわけではなく、私に誰かの面影を重ねたようなものだ。
「今は私が尋問する立場だ。よくそんな口が利けるな」
「お前はBathoryの名を持っているのではないか?」
「……何故分かった?」
「やはりそうであったか。我らはあのお方の子を殺そうと……」
この犬に名乗った覚えはない。だがケルベロスは私のラストネームであるBathoryという名を知っているようだった。
「お前の母上は元気にしているか?」
「母体は吸血鬼に襲われ、十年以上も前に死んでいる」
「……! 何て、ことだ……ッ」
ケルベロスは驚嘆すると右目をゆっくりと瞑り、哀しみの一片である血の涙を流す。
「私の母体を知っているのか?」
「……慈悲深きお方だった。我らの哀しみを誰よりも理解し、死の淵から救い出してくれた」
「なら貴様が魂を売ったのは私の母親だと?」
「その通りだ。我らはあのお方に魂を売った」
エイダの憶測は正解だった。私を産む直後に母親が吸血鬼化したのではなく、元々吸血鬼として私を身籠っていたのだ。
「母体が吸血鬼共か。笑えんな」
「あのお方は人間の敵ではない。吸血鬼として公爵に並ぶ地位と力を持ちながら、人間との共存を公爵へ訴え、対立を図っていたのだぞ」
「人間との共存だと? 散々私たち人間を蹂躙してきた吸血鬼共が、何を抜かしている?」
人間との共存。そんな反吐が出る発言に、私はケルベロスへディスラプターの銃口を突き付けた。
「あのお方は人間を殺してはいない。人間から血液を買い取り、食屍鬼や吸血鬼から人間を守り通し、静かに暮らしていた心優しきお方だ」
「……私たちを殺そうとした貴様が、共存を望む吸血鬼の眷属だと? 変わった命乞いだな」
グリップを強く握りしめてから引き金に指を掛け、世迷言を並べるケルベロスを睨みつける。
「我らがBathory卿の眷属だったのは過去の話だ。あのお方は公爵によって迫害され、我ら眷属を案じ公爵へ仕えることを命令したのだ」
「……貴様は自身を一ノ眷属だと名乗っていたな。他にも貴様のような眷属がいるのか?」
「我らを含め十匹だ。どの眷属もバートリ卿を愛する者ばかりだったが……今は命令通り原罪に仕えている」
私の生みの親であるバートリ卿の眷属から、原罪に仕える眷属へと移転した。公爵相手に勝ち目を見出せず、眷属だけでも救済しようとしたのか。
「バートリ卿は、お前に託したのだな」
「託しただと?」
「『人間と吸血鬼が共存する世界』を作り上げるという理想だ。あのお方は、人間と吸血鬼の力を持ったお前を産み、公爵を止めてくれることを願ったのだろう」
「……吸血鬼共も人間と同じか」
勝手に夢やら理想やらを押し付けられ、非常に気分が悪い。しかも今回押し付けてきたのは人間の敵である吸血鬼だ。
「あのお方の娘よ、我の血の涙を飲め」
「私は人間だ。犬の血は飲まん」
「……飲め」
「吸血鬼共の真似事は御免だ」
ケルベロスはしつこく血の涙を口にしろと命令してくる。ディスラプターの銃口を突き付けながら、私は当然のように何度も拒んだ。
「その左目を再生できるとしてもか?」
「何だと?」
治療不可能だとエイダに告げられた左目。ケルベロスは血の涙を飲めば治せると私に伝えてきた。
「貴様は吸血鬼共の眷属だ。その話を信じるとでも?」
「お前は我らが仕えていたバートリ卿の娘だ。虚言を吐き、陥れる理由はない」
「……信用ならん」
ケルベロスが私の寝首を掻こうとしているようにしか思えない。私はこの犬に疑念を抱いていると、背後から右肩を軽く叩かれた。
「何の用だ?」
キリサメたちが状況を確認しに来たのだろう、と私は気を抜きながらその場に振り返る。
「ハローハロー」
「――ッ」
しかし振り返った瞬間、私の右肩が跡形もなく抉られる。周囲に肉片が飛び散り、その場に尻餅をついた。
「ん、んんんーー? えっ、あれれ? ここには誰もいなかった?」
(この女、いつの間に背後に立って……)
立っていたのは白髪に赤髪を混じらせた長髪を持つ少女。紅の瞳に、衣服は黒色のワンピース。私はその少女を見上げ、左手に握っていたディスラプター零式の銃口を向ける。
「なーんだ、誰もいないんだ!」
「チッ……」
が、今度は左肩が跡形もなく抉られ、両腕が損失してしまう。何とか片膝をつけば、私の体内の血液がとめどなく溢れ出た。
「ア、アレクシアさん……ッ!?」
「んん? あれあれあれ? 誰かいるのいるの?」
酷い有様に悲鳴にも似た声を上げるアリス。私は少女の注意がアリスの方へ向かないようにと、
「こっちを見ろ──小娘」
面識のある狂った少女へ、こちらを見るよう呼びかけた。
「あっ、いたんだね。知らなかったけど、気が付かなかった!」
「……久しぶりだな小娘。いや、Stera Rainesか」
「もしかして、もしかしてお姉様……!? もしかしなくても、お姉様なの!? やっとのやっとで、私に会いに来てくれたの?!」
見間違えるはずもない。この少女はレインズ家の始祖、Stera Raines。初代十戒を務め、吸血鬼に魂を売った裏切り者。
「小娘、やはりお前は原罪の方がお似合いだ」
「アハハッ! 冗談は止してよお姉様!」
こちらの右頬に向けて平手打ちを放つ。私はケルベロスの転がる頭部に背を打ち付け、思わず吐血した。
「ん、あれ、あれれ? ケルちゃん、そんなところでどうして生首になってるの?」
「申し訳ありませんステラ様。我らはこの者たちに敗北を」
「えっ、負けたの? それ、ウケるね、草は生えないけど! うん? 草って生えるよね? あれ? 生えるから草なの?」
ステラはケルベロスの頭部に飛び乗ると、両手で自身の頭を叩きながら、その場で何度も跳ね回る。
「……小娘、前世よりも頭のネジが外れているようだな」
「お姉様ったらー? またイタイイタイしちゃうんだからねー!」
ステラは何度も私に平手打ちを食らわせた。キリサメたちは原罪としての威圧感に身動きが取れずにいる。私の意識は出血と衝撃により、朦朧とし始める。
「――待ってくれ!」
草むらから男の声がすると私たちの間に割り込んだ。私はケルベロスにもたれかかりながら、横目でその人物を視認する。
(……この男か)
Dクラスの担任であるアーサー。私を庇おうとしているようで、ボロボロの制服姿のままステラへ立ちはだかる。
「アハハッ! なに、だれ、モブの人?」
「頼む、この子を見逃してくれ……!」
「見逃す? ん、んんん? どうして見逃さないといけないの?」
「この子にはまだ未来があるんだ! こんなところで死なせたくない!」
果敢に立ち向かおうとするがその声は震えていた。生徒に背を向けるか、生徒を守るために前を向くか。そんな葛藤の末、飛び出してきたらしい。
「この女は、原罪だ……。私を見捨てて……逃げろ……ッ」
「原罪だってことは知っている! 知っているけど、先生にとって君は大事な生徒だ! 見捨てることなんて、できるはずがない……ッ!!」
ステラは「そうなんだー」と興味がなさそうに呟くと、何かを思いついたようで、アーサーの顔の前で二本の指を立てた。
「じゃあ選択肢をあげる」
「選択肢?」
アーサーは右手に握りしめた銀の杭を隠し持っている。ステラが隙を見せたタイミングで、心臓に銀の杭を刺すつもりだ。
「あ、そうそう! 選択肢を出す前に──」
しかしステラは狂気に満ちた笑顔を見せ、
「──その杭を地面に落とさないと全員イタイイタイして殺しちゃうから」
「……っ!」
その企みを見抜いてしまう。アーサーは真っ青な顔で、握りしめていた銀の杭を地面に落とす。
「アハハッ! それじゃあ選択肢をあげるよ!」
「くっ……」
「一つ目ぇ、生徒が死んであなたが生き残るぅ。二つ目ぇ、あなたが死んで生徒が生き残るぅ。るー、るー、どっちを選る?」
「僕は、僕は……っ」
拳を震わせ、冷や汗をかくアーサー。その最中、意識を何とか保っている私へ、ケルベロスが小声で呼びかけてくる。
「我の血の涙を飲め」
「……しつこいぞ」
「飲まなければお前は死んでしまう。我はあのお方の娘を失いたくはない」
「それを飲めば、助かるのか?」
「助かる。我を信じろ」
どうせこのままでは死ぬ。ならば一か八かでこの犬の戯言を信じて、血の涙に口を付けるしかない。私は両脚で地面を蹴りながら、ケルベロスの目元まで自分の顔を寄せていく。
「バートリ卿の娘よ。我ら以外の眷属はおそらく洗脳されている。バートリ卿の名を上げても、言葉すら通じないだろう」
「……」
ぼやける視界の中、舌を突き出して、ケルベロスの血の涙に舌先を触れる。
「我らが眷属を解放してくれ」
「ぐッ……あぁあぁ……ッ!?」
その瞬間、失ったはずの左目に激痛が走った。何百の人生で味わった痛みの中でも、痛覚が狂うほどの激痛。私は押さえる腕も無い為、地面に額を何度も打ち付けた。
「バートリ卿の娘よ——最期にお前に会えてよかった」
ケルベロスはそのまま息を引き取り、真っ白な灰へと変わっていく。
『私たちにとってもこの力は強大よ。人間を傷つけてしまうかもしれない』
脳裏を過るのは膨らんだお腹を優しく撫でる青髪の女性の姿。
『でもきっと大丈夫よ。私の子は、人間の為にこの力を使ってくれるわ』
産まれる前の記憶が、脳内に流れ込んでくる。幸せそうに食卓を囲む女性と男性。あの二人は私の両親だろうか。
『この子は吸血鬼の哀しみを理解してあげられる。異種族同士で抗う哀しみも分かってくれる』
欠けていたはずの両腕が再生していく。アーサーとステラは暴れ狂う私を、呆然とした様子で眺める。
『だからこの子に託すわ。吸血鬼や食屍鬼の血の涙を、私が愛する人間の哀しみを力に変えた――』
黒色の眼帯を再生した左手で剥ぎ取れば、塞がれていたはずの視界が広がった。私は反射的に落ちていたルクスαを右手で拾い上げ、逆手持ちに切り替えると、
『――血涙の力を』
刀身に獄炎を纏わせながらステラを斬り上げ、数メートル先まで吹き飛ばした。




