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ЯeinCarnation  作者: 小桜 丸
2章:アカデミー前期

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2:19『vs ケルベロスB』

 西の方角から一発ずつ聞こえてくる銃声。私は返事をするように銃声を鳴らし、視界の悪い森林地帯を走り抜けていた。


『——これで恐らくあの犬を始末できる。だがその為には時間を稼がなければならない』

『どうやって時間を稼ぐんだ?』

『各々違う方角へと駆け出せばいい。あの犬の身体は一つだ。私たちのうち、誰か一人しか狙えないだろう。その一人が囮となり、他の者たちが作戦の準備を進める』

『で、ですが……誰が追われてるのかが分からないと時間を稼ぐことなんて……』


 確実にケルベロスを仕留めるための決定的な一打を叩き込む。この作戦を遂行するには時間を稼ぐ必要があった。だからこそ誰か一人が囮となる方法を提案する。


『最後まで話を聞け。まず私たちは西、北西、北、北東、東で別れる。そして一分経過したら、西の方角から順番に銃声を鳴らす』

『ん~? どうして銃声を鳴らすの~?』

『あの犬は周囲の音を消せる。銃声が途絶えた位置で、私たちには誰が狙われているのかが把握できるだろう。逆に狙われている者は、私たちの銃声は聞こえない。これで状況の把握が可能だ』


 声以外の音を消すのなら逆に利用するまで。()に落ちたロイたちは感心するように何度も頷いた。


『けどさ、もし囮になったらどうすればいいんだよ?』

『体力が尽きるまで逃亡し、この場所まで戻ればいい』


 だが囮の役目を説明するとキリサメたちは驚愕して顔色を変える。


『そ、そんな無茶なことできるわけないだろ……!?』

『あの犬は人並みの知能を持つ。囮を利用しなければ、思い通りに動いてはくれん』


 わざわざ自らが出向かなくていいよう川に大量の血を流し、食屍鬼を生徒たちへ襲わせる知能。そこまで頭を働かられるのであれば、単純な罠には引っ掛からない。


『もし、もしですよ? あの化け物に追い付かれたらどうするんですか?』

『詰みだ』

『みんなの場所まで戻れなくなったらどうするの~?』

『それも詰みだ。だがあの犬は私たちの誰かを次の標的にする。何もしなくても、ここまで誘い出せるはずだ』


 途中まで苦言を呈していた三人。しかしアビゲイルだけが意を決すように「分かった」と囮役の宿命を受け入れる。


『おい、お前はこんな無茶な作戦で死にたいのかよ……!?』

『だったら五人で仲良くここでくたばるつもりかい!? あの猛犬の情報も本部に伝えられず、こんなとこで殺されるのが最悪の結末だろ!?』

『そ、それはそうだけどさ……』

『その女の言う通りだ。お前がどうかは知らんが、私は五人で死ぬつもりはない。誰か一人を犠牲にしてでも生き残るつもりだ』


 私は吸血鬼共を死滅させなければならない。認めがたい現実を突き付ければ、キリサメたちも異論を抱えたまま渋々同意をした。


「……西と北西は違うか」


 西の方角へ逃げたのはロイ、北西はキリサメ、私は北の方角へ逃げている。キリサメが銃声を鳴らしたことで、私もまた周囲に状況を知らせるために銃声を鳴らした。


「北東も聞こえているとなれば……」


 北東で銃声を鳴らすのはアビゲイル。つまりケルベロスが追いかけた先は、アリス・イザードが逃走した東の方角。


「やはりあの女が狙われたか」


 アリスは血染めの川で顔を洗ったことで、僅かに血の臭いが付着している。ケルベロスの鼻が利くのなら、血の臭いを付着させたアリスを真っ先に追いかけるだろう。


「……これが正しい選択だ」


 五人の中で生贄に捧げるべきは無能なアリス一択だ。あの場で本当は囮役を押し付けたかったが、他の者から批判を浴びるため敢えて黙っていた。


「思い通りに事は動いている。このまま流れに乗れば──」


 キリサメはケルベロスに関する知識。ロイは身体能力の高さ。アビゲイルは作戦に必須の技術力。しかしアリスには何もない。損失を考えれば、時間稼ぎの囮役はアリスが適任だ。


『アレクシアさん!』

『何だ?』

『絶対に、生き残りましょうね! またアカデミーの食堂で一緒にご飯食べましょう! 新メニューのチーズパンも待ってますし!』

『……あぁ』


 ふと別れ際の台詞が脳裏を過る。ケルベロスから逃げる体力もないアリスは、きっと追い付かれすぐに殺される。二度と会うことはない。


「次の行動に移るか」


 状況を把握できた私はその場に立ち止まると、駆け抜けた道を引き返すことにした。



―――——————————————



 東の方角。アリス・イザードは風の音も木々が揺れる音も聞こえぬ無音の世界で、ひたすらに全力で走っていた。


「はぁっ、はぁっ……!」


 木々を薙ぎ倒しながら追いかけてくるケルベロス。足音も大木が粉砕する音は聞こず、心臓の鼓動と声だけが聞こえる世界。


「遅いぞ、人間」

「追い付かれるぞ、人間」

「死ぬぞ、人間」

「きゃあぁあぁ……ッ!?!」


 呼吸を荒げながら東の方角へ走り続けていたが、ケルベロスは弄ぶようにして木片を飛ばし、アリスの背中に直撃させた。


「もっと、逃げない――ごふ……ッ!?」


 前のめりに倒れ、すぐに立ち上がろうとするアリス。しかしケルベロスは小さな背中を左前足で踏みつけ、地面に押さえ込む。


「捕まえたぞ、人間」

「小賢しいぞ、人間」

「食い千切るぞ、人間」

「いッ、いぎッ……!?」


 逃れようと暴れ回るアリスの背を、更に力強く押さえつける。無音の世界でギシギシとアリスの背骨が悲鳴を上げた。


「臭うな、人間」

「仕組んだな、人間」

「囮だな、人間」

「そ、そうですよ! 私は囮です……ッ!」

 

 アリスは苦しさを紛らわせようと微笑する。ケルベロスは右端の頭部でアリスの顔を覗き込むと、


「血の臭いで我らを誘い出したか。他の者に見捨てられたな、人間」

「見捨てられて、ません……ッ。これは、私が選んだことです……ッ!」


 荒い鼻息で桃色髪を乱れさせた。アリスは荒げた呼吸を整えつつも、勝ち誇ったような笑みを浮かべ続ける。


「だって私は、何の役にも立ちませんから。役に立たないから、血の臭いを付けて、自分から囮役になったんです……。これが皆さんの役に立てる、唯一の方法です……ッ」 

「命が惜しくないのか、人間」

「皆さんには、私のことを沢山救ってもらいましたッ! 私が、私が恩返しできるのは、今しかないんですッ! この命を投げ捨ててでも、皆さんの為になるのなら、それが本望ッ!」


 アリスは作戦内容を聞いている時、すべて分かっていた。血の臭いでケルベロスが必ず自分の元まで追ってくることに。アレクシアもまた、その事実を理解していることに。


「良い覚悟だ、人間。我らの炎でその骨髄ごと塵へと変えてやろう」


 ケルベロスは茶色の毛を逆立て周囲に熱風を漂わせる。アリスは自身の死を悟ると、静かに目を瞑った。


(アレクシアさんは私を助けてくれた。だから、今度は私がアレクシアさんを助ける番です――)

 

 走馬灯なのか、それとも最期に思い出したかったのか。アリスの脳内を過ぎったのは今は亡き母親との記憶。


『ママー! またあの絵本読んでー!』

『ふふっ、また読むの? アリスは本当にこの絵本が好きね』


 大好きだった母親に、大好きな絵本『星の王子さま』を読んでもらった日々。アリスは幼少期の自分を思い出していた。


『むかしむかし、遠いお空の上に星の王子さまがいました。王子さまは、とっても頑張り屋さんで、たくさんの星に囲まれていましたが、王子さまにいじわるしようとする星もいました』


 ベッドの上で母親に引っ付きながら、優しい声に耳を傾けるアリス。寝室の窓を風カタカタと揺らす。


『ある日、王子さまはいじわるな星のせいで夜空からすとんっと落っこちてしまいます。王子さまは帰ろうと、いっぱいいーっぱい手を夜空に伸ばしました。けれど、あとちょっとのところで届きません』

『おうじさま、かわいそう……』

『王子さまはとってもかなしい気持ちになりましたがぐっとこらえます。そして諦めずに、いっぱいいっぱい夜空へ手を伸ばしました。それでもやっぱり、王子さまの手は届きません』


 アリスは掛け布団を口元まで引き寄せ、不安げな様子で母親の腕を握った。風に叩かれた窓はガタガタと勢いを増していく。

 

『すると、王子さまの手が突然ぽかぽかと温かくなりました。顔を上げてみると、たくさんの星が手を伸ばし、王子さまの手を握ってくれたのです。おかげで王子さまは夜空に上ることができました』

『やったぁ! 王子さま、たすけてもらったんだぁ!』

『王子さまが頑張る姿を見ていたいじわるな星も、やさしい星になってごめんなさいと謝りました。こうして星の王子さまは、みんなと仲良く、夜空で暮らしましたとさ。……おしまい』


 ゆっくりと絵本を閉じた母親にアリスは瞳を輝かせながら抱き着いた。寝室の窓を叩いていた風はもういない。


『ママ! アリスも星の王子さまみたいになれるかなぁ?』

『ええ、きっとなれるわ。だってあなたは──頑張り屋のアリスだもの』


 過去の思い出から無音の世界へと意識が戻る。星の王子様のように、アリスは夜空へと手を伸ばした。しかし星々は黒雲に隠れ、その手は誰にも届かない。そう諦めかけた時、


「雲が、晴れて……」


 立ち込めていた黒雲が晴れていく。そこに浮かび上がるのは、綺麗な星々と壮麗(そうれい)に宙を舞う人影。六発の弾丸がケルベロスの眼球を瞬く間に貫き、星屑と共に真っ赤な血が飛び散った。


「前が見えん、兄弟」

「我も見えん、兄弟」

「何も見えん、兄弟」


 狼狽えているケルベロスの左前足が斬り裂かれ、夜空へ伸ばしていた手が人影に握られると、アリスを強引に引きずり出す。


「えっ、あっ、えっ……?」

「……生きていたか」


 動揺するアリスを立たせた人影。月光に照らされた横顔はAlexia(アレクシア) Bathory(バートリ)だった。彼女はどこからか視線を感じたようで、東側の草むらをしばらく見つめる。


「方角は向こうだ。走るぞ」


 そしてアリスの土に汚れた冷たい手を、僅かに温もりを感じる手で握りしめ、強引にその場から走らせた。理解が追い付かないアリスは、戸惑いながらアレクシアへこう尋ねる。


「アレクシアさん……ど、どうしてここへ……?」

「準備が手短に済んだ」

「で、ですが、わざわざ私のところまで来るなんて──」


 後方からケルベロスが追ってくるのを視認したアレクシアは、アリスの背中を押して、自身はその場に立ち止まった。


「走れ。私があの犬を連れて行く」

「で、でも……!」

「無能なお前に何ができる? 早く行け」 


 アリスは喉まで這い上がっていたとある言葉を呑み込み、振り返らずに全力で走り始める。一人残されたアレクシアは、弾倉に弾丸を込めながらも、近づいてくるケルベロスを見据えた。


「囮か、人間」

「生贄か、人間」

「庇うか、人間」 


 注目を浴びるアレクシア。ディスラプターに弾丸を込めながら、鼻息を荒くしたケルベロスを睨みつける。


「犬共、散歩の時間だ。三匹分のリードは必要か?」

「愚弄するな、人間」

「儚いな、人間」

「後悔するな、人間」


 挑発するように弾丸を補充したディスラプターの銃口を向ける。ケルベロスは苛立った様子で唸り声を上げた。


「……そうか。必要なのは躾か」


 アレクシアはわざとらしく納得した素振りを見せると、ルクスαを鞘に納めてから、右の手の平をケルベロスの前に差し出す。

 

「まずはお手だ。その前足を私の手の上に――」

「「「舐めるな、人間……!」」」


 犬扱いにケルベロスは怒声を上げ、左前足でアレクシアを踏み潰そうと振り下ろした。しかしアレクシアは後方へ宙返りをし、容易く回避する。


「犬共、それはおかわりだ」

「我らを子犬扱いするか、人間」

「許せなぬな、兄弟」

「殺してやろう、人間」


 喰らいつこうと迫りくる三つの頭部。アレクシアは木々の陰に隠れながら、猛攻をすべて防ぎ切る。


「「「塵となれ、人間」」」


 もどかしいと感じたケルベロスは、毛を逆立て自身を発火させた。周囲の木々は灰へと変わり果て、あっという間に更地となる。


「……その力は距離を取ればただの焚火過ぎん」


 森林地帯を炎上させた獄炎。アレクシアは既に距離を取っていたため、何食わぬ顔でケルベロスの前に姿を見せる。


「音を消す力の方が厄介だと考えていたが……。今思えば、そんな力は不意討ちにしか使えんな」

「我らの力を侮辱するか、人間」

「音ではなく声を消せるのなら話は別だ。人間を相手にする時、煩わしいのは戦術と連携だ。もし貴様が声を消せれば、私たちも容易く殺せただろう」


 アレクシアは無音の世界で発砲を繰り返し、銃口から漂う白煙を見つめた。

 

「やはり『二つの頭は一つよりもいい』という言葉は迷信に過ぎんな。貴様らの場合は『三つの頭は一つよりもいい』という言葉が正しいのかもしれんが」 

「「「我らを……」」」

「貴様らは舞踏会に出席すればいい。三つの頭で器用に喋れる上に、その四つの足で音を立てずに踊れるだろう。貴族の余興にはもってこいの――」

「「「侮辱するなぁ"ぁ"あ"ぁ"あ"あ"ーーッ!!!」」」


 堪忍袋の緒が切れたケルベロスの咆哮。辺り一帯の木々を大きく揺さぶり、炎上していた獄炎をかき消してしまう。


「あの人間を殺すぞ、兄弟!」

「あの人間の四肢を引き千切るぞ、兄弟!」

「この屈辱を晴らすぞ、兄弟!」

「……お喋りな犬共だな」


 アレクシアは怒り狂うケルベロスに呆れつつ、アリスが逃げた方角へと駆け出した。

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