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ЯeinCarnation  作者: 小桜 丸
6章:無風の渓谷

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158/366

6:0 "──────"


 彼女の意識は一陣の突風と共に呼び戻される。肉体を飲み込んだ流砂や延々と広がる砂漠は消え失せ、彼女の前には深い渓谷への道が続くのみだった。


「お前は連なるEnigma(エニグマ)を見事解き明かした。そして"片割れ"の手紙に誘われるように、この渓谷へと訪れる」


 杖を突きながら渓谷の道を歩み始める男性。彼女はしばし考える素振りを見せると、酷く気疲れした様子で男性の後に続く。


「相棒となる男を失った記憶。お前を揺さぶるには十分だったようだな」

「……私が動揺しているとでも言いたいのか?」

「動揺……。そうだな、そうとも呼べる」


 透明な水が流れる小川。彼女たちを見守るように生い茂る草木。光合成を行う樹葉(じゅよう)たちの隙間から、彼女の顔を僅かに日光が照らした。


「お前はあの男にひとつまみの信頼を寄せようとしていた。だがしかし、非情な現実を突きつけられ、動揺してしまったのだろう?」

「……信頼も動揺もない。あるのは"口頭の契約"だけだ」

「ならば尋ねさせてもらおうか。その顔が示唆している記憶を」


 男性が杖を向けたのは彼女の顔。彼女は自分の頬や目元を触りながら、小川の水面を覗き込んだ。ぬこぬこパーカーに、黒タイツに、スニーカー。取り戻した記憶と寸分も違わない恰好。


「何だ、この顔は……?」


 しかしそこに映り込む"顔"だけは違った。腫れ上がった目元、やや赤みを帯びた顔、両頬に残る涙の痕。散々泣き喚いた後のような自分の顔に、彼女は呆然としてしまう。


「その酷い顔が示唆しているのは"あの男を失った"記憶だ」

「……こんな顔は、まやかしに過ぎん」


 彼女は歯軋りをすると小川で何度も顔を洗った。飛び散る雫が日光に反射し、彼女の酷い顔を何重にも映していく。


「吠え面などまやかしだ。私は、信頼も仲間も手放してきた。誰が命を落とそうと、哀しみなんてものは……」


 小川で顔を洗えば普段通りの顔へと戻り、彼女は自分の手を見つめた。男性は彼女の隣に立つと、杖の先を小川へと向ける。


「今はそうやって洗い流せるだろう。だがいつかは洗い流すことは愚か、抑え込もうとする行為自体がお前を追い詰める」

「……追い詰めるだと?」


 彼女の問いかけに応えるかのように、透明な色をしていた小川が少しずつ灰色に染まり始めた。軽やかに泳いでいた小魚たちは上流へと一心不乱に逃げていく


「この川は時の流れを示している。下流は過去を、上流は未来を表し……私とお前が立っているこの場所は現在(いま)を表すのだ」

「……」

「洗い流した現在(いま)は過去へと下り、人は未来へと歩き出す。そして川の源となる終着点にいずれ辿り着く。その終着点というのが死と呼ばれる概念。人の一生というのはそういうものだ」


 灰色に染まった小川は上流からの流水により、再び綺麗な姿を取り戻した。彼女は小鳥の(さえず)りに耳を傾けながらも、隣に立っていた男性へ視線を移す。


「それは思想か?」

「いいや、これは真理だろう。だがしかし、その真理に背く者たちがいる」


 男性は持っていた杖の先を彼女の顔に向けた。下流の方角から吹いたそよ風が彼女の髪を掻き分け、数秒の静寂が訪れる。

 

「私が真理とやらに背いていると?」

(つまび)らかに話せばお前たち"転生者"を指す。蜿蜒(えんえん)と流れる終着点のない川を……お前たちは歩き続けているだろう」


 一枚の樹葉が二人の間をゆらゆらと落ちていく。その最中、彼女は足元で何かが蠢くのを感じ取った。


「……?」


 足元でもぞもぞと動いていたのは、スニーカーの紐を(ハサミ)で引き張る(カニ)(つや)のある蒼色の甲羅に生えた胸脚(きょうきゃく)を動かし、スニーカーの紐を解こうと試みる。


「湧き続ける未来は現在(いま)となり、過去へと流れていくものだ。転生者は過去を引き継ぎ、次なる時代へ転生する」

「……何が言いたい?」

「お前たちは追われ続けているのだ──自身が洗い流した過去に」


 男性は杖を下流の方角へと向けた。彼女は足元の蟹を蹴り飛ばし、後方へと振り返ってみると、


「あれが私の過去……」


 自然の鮮やかな色彩が"白黒"へと変わり果て、川の色は真っ黒に浸食されていた。彼女はその光景を目の当たりにし、表情を曇らせる。


「お前はいつの日か、洗い流してきた過去に追いつかれるだろう」

「追い付かれると何が起きる?」

「……」


 男性は彼女の問いかけに何も答えない。ただ杖を下ろし、小川の上流を目指して歩き始めた。


「なぜ答えない? 答えられない事情でもあるのか?」

「物事や歴史は順序があり、記憶もまた順序があるからこそ成り立つ……と伝えたのは覚えているか」

「あぁ、忘れていない」

  

 しばらく歩いていると目の前に上りと下りの別れ道が現れる。男性は下りの道を選び、彼女もまたその後に続いた。


「……?」


 上りの道に薄っすらと見えたのは赤髪の女性。淑女とは程遠い巨体が目立つ逞しい後ろ姿。彼女はその女性に視線を惹き付けられ、


「……っ」

「足元に気を付けるべきだ」


 転がっている小石に躓き、その場で四つん這いになった。すぐに顔を上げるが赤髪の女性はもう見えない。


「……それで、話の続きは?」

「言葉を交わす今を現在(いま)と呼べるのか。それとも過去と呼ぶのか。はたまた未来となってしまうのか」

「私は記憶を取り戻している。それを踏まえれば過去の可能性はない。現在(いま)か未来かは、まだ想像もつかん」


 渓谷に風は吹かず、視界不良となる白煙が土や岩壁から噴き出す。彼女はどこからか視線を向けられ、何度も辺りを見渡しながら、男性の後に続く。


「だからこそだろう。お前の問いに答えられないのは」

「どういう意味だ?」

「私が今を現在(いま)だと答えれば、お前は未来を未来だと認識する。だがしかし、私が今を未来だと答えれば現在(いま)は過去となる」

「……下らん哲学だな」


 二人が辿り着いた渓谷の奥地。巨大な沼を取り囲む断崖絶壁の崖や、熱気を含んだ白煙が立ち込める。彼女は試しに崖を覗き込めば、広がるのは奈落の底。


「その哲学をお前は重んじなければならない。もし選択を誤れば、お前は自分を見失うことだろう」

「……見失う」

「私は手助けをしているのだ。正当なる記憶を、正当なる順序で、お前が取り戻せるようにな」


 思い返すように表情を険しくさせる彼女。男性はその背後までゆっくりと歩み寄ると、


「今は時間が無い。次なる記憶を取り戻すのだ」

「──ッ」


 杖で力強く崖から押し出す。彼女は手を伸ばすが虚空を掴むのみで、


「よく思い出せ、お前が歩んだ──"無風の渓谷"での記憶を」


 彼女の身体は暗い暗い奈落の底へと自由落下を始めた。

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