Recollection:スキュラの記憶
※この物語は四ノ眷属であるスキュラの過去の物語です。
この海はとても綺麗。この海は美しき者たちが住まう世界。なのにどんな者でも受け入れてくれる……こんな醜いワタクシですらも。
「太い手足に、デカい胴体。ほんっとに醜いヤツよね~!」
「うんうん、ワタシたちと同じ"ヒメ"とは思えない~!」
彼女たちはヒメイカ。小柄な胴体に、細い手足、どんな雄でも簡単に落としてしまう美貌を持つイカの一種。ワタクシは自身の生まれも分からないまま、ヒメイカの群れと共に過ごしてきた。
「ヒメ疲れちゃったからさぁ~? そのデッカイ胴体に乗せてよ~!」
「は、はい……」
けれどワタクシの身体や手足は大きくなるばかり。ヒメイカの仲間たちからは「醜い」「ブサイク」などの心にもない言葉をぶつけられる日々。
「キャハハッ! ねぇねぇ、このデカい胴体は"船"みたいだよね~?」
「そ、そんなことは……!」
「ホントホント~! 船から産まれたんじゃない~?」
ヒメイカのような美貌を持つ者たちにとって『船』は蔑称とされている。大きな身体、利用されるだけの存在、すぐにボロボロになってしまう。様々な要因が重なり、船と呼ぶことは最大の侮辱。
「違う、違うッ……! ワタクシは、船なんかじゃない……!」
「見て見て~! 船が泳いでくよ~?」
「泳ぐ姿も醜いね~!」
屈辱のあまりその場から逃げ出す。後ろ指を指され続ける自分に嫌気が差し、太い手足を噛み千切ろうとする。けれどそれも怖くて怖くて、悲しみの涙を流すことしかできない。
「ワタクシだって、いつかは、いつかはこの絵本みたいに美しくなれるもの……」
悲しくなったとき、悔しくなったとき、ワタクシは自分の住処に隠してある絵本を読む。太い手足で取るのは『みにくいアヒルの子』というタイトルの絵本。
「そうよ……きっと、成長すれば美しい姿に……」
仲間たちと違う姿のアヒルの子。七面鳥のヒナかもしれないと罵声を浴びせられ、辛い日々を送っていた。けれど本当は白鳥のヒナだったと、何年後かに知ることになる。そして美しい白鳥の姿となり本当の居場所へ辿り着くという物語。
「本当は、本当はワタクシの生まれが違うのよ。ヒメイカなんかよりも、美しいイカの生まれ……」
ワタクシはこのアヒルの子と自分自身を重ねていた。もっと成長すれば太い手足も、大きい胴体も……ヒメイカよりも小さくなって、誰もが美しいと感じてくれる姿になれると。
「どうして、どうして大きくなるの……?」
けれどワタクシの願いは叶わない。一ヶ月、二ヶ月経っても身体は小さくならない。むしろ大きくなっていくばかり。食事の制限、痩せるための運動、体調管理。どれも他のヒメイカよりも人一倍努力したのに、努力すればするほど身体は大きくなっていく。
「ワタクシは、みにくいアヒルの子になれない……」
絶望だった。絶望だけしか、ワタクシを満たしていなかった。こんなワタクシへ追い討ちをかけるように、また一ヶ月が経過すれば現実すらも突き付けられた。
「キャァアァアァッ?!!」
「いやぁあぁあッ!!!」
「あ、あれは……何よ……?」
次々とヒメイカが捕食されていく光景。捕食するのはワタクシよりも一回り大きなイカ。太い手足でヒメイカを一匹ずつ頬張り、粉々に噛み砕いていく。
「あー、オヤツにはこのヒメ共を喰うのが一番だなぁ……ん?」
「ひっ……!?」
「オマエはぁー……何だぁ、"仲間"かよ」
「な、仲間?」
そのイカはこちらに迫ってくるとワタクシの太い手足を眺め、残念そうにヒメイカの残骸を口から吐き捨てる。
「ふ、ふざけないで! ア、アナタの仲間なんかじゃないわ……! 」
「どう考えても仲間だろーが。オマエはオレと同じ"ダイオウイカ"」
「ダイオウイカ……?」
「その太い手足に、でっけぇ身体。オレも一年前はオマエぐらいの大きさだったからなぁー……あぁオレのが一つ先輩ってことか」
ダイオウイカ。ワタクシは目の前でヒメイカの残骸を握り潰した雄のイカに、そんな現実を突き付けられた。
「ア、アナタみたいになるはずがないわ! ワタクシはヒメイカたちよりも美しくなるんだから!」
「美しく、ねぇ?」
「そうよ! ワタクシはアナタとは違うの!」
「じゃあオマエに聞かせてもらうがよ──美しくて何になるんだ?」
雄のダイオウイカは自分尾太い手足を、ワタクシの太い手足へ巻き付ける。
「そ、それはっ……」
「美しさなんてしょーもねぇ飾りだろうが。細い手足やちいせぇ身体なんて何の役にも立たねぇ。この海では太い手足にでっけぇ身体で産まれたヤツこそが美学に当てはまんだよ」
「……」
「オマエにとって美学は何だ?」
美学、ワタクシにとって美学とは何なのか。美しさを手に入れたい理由。ヒメイカたちを見返すため。今までの努力を報われたいから。けれど明確には答えられない。
「違う、それでもワタクシは……ワタクシは美しくなるために……」
「ハハッ、おもしれぇ雌だなオマエは……だけど気に入ったぜ。世間知らずのオマエに本当の海を見せてやるよ」
「誰がアナタなんかと一緒に……!」
「ヒメイカ共はオレが喰い殺した。これからオマエはどこの群れに所属するつもりなんだ? ねぇよな、オマエを受け入れてくれる群れなんて」
項垂れているとこのダイオウイカは巻き付けていた剥がし、ワタクシの胴体を一度だけ軽く叩いた。
「オレのことはカリブと呼べ。オマエはオマエって呼んでやる」
「何故カリブと……?」
「カリブ生まれなんだよ、オレはな」
その日からワタクシはカリブと共に海を旅することになる。
「アイツはアザラシってヤツだ。いいか、アイツには手を出すなよ?」
「どうして?」
「オレたちにとって最大の弱点、それは地上で無力になること。地上で暮らす連中に手を出すのは……喰ってくれと言ってるのと同じだ。だから海の上にはぜってぇ顔を出すなよ」
カリブはこの海で生きる術をワタクシに教えてくれた。獲物として狙うべき相手、狙うべきではない相手、出会ったら逃げるべき天敵、ありとあらゆることを……。
「カリブ」
「あー、何だ?」
「アナタはずっと海を独りで生きてきたの……?」
二ヶ月が経ったある日、二人で暮らす住処でふとカリブにそんなことを尋ねてみる。
「当たり前だろ。オレは産まれてから独りでこの海を生き延びてきたぜ」
「産まれてからって……アナタを産んでくれた親は?」
「知らんなぁ。クジラの野郎にでも喰われたんじゃねぇか」
「それなら……親もいないのにどうやってこれだけの術を学んだのよ?」
カリブは捕獲してきたエビを食い摘まみながら固い殻を口から吐き出す。
「師匠に教えてもらったんだよ」
「師匠?」
「師匠はオレたちと同じダイオウイカで、孤立していたオレの面倒を見てくれた。ばかみてぇに厳しかったから、狩りの最中に何度か死にかけたけどな」
「……その師匠は今どこに?」
「ホオジロザメのジョーンズに喰われて死にやがった。しかもオレを庇うためにな」
ホオジロザメのジョーンズ。この海で出会えばまず生き残れないため『白い死神』という異名を与えられている。数メートルの巨体と、サンゴを簡単に嚙み砕ける顎の力。カリブは以前「あいつは倒せねぇ。寿命で死ぬのを待つしかねぇよ」と言っていたような気がする。
「ジョーンズに……」
「師匠には『復讐してやろうなんて考えるな』って最後に言われた。この海は残酷だぜ、喰われた師匠に対してやるせねぇよな」
「……」
カリブは軽い昔話として話しているが、手足の動きがどこか寂しそうだった。多分カリブは、ワタクシに悟られないように師匠を失った悲しみを背負っているはず……。
「今なら分かる。師匠が何でオレに復讐するなって言ったのかがな。……まぁオマエにもそのうち分かるぜ──」
「アル」
「あー、アルって何だよ?」
「ワタクシの名前……!」
海を旅することでダイオウイカの学名はアルキテウティス・デュクスだと学んだ。だからワタクシはカリブのように自分の名前を考え、最初の二文字を取り『アル』と名乗ることにした。
「おー、いっちょまえに自分の名前を付けるようになったか」
「悪い?」
「いーや、好きにすればいいと思うぜ。この海にルールなんてねぇからな、アル」
「フフッ……それもそうね」
その日からワタクシの名前はアルとなり、カリブは"オマエ"ではなく"アル"と呼んでくれるようになり、心の距離が少しだけ近づく。
「おぉ、あれ見ろよ」
「あれは……船?」
また一ヶ月が経ったある日、ふと海上を見上げるカリブ、ワタクシも見上げてみれば海上に漂うのは船。ワタクシを苦しめてきた蔑称の実物。過去の屈辱が込み上げてくる。
「カッコいいよなぁ船って。すげぇ量の人間が乗ってるって噂だけど実際はどうなのか……」
「ワタクシは……船が嫌いよ」
「ほー、何で嫌いなんだ?」
「ヒメイカの群れでは船は侮辱の言葉だったの。大きくて、すぐにボロボロになって……美しくないから」
ヒメイカたちに呼ばれ続けてきた船という蔑称。カリブはワタクシの表情を窺いながらも「まぁそうかもしれんな」と肯定しつつこう語った。
「アルと初めて会った時『この海では太い手足にでっけぇ身体で産まれたヤツこそが美学に当てはまる』って言ったのを覚えてるか?」
「……ええ、覚えてるわ」
「オレがああ言ったのにはちゃーんとした理由があんだ」
カリブは海の上に浮かんでいる船を一本の手で指し示す。
「美しいってのは、どう生きたかが大切だろ?」
「どう生きたって……?」
「ヒメイカ共みてぇに逃げ回って、自分の縄張りでただちいせぇ獲物を喰い漁って生きていくか。それとも同格以上の獲物に立ち向かって、このでけぇ海を旅しながら生きていくかの話だ」
カリブは尊敬の眼差しを船へと向けながらワタクシへこう話を続けた。
「オレが船をカッコいいって思うのはな。どんな荒波や嵐でも立ち向かって、どれだけボロボロになろうと、船に乗っている人間をでけぇ身体で守り通そうとするだろ」
「……」
海上に浮かぶ船は波を掻き分けながら進んでいく。強めの波がぶつかろうがものともせず、立派にワタクシたちの上を通り過ぎていった。
「結局はな、美しいかどうかなんて今は分からねぇんだよ。本当に分かるときってのは……アルが最期を迎える時だ」
「ワタクシが、最期を迎えるとき……」
「まぁまぁ深く考えんな。そのうち分かるだろうぜ」
いつか分かるときが来る。その時はカリブに聞いてみよう。そう考えていたワタクシは──とても甘かったことを思い知らされる。
「フンッ、オレ様に会ったのは運の尽きだったな」
「カリブ!」
「早く逃げろアルッ!!」
旅の途中で出会ってしまった白い死神のジョーンズ。ワタクシを逃がすためにカリブはジョーンズへ手足を絡ませた。
「よぉクソ野郎ッ……! 元気だったか?」
「テメェは……命拾いしたイカのガキか」
「あぁそうか、そりゃあ元気に決まってるか──オマエはオレの師匠を喰ってくれたもんなぁ!」
ワタクシは逃げることも立ち向かうこともできない。ただその場で混乱するのみ。ジョーンズとカリブは一進一退の死闘を繰り広げる。
「ぐぁあぁあぁああッ!?!」
「カリブ……ッ!!」
「テメェなんざバラバラに噛み砕いてやるよ」
太い手足を噛み千切られたカリブは悲痛な声を上げた。ワタクシはカリブの名前を思わず叫ぶ。
「ただでは帰さねぇよ……!」
「うぐぁッ……!?!」
しかしカリブはイカ墨を海中へばら撒くと、ジョーンズの右目へ飛びかかる。そしてお返しだと言わんばかりに噛み千切った。
「テメェ……!」
「その足はくれてやるよ、バカがッ……」
カリブが海底までゆったりと落ちていく。ジョーンズは右目を失うとその場から逃げ出すようにどこかへ泳ぎ去った。ワタクシはすぐにカリブの元まで必死に泳ぐ。
「カリブ……!」
「へへっ……あの野郎の目玉を喰ってやったぜっ……」
「しっかりして!」
海底でぐったりとするカリブ。ワタクシはどうすればいいのか分からず、太い手足で胴体を支えることしかできない。
「アル……オレは、もうダメだ……」
「どうして……?! アナタはまだ生きているわ!」
「いいやっ……周りを、よく見てみろよっ……」
カリブに言われるがまま周囲を見渡してみれば、海で生きる様々な者たちがカリブのことを餌として品定めしていた。
「アル、頼みがあるっ……」
「頼み……?」
「オレをっ……喰ってくれっ……」
「な、何を言ってるのよッ!? そんなことできるわけないでしょ!!」
カリブの頼みを拒み、何とかカリブを背負うとするが、今のワタクシでは一回りも二回りも大きなカリブの巨体を担ぐことはできない。
「そういやアル、オマエに言ってなかったな……」
「何を……!」
「オレはな──師匠を喰った」
「……えっ?」
「師匠の残骸を、オレは喰ったんだ……。今よりも強くなるには、強いヤツを喰わないと、生きていけねぇからなっ……」
ワタクシが動揺しているとカリブは残された一本の手足を伸ばしてきた。
「オレを喰えっ……アルっ……」
「そ、そんな……そんな残酷なっ……」
「オマエ以外にっ……オレは喰われたくねぇんだっ……頼む、アルっ……」
こちらの口元へ近づけてくる手足をワタクシは見つめる。カリブの願い、カリブの想い。果たそうとすれば胴体が震え、悲しみが込み上げてきた。
「なぁアル、オマエとの旅は──楽しかったぜっ……」
「あっあぁあぁッ……あぁあぁああぁあぁあ……ッ!!」
悲しみを吐き出すとひたすらに叫びながら、ワタクシはカリブを喰らった。その時の記憶はない。ただ気が付けばカリブの身体は塵となり、海流に流されていた。
「うっ、うぇえぇっ……」
大切な同志を喰らい吐き気を催す。けれど吐き出すわけにはいかないため、何とか堪えながらもワタクシは自分の住処へと生還する。
「カリブ……ワタクシは、どうすればっ……」
孤独に苛まれる感覚と覚えたくはない満腹感。ワタクシは悲しみに明け暮れる最中、ふとカリブの言葉を思い出す。
『美しいってのは、どう生きたかが大切だろ?』
『どう生きたって……?』
『ヒメイカ共みてぇに逃げ回って、自分の縄張りでただちいせぇ獲物を喰い漁って生きていくか。それとも同格以上の獲物に立ち向かって、このでけぇ海を旅しながら生きていくかの話だ』
どう生きたか。カリブは身寄りのないワタクシを救い、ジョーンズから身を呈して戦ってくれた。そんなカリブの生き様はとても強く、とても美しかった。
「……ジョーンズ、アナタは絶対に許さない」
ワタクシはカリブやカリブの師匠の為に、ジョーンズに立ち向かうことを決意する。この海で強くなって、白い死神を喰い殺してやると。
「アナタは……ワタクシの言葉が通じるの?」
「クッフフフ、勿論ですとも。私にはどんな生物とも心を通わせることができますぞ」
決して顔を出してはならないと言われていた海上。ワタクシは白い死神を倒すための力を手に入れられると噂で聞き、崖際へと顔を出した。
「申し遅れましたな。私の名はストーカー卿。アナタの"変化"を手伝える便利な男ですぞ」
そこで出会ったのは"ストーカー卿"と名乗る黒の杖を持った男。目元まで隠れたモノクロなシルクハットに、金歯や銀歯が詰められた口内。その口元はニヤリとさせている。
「アナタ様は強くなるためにここへ来た……と、解釈してもいいですかな?」
「どうしてそれを……」
「私は"変化"を愛していましてね。変化を求めるアナタ様の欲望に引き寄せられてきたのです」
ストーカー卿はモノクロなコートの胸元から小瓶を取り出すとワタクシの傍へ置いた。小瓶には紫色の液体が詰まっている。
「弱い自分を変えたい。アナタ様の変化を手伝わせてもらえませんかな?」
「この液体は?」
「この液体は私が手掛けた薬品ですぞ。弱い自分を変えたいと望むアナタ様にピッタリの──魔法の薬品」
「……」
ワタクシは強さを求めていた。だから迷わずその小瓶を太い触腕で掴み、口元まで運んでいく。
「これを飲めば……ワタクシは強く……」
何故怪しまなかったのか。きっとワタクシは怪しむことすらできないほどに、強さへ執着してしまっていたのかもしれない。小瓶を砕き、液体を呑み込んだワタクシは、苦痛と共に身体が高熱を帯びる。
「さぁ変化の時──弱い自分を、強い自分へと変えましょうぞ」
その日、ワタクシはこの海で誰よりも強くなった。
「テメェは……強くなり過ぎた……」
ワタクシは最初に白い死神であるジョーンズを前よりも何十倍も太い手足で握り潰し、何十倍も大きな口で喰い殺す。カリブの仇は呆気なく討ってしまった。
「もっと強く、もっとこの海で強くなるのよ……」
クジラですらも敵ではない。ワタクシの敵として残ったのは船に人間。時が経つにつれ、ワタクシは人間が乗った船を襲い始める。
「"クラーケン"が出たぞぉおぉ!!」
「うあぁあぁああぁあぁあーーッ!!?」
気が付けばワタクシは人間から"クラーケン"と呼ばれるようになっていた。薬の副反応のせいか、カリブとの記憶も忘れ、ワタクシは美しさだけを求め、美しい人間ばかりを喰らい続ける。
「よぉ、思ったよりもでっけぇじゃねぇか!」
(何よこの男は……?)
「おい、タコ野郎ぉ! 俺様がお前を退治してやるぜ!」
(ワタクシはイカよ……!!)
そんなワタクシを討伐するために戦いを挑んできたのは恐れ知らずの人間の男。
「よく覚えておきやがれタコ野郎ッ!! 俺様の名前はフライング・ダッチマン! キャプテン・ダッチマンだ!!」
(うるさい男ね! 海の底へ沈めてやるわ!)
名前はフライング・ダッチマン。無鉄砲なこの人間はワタクシがどれだけ優勢であろうと一切退くことなく、勇敢に砲台やら剣やらで立ち向かってきた。
「おほほ、これはこれはとても楽しそうなイカさんですこと」
「楽しい? 私はあの方からは哀しさしか感じられません……」
船内から顔を出したのは真っ赤な傘を差し、真っ赤なドレスを纏った女性と真っ青なドレスを纏った女性。二人とも美しい。すぐに喰らってやろうと二本の触腕で捕獲しようとするが、
(なっ──!?)
瞬く間に触腕は破裂してしまった。何が起きたのか理解できない。
「おいここは危険だぜ! レディーたちは下がってな!」
「おほほ、気にしなくてもいいですわキャプテン・ダッチマン。ワタクシたちの目的はあのイカさんですもの。ねぇバートリさん?」
「ええ、私たちはストーカー卿が蒔いた種を拾いに来たのです」
「なんだかよく分かんねぇけど気に入ったぜ! レディーたちの馬鹿力も見せてもらおうじゃねぇか!」
「馬鹿力……おほほッ! とても楽しい音ですわね!」
結果、ワタクシはキャプテン・ダッチマンに敗北した。いえ、正確にはあの美しい二人。奇妙な力でワタクシの太い手足を破裂させ、触れることすらできなかった。
「そんで、コイツがクラーケンの本体か。見たところダイオウイカだな。さっきまでのでけぇ身体はどこ行っちまったんだ?」
「ストーカー卿から与えられた薬の効果が切れたのです。クラーケンの正体はこの方だったということでしょう」
薬の効果が切れ、元のダイオウイカとなった姿。船の上では身動きが取れず、もがくことしかできない。
(ワタクシは、今まで何をして……)
薬を呑み込む前に脳裏へと甦る様々な記憶。ヒメイカに貶された日々、大切な同志だったカリブとの旅、強くなろうと決意した想い。
(あ、あぁあぁッ……ごめんなさいカリブ……ワタクシは、ワタクシは美しくない生き方を……)
嘆く、ただ嘆く。そんなワタクシの胴体へ真っ青なドレスを纏った女性が冷たい手を置いた。
「あなたから、測り知れないほどの哀しみを感じるわ」
(何故、ワタクシの悲しみを……?)
「ですがあなたは多くの人間の命を奪った。許されることではありません」
自分の頬へ伝わせた血の涙。この美しい女性はワタクシの口元まで血の涙を差し出した。
「だからその罪を──哀しみと共に洗い流しましょう」
不思議な感覚。ワタクシはこの女性へ美しさと感嘆を覚え、自然と血の涙を口にしてしまう。
「――血涙」
(あ"ぁあ"ぁあ"あ"ぁ……ッ!?)
そして血の涙をワタクシが呑み込んだ瞬間、全身が燃え盛るような痛みを感じる。
「私はバートリ卿。あなたの哀しみは――私の哀しみよ」
バートリ卿。ワタクシはその名を聞くと気を失った。
―――————————————
「バートリ卿、海で溺れていた人間の子供を助けました」
「ええ、ありがとう"スキュラ"。あなたのおかげでまた哀しみが一つ消えたわ」
今のワタクシは上半身が女性の姿、下半身がイカの姿。バートリ卿はワタクシが人の命を救えば救うほど、美しい女性へと変われるように奇妙な力を与えてくれた。スキュラという名前は付けてくれたのは外出中のバートリ卿の夫。個性的な発想力に冴えない顔をした人間。
「あなたが人の姿になれるのも後少しね」
「バートリ卿……」
「どうしたの?」
「ワタクシは、美しくなる資格なんてあるのでしょうか。自分の為に人間たちの命を奪ってきたワタクシなんかに……」
そう俯いていれば背後から触腕を叩かれる。誰なのかと振り向いてみれば、そこに立っていたのはあのキャプテン・ダッチマン。
「ダッチ……」
「なーに落ち込んでんだ、タコ女?」
「タコ……違う、ワタクシはイカ! タコとイカの区別もつかないなら早く成仏してもらってもいい!?」
このむさくるしい男はとっくの昔に死んでいる……が、幽霊として化けて出てくるようになった。偶にこうしてバートリ卿の元へ顔を見せる。
「お別れしに来たのにそんな言葉はねぇだろ?」
「うるさいわね……! さっさと逝きなさいよ!」
「まぁまぁ、そう怒んなって! また戻ってきてやるからよ!」
「もう顔を見せなくてもいいから!」
けれど長くは現世にいられないようで今日でダッチとは永遠の別れとなるらしい。ワタクシは少しだけ寂しい想いが込み上げた。
「んで、また悩んでんのか? 美しくなる資格がどうとかってよ」
「そうよ悪い?」
不機嫌な顔をするとダッチはワタクシの顔を覗き込む。
「前も言っただろ? 美しいかどうかは生き様で決まるってよ」
「……」
「このでっけぇ世界で旅してよ。弱いやつを助けたり、どうしようもねぇ連中を叩きのめしたり……誰かに希望を与えて、誰かに感謝されるような生き様こそ、美しいって言えるだろ?」
「……」
カリブが前に私へ伝えてくれた言葉と似ているのは、ダッチがカリブのような性格をしているからだろうか。そんなことを考え込んでいるとすぐ真横にダッチマンの顔があった。
「そうくよくよすんな。俺様はもう成仏しちまうけどよ。もしお前がまた道を踏み外したときは、俺様がまたお前のとこまで行って根性叩き直すって約束してやるぜ!」
「……ダッチ」
「だからお前も約束しろ! 次に俺様と会う時は……さいっこうに美しい姿を見せてくれるってな!」
「……ええ」
ダッチは自身の姿が徐々に透けていくのを悟るとバートリ卿の真横に立つ。
「約束するわ。ダッチ、アナタにとびっきり美しい姿を見せてあげる」
「あぁ、約束だぜ!」
私は右腕で、ダッチは左腕でお互いに握手と約束を交わす。
「そうだ、お前が人間になったら俺様の妻にしてやってもいいぜ!」
「なっ……アナタは絶対にお断りよ!」
美しいかどうかは最期に分かる。その言葉通り、ダッチマンは苛立つほど美しい笑顔で成仏していった。
「……バートリ卿」
ワタクシは思わず涙が零れそうになり、バートリ卿に背を向ける。
「ワタクシは、美しくなってみせます」
「ええ、あなたなら哀しみを乗り越えて……きっと美しくなれるわ」
ワタクシはスキュラ。哀しみと背負う罪を洗い流して、ワタクシは絶対に──
(カリブ、ダッチ。アナタたちに美しいって言ってもらえるように……)
──この世界で永遠に美しく在り続けるわ。
Recollection : Scylla_END
~五章更新開始日について~
五章の更新開始日は11月24日(水)となります。それまでにキャラクタープロフィールや単語説明などの資料を更新していく予定です。更新日はランダムなので五章の更新日に確認して頂けると丁度いいのかなと。
それでは次回の更新日でまたお会いできたらと思います。
小桜 丸




