4:18『異界の霧』
翌朝の船着き場。
海岸線まで真っ白な霧に包み込まれ、向こう側の大陸はおろか少し先の海路もまったく見えない。私たちはティアに連れられ、船長のジョニーの元まで顔を出した。
「ジョン、おはようございます」
「おう! 今日も張り切ってんなキツネのねーちゃん!」
「貴方程ではありません」
伯爵を始末した昨晩。ティアからは「よくやりましたね」という賞賛の言葉のみを伝えられ、私たちがどのような経緯で伯爵と遭遇したのかは聞かれなかった。その点は良かったのだが、
「俺たちはやっちまったってことか」
「そうなるな」
意図せず町中のトラブルを解決してしまい、出航日を引き延ばすことが出来なかった。結果としてジョニーがティアとの約束を果たすために、異界の霧とやらが立ち込める中で出航準備を進めているのだ。
「貴方たち、武装の交換はしましたか?」
「あぁわざわざお前さんに言われなくても」
「そうですか。予備はもうありませんので大切に使ってください」
刃が欠けたルクスα、弾丸が尽きたディスラプターα、粉々にされた銅の杭。伯爵との交戦でボロボロとなった私たちの武装は予備の武装と取り換えられた。
「キツネのねーちゃんたちが乗るのはあの船だぜ!」
「何隻で出航するのですか?」
「この港に用意した"四隻"だ」
「……何故そこまで船を出す必要が?」
「異界の霧は一度入れば二度と出られねぇって噂だからな。霧の中で何が起こるかも分からねぇしよ。あるだけ出せばその分安心だろ?」
私たちは中央に控えている船に乗り込むと積み荷の運搬も終わったようで、ジョニーも操舵手として乗り込み、輪状の操舵輪に手を置いた。
「よぉし野郎共ぉ! 帆を張れぇぇーー!!」
四隻の帆船はその掛け声と共に帆を展開する。ジョニーは次に大きく息を吸い込み、
「出航するぞぉおぉーー!!」
港に響き渡るほどの声量で四隻の船を異界の霧に向けて出航させた。帆船が動き出すと、ナタリアは船首までドタドタと走り、進行する方角を眺め始める。
「いいですねぇ! 大海原には強い野郎が沢山泳いでいるって聞いてますよぉ!」
「嬢ちゃん、そりゃあサメのことだろうな!」
「サメ、サメですかぁ! 懐かしいですねぇ! クソガキの頃によく殺してましたよぉ!」
「ガッハハ! 愉快な嬢ちゃんだな!」
「ジョン」
ナタリアと大声で会話をしているジョニーへ、ティアは辺りを見渡しつつ背後から声を掛ける。
「どうしたキツネのねーちゃん?」
「この陣形、異界の霧に対して何か策でも練ったのですか?」
三隻の帆船が前を、私たちはその後方を進行する陣形。上空から見下ろせば矢じりに沿って三隻が配置されているように見えるだろう。
「異界の霧は何が起こるかわかんねぇからな。はぐれねぇように船と船の距離を一定に保ちながら、いつでもお互いに手を貸せる……それが可能な陣形ってわけだぜ」
「なるほど。到着予定時刻は?」
「今日はいい風が吹いてる。早くて二時間ってところだ」
「分かりました。何かあれば呼んでください」
港の方角を振り返るが白い霧に遮られ、シメナの町並みはもう見えない。晴天だった空も白い霧に閉ざされ、太陽の光すら差し込まなかった。私が空を見上げていると、話を終えたティアがこちらへ近づいてきた。
「到着まで二時間程度かかるようです」
「それはこの霧が無い状態での話だろ? 何事もなく辿り着くと思うか?」
「私たちが何事もなく辿り着かせればいいだけです」
「無茶しか言わんなお前さんは……」
「それでは、甲板から海に落ちないように気を付けてください」
クリスに苦笑されたところで気にも留めていないティアは、最後にそう伝えると帆柱の頂上まで軽い身のこなしで登っていく。
「あんな馬鹿げた奴でも一応十戒か……」
「あぁ、あの女の頭が腐っていてもな」
「ほんとお前さんたちもだりぃことに巻き込まれてて同情する……っと、カイト? そこで何をしてるんだ?」
甲板で真っ青な顔をしているキリサメ。船外へ上半身だけ乗り出し、どんよりとした雰囲気を漂わせている。
「ふ……船酔い……」
「お前さん、あんまり慣れてないのか?」
「は、初めてなんだ……ふ、船に乗るのは……」
「そうだったのか。今日の波は穏やかな方だと思うが、カイトは揺れに弱い体質なのかもな」
船酔いをしているキリサメの介護をするクリス。私は情けない姿に溜息をつき、帆船を操るジョニーと話をするために船尾へと向かう。
「おい」
「おっ、なんだ嬢ちゃん? 船の舵でも取ってみたくなったか? けどわりぃが今は変わってやれねぇぞ! 船長になるのが嬢ちゃんの夢でもな!」
「……」
「ガッハハ! ジョーダンだジョーダン!」
子供をあやすような振る舞い。私が嫌な顔をして細目になれば、ジョニーは笑い声を上げる。
「そんで、俺に何の用だ?」
「お前は以前からリンカーネーションの任務に関与していると聞いたが……それは何故だ?」
「なんだなんだ、そんなに気になるのか嬢ちゃん?」
「お前はリンカーネーションに所属しているわけでもない。私たちの任務の為だとしても手を貸している時点で、ロストベアの連中と貿易は困難になる。本業に支障が出るというのにそれを数年も続けてきた。そこまで手を貸す義理もないだろう?」
ジョニーは私に問われると前方の方角を突き進む三隻の船を見つめ、懐かしむように微笑みながら自身についてこう語り始めた。
「俺はな、海賊やってたんだ」
「海賊だと?」
「あぁそうだぜ。しかもロザリアとロストベアを行き来する船を襲って、毎度のこと貿易に必要な積み荷を奪った……悪名高い海賊だったもんだ」
「……捕まらなかったのか?」
「こう見えても海賊時代は、どんな敵だろうが蹴散らせるほどに腕っ節は強くてな。他の海賊共に捕まるどころか、二度と面を見せられねぇよう返り討ちにしてやったもんだぜ」
ジョニーが被っている年季の入った三角帽子。よく観察してみれば、焦げ跡や切り傷が付けられている。幾度も他の船と死闘を繰り広げてきたのだろう。
「しかしまぁ、状況は変わっちまったんだ」
「状況が変わった?」
「おう、変わったのはリンカーネーションの方針だ。昔は吸血鬼を粛正する方針で、俺のような人間には決して手を出さなかった……が、方針が変わっちまってからは俺のようなあくどい人間に手を出すようになった。嬢ちゃんはセリーナ・アーネット様を知ってるか?」
「あぁ、名前と噂だけだが」
セリーナ・アーネット。
アーロン・ハードという男から話を聞いた。グローリアへ吸血鬼共が襲撃してきた時、民を守るために命を散らしたアーネット家の人間だと。
「方針を変えたのはセリーナ嬢ちゃんだ」
「……その女が?」
「それだけじゃねぇぜ。グローリアを苦しめていたドレイク家の理不尽な"貴族制"。その制度を変えるために裏で革命を引き起こしたのもセリーナ嬢ちゃんって話だ」
私は派遣任務前に深夜の書庫でセバス・アーヴィンと交わした会話が脳裏を過る。
『……この派遣任務が楽なものだと知っているのか?』
『知っているとも。ドレイク家は貴族としての階級は上位に位置するが、品位は底辺に等しい』
『品位はそこまで悪いのか』
『遠い過去にグローリアを"貴族制"の体制に変えた。だがしかし……奴隷にされた者たちや市民たちが"革命"を起こしたことで、その権力も衰退したのだよ』
ドレイク家が好き放題に暴れていた貴族制。セリーナ・アーネットはそれを見兼ね、王制への変革を起こした。その変革から今の時代まで王制が続き、アーネット家が統治してきたようだ。
「それでお前も捕まったわけか」
「そうゆうこった。俺はあっという間に捕まっちまって、何十年も任務に関する船旅を任せられてんだ」
「……逃げないのか?」
「セリーナ嬢ちゃんに言われちまったからな」
「何を言われた?」
ジョニーは木製のパイプを口に咥えると器用にマッチへ火を点ける。
「『海の男ともあろうものが逃げるのですか?』ってな」
「……」
「こう挑発されちまっちゃあ、俺も歯止めがきかねぇ。乗ってやるよって返事をしたのが運の尽きだ。そん時から俺の海賊人生は終わっちまった」
懐古するようにジョニーはパイプを吸うと、口から白い煙を吐く。
「だがまぁ、こういう人生も案外悪くはねぇなと思ってんぜ。誰かに感謝されるのってのは気持ちいいもんだからな」
「そうか」
「ふーっ……心残りがあるといえば、セリーナ嬢ちゃんに今のジョニー・フィッツロイ様の姿を見せてやりたかったぐらいだ。まったく、こんな老い耄れた俺より早く逝きやがって……」
三隻の船を見据えながら僅かに寂しそうな表情を浮かべるジョニー。私はふと帆柱の頂上で北の方角を眺めているティアへ視線を移す。
「あの女とは数年前から知り合っていたのか?」
「あの女……あぁキツネのねーちゃんのことか」
ジョニーは木製パイプを口から離すと、慣れた手つきで舵を取りながらティアについてこう語った。
「知ってるも何も、キツネのねーちゃんがガキんちょの頃から知ってるぜ」
「幼少期からか」
「生意気なガキんちょだったけどよ……昔はあんな不気味な仮面を付けてなかったな。長い付き合いの俺が頼んでも素顔は見せてくれねぇぜ──」
「船長ッ!!」
ジョニーがそう言いかけた時、船員の一人が大声を上げながら西の方角を指差す。私たちは一斉にその方角へと顔を向ければ、前方の三隻とは形状の違う船が海上を漂いながらこちらへ近づいてくる。
「何だぁ? あの船は?」
「心当たりは?」
「ねぇな。だがありゃあ随分と年季の入った船だと思うぜ」
船員に碇を下ろすように指示を出して船を停めると前方の三隻も碇を下ろした。ゆったりと漂いながら接近してくる船。ティアは帆柱の頂上から飛び乗ると、張っていた帆を腰に携えていた剣で斬り刻み、動かぬよう停止させる。
「ジョン、私たちがこの船を調査します。そこで待機をしていてください」
「分かった! その船に何があるか分からねぇ、気を付けろよキツネのねーちゃんたち!」
ティアがこちらへ無言で視線を送ってきたため、私たちはお互いに顔を見合わせてから古い船へと乗り込んだ。
「ナタリア・レインズ、クリス・オリヴァー。貴方たちは私と甲板の調査を」
「だりぃが仕方ないか……」
「いいじゃないですかぁ! 未知なる宝船には強い野郎が乗っているのが定跡ですよぉ?」
「……そりゃあ最高だな」
興奮しているナタリアに苦笑するクリス。次にティアは私とキリサメへこう指示を出す。
「アレクシア・バートリ、キリサメ・カイト。貴方たちは船内を調べてください。何かあればすぐに報告を」
「わ、分かりました!」
ティアたちと別れると、私はキリサメと共に船内へと足を踏み入れた。人の気配や人工的な物音はしない。波に揺れて、木製の船体が軋む音だけが不規則に響く。
「こ、この船ってさ……幽霊船なんじゃね……?」
「"ブラインド・ワークスマン"の話を信じているのか」
「え、何の話だよそれ?」
「この時代の本で読んだ。今から百年前、神を罵ったことで呪いを掛けられた船長がいたと。その船長の名前が"ブラインド・ワークスマン"。話によれば裁きの日とやらが訪れるまで、幽霊船に乗って海を彷徨っているらしい」
食糧庫は腐った食物ばかり。武器庫は船員が急いで駆け回ったのか、砲丸や銃などが床に落ちている。船体には大穴がいくつも空いており、沈んでいないのが不思議なほどに傷んでいた。
「そ、その話がほんとならさ、幽霊船って存在することになるよな……?」
「いいや、ただの伝承に過ぎん」
「な、何でそう言い切れるんだよ?」
「その伝承が真実だとすれば、私は既に呪い殺されている」
船員室は一部が船体ごと抉られている。船内をある程度は歩き回ってみたが手がかりなどは見つからず、私とキリサメは最後に残された船長室の前に立った。
「あのさ、その船長の名前って"フライング・ダッチマン"じゃないか?」
「……? 誰だそいつは?」
「俺の世界にも似たような伝承があったんだ。"フライング・ダッチマン"って船長が幽霊船に乗って、海を彷徨ってる……みたいな」
「読んだ本にはブラインド・ワークスマンと書かれていた。私の記憶違いではない」
「んー、俺が間違ってんのかな──」
キリサメが腕を組みながら記憶を思い出そうとした瞬間、船長室からガタッという物音が聞こえてくる。
「ま、まさか幽霊船の船長が……」
怯えているキリサメを他所に、私はホルスターから銃を取り出すと慎重に扉を開く。海の臭いと混ざって酒の臭いが僅かに鼻元まで漂う。
「誰だお前は?」
「……」
船長室の椅子に座り、こちらへと背を向けた男。三角帽子と衣服からこの船の船長だと推察できるが、身体を一ミリも動かさない。
「ア、アレクシア! その人に近づくのはまずいだろ……! まずはティアさんとか呼んだ方がいいんじゃ……!」
「私はこいつから話を聞くだけだ」
叩き割られた机を踏み越え、船長らしき人物のすぐ背後まで歩み寄る。聞こえるのは細々とした呼吸音。
(私から顔を見せろということか)
すぐ背後で立っているというのにこの男は振り向かない。私はわざとらしく溜息をつくと自ら回り込み、船長の顔を拝んだ。
「お前がこの船の船長だな?」
「……」
五十代半ばの白髭を生やした男。右手には壊れたコンパスを握りしめ、左手には"十一時"を指した懐中時計。虚ろな瞳で船長室に飾られた大型の地図を眺めている。
「他の船員はどこへ消えた?」
「……」
「……この船で何があった?」
「……」
そう問いかけてはみるがこの男はやはり何も答えない。私は試しに一発だけ頬を叩こうと右手を振り上げ、
「ア、アレクシア!」
キリサメが黄ばんだ紙を手に持ち、私の元まで駆け寄ってきたため、振り上げた右手を止める。
「何だ?」
「この紙に書かれた名前をよく見てくれ!」
「……名前?」
渡された黄ばんだ紙。私はそこに書かれた名前らしきものを確認する。
「この船長の名前は──ブラインド・ワークスマンだ!」
Blind・Worksman。船員表へ殴り書きされている船長の名前を確認すると、私は未だに地図を眺めている男の肩に手を置き、何度か揺さぶった。
「おい、ここに書かれているのはお前の名前か?」
「……」
「な、なぁアレクシア? やっぱりさ、ティアさんに一度連絡した方が──」
「じかんだ……」
キリサメが私へそう提案した途端、この男は突然立ち上がる。私は肩から手を離すとキリサメを後退させながら銃口を向けた。
「じかんだ、じかんだ……」
「こ、こっちに向かってきてね!?」
「じかんだ、じかんだ……」
「……いや、私たちのことは眼中にない」
こちらへ一歩ずつ近づいてくる不気味な男。私は引き金に指を掛けたとき、その虚ろな瞳で見つめている先が、私たちではなく船長室の入り口だと気が付き、隅へと移動をする。
「じかんだ、じかんだ……」
「あの人、どこへ行くんだ……?」
「後を追うぞ」
船内をよたよたと歩きながら向かう先は甲板。階段を震えた足腰で登り、帆柱を見つけるとそのまま歩み寄っていく。
「お前さんたち、どうした……って、その男は誰だ?」
「おやおやぁ? もしかしなくても強者の野郎ですかぁ?」
「それを確かめている最中だ」
クリスとナタリアが私たちと合流をし、ティアは船首から不気味な男を見下ろした。
「じかんだ、じかんだ……帆をあげろ、帆をあげろ……」
不気味な男は帆柱まで近づくと、ロープを両手で掴み帆を上げようとする。しかし先ほどティアによって斬り刻まれてしまい、帆が上がる様子はない。
「東をめざせ、東をめざせ……帆をあげろ、帆をあげろ……」
「あの男、何も見えてないのか……?」
クリスが眉間にしわを寄せていれば、船首にいたティアが不気味な男を警戒しながら私たちの元まで合流する。
「船内には何かありましたか?」
「残されていたのはあの男だけだ。事実かどうかは知らんが、あの男の名はブラインド・ワークスマンというらしい」
「ではあの方は……かの有名な幽霊船の船長ですか?」
「知らん」
ロープを引き続ける不気味な男。ひたすらに「東をめざせ」「帆をあげろ」という言葉を連呼している。
「あの状態では話が通じませんね」
「お前さん、あの男をどうするつもりなんだ?」
「状態が何であれ生存者なのは変わりありません。私が保護します。貴方たちは先にジョンの船へ帰還を」
私たちは帰還を命令され、ジョンの船まで戻ることにした。ティアは不気味な男を保護するため、帆柱の側まで近づこうとする。
「帆をあげろ、東をめざせ、アイツがくる……」
「アイツ……?」
「アイツがくる、アイツがくる……」
ロープを引いていた腕の速度が更に更に上がっていく。男の顔は焦りと恐怖に支配されているようだった。
「アイツがくる、アイツがくる、アイツがくる、アイツがくる、アイツがくる、アイツがくる、アイツがくる……!」
「落ち着いてください。まずはロープから手を離して──」
ティアが落ち着かせようと言葉を掛けつつも男の腕に触れる。すると男の腕はそこで静止し、口を開いたままゆっくりとティアの方へ顔を向け、
「──アイツが、きた」
瞬間、海の底から鳴り響く轟音と共に海上が激しく揺らいだ。




