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猟犬  作者: 次郎
34/45

33.密告

この小説は、史実を基にした創作になります。


登場する人物、名称等も実在とはことなります。

 三津寺砦での大勝から数日たっても、石山本願寺には、まだ勝利の余韻が残っていた。

 世に言う石山合戦が始まって以来、久々の大勝であり、それは無理からぬことであったのかも知れない。

 そして、織田勢恐るるに足らず、と言った雰囲気まで出てきたことは、人々がその勝利に仏の加護を感じたからに他ならない。

 しかし、それは大いなる油断でもあった。

 そしてこの日、三郎の身に起こったことも、正に油断であった。敵地石山本願寺を歩く三郎は、もう彼自身、自らを苑也だと信じていたのかもしれない。

 この日三郎は、後ろをつけられていることに、まったく気がつかなかった。

 寺内町西町の曲がり角を曲がり、周囲に人気がまったくないと気づいた時にはもう遅かった。後頭部を何かで殴られた記憶を最後に、その意識は途切れた。

 再び目を覚ました時には、すでに薄暗い牢屋の中だったのである。

 まだ朦朧としている意識の中で、何とか現状を把握しようとしたが、後頭部が酷く痛み、頭が働かない。口の中に血の味も広がり、何度か殴られたらしいことはわかったが、ここがどこであるのかは、わからなかった。

 やがて意識がはっきりしてきた頃、薄暗い廊下を人が歩いて来る気配がした。


「どうやら目が覚めたようだな、この大嘘つきめ」


 どこかで聞いたことのある声が、響いた。

 目を凝らして暗闇を見つめる三郎の前に現れたのは、鳥居小四郎であった。


「どいつもこいつもうすのろめ。下間の親族などと騙されおって……」


 そう悪態をつく小四郎の隣には、大柄な男が立っている。その男は三郎を眺めながら、口を開く。


「しかし、にわかには信じられんな。下間屋敷にいたこの男が、間者とは……」


(この男は確か……土山左門とか言っていたか)


 三郎は、この日の朝、下間屋敷で見かけた男の名を覚えていた。

 土山左門は、門徒衆の大将として、天王寺砦を包囲する本願寺勢の中にいたが、この日、戦の報告のために石山本願寺に帰還していた。今朝方は、そのために下間屋敷を訪れていたのである。


「お二方、何か勘違いをしておられるようで……私は下間刑部卿の甥で、間者などでは……」


 三郎は、うつろな目でそう訴える。かつて一益に言われたように、あくまで苑也であることを貫くしかないのだ。


「馬鹿め、とぼけても無駄だ。面白い男から、密告があったのだ」


「面白い男とは……」


「雑賀孫市だ」


 小四郎の口から出たその名を聞いて、三郎は愕然とした。


(……気づいていたのか!)


 本願寺方に属する孫市が、織田の間者を見つければ、それを知らせるのは当然のことであったが、その事実は、三郎を精神的に打ちのめした。たとえ敵同士であっても、孫市とは馬が合う部分があり、三郎はどこかそれを信じていたのだ。

 しかし、裏切られたと感じたわけではない。

 むしろ裏切っていたのは、三郎の方なのだ。


「それにしても、これはいい機会ぞ。下間刑部卿法眼を追い落とすよい機会じゃ」


 小四郎は顎に手を当て、不敵な笑みを浮かべる。

 この男の目的は、一体何なのだろうか?


「しかし、孫市の話を簡単に信じてもよいのか?もしこの男が間者でなければ、刑部卿は我々を絶対に許すまいぞ」


 土山左門の疑念は、孫市と小四郎のこれまでの関係を考えれば、当然であろう。


「孫市の言質は、我々でとってあるのだ。その時は、孫市の誤報のせいにすればよい。それで奴が処刑にでもなれば、撃ち殺された兄の仇も討てるというものだ」


「兄の……仇?」


 三郎は、小四郎のその言葉に思わず反応した。この男が孫市を敵視する理由が、そこにありそうだった。


「知りたいか?」


 小四郎は、三郎の返事は聞かずに言葉を続ける。


「俺の兄は、野田福島の合戦の折に、信長の近くにいたのだ。馬廻衆の一人としてな。しかし孫市の阿呆は、信長を撃ち損じて、流れ弾で俺の兄を撃ち殺した。まったく、使えん奴だ。もっとも今となっては、信長が生きていることは、我々にとって不都合でもないがな」


 小四郎はそう言って顔を歪めた。我々、とは本願寺のことであろうか? 堺会合衆のことであろうか?


「何故……鳥居殿の兄上は信長の近くに?」


「何故だと?ふん、今の俺と同じだ。人を貶めるためにおるのよ」


 その答えを聞いて、三郎はハッと我に返り、小四郎の顔を見た。男の顔には、残忍な笑みが浮かんでいる。


「なんで簡単に喋るか、わかるだろう?お前には、何を知られてもよいのだ。どうせ死ぬのだからな。それならば少しでも驚く顔を見たいというのが、人の性というものだ」


 その下卑た笑いは、三郎を戦慄させた。


「やはり、鋸挽きがよいかな?この間の下間屋敷に連れて行った間者も、切れ味の悪い鋸を挽いた時はいい顔をしたぞ。よし、やはり鋸挽きにしよう」


 小四郎のいう間者とは、あの牧野甚兵衛らしき男のことであろう。そしてこの口ぶりから察するに、すでにこの世にはいないのだろう。


「やれやれ、程々にしておけよ。儂はすぐに、天王寺砦の包囲に戻らねばならんからな」


「おい、もしや信長を殺すのではあるまいな?」


 振り返ってその場を去ろうとする左門に、小四郎はそう尋ねる。


「聞くところによると、信長は、まったく兵が集まっていないらしい。そんな小勢で、天王寺砦に救援に来るとは思えんが、万が一来たなら容赦はせん。小四郎、おぬしの主は信長びいきかも知れんが、儂の主は、殺せる機会があればどちらも殺しておけ、だからな」


 左門はそう言って踵を返すと、暗闇に消えていった。

 小四郎は、そんな左門に舌打ちして、再び三郎に向き直る。


「ふん、覚悟しておけよ。楽には死ねんぞ」


「……私は、間者ではありません。下間頼廉の甥、苑也でございます」


 なおもそういう三郎を見て、小四郎はふと憐れむような視線を向けて語りだす。


「思えば憐れなものだな、貴様のような身分の低い侍というものは。こうして使い捨てにされて死んでいく。雑賀衆も同じだ。狡兎死して良狗煮らる……信長が勝とうが法主が勝とうが、戦がなくなれば貴様らは煮られる運命なのだ。戦が無くなった現世は、銭金が牛耳る、商人の世なのだからな」


 小四郎はそう言って牢屋に近づくと、器用にその鉄格子の隙間から、三郎の腹を思い切り蹴りつけた。予想しない不意打ちに、三郎はうめき声を上げ、背中がくの字に曲がる。


「お前は、俺に感謝すべきなのだ。その苦しみから、一足先に開放してやるのだから。しばらくそうしていろ」


 小四郎はそう言って高らかに笑うと、暗闇の奥に消えていった。辺りに、再び静寂が戻る。

 背中を丸めた三郎は、いろんな感情がない交ぜになり、知らず知らずのうちに、涙を流す。己の事を情けない、しっかりしろと戒めながらも、単純な死の恐怖に激しく怯えていた。

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