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猟犬  作者: 次郎
33/45

32.苛立ち

この小説は、史実を基にした創作になります。


登場する人物、名称等も実在とはことなります。

 その日の夕刻、織田勢への追撃を早々に切り上げた孫市は、三郎と共に石山本願寺に戻っていた。

 顕如や頼廉に、直接戦況を報告するためである。

 総大将原田備中を討ち取った孫市の功に、顕如も大いに喜び、その手を取って賞賛した。

 石山合戦が始まって以来、野戦においてここまで織田勢を手痛く叩いた前例はない。この事実に、石山本願寺内も大いに盛り上がり、人々も大きく溜飲を下げた。

 同時に首実検も行われた。

 数多の首に交じって持ち込まれた、原田備中の首の額には、黒々とした銃弾の後があり、孫市の戦功を裏付けた。もっとも後頭部は、ほとんど吹き飛んでいたが。

 その原田備中の顔は、驚愕の表情で固まっていた。



 顕如への謁見を終えた後、下間屋敷で歓待を受けた孫市は、翌日もその軍議に参加した後、戦場に戻るために、すっかり暗くなった寺内町を一人歩いていた。

 その孫市のもとに、追撃する雑賀衆に加わっていた但中が、暗闇からやって来る。


「……天王寺砦は落とせなかったか」


 但中の報告を聞いた孫市は、腕組みしてため息をついた。

 孫市の考えは、追撃の勢いそのままに、天王寺砦になだれ込む算段であった。

 しかし、砦を守る信長の重臣、明智光秀はすでに防戦の構えを整え、本願寺勢を待ち受けて砦を固く守っていた。織田勢の大軍は雲散霧消し、天王寺を守る敵勢は決して多くはなかったが、戦上手の光秀は、良くこれを守り、本願寺勢の出鼻をくじいた。

 そこには、攻城戦に慣れていない石山本願寺側の不首尾もあった。


「門徒衆の大将、土山左門は、砦が落ちるまで何日でも強攻すると言っているようです。お頭の三日で落ちなければ撤退すべし、という言葉も伝えましたが、一蹴されました」


「太郎次郎は?」


「お頭の方針に従う、と仰っていました。ただ、他の雑賀の頭領方の判断は、割れているようです。土山左門の翻意も難しいだろう、と……」


 天王寺砦にはすでに、本願寺勢に包囲されていたが、門徒衆は多方向からの援軍で数を倍増させ、相対的に軍中の雑賀衆の割合が減り、その影響力は大きく低下していた。

 全軍の統率は土山左門に集約されつつあったのである。


「それでいい。信長は必ずやって来る。あと三日で落とせなければ、鈴木党は撤退だ。それ以上あそこでもたもたしておれば、織田勢と野戦をしなければならん。囲まれてからでは、遅い」


「お頭も、戻られますか?」


「気が変わった。俺は楼の岸砦に戻る。土山左門と、話をする気にはなれん」


 孫市は、吐き捨てるようにそう言った。

 天王寺砦を包囲する、本願寺勢の陣中に再び戻る但中を見送った孫市は、月を見上げながらゆっくりと歩き始めた。

 孫市は、月が好きであった。

 その闇に浮かぶ美しさと輝きは、どこか顕如の姿を彷彿とさせる。

 あの全てを見通し許す瞳の色が、そう見せているのだろうか。孫市には、顕如の存在が太陽のようなものだとは思えなかった。


(ならば……日輪は信長か?)


 孫市は、不意に浮かんだそんな思いに苦笑した。なんとも、ばかばかしい話ではないか。

 そんなことを考えつつ、ふと前方に気配を感じた孫市は、視線を月から落として足を止め、様子をうかがった。

 堀に架かる橋に、人影が見える。月夜にぼんやり照らされたその姿は、少女のようであった。


「蛍……か?」


 孫市はその姿を確認すると、軽く舌打ちをした。その少女の瞳が、怒りで日輪のように燃えていたからである。


「発中に聞きました」


「……あの馬鹿」


「土橋の姫は、夏には輿入れだそうですね」


 蛍は、ゆっくりと孫市に近づく。


「婚姻はなしだと、言ったではありませんか。あれは、嘘だったのですか?」


「雑賀のため、十ヶ郷のためだ。女の勝手な意見など、聞く耳もたん」


 孫市は野太い声で、冷たい言葉を放つ。


「鶴お姉さまはどうなるのです」


「知らん。あれは、間者のようなものだ。どうでも良い」


「じゃあ、私はどうなるの!!」


「知らん!!」


 孫市は、苛立たし気に怒鳴る。


「御仏の誓うといったではありませんか」


「言った。そしてその後、念仏を唱えて許しを乞うた。御仏は念仏を唱えれば、許して下さる。


「勝手な理屈!」


 そう言うや否や、蛍は叫びながら孫市に殴りかかろうとした。しかし、その手首を男は簡単に掴む。そのまま手を引っ張り上げ、もう片方の手で尻をつかみ、少女をひょいと頭上に抱え上げた。


「あ……!」


 少女が短い声を上げた瞬間、男は月明りに鈍く輝く堀の水面に、その少女を投げこんだ。華奢な身体は軽々と弧を描き、激しい水音と共に水中に沈みこんだ。

 一瞬の間の後、泥だらけの顔を水面から上げた少女は、じたばたと右へ左へもがいていたが、やがて泳ぎながら石が積まれた岸をめざす。幸い、泳ぎが達者な少女は、まもなく岸にたどり着いた。


「なにすんのよ!」


 そう大声で抗議する蛍を無視して、孫市は歩き出した。慌てて道に戻った蛍は、半べそをかきながらその後ろを追う。

 しかし決して孫市に並ぶことはなく、一定の距離を開けてついて来た。


「言いつけてやる」


 涙声の蛍は、後ろから背中に言葉を投げつける。


「誰にだ?」


「御隠居様に、先代様に……苑也様に!」


「あの偽坊主に言って何になる」


 孫市は、苛立たし気な声でそう呟くと、早足になって歩き始める。

 この苛立ちは、男に一つの決心をさせていた。

 蛍はもう駆け足になって、その後をついて行く。


(何もかも、うっとうしい。全てが、うっとうしいのだ。何も思い通りにならん。こんな時、信長なら何とする?」


 月明りの下、孫市はそんなことを考えながら、楼の岸砦への道を急いだ。


 天王寺砦を包囲された明智光秀は、すでに京にいる信長に援軍を要請していた。

 その一報を聞いた信長は、直ちに諸国に動員令を発し、自ら兵を率い河内若狭城に入ったが、突然の発令だったためか、思うように兵が集まらなかった。主力となる、足軽が集まらなかったのである。

 戦況は、石山本願寺有利に動いているように誰の目にも見えていた。

 ただ一人、孫市を除いては……。

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