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94.結界の術者は

 自分の話したいことを話したアッシュはもはやこの場所に用はない。そう考えて隠し通路から教会へと戻ってきていた。

 隠し通路を出てすぐの場所でルキたちが待っていて、アッシュの姿を確認するとルキが地面を蹴り、いつものようにアッシュへと抱き着いた。


「おっと……今回はいつもより弱いな」


「離れてた時間は短かったからな! で、むっつり目隠れに変なことされてないよな?」


「されてないっての。というか、俺がされる側なんだな」


「当然だろ! アッシュから何かするのって俺だけなんだからな!」


「待て。それを肯定すると俺がルキに何かしてるみたいになるからやめろ」


 そんな言葉を交わしながらアッシュはルキの頭を撫で、ルキはアッシュに抱き着いて尻尾を振っている。

 端的に言ってしまえばいつも通りの姿がそこにはあった。いや、最近のルキは以前にもましてアッシュに対して遠慮がなくなり、また抱き着いて過ごすことも増えてきた。

 これはアッシュを落として見せる! という想いと、敵の数が増えてきたことが理由だ。


「まったく……それで、何か変わったことはあったか?」


「いや、特には何もなかったな。ただ……そろそろ動いても良いんじゃねぇかな、って感じだな」


 そう言ってルキは一瞬だけ視線をカルナに向けた。


「まぁ、確かにそうだな。残るは結界の基点だけだし、動くならそろそろだよな」


「だろ?」


 交わされる言葉の意味がわからないシャロは疑問符を浮かべながら二人のことを見ていた。

 だが二人が交わす言葉の意味を十全に理解しているカルナは内心で舌を巻いていた。

 悟られないようにと注意をしていたというのにこうも容易くきづかれてしまうものなのか、と思いながらカルナは口を開いた。


「流石だな、と言うべきだろうか」


「ん、何だよ。もう隠す気はねぇのか?」


「悟られているのであればこれ以上隠す意味などない」


 カルナは何を言っているのだろうか、とシャロは更に疑問符を浮かべた。

 だがそれと同時に三人の間に流れる空気が不穏なものに変わり始めていることも感じていた。


「俺にとって聖都を覆う結界などあってないようなものでしかない。だがそれに使われている魔力は人間のものではなく、魔族のものだとわかった以上は事情が変わる」


「魔族の魔力ってのは往々にして人間に比べて上質な魔力だからな。それを利用するつもりだったんだろ?」


「その通りだ」


 徐々に会話の意味を理解し始めたシャロは急いでアッシュの背に隠れた。

 その姿を見てアッシュは危機察知能力に少し不安があるな、と考えていた。

 少し考えればわかることだった。カルナのような帝国軍の中でも上位の人間が敵対国である王国領に足を踏み入れている。

 その時点で何かを企んでいることは明白だった。


「元々の任務とは別だが、利用できるものは利用するべきだ」


「へぇ……だからアッシュを利用したってのか」


「そうだ。だがこれほどとは思いもしなかった。まさに望外だ」


 カルナの言葉を聞いてシャロはショックを受けていた。

 自分は多少なりと仲良くなれたと思っていて、それはきっとカルナも同じではないだろうか、と淡い期待を抱いていた。それなのにカルナはアッシュを利用したと明言した。

 それはつまり仲良くなろうなどとは微塵も考えず、利用するためだけに傍にいたことになる。

 そしてそれはアッシュが憂いていた人の汚さであり、それに触れたシャロは少なからず傷ついてしまった。

 アッシュはそのことに気づいていて、僅かに瞳から感情の色が消えていた。シャロを傷つけて以上、それ相応の報いを与えるべきだろうか、と考えながら。


「だが俺にとって、本当の目的は別にある」


「はぁ? まだ何か企んでんのかよ」


「……カルナ、お前の言葉次第によっては俺としてもそれなりの対処をしないといけなくなりそうだな」


 自分を利用したという事実はアッシュにとってどうでも良いことだった。

 貧民街(スラム)では他人を利用するのは当然のことだったためにアッシュにとってはその程度でしかない。

 だがこれ以上シャロを傷つけるのであれば容赦はしない。そうした考えがアッシュの中にはあった。


「それで、本当の目的ってのはなんだ?」


「アッシュと多少なりと友好的な接点を得ることだ」


 そう言って何処か得意げに、というかほとんど表情は変わらないなりにドヤ顔をしてみせるカルナ。

 だがそれに反してアッシュとシャロは意味がわからない、何を言っているんだこいつは、と大量の疑問符を浮かべていた。

 しかしルキだけはその意味を過不足なく理解しているようでアッシュに抱き着く力を強め、ガルルとうなり始めていた。


「俺は帝国の人間であり、アッシュは王国の人間だ。であれば敵対することは必然。その状況でどうにか友好的な関係を築けないものかと考えていた」


 ここで大前提としてカルナはアッシュに一目惚れをしている、ということがある。

 互いに交わることがないはずの状況でどうにかお近づきになれないだろうか、と考えた結果カルナは今回の結界騒動を利用することにしたのだ。

 つまり、カルナにとって結界も、魔族の魔力も実のところ心底どうでも良いことだった。

 あれやこれやと言っていのは所謂建前、というやつだ。


「俺にとって何よりも優先すべきはアッシュとの縁を結ぶことだ。この胸の内に燃え上がる恋心、というものだろうか。それに従うならばより親密な関係になるべきだからな」


 アッシュはこの時点でカルナの言葉の意味を理解し、苦い顔をする。

 またシャロも燃え上がる恋心、という言葉になるほど、と納得すると同時にカルナはアッシュと仲良くなるために動いていたのだと理解した。

 そのことに利用するためだけに一緒にいたわけではないのだと安堵すると同時に、胸の中にもやもやとする何かを感じていた。


「とはいえ俺たちは基本的には敵対関係にある。その状態で親密な関係になることは不可能に近い」


「まぁ、普通は敵対してるなら親密も何もないな」


「だが利害の一致により協力や取引を行うことが出来る関係になることが出来た。これは大きな前進と言えるだろう」


 アッシュはカルナの言わんとしていることは理解していた。

 だがどうしてこんなに得意げになっているのだろうか、と疑問を浮かべるしかなかった。


「今後は互いに損害が出ない状況下でのやり取りを続けることによってアッシュとより親密になれると、俺はそう考えている」


「アッシュ!! こんな奴の協力とかなくても俺とアッシュの二人ならどうにでも出来るよな! だから赤チビと親密な関係になるとか、そういうのはなしだよな!?」


 カルナがそこまで言うと流石に我慢が出来なくなったのかルキが吠えた。


「だいたい! そういう目的があったとしても! アッシュを利用した時点で親密になるも何もねぇよ!!」


「やり方が少しばかり良くないことは理解していた。だが足掛かりとするのであればそこまで悪い手段ではあったはずだ」


 アッシュはそんな二人の言葉を聞いていてルキとカルナは互いの主張がぶつかるようでぶつからず、その主張は延々と平行線を飛び続けているのではないだろうか、という考えに至った。つまり、この二人が今回のように言い合う形になっても決着はつかない。

 そしてそれを放置していても何も状況は変わらず、無為に時間が過ぎていくだけだった。

 そのことを何となく察してしまったアッシュはため息を零す。


「あー……とりあえず、カルナが魔族の魔力を利用してたのとか完全に建前だってことはわかったけど、利用するのは利用するんだよな?」


「あぁ、使えるのならば使う。当然のことだ」


「そうか……そうか。でも利用しようっていうならこの結界の術者を捕まえるのが先だと思うぞ」


「え? 結界の術者、ですか?」


 今まで静観していた、というか静観するしかなかったシャロだったが結界の術者を捕まえるのが先、という言葉につい反応してしまった。

 何故ならば先ほど魔族であるシュヴァーハを倒したばかりであり、シャロはシュヴァーハこそがこの結界の術者だと考えていたからだ。


「チビ、結界ってのは基本的に術者がいなくなると勝手に解除されるもんだぞ」


「いえ、それはわかってますよ? でもこうした結界の基点や要を用意したものであればいなくなった後でも残るものがありますから……」


「あぁ、シャロの言う通りそういった類の結界は存在する。だが今回はあくまでも安定させるためのものであり、それには該当しない」


「な、なるほど……」


「とはいえシュヴァーハが死んだことも、結界の要が全部破壊されたこともわかってるだろうからもうとっくに逃げてる可能性があるんだけどな」


 可能性がある、と言いながらもアッシュは間違いなく逃げていると考えていた。

 シュヴァーハは丁寧な言葉と傲慢な素振りを見せていて一見すると強者のように見える。だがその実力は魔族としてはどちらかと言えば低いものであり、言い換えてしまえば下っ端でしかない。

 そのことを情報として視ていたアッシュや、その程度だと察していたルキとカルナは結界の術者にとって捨て駒のようなものだったのではないか、と考えていた。


「あれ、でも逃げているとしたら……」


「結界は放置しててもそのうち消えるな。まぁ、教会にある石像を壊さないで済むならそっちの方が楽だと思うぞ」


 常に人がいる教会でイシュタリアの石像を破壊する。そんなことをすると間違いなく大きな騒ぎになる。

 とはいえアッシュならば姿を見られないように破壊することは出来るので、その騒ぎに乗じて教会から離れてしまえば良いのだが。


「どうせ術者は逃げてるし、面倒事は避けた方が良いからそれで良いんじゃねぇの?」


「そうすると俺は魔力を利用出来なくなるだろう。別にそれでも構わないが」


「なら放置だな。逃げた術者は魔族だとは思うけど……注意喚起だけは後でしておくか」


 魔族が聖都で何かを企んでいた。それはシュヴァーハとの遭遇によってファルシュとイスタトアは理解していた。だがシュヴァーハを倒したことによって解決したと考えている可能性もある。

 だからこそ他にも魔族がいたと伝えて警戒だけは怠らないようにしようと考えていた。


「何にしても……これで問題解決ってことで良いよな?」


「良いんじゃねぇの? っていうか、解決したってことで食べ歩きしようぜ!!」


 当初の予定通りに食べ歩きを、とルキは主張した。


「本当に良いのでしょうか……?」


「良いんだよ! それよりも腹減ってるし肉が良いんだけどな!」


「はいはい、わかったわかった。ほら、シャロも行くぞ」


 空腹だと訴えるルキはアッシュに抱き着くのをやめて、アッシュの手を取るとぐいぐいと引き始めた。

 そんなルキに少しだけ呆れたような言葉を返し、シャロが遅れないようにとアッシュはシャロに手を差し出した。


「は、はい!」


 シャロは今までにないアッシュの行動に僅かに戸惑い、しかしそれ以上に嬉しく思いながらその手を取った。

 そうして歩く三人の姿はやんちゃな弟と、控えめな妹に挟まれた長男、という風に見えないこともなく、きっとそれは見る者に微笑ましいと思わせるような姿だった。


「カルナ、早く来ないと置いていくぞ」


 そんなアッシュは一人だけ置いて行かれそうになっているカルナにそう声をかけた。

 するとカルナは一瞬だけ僅かに目を見開き、すぐに言葉を返す。


「あぁ、そうだな。おいて行かれないようについて行こう」


 カルナとしてはアッシュがわざわざ自分に声をかけてくるとは思ってはいなかった。だからこそ一瞬だけ驚いてしまった。

 だがそれ以上にそうして気にかけてくれているのだということがわかり、カルナは僅かに口元を緩ませるとアッシュたちの後を追った。

何だか嫌な感じもするけど伏線になるのか、ならないのか。

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