73.イシュタリア様の思し召し?
どんな言葉をかけるべきなのか。アッシュは涙を流すクロエを見ながら思案する。
ありきたりな慰めの言葉をかけたとしてもきっとクロエには意味がない。それどころか更に傷つける可能性すらある。アッシュはそう考えて内心で頭を抱えていた。
大聖堂で何が起こったのか。それは簡単に予想が出来たが、一番クロエが傷ついている理由が人の悪意に触れてしまったことだとは思いもしなかった。
「人ってのは結局のところ、他の誰よりも自分自身が可愛くて、自分が得をするためなら、自分が幸福であるためなら平然と人を踏みにじる。それが人の性。どうしようもないほどの、人の悪性」
「人の悪性……?」
あれこれと考えていたアッシュだったが突如としてそんな言葉を口にした。
すると今の状況とは全く関係のない話を始めたことからクロエは戸惑いながらも顔を上げて言葉を繰り返した。
アッシュはそんなクロエに目を向けることはなく遠くを見るようにステンドグラスを見上げながら口を開いた。
「人を騙し、利用し、傷つけ、貶め、それでもまだ足りなくて。まぁ、人間ってのはそういうものなんだよ」
「……私ははっきり言ってしまうと世間知らずです。この世界でどんなことが起きているのか知りません。でも、アッシュさんの言うそれは、あまりにも悲しいことだと思います……」
傷つき、涙を流しているクロエだった、アッシュの言う人の悪性こそが人の本性なのだという言葉には反論せざるを得なかった。
人の善性に触れてきたクロエにとって、それはあまりにも悲しくて、あまりにも残酷で、そして何よりも人の悪性よりも善性を信じたいと心の奥底で考えているからだった。
「確かにこの世界にはそういう人もいると思います。私の両親を名乗った人たちも、きっとそういう人なのかもしれません。でも、私は……私は、何よりも人の善性を信じたいと思います。だって、村の皆さんは、ミザリーさんはとても優しくて、温かい人たちでした」
涙を拭い、自分がいた村の住人たちのこと、ミザリーのことを思い浮かべながらクロエは人の悪意に触れたとしても自分は人の善性を信じたいと言った。
「それに私にとっては人の本性は悪性だと言うアッシュさんもそんな温かい人たちの一人です。ちょっと意地悪なところはありますけど、ルキさんやシャロさんとのやり取りや雰囲気を見ていればわかりますよ」
した様子で
「そこで俺に飛び火する意味がわからないんだけどな。それに俺が優しいのはルキとシャロだけだ」
「そうかもしれません。それでも、何の見返りも求めず誰かに優しく出来るのであれば、その人の本性はきっと善性なのです。そうではない人もいるのでしょう。でも私は、そうした優しい心を持った人たちの方がこの世界には多いのだと信じたいです」
瞳には僅かに涙が残っているが、はっきりとそう言ったクロエは先ほどのような悲愴的な雰囲気は一切なかった。
それどころか何処か凛とした雰囲気を纏い、その横顔は決意に満ちているように見えた。
「あぁ、もしかすると私が聖都にやって来たのは、このためだったのかもしれません。触れたことのなかった人の悪意、悪性に触れ、それでも尚、人の善性を、人の優しさを信じる心を持てるようにと。これもまた、イシュタリア様の思し召しだったのかもしれません……!」
「あいつの信徒ってのはそういうところあるよな。何かあるとイシュタリアのおかげだ、って」
アッシュとしてはそういうものだとわかっていて人の悪性について口にしていたのだが、それでも呆れてしまう。
イシュタリアの信徒というのは信仰心が大変篤く、何か悪いことが起こればイシュタリアに祈り、何か良いことがあればイシュタリアのおかげだと考える。
今回のこともそういった流れでどうにかなるかな、という考えだったが本当にその通りになってしまい、寧ろ頭が痛くなってしまった。
「はぁ……まぁ、何だな。クロエは勝手に立ち直ってくれて何よりだ」
「勝手に、ではありませんよ」
アッシュにしてみればクロエが勝手に立ち直った。という認識しかなかったのだが、クロエはそれを否定するとアッシュに向き直り、その手を自身の両手で包み込むようにして言葉を続けた。
「全てはイシュタリア様の思し召しです。ですが、アッシュさんの言葉があったからこそ、私はこの考えに至りました。ですから、アッシュさんがなければこうはなりませんでしたよ」
真っ直ぐにアッシュを見て、そして花が綻ぶように微笑みを浮かべたクロエ。
そんなクロエを見てアッシュは苦笑混じりに言葉を返した。
「あー……そうか。クロエがそう考えてるってならそれでも良いけど……俺はクロエが思うような善良な人間じゃないってことだけは頭に入れて置けよ」
「いいえ! アッシュさんは優しい方です!! だって、私を追いかけてきたのは私のことを心配して、ですよね?」
「まぁ、それはあるけど……」
「そうして人のことを心配して行動出来るのであれば充分に優しいと思います。でも……」
でも、と言葉を切ってからクロエは小さく笑った。
「アッシュさんはちょっと素直になれなくて、そういうところもきっとアッシュさんの魅力なのでしょうね」
「何言ってるんだお前」
いきなりそれが魅力だ、などと言われてアッシュは何だこいつ。と思いながらクロエを見た。
するとクロエは自分で言ってから恥ずかしくなったのか頬を赤く染めながら視線を彷徨わせていた。
「あ、あはは……で、でも、私はアッシュさんのそういうところに魅力を感じたので……だから、つい……」
クロエはえへへ、と照れたように笑いながら身長の関係で上目遣いをするようにアッシュを見上げた。
美少女と言っても差し支えのないクロエがそうした仕草をすると大変可愛らしいものだった。
またクロエは未だにアッシュの手を取ったままであり、照れたこともあってかより力を入れてしっかりとその手を握った。
無自覚に人を勘違いさせる姫ムーブを決めるクロエに、アッシュはクロエの将来を少しばかり心配になりながらも立ち直ったなら大丈夫だと判断して大聖堂での出来事をもう少し詳しく聞くことにした。
「そうか……そうか。まぁ、それは置いておくとして。大聖堂で何が起きたのか、聞かせてもらっても良いか?」
「あ、はい……その、両親かもしれない二人は、その……私のことを愛しの娘、と言って出迎えてくれました」
その時の雰囲気や表情は本当に娘を迎え入れる両親のようだった、という言葉を続けてからクロエは更にこう言った。
「でも、だからこそ両親ではないと確信してしまったのです。それに、両親だとはどうしても思えなくて……」
「あぁ……直感も込みか。けど聖女候補って言われる人間の直感ならそれなりに信憑性はありそうだ」
「あはは……本当に何となく、そう思えた。というだけなのですけどね。それでも……あの方たちの言葉を聞いて、違うのだと確信すると同時に今までに感じたことのない嫌な感覚がしたのです」
クロエはあの嫌な感覚が何なのかわからなかった。だがアッシュの言葉を聞いてあれこそが人の悪意、人の悪性なのだと考えていた。
それを聞いてアッシュは納得したように一つ頷いてからこう言った。
「悪意を感じ取れたってことだな。その感覚は覚えておいた方が良いぞ。今後はどういった人間と出会うかわからないにしても、人の悪意に敏感になれば事前にその悪意から逃れられる可能性もあるからな」
アッシュとしては現状クロエをそこまで心配する義理はない。だがルキやシャロにそうするように子供には弱いのがアッシュだ。
自分よりも年下で、更に小柄なクロエに対してついつい世話を焼いてしまうのも仕方のないことなのかもしれない。
「そう、ですね……アッシュさんがそう仰るでしたらそうなのかもしれません。肝に銘じておきます」
「あぁ、そうしておいてくれ」
そして忠告をすんなりと聞き入れるクロエの姿に満足そうに頷いてから更に言葉を続けた。
「で、何時まで俺の手を取っておくつもりだ?」
「え? あ、す、すいません……!」
アッシュに言われてから気づいたのか、クロエはパッとアッシュの手を放すといつまでもアッシュの手を取っていたことが恥ずかしくなったのか真っ赤になって俯いてしまった。
だがすぐにもじもじとしながらアッシュの様子を窺いながら、目が合えばまた俯いてしまう。という行動を繰り返していた。
そんなクロエの様子を見て、アッシュは苦笑を浮かべながらこう言った。
「そういう乙女な反応も随分と板についてるって言うか、似合ってるって言うか。まぁ、何にしてもそういうのが好きだって人間もいるから、あんまり無防備な姿を見せるのはやめておけよ」
「無防備な姿を見せるのは、大丈夫だと思った方の前だけにするように、とミザリーさんに言われているので大丈夫です。もしくは、その、えっと……そ、そういう無防備な姿を見せても良いと思えるような方の前なら、とか……」
つんつんと人差し指を突き合わせながらアッシュをチラッと見てそう言ったクロエは耳まで赤くなっていた。
特に鈍感、ということもないアッシュはその仕草を見てクロエの自分に対する好意が妙に大きくなっていることを察した。
旅の間はそれなりの会話はしていたが特に仲良くなれるようなこともなく、そして聖都に辿り着いてからはこうして話をしただけだった。
そのことを考えて、もしかしてクロエは非常にちょろい人間なのではないか。と考えると同時に頭が痛くなっていた。それはクロエの身を案じて。というよりも自分に対して妙に好意的な、もしくは明確な好意を示す人間の低年齢化によるものだった。またこの時点でアッシュの目が微妙に死んでいたのだがクロエは気づく様子はなかった。
「あ、あー……そうだ。少しクロエに協力して欲しいことがあるんだけど、少し話を聞いてもらっても良いか?」
そんなアッシュだが、とりあえず色々と気にしないようにしながらクロエの協力を取り付けるために話をすることにした。
「協力、ですか。わかりました、私に何が出来るのかわかりません。ですが、話を聞かせてください」
アッシュの言葉を聞いたクロエは非常に協力的な姿勢を見せながらそう言った。
この様子ならクロエはすんなりと協力してくれそうだ。そう考えながらアッシュはこれまでの話をすることにした。
ぎゅんっぎゅん好感度が上がるよ。
慰める必要はあまりなくても、その心遣いが嬉しい子です。




