6.女神イシュタリア
結果を言ってしまうとシャロの説得は比較的簡単に終わった。
あれやこれやと話をするよりも実物を見た方が早い。と伝えると零信全疑といった様子だったがゴブリンの群れから助けられた。と考えているらしく多少は人間的に信用しようとしている。ということだ。
何にしても面倒な手間が省けて助かった。そう思ってアッシュは内心で胸を撫で下ろした。
そうしてアッシュはシャロを引き連れて自宅へと戻って来ていた。
外観は王都で一般的な一軒家ではあるが、イシュタリアが入り浸るせいで神域もどきになっているらしく容易に人が近づくことが出来なくなっている。
とはいえあまり範囲が広くても迷惑でしかないので家に入れない。という程度にイシュタリアには範囲を狭めるようにとアッシュが頼み、イシュタリアは片手間にその要求に応えていた。
「ほら、ここが俺とルキの家だ」
「ここが……えっと、本当にイシュタリア様がいらっしゃるのでしょうか?」
ざっと外観を眺めてからこんな普通の一軒家に女神がいるのか、と信じられないようにシャロが言った。
確かに普通に考えればあり得ない話なのでそういった反応も仕方のないことだった。
だが事実としてイシュタリアはこの家の中にいる。
「ルキ」
その確認のためにアッシュがルキの名前を呼べば、ルキは眉を顰めてから言葉を返した。
「クソ女神の匂いがする……!」
それからルキは小さくグルルと唸った。そうして唸るのもある意味ではいつものことなのでアッシュはため息を一つ零してから扉の前に立ち、鍵穴に向けて手を翳してからパチンッと一つ指を鳴らした。
「あ。今のって解錠の魔法ですか? 一動作で使えるということは随分と慣れているんですね」
本来魔法というものはどうしても詠唱であったりスキルと同様に引き金となる宣言が必要になる。
それを指を鳴らすという動作一つで行ったアッシュを見てシャロは、自分では一動作で魔法を使うことは出来ないのにこの人はそれが出来るのか、心底感心してそう口にしていた。
「あぁ、ついでに言えば施錠も魔法でやってるから俺よりも魔法の実力が上の魔法使いでもなければ解錠は無理だ。ただルキには意味がないんだけどな」
「意味がない、ですか? それは一体……」
アッシュがシャロの疑問に答えても良いものかと考えていると、そんなアッシュの脇をするりと抜けたルキが扉を勢いよく開けてからずんずんと家の中に入って行った。
それを見て、やっぱりこうなるよな。と思いながらアッシュは家の中に入ることにした。
「シャロ、ついて来てくれ」
「あ、はい、わかりました」
シャロとしてはルキのいきなりの行動に戸惑うばかりだったが、場の勢いに流されるままにそう言葉を返してアッシュに続いた。
アッシュとシャロが家の中に入るとルキの怒鳴り声が聞こえてきた。
何処から聞こえてくるのかと声のする方に進むとそこはリビングだった。
この世界らしくない、ソファや背の低いテーブルなどが置かれたアッシュが自身の前世のものに似せたそこではルキが非常に憤慨した様子でソファに向けて吠えていた。
「このクソ女神!! お前はまたそうやって俺がアッシュから隠しておいた菓子を見つけては食いやがって!!」
「あら、私への貢物かと思ってたんだけど違ったのかしら? まぁ、あれよね。見つかるようなところに隠した貴方が悪いんじゃないの?」
耳に心地よく、聞く者を魅了するような澄んだ声が聞こえた。しかし、言葉の内容のせいでそんなことは起こらないなんとも言えない残念な気持ちになるその声を聞いてアッシュは呆れたようにため息を零した。
そしてシャロは何とも言えない微妙な表情を浮かべてどういうことなのか、とアッシュを見上げていた。
アッシュはそんなシャロに対して小さく首を左右に振ってルキの様子を見守ることにした。
「んだとぉ!?」
あの声の主こそがイシュタリアなのだがその姿は見えない。
その理由は簡単なことでイシュタリアはソファに寝転がっているせいで姿が見えないだけということだ。
「あの、アッシュさん……女性の声はするのですけど、姿が……」
「あー……まぁ、駄女神らしいといえば駄女神らしいか……」
それに気づかない。というよりもイシュタリアがソファに寝転がっているなどと思いつかないシャロがキョロキョロとリビングを見渡しながらそう言ったが理由に心当たりがあるのでアッシュはついそんな言葉を零してしまった。
「イシュタリア。俺とルキ以外にもいるんだけどな」
「はぁ!? ちょっと聞いていないわよそんなこと!?」
アッシュの言葉を聞いてソファに寝転がっていたために姿が見えなかったイシュタリアが跳ね起きた。
夜を彷彿させる美しい黒髪に、この世界の誰もが見惚れてしまうような容貌をしている女神。なのだが。
状況が状況なのでその容貌に見惚れる者はいなかった。つまり、シャロも見惚れるよりも困惑するしかなかった。
これがこの世界で最高位の女神として多くの信仰を集めている美の女神イシュタリアだというのだから残念でしかない。また美の女神どころか勝利や豊穣、慈愛の女神としても知られているのにこの有様というのはどうなのだろうか。と考えながらアッシュはルキの隣へと進んだ。
「言ってないからな。まぁ、ルキが口を滑らせて、その説明が面倒だったからお前に引き合わせて口止めをしてもらおうと思ったんだ」
「あぁ、そういうこと。確かに私ならそのくらい簡単なことだけど……流石に見返りも何もなしには出来ないわよねぇ?」
「ルキが戸棚に隠してた菓子食っただろ」
「それはそれよ!」
「うっそだろ!? ばれてたのかよ!?」
対価を求めるイシュタリアにルキの菓子が対価で良いだろ。ということをアッシュが言うとイシュタリア以上に反応を示したのはルキだった。
戸棚という非常にわかりやすい場所に隠していたのだからアッシュが気づけて当たり前なのだが、ルキとしては見つからない自信があったのか非常に驚いていた。というよりも信じられないというような表情を浮かべてアッシュを見ていた。
「あんな場所に隠せば誰でもすぐに気づくと思うぞ。それよりもイシュタリア。さっさと説明と口止めをしてくれるか?」
「だからそれには対価が……」
「ルキ、夕食はイシュタリアの分まで食って良いぞ」
「マジか!! それなら菓子くらい別にどうでも良いな!!」
ルキは信じられないという表情が一瞬で嬉しそうな表情に変わり、キラキラと瞳を輝かせた。
「はぁ!? 夕食抜きとか女神に対する冒涜も良いところよ!?」
「うるせぇ! 晩飯の肉は俺のもんだからな!! っていうか野菜も果物も必要なし!!」
「何言ってるのよ!! お肉も良いけど野菜と果物のない食事なんて認めないわよ!?」
「はぁ!? 肉があればそれで良いだろうが!! 野菜とか果物とか食った気のしねぇもんなんか必要ねぇだろうが!!」
「何ですってぇ!?」
「んだとぉ!?」
だがすぐにルキとイシュタリアは額を突き合わせてお互いの意見というか考えをぶつけ合うようになっていた。
料理担当のアッシュとしてはルキの意見よりもイシュタリアの意見に完全に同意だった。栄養面のことを考えてルキは普段からもっと野菜や果物を食べるようにするべきだと思っていたからだ。
ただ、この世界には栄養バランスに関して考えている人間はあまりいないのでその辺りの説明をしてもルキやイシュタリアはあまりピンとこないのがアッシュのちょっとした悩みだったりする。
「何だ、ルキとイシュタリアは昼食も夕食も抜きの方が良かったか?」
「たまには野菜も果物も食う必要はあるよなー!」
「そうよ! あ、でもお肉を食べることも必要だと思うわよ?」
そんな悩みを抱えつつ、アッシュがルキとイシュタリアに昼食と夕食抜きにするぞ。と言うと手の平反して二人は意見を変えた。
「だよな! とりあえず今日は昼飯も晩飯も肉多めで……やさいとか、くだものとか、そういうのもありでたのむぞ」
だがルキの言葉は後半の本当は言いたくないが言わなければならない。とでも言うように酷く棒読みだった。
それほどまでに肉以外を食べるのが嫌なのか、とアッシュはため息を零しつつ、食事のことになるとこの二人は結託するのだな。と呆れてしまう。
「はぁ……まぁ、良いけどさ。それで、さっきからイシュタリアを見て固まってるシャロのことは任せても?」
「シャロ?」
アッシュがシャロの名前を出すとイシュタリアは意外そうにしてシャロへと目を向けた。
そして少し驚いたようにしながらも何かに納得したように一つ頷いてからソファから立ち上がり、シャロの下へと進んだ。
「シャロ、久しぶり……というほど時間は経っていないわね」
「は、はい!!」
「貴方に神託を与えたのは私だけど、まさかここまで早く行動に移るなんて思ってもいなかったわ」
「イシュタリア様からの神託であればすぐにでもと思いまして……!!」
非常に恐縮してしまった様子のシャロはこれぞイシュタリアの信徒の正しい姿、という風にも思えた。
もしイシュタリア様へと拝謁する機会があれば、とイシュタリア教の信徒にとっては当たり前にしてしまうような妄想が実現してしまった。
そうなると脳内でもしその機会があればこんな言葉を口にしたい。などと思っていたことが出て来なくなるのも当然のことだ。
シャロは今まさにそういった状態でこういう場合は余計な手助けをするよりもイシュタリアにでも全て投げ出してしまえば良い。と思いやりと面倒だという考えが入り混じった考えでアッシュはそう結論づけた。
「さて……シャロのことはイシュタリアに投げておいて。ルキ、昼食の準備をするから手伝ってくれ」
「仕方ねぇなぁ……野菜とか食うから肉増量な!な!!」
「はいはい……確かベーコンの塊があったからそれを……」
シャロとイシュタリアをリビングに残して、アッシュとルキはキッチンへと向かった。
それからアッシュは玩具箱ではなく氷の魔石を組み込むことによって作られた冷蔵庫もどきを開いてから確認するとお目当ての物があった。
珍しい食材であれば状態をそのままに保存することも出来る玩具箱の中に収めることもあるのだが、こうした普通の食材であれば冷蔵庫もどきに収めるようにしている。
そうしてベーコンの塊を手に取ったアッシュを見てルキがこれだけは言わなければならない。と思いながら我慢ならない様子で口を開いた。
「薄く切ったり小さく切ったりはなしだぞ!」
ベーコンとはいえ肉の塊には違いないのでルキとしては食べ応えがある方が良いのでなるべく大きく、厚くしたい。と考えてのことだった。
普段からアッシュは火が通り易いようにある程度は薄く、小さく、ただそれでも食べ応えがあるようにと気を付けていたのだがルキにとっては全然物足りなかった。
「なら自分の分は自分で切ってくれ。その方が良いだろ?あ、焼くのも自分でやれよ」
それならば好きにやらせてみるか。とアッシュは思いながら火の魔石を組み込んで作られたコンロもどきに火をつけ、フライパンを熱しながらルキに言った。
「よっしゃ! だったら先に必要な量だけ切ってくれ! 残りは俺が焼くから!!」
「……そこで切るとか言わずに焼くって時点でな……」
切るのではなく焼く。ということを口にしたルキは塊を塊のまま焼くつもりだった。
確かにそれであれば食べ応えに関しては満点なのだろう。ただそうすると焼くのが面倒になるな、と思いながらアッシュは言葉を返した。
「はぁ……まぁ、良いけどさ。今日は落ち着いたら買い物に出ないといけないかもしれないなぁ……」
「肉な!」
「他にも色々だ」
非常に楽しそうに耳と尻尾を動かしているルキはベーコンの塊を今か今かと待っているようで、その様子にアッシュは苦笑を漏らしてしまう。
そうしながらアッシュは手は休めずにベーコンの塊から必要な分だけを切り取、残りをルキに渡すとルキは脂が少量だけ引かれたフライパンにその塊をぶち込んだ。
肉の焼ける音と匂いがキッチンに広がり、それと同時にルキのお腹が鳴った。
ぐぅー、となるのではなく、くぅ、と小さくなったそれにアッシュは思わずといった様子で噴き出してしまった。
「随分と可愛らしい音だな?」
「うっせぇ! 別に腹が鳴るくらいは普通だし良いだろうが!!」
アッシュが噴き出してしまったことと、可愛らしい音だ。と言ったせいでルキは恥ずかしくなったのか顔を赤らめながら、それを誤魔化すように吠えた。
だがその手はベーコンが焦げ付かないようにと丁寧にベーコンの塊をひっくり返していて、肉の調理に関しては本当に慣れていることが窺えた。
「そうだな、普通だったな。まぁ、そうやって塊を食えるならルキだって満足するだろ? それと、腹の虫もな」
「ぐぬぬ……! そうやってちくちく言ってくる辺りとかアッシュは意地悪だよな……!」
「あぁ、貧民街育ちのろくでなしだからな」
言ってアッシュは肩を竦めながら昼食の準備を進めていく。またそんなアッシュの隣ではルキが唸りながらベーコンの塊をせっせと焼いていた。
そして貧民街で生活していた頃では考えられないようなこれは存外悪くないとアッシュは感じていた。それと同時にこうした日常が続けば良いと思っていた。
またルキも赤くなって唸り、アッシュを睨むようにしていたがこうしたアッシュとの戯れは好ましく思っていた。
だからこそ、少しするとアッシュを睨むのをやめてルキは頬を緩ませた。
そんなルキに対してアッシュは視線を向けてからその様子を見て、ルキと同じように頬を緩ませた。
女神が女神らしくないのがなろう系だと勝手に思ってます。




