55.大惨事と見ないフリ
ルキが尻尾をブンブンと振り回し、幸せオーラどころかハートでも飛ばしそうな勢いでアッシュに甘え始めた状況から時は少し流れ。
食事風景は全て省略して現在は食後のお茶を楽しんでいるところだった。いや、純粋にお茶を楽しむことが出来ている人間はそこにはいなかった。
その原因は先ほどから、食事中も今もずっとアッシュに引っ付いて全力で甘えているルキと最初はそうでもなかったが徐々に目が死んでいき、現在は目のハイライトが完全に消え去ったアッシュだった。
甘えるといっても撫でて欲しいだとか褒めて欲しいだとか、あれこれと要求しているわけではなく、アッシュの膝の上に座ってぎゅっと抱き着き、アッシュの胸に顔を埋めてたまにぐりぐりと顔を押し付けて匂いを堪能している。という自分たちは何を見せられているんだろうか、と思えてならない光景だった。
「シャロ、あれってどうなってるの?」
「ルキさんの主様大好きという感情が暴走している、とかでしょうか……?」
「確か遠征に出た先輩の騎士が実家に帰った時に愛犬があんな感じだったって話を聞いたような気がするんだけど……」
「犬と同じ扱いってルキに怒られそうな気がするんだけど……っていうか、アッシュは大丈夫なのかな? 何て言うか……目が死んでるよね……?」
シルヴィアはそう言ってからアッシュとルキへと視線を向けた。
アッシュはやはり目が死んだ状態になっていたがもはや今の状況を諦めてしまったのか大きなため息を零してからルキの頭を撫でていた。
するとルキは幸せオーラとハートを増し増しで振りまき始めた。
「え、えーっと……あれって放っておいても良いのかな……」
「本人たちが問題ないのであれば放っておいても大丈夫なのではありませんか? とはいえ、教会の敷地内ですのでもう少し慎みを持っていただきたいとも思うのですが……」
「それはそうかもしれませんね……でも、その……ルキさんは自分が甘えたい時に甘える、と断言していましたから私たちが何かを言ったとしてもきっと意味がないと思います……」
そんなルキを見てシルヴィアはどうにかしなければならないのでは? と思い言葉を零した。
するとミザリーが少しだけ眉を顰めながら口を開き、それに対してクロエが微妙に言い難そうにしながらきっと意味はないのだと言った。
それははっきりと言われてしまったから、というよりもあれだけアッシュのことが大好きなのだと言葉と行動と雰囲気で誰が見てもわかるほどに全力でアピールされては何も言えない。
もしくはあの二人には近寄りたくないので何も言えない、とするのが正しい可能性もある。
「そうですか。ではあれは気にしないようにしましょう。視界の端に映っても何もない、ということにします」
「放っておいても良いのかなぁ……」
「アッシュの目が完全に死んでしまっているからね……でも、今のあの空間には近寄りたくない、かな……?」
「でもあれって主様がルキさんを優しく抱き留めて頭を撫でる、ということをしたからルキさんは何だかハートが沢山飛びそうな状態になっていたので、ある意味では自業自得かもしれませんね」
「あー……確かにアッシュさんがそうしてからルキさんはすごかったですよね……自分でもおかしなことを言う自覚はありますが、ルキさんの瞳の中にハートが浮かんでいるような錯覚をするくらいでしたから……」
話をすればするほどにルキの様子が何かヤバいのでは? という感想しか出てこないのだが、あくまでもアッシュに甘えているだけ、ということもあって放っておいても良いかな、寧ろ放っておいた方が良いのかな。という考えが五人の間に流れていた。
「……そっとしておこうかな、うん」
「そうだね、そっとしておくことも大事だからね」
「えぇ、そっとしておきましょう。関わるべきことと、関わるべきではないことの判断を見誤るわけにはいきません」
「え、あ、い、良いのでしょうか……?」
「んー……大丈夫だと思いますよ。ただルキさんが満足したら次は私の番ですから早く終わって欲しい、という気持ちはありますけど」
全員で放置を決定しているところにシャロが次は自分だ、と言ったことでその場の全員の視線がシャロへと向けられていた。その視線には何を言っているんだ、という想いが込められていた。
それに気づいているのか、気づいていないのか。シャロは言葉を続ける。
「まぁ、流石にルキさんのように主様に甘えることはありませんけど、撫でてもらうくらいは良いですよね!」
「え、あ、うん、そう、だね……」
「良い、んじゃないかな……? いや、本当に良いのかちょっとわからないけど……」
「……大丈夫なのですか? シャロさんのその行為がルキさんの行動を助長するようなことにならなければ良いのですが……」
「ルキさんなら対抗するとか、自分はもっと甘えるとかしそうな気もしますね……ルキさんはアッシュさんのことが大好きなようですから……」
ふんすっ、と自分は正当な意見を口にした。というようなシャロに引き攣った表情でシルヴィアとアルトリウスが言葉を返し、ミザリーとクロエはひそひそと言葉を交わしていた。
しかしこの話題を続けることの無益さと無意味さ、それから自分には関係ないこととして割り切ったミザリーは思い切って本来しておかなければならない話をすることにした。当然、アッシュとルキには聞こえないであろうことを理解していたが、その辺りはシルヴィアやアルトリウス、もしくはシャロが話すはず、と考えながら。
「とりあえず今の話は置いておくとして。クロエ、シルヴィアさんたちがあなたを聖都まで連れて行ってくれる、という話になりました」
「あ、強制的に話題を変えるんだ」
「シルヴィア様、今は黙っておいた方が良いですよ」
強制的な話題変化にシルヴィアが率直な感想を口にするとアルトリウスが静かにそれを諫めている。そんな二人を気にすることなくミザリーは言葉を続ける。
「シルヴィアさんとアルトリウスさんがそうする、と決めたのですからアッシュさんたちも反対はしないでしょう」
「そう、ですか……聖都に、向かえるのですね……」
ミザリーの言葉に、何か思うところがあるのかクロエはそう言って胸元で両手をぎゅっと握り締めていた。その声には聖都に向かえる、つまりはもしかすると両親に会えるのかもしれないという喜びと、果たしてそれが本当の両親なのか、また旅の最中に何かトラブルなど発生するのではないか。といった不安が入り混じっていた。
そんなクロエの不安を感じ取り、これはどうにか励ますなりフォローをしなければ! と謎の使命感に駆られたシルヴィアが口を開いた。
余談だがそんな謎の使命感に駆られた理由はシルヴィアにとってのクロエは幼い少女でしかなく、庇護の対象のように感じていたからだ。そんなクロエが不安そうにしていればそうした謎の使命感に駆られてしまうのも仕方のないことなのかもしれない。
「聖都までの旅路は何かあっても僕たちに任せてよ! って、僕が言える立場じゃないのかもしれないけど……」
そう言ってからシルヴィアは苦笑を漏らしながら頬を掻いた。
「あはは……確かにシルヴィア様や僕の言えることじゃないかもしれないね。でもアッシュたちに任せるだけじゃなくて、僕らも何かあれば守るから安心して欲しいかな」
シルヴィアに続くようにアルトリウスがそう言って、シルヴィアと共にクロエを見ると一瞬呆けたような雰囲気を見せていたクロエはすぐに口元を緩ませ、何処となく安心したようにこう返した。
「そう、ですか……それなら安心ですね。でもお二人に迷惑をかけないように私も気を付けますから、よろしくお願いします」
クロエの雰囲気は非常に穏やかなものになっていて、クロエを見てシルヴィアは安心してほっと一息つき、アルトリウスはそんな二人を見て同じように一息ついていた。
そうした会話をする三人を温かな目で見ていたミザリーは一つ咳払いをして口を開く。
「コホン……さて、ではアッシュさんたちにはまた後ほど話をするとして……クロエ、準備は既に出来ていますね」
「あ、はい。そうした話があってから持ち物の準備だけはしてあります。ですが……」
「えぇ、わかっています。村の方々に挨拶をして来ると良いでしょう。この村に戻って来るとしても、戻ってこないとしても、村から一度離れるのであれば必要なことですからね」
「はい、わかりました。えっと……」
「片付けはこちらでしておきますからクロエは村の方々へ挨拶をしに行ってください。シルヴィアさんたちはあくまでも休憩するために村に立ち寄っているのですから、あまりお待たせしては申し訳ありませんからね」
「すいません。それから、ありがとうございます。シルヴィアさん、アルトリウスさん、シャロさん、私は少し失礼しますね」
「あ、うん。それじゃ、また後でね」
「しっかり挨拶してくるんだよ」
「はい。あ、でも急いで挨拶が疎かにならないようにしてくださいね。ある程度なら時間がかかっても大丈夫のはずですから」
「ありがとうございます!」
そんな言葉を交わしてからクロエは何度も頭を下げながら出て行った。
これからクロエは村中を歩き回って聖都に向かうことを報告し、別れの挨拶をしなければならない。今生の別れになるのかもしれない。一時の別れで済むのかもしれない。どちらにしても別れの挨拶は必要だ。
そうしてクロエを見送ってから四人が視線を合わせるとシャロが口を開いた。
「それでは、片付けをしましょうか」
その言葉に三人は頷いて立ち上がった。そして片づけをしていくのだがシャロ以外の三人はなるべくアッシュとルキを視界に入れないようにしていた。
何と言えば良いのか。今のアッシュと目が合って助けを求められたとしても助けることは出来ない。というよりもあまり関わりたくなかった。
しかし次は自分の番だ! と考えているシャロだけは時折二人へと視線を向けてはまだかな、まだかな? とわくわくしながらルキが満足するのを待っていた。
とはいえアッシュが以前言ったようにルキはこういった場合は際限がないので片付けをしている間に終わることはない。いや、寧ろ出発の時間になったとしても離れるかどうかは怪しかった。
目にハートのショタが全力で甘えてくるとかご褒美ですよね? ね?
まぁ、アッシュこのレベルなら人目のないところでして欲しいんですよ。社会的に死ぬかもしれないので。




