幕間 帝国軍
ウルシュメルク王国から遥か北方。ラティスカヤ帝国の首都スヴェンヤヴィト。
皇帝の住まう城の一角。帝国軍の幹部が集まる会議室に三人の人影があった。
一人目はゼノヴィア。酷く苛立った様子で親指の爪が噛みながら部屋の中をうろうろと歩き回っていた。
二人目はイリエス。小さな器に入ったジャムをスプーンで掬い、それを口に含んだ後で温かな紅茶に口を付けていた。
そして三人目はカルナ。椅子に腰かけ、紙の束―――ウルシュメルク王国にて行われたゴブリンの進攻による自軍の被害をまとめた報告書を呼んでいた。完全に蛇足だが、そうして報告書を読むカルナの足はまだ子供と言うこともあってか床にはついていない。
そんな三人は誰一人として言葉を交わさず、報告書を捲る音、時折イリエスの持つスプーンと器の当たる音、ゼノヴィアの歩き回るヒールの音だけが部屋の中に響いていた。
「…はぁ……ゼノヴィア。少しは落ち着いたらどうかしら」
「これが落ち着けるか! 王国にはほぼ被害なし! 私の駒のゴブリンはほぼ壊滅して用意したオークは一割が殺された! 更に言えばニーズヘッグには契約違反だと契約を破棄された!!」
「そうね、えぇ、それは大変ね。でも魔物が死んだ程度で吠えないでくれるかしら? それにゴブリンは何処にだっているんだから簡単に集まるはずよ」
「当然だ! だが私が言いたいのはそんなことではない!!」
自身の感情を抑えることなく激昂するゼノヴィアにイリエスは冷めた視線を送り、興味などない。と態度で示すように紅茶へと口を付けた。
「ニーズヘッグか」
しかし代わりにカルナが口を開いた。
どうやら報告書を読み終えたようで報告書の束は机の上に無造作に置かれていた。
「あぁ! そうだ!! ニーズヘッグだ!!!」
ゼノヴィアはそう叫びながら机を両手で思い切り叩き、更に言葉を、というよりも慟哭のような言葉を続けた。
「奴との契約にどれだけの部下を使ったと思っている!?」
「使い捨てた、の間違いじゃないかしら。死者は総数五千人、負傷者は重軽傷合わせて八千人くらいだったわね。まったく……見事に自分の部下だけじゃなくて他の人の部下まで全て使い捨てたものよねぇ?」
「うるさい! あいつらが束になったところでニーズヘッグの足元にも及ばない!! ならばニーズヘッグを選んで当然だ!!」
「そんなのだから貴方のところには人間の部下がいないのよ。ゴブリンやオークを主体にした使い捨ての軍団なんて面白みのないことこの上ないわ」
「面白みなど必要ない! 使い捨てたとしてもまた集めれば良いだけで帝国の被害にはならない駒を使って何が悪い!?」
「悪いなんて言ってないじゃない。まぁ、まともに人と接することの少なくなった貴方がゴブリンやオークで自分を慰めているんじゃないかって噂になる程度のことしかないもの」
嘲るようにイリエスが噂話を口にするとゼノヴィアは怒りに赤くなった顔をこれ以上赤くなることはないと思えるほどに赤くして叫ぶ。
「ふざけるな!!! まともに使えない人間の代わりに使い捨ての戦力として使える魔物を使っているだけだというのにそんなくだらない噂が流れるだと!?」
「えぇ、貴方が使い捨てにした部下の生き残りや、貴方の作戦に引っ張り出されて被害を受けた兵たちが噂してたわね。どうせ魔物の相手をするくらいなら自分たちの相手をして少しの償いくらいして欲しい物だ、なんて」
「あの屑共がぁ!!!」
噂の出所を聞いたゼノヴィアはそう叫び、今すぐそいつらをぶち殺す! と考えたのか扉を開けて外に出ようとした。
だがそれを遮るようにカルナが口を開く。
「ゼノヴィア」
名前を呼んだだけ。たったそれだけのことでゼノヴィアはドアノブにかけた手を止めた。
「アッシュはどうやってニーズヘッグを撃退した?」
その問いにゼノヴィアは少し考え込み、そして口を開く。
「…………ニーズヘッグと少しだけ言葉を交わしていた。いや、あの男にニーズヘッグの言葉が理解出来たとは思えない。ただ一方的に退けと、そう言っていた」
「言っただけ? ニーズヘッグの反応はどうだったのかしら?」
「恐れていた。まるで決して対峙してはいけない何かに出会ったような。確実な死が迫っているような。明確な終わりに遭遇したような……」
「……まさか龍殺しの系譜かしら?」
ゼノヴィアがニーズヘッグの反応を思い出しながら、それを見た自分がどう感じたかを口にするとイリエスは心当たりがあるようにそう言った。
するとゼノヴィアが眉を顰めながらその言葉にこう返す。
「龍殺しの系譜といえは王国では……カレトヴルッフだったか?」
「騎士の一族か。だがアッシュはカレトヴルッフの一族だとは思えないな」
カレトヴルッフとはウルシュメルク王家に代々仕える騎士の一族であり、その始祖が当時の王の護衛をしている際に遭遇した龍を単独で殺した、という逸話を持っている。
その龍が絶命する直前でカレトヴルッフの始祖に対してある呪いをかけた。それは自らを死に至らしめた賞賛として龍殺しの力を与えるものだった。
龍殺しの力とは龍と戦えば必ず勝てる力、ということではなく龍に対して本来以上の力を発揮することが出来る、龍の攻撃を軽減することが出来る、といった程度のものでしかない。
そのためカレトヴルッフの一族は自らの研鑽を怠らず、自身の力と龍殺しの力。その二つを持って単独で龍種と戦える、ウルシュメルク王国でも貴重な人材として重宝されている。
だからこそ三人にはそんなカレトヴルッフの人間が騎士にならず、また敵であるカルナたちと軽やかに言葉を交わし、また立ち去ることを良しとするとは思えていなかった。
「龍殺しの系譜だとして、ニーズヘッグがあれほど怯えるとは思えない……もっと別の何かがあると考えるべきではないのか?」
「別の何か、ねぇ……カルナ、思い至ることはあるかしら?」
「……俺に授けられている太陽神の加護のように、龍殺しに関する加護や祝福を授けられている可能性がある。と考えるべきか」
「待て! あの男が加護や祝福持ちだと!?」
「あぁ……確かにその可能性はあるわね……そういえばカルナ。どうして私では勝てない、何て言っていたのか聞いても良いかしら?」
アッシュが神からの加護や祝福を授けられている可能性がある、という考えに至ったゼノヴィアは驚愕し、イリエスは何処か納得した様子だった。
だがすぐにあの時にカルナに言われたことに関してどうしてそう判断したのか、と問う。
「気づかなかったのか、イリエス。アッシュから感じられる神性はお前よりも遥かに強い物だった」
「どういうことかしら。私は何も感じなかったわよ」
「そうか。だが事実だ。あれは俺と同じか、それ以上の神性だった。まともに戦えば俺が負けていただろうな」
その言葉にゼノヴィアは絶句し、イリエスはスッと目を細めてから言葉を返す。
「本当に? はっきり言って貴方の授けられた加護は皇帝とも互角に戦えるようになるほどのものよ」
「そうだな、俺は皇帝とも互角に戦うことが出来る。だがアッシュは別格だ」
「カルナがそこまで言うような存在なのかあの男は!?」
「あぁ、イリエスに感謝するんだな、ゼノヴィア。もしイリエスが介入しなければお前は今頃投獄され情報を引き出すための拷問を受けていたはずだ」
投獄され拷問を受けていた、という言葉を聞いたゼノヴィアは一気に青ざめ、イリエスを見る。
「そうね……まぁ、その前に手足の骨を砕かれる程度のことはしたんじゃないかしらね」
「何をしてアッシュの怒りを買ったのかは知らないが……今回は見逃されたが許されたわけではないはずだ」
「ま、待て……それは、まさか……」
「もし次に顔を合わせるようなことがあればどうなるかわからない、ってことよね。あの時はどうにも憲兵にでも突き出すつもりだったみたいだけど……」
「そうした理由がないのであれば殺されてもおかしくはない。せいぜい二度目がないことを祈れ、ゼノヴィア」
二人の言葉にゼノヴィアは膝から崩れ落ちるようにしてへたり込んでしまった。
そして自らの足を踏み砕こうとしていた時のアッシュを思い出したのか小さく震えてカチカチと歯を鳴らしていた。
「……余程恐ろしかったみたいね」
「ニーズヘッグが怯えて逃げた、ということもあってゼノヴィアにはそれほどアッシュに対して強い恐怖を抱いてるのか。ゼノヴィアを王国領での任務に就かせるべきではないかもしれないな」
「ないとは思うけれど……彼と遭遇すると不味いものね……それ以前にゼノヴィアの駒が集まるまでは任務にも就けないでしょうし」
イリエスが不味い、と言っているのはゼノヴィアの安否ではなく任務が遂行出来なくなる可能性を考えてのことだった。また任務にも就けないと言いながらゼノヴィアを見る目は何処までも冷たく、まるで路傍の石ころを見るような目だった。
「はぁ……どうしてゼノヴィアが幹部に成れたのか不思議だわ。この子、本質は三下よ?」
「一度に数千の魔物を操ることが出来るからだ。使い捨てに出来る戦力を使い圧し潰し、残党を兵たちに狩らせる。それによって帝国への被害を少なくすることが出来る」
「はいはい。まぁ、ニーズヘッグの為にその兵を使い潰した時点で私はあまり良い気はしていないわ」
「知っている。それにそれは当時ゼノヴィア一撃入れることで手打ちとしたはずだ」
「えぇ、頭蓋を砕くつもりで顔面に拳を振り抜いたわ。生きているのが奇跡だ、なんて話だったわね」
「そうか。ゼノヴィアは悪運が強いらしいな」
「さぁ? それはどうかしら」
言いながら二人がゼノヴィアを見ると、ゼノヴィアはそれに気づいたのか二人を見て、怯えたように後ずさりをして二人から遠ざかろうとする。
「本当に、滑稽で、虫唾が走るわ」
「イリエス。今はまだゼノヴィアを失うべきではない」
「わかってるわよ。今はまだ、ね」
「ヒィッ……!」
今はまだ、ということはいつか失っても問題ないと判断されれば切り捨てられる。そう感じたゼノヴィアは自身を見る二人に恐怖を抱いて喉が引き攣ったような悲鳴を漏らしてしまう。
そんなゼノヴィアを見てイリエスは大きなため息を零してこう言った。
「はぁ……まぁ、良いわ。それよりもカルナ、貴方は聖都に行くことを忘れてないわよね」
「覚えている。準備が出来次第向かうつもりだ」
「そう、それなら良いのよ」
言ってからイリエスは立ち上がり、扉へと向かった。
「ゼノヴィア。片付け、お願いね」
お願いのような言葉は、しかし拒否を許さないような力が込められていてイリエスはそのまま部屋を出て行く。
それを見送ったカルナも同じく立ち上がり部屋から立ち去る。その際に一度だけゼノヴィアに視線を向ける。これは本人的にイリエスからの扱いに関して同情するような意味を込めてのことだったがゼノヴィアはそうは受け取らなかった。
いつも通り表情一つ動かさないカルナに見られたゼノヴィアは更に怯えるばかりで、最終的にはへたり込んで震えるゼノヴィアだけが部屋に残された。
ゼノヴィアは三下ってことをアピールしなきゃ。




