37.逆鱗に触れる愚かしさ
アッシュはルキのその軌跡は流星の如くによる爆炎と爆風を自身の前に障壁を張ることで防ぎ、それらが収まるのを待ってから周囲を見渡した。
周囲には瓦礫や無残な姿となったゴブリンの残骸が転がっていて、もし閉ざされた箱庭にで結界を張っていなかったらどうなっていたことか。とアッシュは自身の判断は正しかったと自画自賛のようなものをしていた。
そして最も見つけなければならないあの女性の姿を探すと先ほど立っていた場所にいて、幾つもの魔法陣を展開して障壁を張り、無傷ではあるがドレスの裾が少しばかり焼け焦げていた。
「ゴブリンは全滅! まぁ、ゴブリンに負けるとかあり得ねぇからこれくらいは当然だけどさ」
そう言いながら一歩だけ跳んでアッシュの隣へと戻るルキ。そんなルキは何かを期待するようにアッシュを見上げた。
それが何を期待しているのか理解しているアッシュは軽くルキを撫でながらこう言った。
「あぁ、お疲れ。相変わらず見事なもんだな」
「へへっ……あれくらいどうってことねぇよ!」
そう言いながらも自慢げに、満足そうにするルキにアッシュが苦笑を漏らしていると女性がそんな二人の様子に激昂したように声を荒げた。
「私の魔法を容易く掻き消し、ゴブリンの群れを一蹴し、何事もなかったかのように振る舞う!! 本当に、本当に何者なのだ貴様らは!!」
いや、激昂しているというよりも酷く狼狽している、と言った方が正しいのかもしれなかった。
自慢の魔法を無効化され、ゴブリンの群れを呼び出せば瞬殺。そしてそれが当然のことだと平然としているアッシュとルキの二人を睨みつけていた。
「何者だって良いだろ。俺たちはお前をぶちのめす! お前は俺たちにぶちのめされる! それだけだ」
「その後はクレスに突き出して終わりだな」
「くっ……まさか貴様らのような者がいようとは……予定を変更せざるを得ないか……!」
睨まれようと一切気にした様子のない二人を見てそう零し、女性は一つ呼吸を置き、先ほどゴブリンを呼んだ時よりも大きな魔法陣を展開した。
そして高らかに宣言するように、もしくはアッシュとルキに知らしめるように、口を開いた。
「我が名はゼノヴィア・セティア! ラスィスカヤ帝国の誇り高き軍人!!」
ラスィスカヤ帝国。ウルシュメルク王国とは遥か北方に存在するアルルサグ山脈を越えた先に存在する国であり、敵対国である。
詳しいことはウルシュメルク王国の人間は知らないにしても、敵対しているラティスカヤ帝国の軍人が王都に忍び込んでいる。ということの異常さはわかるはずだ。
女性がゼノヴィアと名乗り、更にはラティスカヤ帝国の軍人だとわかったアッシュとルキは警戒度を一つ上げた。
それと同時に魔法陣が輝きを放ち、今度はゴブリンではなく何処となく豚に似た、それでいてそれよりも遥かに醜悪な顔をしたオークと呼ばれる魔物が現れた。
「まったく……あれだけのゴブリンを集めるのにどれほど苦労したか。適当にこの国の女でも攫って増やすとするか」
確かに今回の騒動で大量のゴブリンが命を失うこととなっている。そしてそれだけのゴブリンをまた集めようとすればそれなりに苦労するだろう。
一番手っ取り早いのはどの種族でも良いので女性を集めてゴブリンの子供を産ませるための苗床にすることだ。だからこそゼノヴィアはそう口にしていた。
とはいえそれだけのことであればアッシュもルキも特に反応は返さない。それよりもこれだけオークが集まると気持ち悪いな、というくらいのことしか考えていなかった。
そんな二人はオークの群れを前にしているというのに一切脅威を感じていないようだった。
ゼノヴィアはそれが気に入らなかったのか不快そうな表情を浮かべたかと思うと何かに気づいたように唇を歪めた。
「あぁ、そうだ。苗床には貴様らの知り合いの女を使うこととしようか」
その言葉を聞いてアッシュとルキはオークの群れに隠れているゼノヴィアを見た。
「ゴブリン共が使えなくなったのは貴様らのせいだろう? ならば当然のことだ」
名案だ、というようにそう口にしたゼノヴィアは愉悦に満ちた目で二人を見た。
きっと何らかの反応をするはずだ、あの平然とした生意気な下郎二人は自身を睨むか、それならそれを嗤ってやろう。そう考えてのことだった。
だがそれがいけなかった。
「ひっ……!?」
自身に向けられたルキの目には憐れみが浮かび、アッシュは感情のない目をゼノヴィアに向けていた。
「あーあ、俺の仕事は終わりかぁ……アッシュ、あんまりやり過ぎるなよ?」
「あぁ、大丈夫だ。生きたままクレスに引き渡す。手足がなくても生きてれば良いだろ」
「それがやり過ぎだってのに……まぁ、自業自得だし仕方ねぇか」
短く悲鳴を上げたゼノヴィアは感情のない目で自身を見てくるアッシュにどうしてか恐怖と悍ましさを感じていた。本当にどうしてなのかわからない、ただアッシュの言葉が本気のもので、このままでは本当に四肢がなくなる。そんな確信があった。
だからこそ誇り高き軍人と言いながらも恥も外聞も投げ捨てて逃げるために魔法陣を展開して転移の魔法を発動させようとした。
だが既にこの場は神域の加護の力によって作られた閉ざされた空間であり、転移の魔法など幾ら発動させようとしても発動しない。魔法陣が光を放ったかと思えばすぐにそれは霧散するばかりだった。
「な、何故だ!? 何故魔法が発動しない!!!」
得体の知れない恐怖に支配されたゼノヴィアは転移の魔法が使えないことから発狂したように叫びながら何度も何度も魔法を発動させようとした。だが全て先ほどと同じことの繰り返しとなり魔法が発動することはなかった。
すると今度は怯えた目でアッシュを見てオークたちに向かってこう叫んだ。
「オーク共!! そいつを殺せ!!!」
それは命令のような、懇願のような。敵を殺すための命令というよりも恐怖を誤魔化すための命令のようにも聞こえた。
ゼノヴィアの声に反応してオークがアッシュを殺すために一歩踏み出した。
「煌々と燃え猛れ」
だがアッシュがたった一言そう口にした瞬間、オークたちは一匹残らず突如として現れた炎に呑まれた。
揺らぎの森で使用したそれとは違い、アッシュは言葉にしただけであり、他の動作は一切なかった。またオークを呑み込んだ炎は一瞬でオークを灰へと変えてしまった。
そして元々存在しなかったかのように炎はその姿を消した。
「な、あ、あぁ……」
そんな現実を目の当たりにしてゼノヴィアは腰を抜かしたようにその場に座り込んで情けないことを漏らしていた。
そしてどうにかアッシュから遠ざかろうと這うようにして逃げようとした際に周囲の異常に気が付いた。
周囲には三人を除いて灰しか存在していなかった。ゴブリンの残骸や本来あるべき瓦礫などはなく、アッシュの炎によって全てが灰へと変貌していたのだ。
「ゴブリンもオークも意味がなかった。次はどうするんだ」
アッシュは這うようにして逃げようとしているゼノヴィアに声をかけた。その声は瞳と同じで一切の感情がうかがえず、ゼノヴィアにとっては非常に恐ろしいものだった。
「ひっ……あ、あぁ……」
「そういう反応はいらないんだけどな……打つ手なし、ってことなら両手両足を灰にして……」
「アッシュ、そこは圧し折って、くらいで良いと思うぞ?」
「……まぁ、ルキがそう言うなら圧し折るくらいにしておくか」
ルキが呆れたように言えばアッシュは何処か不満そうにそう返した。
その言葉にゼノヴィアはアッシュが本当に自分の手足をあの炎により灰にするつもりだったことを知ってよりアッシュに対しての恐怖感を覚えた。
それと同時にこの男をどうにかしなければ逃げることなど出来ない。そう悟ってゼノヴィアは本来であれば使うつもりのなかった奥の手を切ることにした。というよりも、切るしかなかった。
「こ、来い!! ニーズヘッグ!!!!」
悲痛さの浮かぶ声でゼノヴィアが叫ぶと空に巨大な魔法陣が展開され、強く強く光を放ったかと思うと一匹の龍が姿を表した。その大きな羽を羽ばたかせるニーズヘッグと呼ばれた龍はアッシュとルキを見降ろしながらゆっくりとゼノヴィアの背後へと降り立った。
飛竜種などとは比べ物にならない大きさのニーズヘッグが降り立っただけで地面は強く揺れ、灰が舞う。
そんな中をゼノヴィアは何とか立ち上がり、そして引き攣った嘲笑を浮かべて叫ぶ。
「ふ、ふふ……どうだ! これが私の切り札だ!! 怯えろ!! 竦め!!! みっともなく命乞いをしろ!!! 助けてなどやらんがなぁ!!!」
ニーズヘッグを従えたゼノヴィアは強気に言葉を重ねるがすぐにおかしいことに気づいた。
これほどの龍を前にしてもアッシュとルキは驚くでも焦るでも怯えるでもなくそこに立っていた。いや、ルキだけは呆れたようにニーズヘッグを見ている。
「貴様らはこのニーズヘッグがどれほどの存在なのかわかっていないのか!?」
「いや、その龍がそれなりだってことくらいはわかるぞ」
「それなり、だと……?」
「おう。それに龍だろ? アッシュに勝てる道理は何処にもねぇぞ」
「何を言って……」
ルキが何を言っているのか。意味が理解出来ないゼノヴィアがその疑問を口にしようとした瞬間に唸り声が辺りに響いた。
それはニーズヘッグのものであり、ゼノヴィアがニーズヘッグを見上げるとニーズヘッグはアッシュを睨みつけ、威嚇するように唸っていた。
「な、に、ニーズヘッグ……?」
「龍種ならわかるよなー、自分がアッシュに勝てないことくらい」
「おい」
うんうん、と頷くルキの隣でアッシュが短くそう言った。
その瞬間ニーズヘッグはビクリと身を固くして唸ることをやめ、アッシュを真っ直ぐに見る。
「逃げるなら見逃してやる。用があるのはそこの女だけだからな」
淡々とアッシュが口にしたその言葉を聞いてニーズヘッグはまた一つ唸り声を上げる。しかしそれは自身を侮辱している言葉に対する怒りによるものではなかった。
「な、に、ニーズヘッグ!? 何故だ!! 何故あの男の言葉を聞き入れる!? 早く奴を殺せ!!!」
魔物使いであるゼノヴィアにはニーズヘッグの言葉が理解出来ていて、そのせいで酷く困惑してしまった。
ニーズヘッグはアッシュに対して、心遣い痛み入る。そう返していたのだ。それはつまり自身ではアッシュに勝つことは出来ない、と断言しているような物だった。
そして今度は困惑するゼノヴィアに対して怒りを込めて吠える。
「あ、あぁ、た、確かに、そういう契約だが……!!」
ゼノヴィアに対して、貴様に手を貸す契約をしているが命令される謂れはない、と怒りを浮かべるニーズヘッグ。
それを聞いてゼノヴィアが焦ったように口にするとニーズヘッグは鼻で笑い、バッと翼を広げて灰を巻き上げながら飛び上がった。
「ま、待て!! 待ってくれ!!」
助けを求めるようなゼノヴィアの言葉など聞こえていないようにニーズヘッグは高く高く飛ぶと、自ら魔法陣を展開してその中へと突き進んで行った。
それを見てアッシュはニーズヘッグが相当に強大な力を持った龍なのだと認識した。
というのも本来であれば抜け出すことの出来ないこの結界だが高度な結界術が使用できる者や空間自体を飛び越えることが出来る者であれば抜け出すことも入ることも出来る。
つまりニーズヘッグという龍はそのどちらかであり、前者であれば魔法に対して精通していることの、後者であれば常識破りの力を持っているということの証明となる。
何にしてもそのようなニーズヘッグに置いて行かれたゼノヴィアは、今度こそへたり込んでしまった。
その顔には困惑や憔悴、そして絶望が色濃く映っていてもはやゼノヴィアに戦う意思は見られず、ただただ灰の舞う中をへたり込んだまま動くことはなさそうだった。
そうなってしまったゼノヴィアの姿を見てルキは肩透かしだったな、と思いながら呆れたようにため息を零し、アッシュは静かに結界を解いた。
本来であれば両手両足を斬り落とす、もしくは圧し折ろうと考えていたがこの様子ではその必要はなさそうだな、と考えながら。
またこれで今回の騒動に片が付くはずだ、とも思いながら。
身内に甘いということは、身内に何か害を加えようとすると容赦ない。ってタイプなアッシュです。




