この距離感、慣れないです
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ぽんと掌の上に置かれた綺麗な箱を見て首を傾げた。
夜、仕事が終わった後アルバートは着替えもせずに必ずわたしの部屋に寄る。今日一日のことを聞いたり、話したり。どこにでもいる家族のようなやり取りをする。初めは戸惑っていたがそれも2週間もすれば慣れてしまっていた。気が付けば進んで彼に今日勉強したことや散策したことなど話している。
不本意でもあったが婚約者になってしまったので冷たい関係を望んでいるわけではないが、この何とも当り前のような雰囲気がとても不思議だ。政略結婚なのだから、こうしてお互い理解ようと少しづつ距離を縮めていくのが普通なのかもしれない。婚約者候補から抜けようとしていたから、全く考えていなかった関係性だ。
「これは?」
「土産だ」
土産と聞いてますます首を捻った。出かけるなんて聞いていなかったからだ。
「ちょっとメイナードと城下へ行ったついでに買ってきた。今、城下で一番人気のある菓子だそうだ」
あまり説明する気がないのか、簡単にそう言って勧める前に長椅子に座る。だるそうに上着のボタンをはずしている。
どこか疲れた感じがあるが、どうしたのだろう。
侍女のヘレナが気を利かせて隣の控室に下がっているので、アルバートにお茶を淹れようと立ち上がった。
この部屋にはいくつかわたしの好みのお茶が用意してあるのだが、その中でも緊張をほぐす効果のあるお茶を選ぶ。甘い優しい香りとすっきりとした後味でとても気分がよくなるのだ。お茶を用意しながらアルバートに声をかけた。
「お疲れですか?」
「うーん、ちょっと疲れたかな?」
その声が少し小さくて、振り返れば背もたれに体を預け、足を前に投げ出していた。目だって半分閉じている。頭を支えるように肘をついているがこのままだと寝てしまいそうだ。そっとため息を付くと、お茶をテーブルに置き彼の体を揺らした。
「ここで眠っては駄目です。自分の部屋に戻ってください」
うたた寝は起きた時に体が痛いし、疲れも取れない。それにここで寝られるとわたしが困る。そう思って揺すったが、半分空いていたはずの目が完全に閉じていた。小さな寝息に固まった。
「寝ている……」
これほど疲れたような彼を見たのは初めてだった。まじまじと見下ろした。柔らかそうな癖のない黒い髪は少し長めだ。初めて至近距離から見下ろしてまつげが長いことに気が付いた。鼻筋も通っているし、少しだけ空いた唇は無防備に見せた。
「……」
どうしたものかと悩みつつ、寝室から上掛けを持ってきた。ふわりと彼の体にかけ、一人分の距離を開けて隣に座る。
なんだか変な気分だ。こうしてずっと一緒にいるのが当たり前のようで心がこそばゆくなる。
ついこの間まで嫌われていたと思っていた。それでいいと思っていたから、アルバートがどんな性格であるかなんて興味がなかった。ただあまり接点を持ちたくないと思っていた。
アルバートは王子という仮面を外してしまえば、ごく普通の人だ。仕事は真面目にこなしているし、機嫌が良かったり不機嫌だったり。
ここに半ば強引に連れてこられたときは無理やり関係を迫られるのではないかと警戒していたがそんなこともない。ちょっとした触れ合いがある程度だ。キスだって、挨拶代わりに軽いものをちょっとするくらい。
物足りないような気もしなくもないが、急に関係を進められるよりはこうして穏やかに近づいてくれるのは悪くはない。
元々好きでも嫌いでもなかったのだ。強い感情を持つほど知らないというのもある。それが等身大の彼を見せられて、距離を詰められてしまえば興味を持ってしまう。あまりわたしとしてはいいことではない。
ロイドのことも気になっていた。アルバートとロイドはどういう関係なのだろう。アルバートはロイドのことを話そうとはしない。初めからロイドのことを話すつもりなどないのかもしれない。
アルバートに話させるのが無理なら、他に誰がロイドのことを知っているだろうか。
ロイドは貴族の子息だ。それに王子であるアルバートと出会うのに誰もいないとは考えにくい。わたし達のように偶然出会ったとしても護衛やその他の使用人達がいる。
そこまで考えて、わたしの護衛達も知っていたのではないかと思い至った。当時8歳の令嬢が勝手に抜け出すと言っても、それを制限されることはなかった。ただ護衛が増えただけだ。
護衛達もロイドを知っていたのか、特に彼に会いに行っても普通についてきていた。逆に荷物を持ってもらったり、遊びを手伝ってくれたり。護衛達がごく当たり前にそのようにしたのなら、お父さまの許可がきちんと出ていたということだ。
それに、領地で暮らしていたわたしが抜け出した先も侯爵家の領地だ。当然、誰が住んでいたかなんて当時関係していた使用人達も知っている。
盲点だった。幼かったからとはいえ、考えなさすぎだ。ロイドが誰であるかなんて、お父さま以外にも知っているではないか。アルバートに無理に尋ねる必要もない。
彼の規則的な寝息を聞いているうちに、こちらも眠気が襲ってくる。
もう少ししたら起こさないといけないから、と思いつつ重くなった瞼を無理に開けた。だけど、その抵抗はほんのわずかで、そのうちにだんだんと開けている時間が短くなっていった。
両親以外で誰に聞いたらいいだろうか。
これからどうしようかと考えながら、目を閉じた。
******
少し寒さを感じて、温かさを求めて寝返りを打つ。ふわりと包み込む何かが温かい。すりっと温かくなろうと自ら近づいた。ところが、近づいた途端に頬が撫でられる。
頬の次は耳。
優しい扱いだが、それが睡眠を邪魔する。
再び頬をくすぐるような動きをされて、思わず顔を背けた。温かい何かには近づきたいが、くすぐられるのは嫌だ。温かさを逃がさないように体を丸くして、もう一度心地よい眠りに落ちる。だが落ちようとすると耳か頬を撫でられた。避けようとしても、執拗に撫でられて仕方がなく目を開けた。
「やめて、眠れないわ」
「ああ、やっと起きた」
うっすらと開けた目の前にはこちらを覗き込む青い目。
一気に眠気が飛んだ。現実を受け入れられずに固まっていれば、彼は体を起こし伸びをしている。瞬きすることなく彼を凝視した。
シャツは……ボタンがいくつも外されて前がはだけているが着ている。下も然り。だらしなくシャツの裾が出してあるが、それは見なかったことにした。
そろりと自分の方を確認すれば、靴が脱がされている。ドレスのしわは考えない。今大事なのは服をきちんと着ているかどうかだ。乱れたところはないから、問題なさそうだ。
自己分析している間にもアルバートは寝台から降り、靴に足を突っ込んでいた。靴を履き終わると、わたしの頬へと手を伸ばす。頬が撫でるように包み込まれた。
「起こして悪かった。そろそろ、時間だから仕事に行ってくる。眠かったらもう少し寝てほしい」
一言も話すことができないわたしの頬に軽くキスをすると、彼は寝台の足元に置いてあった上着を取り上げ部屋を出て行った。
「は……」
いつの間にか寝台に運ばれていた。恐ろしいものを確認するように自分の隣を見れば、彼もここで休んだことがわかるほどしわができている。枕だって一緒に使ったのか、彼の所が凹んでいた。
「おはようございます」
放心状態のわたしを正気に戻したのはヘレナのいつもと変わらない挨拶だった。ぎこちない動きで彼女を見れば、どこかおかしそうに笑みを見せている。
ヘレナは侯爵家から連れてきた幼いころからわたしの面倒を見てくれている侍女で母親に近い。なんとなく見られたくないところ見られてしまった居心地の悪さを感じた。
「仲がいいことはよろしですわよ」
「……何もないわよ」
「そうですか?」
何もないはず。昨日、話しているうちにアルバートが寝てしまってその寝顔を見ていたら、こちらも寝てしまったのだ。その後はどうなったのかは、想像しかないが。きっと目が覚めたアルバートがわたしを寝台に運んで一緒に休んだのだ。間違えてはいけない。同じ寝台でただ睡眠をとっただけだ。
そう思うが、徐々に顔が熱くなる。起こされて、行ってくると声をかけられてキスされた。
なんなのよ。このやり取りは。普通の夫婦みたいじゃない。
「アルバート殿下は朝からご機嫌でしたね」
「ご機嫌」
「今日は早くお帰りになりそうですわ」
ヘレナの生暖かい視線が耐えられずに子供のように上掛けの中に潜り込んだ。
「もう少し休むわ」
「わかりました。では、失礼いたします」
ヘレナはにこにこ顔のまま出て行った。ぱたんと扉の閉まる音を確認してから顔を出す。自分の頬が赤くなっているのがわかるほど、熱を持っていた。
本当にどうしよう。いつも以上にアルバートを意識してしまった。
程よく鍛えられた体、していた。シャツから見える胸板はとても厚く筋肉質だった。でも肌は白くて滑らかで……。
その胸に包み込まれるように抱きしめられて寝ていたのだと思うと戸惑いよりも、恥ずかしさで頭が沸騰しそうだ。
「……」
これ以上、考えるのはやめよう。
わたしの乙女としての何かが失われそうだ。