世の中上手くいきません……なぜ?
ブクマ、評価ありがとうございます。
騎士団長であるガリルが丁寧にわたしの手を取って馬車から降ろした。降ろされた場所は侯爵家ではなく、領地でもなく、なぜか王宮。しかも貴人が秘密裏に王宮へ入れるように用意された場所に誘導されていた。
くるりと降ろされた場所を見回し、漏れそうになるため息を押し殺した。何の用事でここを利用したかあまり覚えていないが、わたしも何度か利用したことがある。
おかしい。もうここには来ないはずだったのに。
不機嫌さを隠すことなく、彼のエスコートに従う。本来ならば、従わなくてもいいのだと思うのだが、お父さま以上にがっちりとした体躯をしたガリルに逆らうなんて無理だ。
「汚い手で娘に触るんじゃない」
ぱしっと手を乱暴に払ったのは先に降りていたお父さまだ。ガリルは目を細め、にやりと笑う。
「そうはいかない。逃げられないように捕らえろとのご命令だ」
「あと少しだったのだ。くそがっ!」
あまりにも悪役のようなセリフを吐いて、お父さまが怒りを爆発させた。その怒りをぶつけられたガリルは仕方がないなというように肩をすくめた。
「気持ちはわからくもないが……ひとつ言わせてもらえば領地へ旅立つなら昨夜がよかったぞ」
「……昨夜は無理だ。祝杯をあげていた」
「バカか、お前は」
この気安いやり取りを聞いて、我慢していたため息が出る。
二人は同じ年で、幼いころからの友人だ。ガリルは伯爵家の嫡男で、お父さまは伯爵家の3男。年が同じで身分も釣り合いが取れていることから、腐れ縁だと言っていた。ガリルはよく我が家に来ていてわたしと遊んでくれたりもした。
だから悪い印象はないのだけど、今回のことで嫌いになりそうだ。
「ガリルおじ様、あまりお父さまをいじめないでくださいませ。そもそもどうしてわたくし達をとらえる必要があるのです?」
わたし達、悪いことは何もしていませんわ?
そう問えば、ガリルがお父さまからわたしの方へと顔を向ける。
「お、キャロラインは冷静だな」
にやりと笑って、わたしの頭を大きな手で撫でつける。折角綺麗に結ったのに乱れそうだ。
「やめてください。もうわたくしは子供ではありません」
やんわりと拒否するとガリルは悲しそうに顔をする。強面だから、少し脅されているような気分になる。
「昔はもっとかわいかったのに。ああ、月日が経つって辛いなぁ」
「……もういい。お前、戻れよ」
お父さまが冷静になってきた。ふんと自分よりやや大きい体をしたガリルの胸を叩き、わたしの手を取った。
「いやいや、陛下の前に連れて行くまでが俺の仕事だから」
「はあ? なんで陛下に会わなければいけないんだ」
不機嫌そうに眉を寄せたお父さまは少し怖い。陛下と聞いて、きっと離職を却下するんだろうなと見当をつけた。それはお父さまだけの話で、わたしには関係ないはずだ。すすす、とお父さまからさりげなく距離を取った。
「お父さま、いつでもお父さまの幸運をお祈りしております。それでは、わたくしは領地に戻りますので……」
「え! キャロライン、お父さまを見捨てるのか?」
悲しそうな表情で縋られて、ぐっと胸が詰まった。わたしだってお父さまが大好きだ。愛している。できればお父さまと一緒に領地に戻って、領民のために働きたい。そのためだけに婚約者候補になって一年近く頑張ったのだ。
「お父さま……ごめんなさい。わたくしは領地へ戻りますが、お母さまが王都で暮らせるように最大限尽力いたします」
「……本当か?」
お父さまの表情が変わった。ぎらぎらとした目でわたしを見据えている。お母さまが関わるとこうなってしまうのはお母さまへの深い愛情ゆえだ。ちょっと怖いけど。愛娘に向けるような目じゃない。
「もちろんでございます。わたくしがお祖父さまのお手伝いをしながら領地はお守りいたします。その代わりにお母さまと弟はこちらへ……」
「お前の気持ちはしかと理解した。お前はお前の責務を果たせ。父は強大な悪と戦ってくる」
わたしの責務って、お父さまの元にお母さまを送り込むことかしら?
それに強大な悪って……きっと陛下よね?
何か不思議な状態に陥ったお父さまを見つつ、優雅にお辞儀をした。突っ込んではいけない。ここはすみやかに離脱するのが正しい。
「それでは、お父さま。それにガリル様。ごきげんよう」
今先ほど降りた馬車にそのまま乗り込もうとしたら、がっしりと腰に腕が回された。軽々と持ち上げられてしまう。
「エドガーを捨てて、何さりげなく帰ろうとしているんだよ」
「……」
「お前も一緒に捕まえておけと命令されている」
なんでわたしも?
反論できずにそのままガリルに荷物のように担がれた。淑女としてあり得ない運ばれ方なのだが、それを言ったところで解放されそうにはなかった。
ガリルは足早に人通りのないところを通り、王宮の中へと進んでいった。
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ここだ、と通された部屋はこぢんまりとしているが落ち着きのある趣の部屋だった。小さいながらもそれなりに質のいい調度品が置かれ、窓からは明るい日差しが差し込んでいる。柔らかな少し黄色の強いクリーム色の壁がさらに明るい空気を作り出していた。
貴人を通すための部屋というよりは外からの付き添いできた侍女や家令が待機するような部屋だ。
「ちょっと待っていろ。エドガーはこれから陛下と面会だ。その後にエドガーと迎えに来るからな」
ガリルは扉の外に護衛を配置し、侍女にお茶を用意させると出て行った。侍女も静かにお茶を出すと、丁寧にお辞儀をして部屋を後にする。一人になったわたしは体から力を抜き、座り心地の良い長椅子に背中を預けた。
うまくいったと思っていたのだが、そうでもないようだ。まさか、陛下が騎士団まで動かすとは思っていなかった。それだけお父さまに抜けられると困るのかもしれない。
「少し浮かれすぎたのかしら」
ため息を付き、用意されたお茶を一口飲んだ。こんなことなら、昨日のうちに移動して領地で祝杯を上げればよかった。嬉しさのあまり舞い上がっていたようだ。お父さまさえも気が回らなかったのだから、こうなっても仕方がないのかもしれない。
お母さまに今から戻ると出るのと同時に先触れを送り出したのだが、早まったと後悔した。嬉しい手紙を読んだ後にいけなくなったと知ったら、きっと悲しむ。弟だってきっと楽しみにしていたはずだ。
二人の良く似た顔が悲しさに歪むのを想像し、落ち込んだ。お父さまには是非とも頑張ってもらいたいが、お父さまが辞任を撤回しない限り帰してもらえないと思う。わたしはお父さまに対する人質のようなものだから、やはりすんなりとは帰れないだろう。
同時に登城時の色の濃い格好でないのも気になった。腰をあまり絞らないふんわりした色の淡いドレスに、髪はハーフアップだ。化粧だってほとんどしていないのではないかと言われるほど、薄化粧。
まったく気合が入っていないし、婚約者候補になってからの格好に見慣れた人がわたしを見たら誰だろうと感じるはずだ。リリアーヌぐらいかもしれない、わたしを見ても驚かないのは。
どうしたものかと逡巡していると、窓の外の木が目に入った。かなり近い位置に木があるのか、ちょっと手を伸ばせば届きそうだ。枝ぶりもよく、足の悪いわたしでも降りれそうな気がする。たとえ落ちたとしても打ち身程度だろう。
ここで捕まって婚約者候補に戻されるよりは脱出した方がいい。
不敬でも何でも問題ない。修道院への軟禁や領地に蟄居も大歓迎だ。
「そうよね、ここに大人しくしているよりはいいわよね」
大雑把に計画すると、窓を開け放った。
手すりに乗り上げ、手を伸ばし木を掴んだ。見た目以上にしっかりしていたようで、わたし一人ぐらいの体重では枝は折れそうにない。
安全を確認して、外へと脱出した。最後にちょっと転んだのはお愛嬌だ。