2-1
校舎にチャイムの音が響き渡る。
今日も今日とて、ノープロ部の活動の始まりだ。
「よーし、点呼するから席に着いてくれ」
「席に着いてくれ、ですって?」
俺の言葉に反応したのは、下半身が蜘蛛になっているアラクネの亜人、アネモネだった。
彼女は頭のお団子から伸びる二本のドリルの片方を、大げさに手で掻き揚げてみせる。
「それはあんごさんの会社に、わたしくしを引き抜きたいということですの? 条件によっては構いませんが、果たしてどんな席を用意してくださるのでしょう」
「どんな席も用意できないよ」
俺はただの高校生で、会社など持っていない。
まあ例え持っていたとしても、こんな奴を引き抜く気は起きないだろうけど。
「何と、そんな大胆な条件でわたくしを引き抜くおつもりで? 無謀にも程がありますわ。しかしその大胆さ気に入りました。いいでしょう、このお話乗らせていただきますわ」
「乗らなくていいから座れ! 着席!」
「着手金? なるほど早速仕事ですのね? 一体何の事業を始めるのでしょう」
「お願いだから椅子に腰を下ろしてくれる?」
お前が今するべき仕事は悩みの解決なの。俺が始めたいのは事業じゃなくて部活なの。
「そうですよアネモネ先輩。わたしを見習って、ちゃんと席に着いてください」
ふざけるアネモネを諭したのは、下半身が魚になっているセイレーンの亜人セレナ。
海に立つ波のようにうねる青い髪は、今日も綺麗に手入れをされ一つに纏められている。
しかし彼女も彼女で他人のことは言えない。
「お前だってちゃんと座ってないだろうが」
彼女とてその鱗に覆われた下半身を落ち着けているのは、自分の席ではなく俺の膝の上。
「それでちゃんと席に着いているのだとしたら何だ、俺はお前の席なのか?」
「『俺はお前が好きなのか?』って、いやいやそんなことわたしに聞かれても困りますよ。自分の気持ちは自分が一番よく知っているはずです」
「好きじゃなくて席!」
「え、もう籍を入れる日取りの話ですか? 気が早いですね、まあいいですけど。いつにします? やっぱり無難に大安の日ですか。仏滅だけは避けましょうね」
「今日が俺にとっての仏滅だよ!」
「それにしても『席を入れる』って言葉、何だか響きがえっちですよね」
全然こっちの話を聞いていない……。
「入れるって。籍を入れた夫婦の一体何割が、その日の晩に違うモノも入れてるんだって話ですよ」
「知らねえよ!」
知りたくもねえよ!
「アネモネ、コイツ手に負えないからお前の糸で椅子に縛り付けてもらえないか?」
「ええ、構いませんけれど」
返事と同時に、アネモネは体から糸を放出した。
そしてそれで素早くセレナの体を絡めとり、近くの椅子に固定する。
「う、うわぁ~、アネモネ先輩に白くてベトベトなやつをぶっかけられました~」
そんな状況さえも楽しんでいるセレナはもちろん放置。
今度は、地べたに座り、そこにたくさんのスナック菓子を広げ貪る金髪の少女の背に声をかける。
「ハッピーお前もだ、そんなところに座ってないで席に着け」
ハッピーは俺の一つ下の後輩に当たる紺成高校の二年生で、ノープロ部の部員だ。
しかしよほどお菓子に夢中なのか、彼女は俺の声に返事も振り向きもしない。
セレナとは違い手入れもされないまま輪ゴムで無造作に止められた短いポニーテール。
それが一本、咀嚼に合わせてピョコピョコと動くだけ。
「おいハッピー、聞いてるのか?」
「ん? 何だよあんご」
二回目の呼びかけで、ようやく面倒臭そうにその華奢な体をこちらに向けた。
「点呼をとるから席に着いてって」
「何で取るんだ! これはワタシのお菓子だぞ!」
「お菓子じゃなくて、点呼をとるって言ってるの」
「てんこ? それはどんなお菓子だ」
「点呼はお菓子じゃないけど」
点呼とは、名前を呼び、その人がいるかどうか確認する作業のことだ。
「いーや、てんこはお菓子だ。ワタシは聞いたことがある。ん、てんこじゃなかったか? てんこじゃくて、えっと何だっけ……ああそうだ! だんごだ! 似てるから間違えちまったぜ!」
いや、点呼とだんごは全然違う物だぞ……音は多少似ているかもしれないけど。
「あっ、ここに置いてあっただんごがねえ! あんご、ワタシのだんご取ったな!?」
急に立ちあがったハッピーは、今にも飛びかかってきそうな勢いで詰め寄ってくる。
「いやいや取ってないよ。と言うかそもそもだんごなんてそこになかっただろ?」
どれだけ記憶を辿っても、全部スナック菓子だった記憶しか出てこない。
「あっただろ! あんごが取ってねえって言うんなら犯人はアネモネだな!?」
ハッピーは標的を俺から変え、アネモネに詰め寄る。
「談合ですの? わたくしは不正な取引はいたしませんけれど」
「ん? よく分かんねえけど、アネモネは取ってないってことだな!? じゃあ犯人はセレナか。ワタシのだんごを返せ!」
「ちんこを返せって、そんなの無理ですよハッピー先輩。わたし持ってないですし。この中でそれを持ってるのは、あんご先輩だけです」
「分かった! やっぱり犯人はあんごだったか!」
結局疑惑は、わけの分からない理由で再び俺へと返ってきたのだった。
そして今度こそハッピーは、四肢を大の字に広げ飛びかかってきた。
「観念しろだんご! ワタシのあんごを返せ!」
「落ち着け、だんごとあんごがごちゃごちゃになってるぞ」
「ああ? だんご? あんご? お菓子があんごで、お前がだんご?」
「俺はあんご、お菓子がだんご。分かったか?」
「んー分かんねえ。けどまあいいや! それよりマンゴー」
だんごですらなくなった……。
「この袋開けてくれねえか?」
彼女は一旦俺から離れると、床に散乱したスナック菓子の袋を一つ口に咥え、そして何食わぬ顔でそれを俺の膝にちょこんと乗せた。
一体今まで騒いでいたのは何だったのか。
まあ多分彼女自身、既に怒っていたことをほとんど忘れてしまっているのだろうけど。
「手がねえワタシには開けにくくてさー」
「はいはい。大変だなお前も」
ハッピー。彼女もまた、アネモネ達と同じく元は魔界に住んでいた亜人である。
種族はハーピー。彼女達ハーピーと呼ばれる種族には、手が、腕がない。
しかしその代わり肩から先には、鳥のものに酷似した翼が備わっているのだ。
ハッピーの美しい黄金色のそれは、広げると長さ約六メートルにも及ぶ。
もちろん羨ましいことに、空を自由に飛び回ることが可能だ。
「まあ最終的にはこの爪で引っ掻いて開けられるんだけどよ」
両羽を開け自分の爪先を見下ろすまるでペンギンのようなハッピーの姿に少し萌えつつ、俺も視線を下へと向ける。
鳥に似た形態になっているのは翼の部位だけでなく、下半身もそうだ。
お尻からは扇状に広がる尾羽が突き出し、爪先には猛禽類も逃げ出すほどの大きく鋭い鍵爪が鈍く輝いている。
このように、ハーピーにはたくさんの鳥に似た性質があるのだ。
「でも前にそれしたら中身ぶちまけちまって。だからあんまりやりたくねえんだよ」
「珍しい、よく過去の失敗を覚えていたな」
正直一番鳥に似ているのは、見た目ではなく頭の中なのだ。
すぐ物を忘れる。三歩歩けば忘れる。まさしく鳥頭。
「賢いぞハッピー」
「えへへ。そうだろー、菓子だろー」
菓子ではない。
「はい、開いたぞ。これで大人しく座ってくれるな? 点呼とるから」
「あんがとー。お菓子食べながらでもいいか?」
「いいよ。どうせダメだって言ったって食べるだろうし」
ハーピーもセイレーン同様、人間界に伝わる神話によく登場する種族だ。
食い意地が張っており、食べ物を見ると即飛び付きがっつき、更に残った食べ物には糞尿を撒き散らし去っていく。
神話の中でハーピーは、そんな清潔さも品もない化け物だと描写されている。
しかしこれも人間による捏造だ。
ハーピー達は皆食べ物に敬意を払っており、無駄にするような行いは決してしない。
糞尿を撒き散らすなど言語道断だろう。
まあ確かに、種族全体的に見て食欲旺盛なのは間違いないようだが。
もちろんハッピーもその例に漏れず、常に何かを食べていないと気が済まないらしい。
「それじゃあ皆、呼ばれたら返事よろしく」
と言ってももう既に出欠の確認はできているようなものなのだけど。
当然返ってきたのはアネモネとセレナとハッピーの返事だけ。
「相変わらず、絶対全員は集まらないな」
ただこの部活の発足理由を考えると、それもやむなしといった気もするが。
現在はこうして生徒のお悩み解決をしているこのノープロ部、しかし元はそんな活動をするために作られた部ではなかったらしい。
この学校は校則で必ずどこかの部に所属しなければいけないのだが、もちろんどこにも所属したくない生徒もいる。
そんな生徒達が避難するように寄り集まってできたのが、この部なのだ。
問題ないという意味を持つ英語『ノープロブレム』
部の名前はそのネットスラング『ノープロブ』をもじったもので、創設者達は『部活に入らなくても別に問題ないじゃないか!』と、密かに教師達に訴えかけていたようだ。
そのスピリットを、この部にいる人間は全員引き継いでしまっている。
俺を含めどいつもこいつも、やりたい部活がないので仕方なくこの部に入った奴ばかり。
なのでサボりが多くて当然。
まあ一番魂を受け継いでいるのは、全く顔を出さない顧問だろうけど。
ただそのおかげで俺達は自由にやらせてもらっているので文句はない。
本当なら平日に部活を理由も断りもなく休むなど、この学校では言語道断なのだ。
「それで、今日の相談は誰からなんだよ」
ハッピーが、スナック菓子を頬張りながら尋ねてくる。
俺はマウスを操作し、ノープロ部当てに届いたメールを開いた。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。