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音の聞こえ方からして、その笑い声は建物の中ではなく外から発せられているようだ。
そう思い窓の方へと顔を向けると、建物の上から下に向かって何かが素早く通りすぎるのが見えた。しかも『あれ~』という絶叫のようなものと共に。
この部屋は二階建ての校舎の二階に位置している。ここより上にあるのは屋上だけ。
つまり屋上から地上に向かって、人語を解する何かが落ちたのだ。
いや、人語を解するバカが落ちたと言った方が適切か。
「お、おほ、おほほ……」
しばらくすると、下からにゅっと顔が現れた。
「大丈夫か? アネモネ」
アネモネ。紺成高校二年にして、このノープロ部に所属する女子である。
「大丈夫? 何のことでしょう。わたくし、華麗に登場ですわ」
「どこもかしこも華麗には見えないけど……」
両サイドでお団子に纏め上げられたオレンジ色の髪。そこから伸びるドリルのような巻き髪には木の葉や枝が絡み付き、更に表情は青ざめ、額には汗が浮き出ている。
窓枠にしがみ付く彼女の姿は正に必死。
普段のお嬢様然とした雰囲気は見る影もない。
「華麗どころか、あれ~って叫んでただろお前」
「いえいえ聞き間違いですわ。わたくしは金~と叫んでいたんですの」
「何で落ちてるときにそんなことを叫ぶんだ」
「落ちてはいません。ほらあんごさん、先程金で空が飛べると仰っていたでしょう? だからわたくしも金銭を支払い空を飛ぼうと思い、金と叫んだんですの」
しかし実際に飛んだのは唾だけでした、と付け足すアネモネ。当然だ。
「仕方がないので自分の糸を飛ばしましたわ」
「いや最初からそうしておけよ、アラクネなんだから」
アラクネ。彼女もセレナやジュリアと一緒で、元魔界の住人、亜人だ。
彼女の属するアラクネと呼ばれる種族は、上半身が人で下半身が蜘蛛といった形態をしており、下半身からは昆虫の蜘蛛と同じく糸を放つことができるのだ。
ただ蜘蛛と言っても、彼女の体表はオレンジ色の毛で覆われており触るとモフモフしていて、蜘蛛と言うよりは八本足の犬のようなのだが。
「と言うかお前俺達の会話聞いてたのかよ」
「もちろんですわ。屋上でお茶を嗜みながら、ずっとこの部屋の様子を窺っていましたもの。まあ嗜みながらと言うより、足し飲みながらと言った感じでしたが」
「だから落ちたんじゃないか?」
蜘蛛がカフェインで酔うのと同様、アラクネもカフェインを摂取しすぎると酔うと聞く。
酔って屋上から生徒が落ちたとか、洒落にならない話だけど……。
「だから、落ちていません」
「どっちでもいいけど。相当屋上で待機してたんだな……とっとと来ればよかったのに」
むしろとっとと来い。ジュリアにしてもだが、一体全体何をしているんだ。
「それは不可能なご相談ですわあんごさん。だって主役は誰かが困っているときに颯爽と登場してこそ主役でしょう? ジュリアさんの悩み、わたくしが解決して見せますわ」
ただその前に、と彼女は咳払いをする。
「そろそろわたくしを中に入れてはくださいませんこと?」
「ん? ああ何だ、なかなか入ってこないと思ったらそういうことか……」
どうやら窓の鍵が開いていなかったようだ。
正面から普通に来ればいいものを、わざわざそんなところから登場するかそうなるんだ。
仕方なく窓を開け、手を貸し中へと入れてやった。
ポンポンと制服についた埃を落とす彼女。同じデザインの服ながら、どことなく他の生徒より生地の質が良く見えるのは気のせいだろうか。
「みなさん、ごきげんどう?」
服の埃を全て落とし終えると、アネモネは胸を張ってそう言った。
「どう? ようじゃなくて? まあ、普通かな」
「そうですか、わたくしはごきげんです」
ごきげんらしかった。
「さてそれではジュリアさんの悩みの解決に移ろうと思うのですが、ジュリアさん、一体どんなお悩みなのかお聞かせ願えるかしら」
上で聞いてたんじゃなかったのかよ……。
とツッコみを入れたかったがひとまずそれは飲み込み、話の推移を見守る。
「それがねアネモネちゃん、蜂が飛んでしまうの。どうすれば大人しくさせられるかしら」
「なるほどなるほど、よく分かりませんけど分かりましたわ。いいですかジュリアさん、蜂を大人しくさせるのは不可能です」
「や、やっぱりそうなのかしら……」
「そうです。しかしご安心なさって、蜂ごときわたくしがどうにかして差し上げますわ」
「本当に? あ、もしかしてアネモネちゃんが糸で捕まえてくれるとかかしら」
「いいえ糸は使いません。しかしお金に糸目も付けません。業者を大量に雇い捕まえさせるのですわ。これで解決ですの!」
顎に手の甲を当て胸を後ろに大きく反りながら、彼女は笑い声を上げた。
人間界に伝わる神話の中では、アラクネとは、人の身でありながら傲慢にも神に勝負を挑んだ一人の少女の末裔だと記されている。
勝負の内容は機織。幸か不幸か少女は神との勝負に勝利する。
しかしそのせいで神の怒りを買い、半身を蜘蛛に変えられてしまったのだとか。
以来少女の血を引く者は皆、同じように半身が蜘蛛の姿で生まれてくるらしい。
ただこれもセレナやジュリアのとき同様、人間が勝手に作った酷いお話である。
そんな伝承は、魔界では一切伝わっていない。
だが傲慢という部分はそのとおりで、アラクネという種族は、魔界・人間界の両世界で高い地位と莫大な富を有しており、他人に対して高圧的な態度を取ることが多いと聞く。
まあアネモネの場合はおバカな高飛車さん、くらいで可愛らしいものだが。
それでも何でもかんでもお金で解決しようとするその姿勢はいただけないと思う。
「ですが解決をしたのはいいものの、どうして蜂が出てきたのでしょう。あんごさん、今日のご相談は一体どなたからなのですか?」
「いやだから聞いてたんじゃなかったのかよって」
ここでとうとう、ツッコみを入れてしまった。
「それが、落ちたショックで内容を忘れてしまいましたの」
「今落ちたって認めたな?」
「ゴ、ゴホン……お、落ちたと言っても、寝落ちのことですわよ? あなた方のお話があまりにも体前屈だったもので」
「それは退屈の言い間違いなのか? それとも暗に長座だったと言っているのか?」
「チョウザメ? キャビアならもう食べ飽きましたわ」
そんなことは聞いてないよ!
「そんなことよりも、早く今回のご相談内容を教えて欲しいのですけれど」
「はいはい分かりましたよ、これを見ろ」
俺はPCのある席へと戻り、アルラウネから届いたメールの内容を読み聞かせた。
もちろん花粉症についてはアネモネも知らないようだったので、その説明も加えつつ。
「なるほど、それでジュリアさんは蜂を使おうとなさったわけですのね」
「そういうこと。でもその案はもういいから、次はアネモネが案を考えてくれ」
「分かりましたわ。どうすれば花粉で迷惑をかけずに済むか……」
優雅に腕を組み、彼女は何やらぶつぶつ呟き始める。
「ですけれどあんごさん、花粉が作られるのもその花粉が飛ぶのも、防ぎようがなくありませんこと?」
「そうだな、俺達も同じ考えだよ」
「では、その後の策を考えればよいと……分かりましたわ。もうこれしかありませんの」
「これって、一体どんな案だよ」
「迷惑をかけた分、金をかける」
またお金の絡んだ内容かと思いつつ、詳細が分からないので説明を求める。
「簡単なことですわ。まず、札束を用意しますわよね? そしてそれで、迷惑をかけた生徒の頬を叩くのです」
「なぜ……」
「これで花粉については目をつむれということです。まあ目をつむれば花粉とやらが体内に侵入することも防げますから、一石二鳥ですわ」
そしていつもの高笑い。頭が痛くなりそうだった。
「またバカな案を」
「え? マカオ・パタカはあかんよ、と仰いました? 確かそれはマカオの通貨ですわね。安心してくださいな、叩くのに使うのは日本円ですから」
「そんな心配はしていないしそんなことも言っていない!」
マカオ・パタカって何だよ! そんな通貨初めて聞いたよ!
と言うかなぜ俺関西弁!?
「いいかアネモネ、生徒が生徒を買収するな」
「ですが金でことが穏便に収まるのなら、それに越したことはありませんわよ?」
「いや、生徒の買収のどこが穏便なんだよ。それにさ、そんな力技が誰にでもできるわけじゃないだろう?」
アネモネはお金持ちの家のお嬢様だからいいけど、アルラウネ達に同じことができるとは思えない。
「心配は要りません、お金はわたくしが用意いたします。ノブレスオブリージュ。持ってる者はいる、ですの」
「持てる物の義務、な」
持っている者はいるって、そりゃどこかにはいるだろう。
しかしコイツはホント、いい奴なのだけどどこかずれているな。
「でもやっぱりその案はダメだろ。生徒間の問題解決に金銭を授受するっていうのは」
ここは教育の場だ。問題視される可能性はとても高い。
「なら金ではなくコネを用意しましょう。これで将来は安泰ですわ」
お金よりもそっちの方が数段いかがわしい香りがするが……。
「それもダメだと仰るならば、わたくしにはもう手の出しようがありませんわね」
全員の意見が出しつくされ、一瞬、教室がシンと静まり返る。
ふとPC画面の時計に目を落とすと、部活終了時刻まで後五分といった具合だった。
「よし。じゃあそろそろまとめに入るか」
それを合図に、全員がPCの前に集まり画面を覗き込む。
「えーっと、今日皆が出してくれた案は――」
・先生に早漏の治し方を聞く(早撃ちアンゴンも一緒に病院へ)。
・アルラウネから出ているのは花粉ではなくフンだと思わせ、花粉が迷惑なものだという認識を変える(ふーん)。
・花粉が飛んでしまうのがダメなら、もう自分が飛んでしまう(男子は手を上下に振ればトべるよ?)。
・体表で蜂を飼い、花粉を集めてもらう(ブーン)。
・迷惑をかけた分、金をかける(マカオ・パタカはあかんよ)。
「とまあこんな感じだけど。ってちょっと待て、誰だ悪戯した奴は」
何か案の後に、括弧書きでわけの分からないことが記入されてるぞ。
「あ、それはわたしです。後半暇だったのでちょっと」
「ちょっとってセレナお前なぁ……まあいいけどさ」
これをこのまま相談者に返信するわけではないし。
それよりもだ。この中から最も良い案、最もまともな案を一つ選び出さなくては。
結局どれも一度却下した案ばかりになってしまったが……。
「にしてもホント、どれもまともな案じゃないな」
この中からどれかを選べだなんて無茶にも程がある。
「一見すると、わたくしの案が一番よいように見えますわねあんごさん」
そんなアネモネの一言を皮切りに、わたしの意見の方が私の意見の方がと三人が好き勝手に話し始める。
「落ち着け。どれもレベルは同じだ」
まったく、どうしてこんな変な案を出す奴らばかりなのだろう。
文句を言いつつそれを止められない俺も俺だが。
「しかしまあ……まあ、うんそうだな。アネモネの案が一番かな」
『迷惑をかけた分、お金をかける』
まともかどうかはさて置き、現実可能という部分ではこの案が一番だと言えよう。
他の案は、まともかどうかを無視しても現実不可能なものばかりだ。
「と言うわけで、今回はアネモネの案を選ばせてもらうよ」
「おーほっほっほっほっほっほ! まあ当前の結果ですわね。わたくしはアラクネ。アラクネとは、案が選ばれる運命の歯車に組み込まれし者やねん、の略なのですから」
「それだとアラクネじゃなくてアラグネだけどな」
しかもやねんって、どうしてちょこちょこ関西弁なのだろう……。
「ま、何でもいいけど。とりあえずお前の案に決定な」
俺はメールの返信ボタンをクリックし、文面を作り上げていく。
正直お金を渡して解決というのはどうかと思うし、高校生の懐事情を考えるとそれなりのダメージになりそうだけど、でも、何のリスクや代償もなしに何かを得ようというのは土台無理な話なのかもしれない。
それはさっきジュリアも言っていたこと。
「最終的にどうするかは、ご自分で選択していただければと思います。それではまた何かあれば、ご相談ください。これでよし、っと」
誤字脱字などのミスがないかメールを一度見直し、そして送信ボタンを押した。
それとほとんど同時に、部活動の終わりの時刻を報せるチャイムが鳴る。
「さて、それじゃあ帰りますか」
PCをシャットダウン。今日の部活、これにて終了。
読んでいただきありがとうございました!