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「傷を付けずに血を吸うか。牙を付き立てる必要がある以上、不可能だと我は思うが」
そんな誰もが真っ先に思ったであろう愚痴をこぼしながら、キュートは腕を組んだ。
下半身から伸びる十二本の触手も、しきりにうねり始める。
癖なのだろうか、何かを考えているときはいつもああなるのだ。
聞くところによると、あの触手の一つ一つに脳に似た器官が備わっているらしい。
そりゃ頭がいいわけだ。
「はっはっは、分かったぞ」
触手のうねりが止まったのと、彼女が口を開いたのはほぼ同時だった。
「人に傷を付けたくないのなら、人以外のものから血を吸えばいいのだ」
「待て待て。悪いんだけど、人の血を吸う場合においてという前提で考えてくれないか」
「たわけ。そんな選り好みのできる立場か。人を傷を付けたくなければ他のもの、猿の血を吸え。もっと言えば泳ぐ猿の血を吸え」
「泳ぐ猿って何だよ」
「見ざる、聞かざる、言わざる、泳ぐさる。の泳ぐ猿だ」
日光東照宮にそんな猿はいねえよ……。
一体泳いでいる猿が、何の叡智の秘密を示しているって言うんだ。
「そもそもどうして泳ぐ猿に限定するんだ」
人以外の血を吸うにしても、もっと色々選択肢はあるだろう。
「それはあれだ。ことわざでこう言うだろう? 『吸いたいなら泳ぐ猿がヨロシ』と」
「なぜことわざの日本語がカタコトなの!?」
正しくは、すぎたるはなお及ばざるが如し。
「これは『血を吸いたいならば、泳いでいる猿の血にすればいいですよ』という意味だな」
「そのまま!」
それにそんなことわざ日本のいつどこで使うの?
一体全体、コイツはどこのどいつにどんな勉強を教わってるんだ。
「もちろん却下な。他の案を考えてくれ。次は人の血を吸う場合においてという前提で」
「構わんが、しかしそれならばこちらも一つ前提条件を付けさせてもらう」
キュートが提示したのは、傷は絶対に付いてしまうというものだった。
それを前提に、どうすれば付けてしまった傷を早く綺麗に治せるのか考えるという。
「要は、吸われる側の、傷に対する不安がなくなればよいのだろう? ならこの条件でも問題はあるまい」
「それはそのとおりだけど。傷を早く綺麗になんて、そんなことが可能なのか?」
ジュリアとも話したとおり人間界で魔法は使えないし、そんな易々と魔法レベルの治療ができる薬や技術もあるはずがない。
しかし彼女は簡単なことだと鼻で笑う。
「付いてしまった傷のその口に、アジを乗せればよいのだ」
「アジ? アジって魚のか?」
「そうだ。魚へんに参と書いて鯵。アジだ」
「どうしてアジなんか乗せるんだ……?」
「察しの悪い奴だな、ことわざに決まっているだろう? ことわざとは昔の人の知恵みたいなものだ。そして彼らはこう言っているだろう? 『傷は一匹のアジ』とな」
どうだろう……『聞くは一時の恥』となら言っていたと思うけど。
「傷に一匹のアジを乗せておくのだ、これで早く綺麗に治る」
「治るわけあるか!」
「む、そうか。やはり一匹では心もとないか」
だが安心しろこのことわざにはまだ先がある、とキュートは続ける。
「『傷は一匹のアジ』それに続くのは『効かぬは一層のアジ』だ」
「多分『聞かぬは一生の恥』だなそれは」
「いいや『効かぬは一層のアジ』だ。一匹で効果がなければ、より一層アジを乗せなさいということだな」
「どれだけ乗せても一緒だって!」
何段積もうがアジはアジ!
「あのなキュート、アジに治癒効果なんてないし、それに傷口に生魚なんて乗せたら余計傷が悪化するからな?」
下手したら、別の病気にかかってしまう可能性だってある。
それらの理由から、早々に却下を告げた。
「そうか。ならばもう我に案は残されていない。せいぜい言えることは、神に頼めということだけだ。言うだろう? 『困ったときの神頼み』と」
ことわざが合ってる! こんなときにだけ!
まったく。結局出てくる案の内容は他のバカ共と変わらないか……。
溜息と共に天を仰ぎ見る。視界に入った掛け時計の針は、部活の終了時刻を指していた。
「誰か他に意見のある奴はいるか?」
全員が首を横に振ったので、俺はまとめに入ることにし、PCの画面に目をやった。
・人の体にジッパーやフタを取り付ける(ジッパーが、なかなか閉じない、あーくそうっ)。
・チョコをいっぱい食べさせる(チョコレート、逆から読むと、トーレコョチ)。
・蚊になる(蚊になろう、坊主等皆で、ブンブブーン)。
・牙を付けない(牙なんて、かっこつけても、結局歯)。
・人ではなく泳ぐ猿の血を吸う(温泉で、くつろぐ猿が、狙い目だ)。
・傷口にアジを乗せる(アジ乗せて、出かけるとすぐ、捕まるよ)。
今日皆が出してくれた案は以上。
「で、今日落書きをしてくれたのは誰だ?」
「ご、ごめんなさいあんごくん。それは私なの」
申し訳なさそうに名乗りを上げたのは、まさかのジュリアだった。
ただコイツが暇だったからとかそんなくだらない理由で落書きをするとは思えない。
「何か事情があったのか?」
「そ、その、告げ口をするわけじゃないんだけど、ハッピーちゃんが退屈だったみたいでイタズラし始めちゃって。ばれたらあんごくん怒るかなと思って、咄嗟に書き足して全部俳句にしたの」
「いや咄嗟に全部消せよ……何でそこで俳句なんだよ」
いくら俳句でも、この場においてはただの落書きでしかないのに。
「さっきキュートちゃんが遅刻理由に国語の勉強って言って怒られてなかったから。国語っぽくすれば許されるのかなって」
「国語っぽくって、でもお前の俳句破天荒過ぎないか?」
「そ、そうかしら。種田山頭火さんの方がもっと破天荒だと思うわ」
種田山頭火。確か『分け入っても分け入っても青い山』の人だったっけ。
「前に国語で習ったときに興味を持って、他にどんな句を詠んでいるのか調べたことがあるんだけど、正直ビックリしたわ私」
そんなことを言われるとつい気になってしまって、俺は目の前のPCで検索をかけた。
出てきたのは……。
「酔うてこおろぎといっしよに寝ていたよ」
いやいや、何の報告だよ。
「あたたかい白い飯が在る」
だから何の報告!?
「はだかで話がはづみます」
これにいたってはもはや意味不明!
他にも数々の難解な俳句を詠まれているようだった。
「ね? 自由すぎるでしょう」
「うん。言っちゃ悪いけどそうだな」
いくら自由律俳句というジャンルなのだとしても、自由過ぎ。
何だろう……素人の俺の目には、あまりにも五・七・五にならないから途中で諦めた風にも見える。
「これに比べればまだジュリアのは俳句っぽいよ」
「じゃ、じゃあ許してくれる?」
俺は首を縦に振った。
そもそもジュリアは悪くないし、それに元から落書きについて咎めるつもりもない。
それより今は、この六つの案の中から最もよいものを一つ選び出さなければ。
最もよいものと言うか、これらの案は一度全て却下しているから、実際のところは最もマシな案だが。
「んー、この中だとハッピーの出してくれた案『チョコをいっぱい食べさせる』って案が一番マシかな……?」
それによって鼻血を出させ、その血を吸う。という作戦らしいが。
これなら一応相手を傷つけることなく血を吸うことが可能だ。
他人の鼻から出てきたものを口から摂取するというのは少々いただけないが……そこは我慢してもらおう。
「そうだな。今回は、ハッピーの案を採用させてもらうよ」
発表を聞き、三者三様の反応を見せる彼女達。
ハッピーは喜び、ジュリアは落ち込み、キュートは肩をすくめ。
それを横目に、返信のメールを打ち込んでいく。
「最終的にどうするかは、ご自分で選択していただければと思います。それではまた何かあれば、ご相談ください」
いつもどおりの定型文で締め、誤字脱字のチェック後、送信ボタンを押した。
「終わりっと。それじゃあ皆、帰るとするか」
PCをシャットダウン。今日の部活、これにて終了。
前回の更新より期間が開いてしまい申し訳ございません。
今日も読んでくださって、ありがとうございました。