再会
モンスターの群の侵攻を、私たち二人で止めるのはあまりにも無謀だ。間違いなく二人とも死ぬか、どんなに運が良くても再起不能の重傷を負うだろう。
それだけはなんとしても避けたいと思っていたので、私とダルフェイがモンスターの一団に追いつけなかったのは幸いだった。もし追いついていたら、きっと私にはダルフェイがモンスターたちに攻撃を仕掛けるのを止めることはできなかっただろう。
二人が村についたとき、そこでは既に人間とモンスターの攻防が始まっていた。
私はダルフェイに先立って村に入り、できるだけ派手な攻撃を仕掛けた。まず第一に、我々が協力者で村人にとって味方であると宣言しなければならない。でなければ、我々が人間の攻撃を受けてしまう可能性もあるのだ。
私の唱えた魔法は強力な落雷を引き起こし、敵の一団を焼き尽くした。狙いは正確だが、人間の血のお陰で魔力の低い私には、せいぜいあと一発が精一杯だ。
だが、遥か上空から落ちた青白い閃光は、村人全体に、我々が加勢に来たことを十分にアピールした。それと同時に、モンスターの敵意は我々の方に向けられる。これもまた仕方が無いことだ。人間に我々が味方だとアピールするには、こちらが前線に立たなくてはならない。
「ダル、厄介な相手はお前に任せる。その代わり、ザコは私が引き受けよう」
「うん、わかった。……気をつけて、ラルム」
「お前もな」
そう言って、私は彼のもとを離れて、近くの民家の屋根に飛び移った。
敵のほうもとっさに役割分担をしたのか、案の定ザコどもは私をターゲットに決めたようだ。悔しいがどう見たって、ダルフェイよりは私の方が弱そうに見えるだろう。
だが、ゴブリン程度のモンスターに、ハーフエルフである私が負けるはずは無い。
弓矢を取り出し、構える。
狙いの正確さは、エルフの血のおかげだ。
そして人間の力が、より強く弓を引かせる。
私の第一射は、村娘を襲おうとしていたゴブリンのこめかみを貫いた。
「あ……」
驚いたように私を見上げる少女。
「あなたは……?」
「私の名はラルム。お前達の加勢に来た者だ」
いいながら、第二の矢を射る。
次々に眉間を貫かれて倒れていくゴブリンたち。
私は、ふとダルフェイに視線を移した。
ダルフェイは、一匹のオークと戦っていた。
オークとは、豚に似た人獣である。好色で薄汚い、品性のかけらもないモンスターだ。
その頭を、ダルフェイの斧が叩き割る。普段なら目を背けたくなるような光景だが、私は思わず安堵の笑みを漏らしていた。
隣の屋根に飛び移ると、少し離れた位置で男がゴブリンに囲まれていた。剣は持っているが、扱いはサッパリで、ただ振り回しているだけで威嚇にもなっていない。
しかし、弓矢で倒していくには、少々数が多すぎる。
「しかたないな」
意識を集中し、私はある精霊を呼び出した。
私に最も好意的で、しかし時には恐ろしい破壊力を生み出す力を持つ無邪気な精霊――風の精霊、シルフ。
彼らは一陣の疾風となり、また空気の渦となって、ゴブリンの一団に襲い掛かった。
凄まじい風がカマイタチを生じ、ゴブリンの体をバラバラに切り刻む。
一瞬にしてぼろきれのような肉塊と化したゴブリンたちの姿に、男は呆然と腰を抜かしていた。
「そんなところでぼうっとしていないで、早く逃げたらどうだ」
そう男に告げて、私は次の敵を求めて跳躍した。
子供が、木に登って泣いている。
その下で、木を切り倒そうとしているオークがいた。
オークの硬い皮膚に、弓を通すのは難しい。同じように、シルフに命じて切り刻むのもまた無理だといえた。
子供は、木に加えられる振動で、今にも振り落とされそうになっていた。落ちてしまえば、奴らに貪り食われてしまうのは目に見えている。
何とかしなければ……。
ダルフェイに伝えようかと、彼の姿を求めたが、彼は別のオークと格闘中だった。
「聖なる樹霊ドライアド、今こそ目覚め、その身を護りたまえ!」
木々の精霊ドライアドの召喚は初めてだったが、いちかばちかの呼びかけに、その木の霊は応えてくれたようだった。いっせいに広がり茂った枝が、子供を護るように包み込む。それと同時に、土中から突き出した一本の根が、オークの体を刺し貫き、鞭のようにしなって投げ飛ばした。
それにしても、肝心の首領であるオーガの姿が見えない。
村人たちは、既に完全に私とダルフェイを味方と認識したようで、その志気は十分に高まっていた。
あちこちで、男たちが武器を取り、ゴブリンやオークと闘っている。
ダルフェイが闘っていたオークを背後から奇襲してしとめた村人が、彼に向かって手を振ってみせたのを見たとき、私は加勢に来て良かったと心の底から感じた。
思わず、緊張の緩んだその時だった。
背後から空気を裂く音が響き、私は慌てて身をかわす。
いつの間に屋根に上がってきたのか、一匹のゴブリンが私に向かって剣を振ったのだ。
とっさに身を捩っていなかったら、私は背中を真っ二つにされていたかもしれない。
切り裂かれたのは衣服だけだったが、思わずバランスを崩し、私は地上に落下した。背中から落ちたその場所は、幸いにも繋がれた馬車の幌の上だったが、すぐに体制を立て直すことができずにいるうち、あっという間に複数のゴブリンに囲まれてしまった。
とっさにレイピアを抜きガードするが、私は接近戦があまり得意ではない。
必死に敵の攻撃をガードしながら、私は逃亡の隙をうかがった。
このままではレイピアも体力ももたない。かといって、魔法を唱えて蹴散らすほどの余裕もない。
「くっ」
かわしきれない攻撃が、私の肌を切り裂く。
このまま、私はこんな奴らに殺られるのか――?!
ダルフェイ……!
心の中で、彼に助けを求めたその時だった。
「オオオオ――!!」
背後から、雄たけびを上げて一人の男が私のそばに駆けつけてきた。
そのまま、勢いに任せて、手にした剣でゴブリンの頭を跳ね飛ばす。
男の闘志は凄まじかった。
ありったけの憎しみを込めて、次々に敵の体を切断してゆく。
おもわず呆気にとられた私に、壮年の男は吼えるように叫んだ。
「エルフのお嬢さん、ぼやぼやしてないでとっとと逃げな!」
お嬢さん……?
その呼ばれ方に激しく違和感を感じたが、我に返ってハッとした。
切り裂かれた服の隙間から、わずかに胸のふくらみがのぞいている。
何てことだ。
思わず舌打ちし、私は後方に大きく跳び退って、近くにあった洗濯物から上着を奪い身に付けた。羞恥心はそれほどなかったが、モンスターどもに知られては厄介だ。
先ほど助けてくれた男に、私は再び視線を向けた。
年は40代後半といったところだろうか。
たくましいが、ひどく疲れたような雰囲気のある男だった。
ゴブリンはあらかた片付いたようだが、目の前から一匹のオークが迫りつつあった。
人間が相手にするのには、少々厄介な相手だ。
「死ね、化け物ォォッッ……!!」
この男には、恐怖というものが無いのだろうか?
彼は真っ直ぐにオークに向かって突き進んでいった。
無謀だ。
あまりにも無茶すぎる。
まるで……そう、まるでこれでは、死にたがっているようにしか見えない。
「加勢しろ、風の精霊!」
私はそう叫び、男より早くシルフを飛ばした。
疾風はオークの両足をわずかだが傷つけバランスを崩した。
そこに、男が剣を振り下ろす。
素晴らしい一撃だったが、しかし、それでも致命傷を与えるにはいたらなかった。
間髪をいれず、私の放った矢がオークの右目、左目と続けざまに射抜いた。
悲鳴を上げる口に第三の矢が突き刺さったのと、男のなぎ払った剣がオークの喉を切り裂いたのと、一体どちらが先だっただろう。
凄まじい血飛沫と地響きをあげ、オークは絶命した。
「無茶をするな」
私はそういったが、
「女は安全なところに隠れていろ!」
と来た。
どうやら、この男の目には私は完全に女にしか見えないらしい。
思わず苦笑したその時だった。
急に、空が曇ったのかと思った。
恐る恐る振り返った背後に立つ、巨大な影……。
オーガ――!
そう認識すると同時に、男が走っていた。
一体、何処まで無謀な奴なんだ。
「待てッ! 死ぬぞ!」
叫んでみたが、とき既に遅く、男は渾身の力を込めて、オーガの巨体に切りかかった。
しかし、分厚い筋肉に、鉄剣はあっさりと根元から折れる。
「くっ!?」
「いかん、逃げろ!」
振り上げられたオーガの手をめがけて、私は矢を放つ。
あっさりと蚊のように叩き落とされてしまったそれは、しかし、男を逃がすためのわずかな時間稼ぎにはなった。
「人間のかなう相手じゃない、諦めろ!」
なおも向かっていこうとする男の腕に、私は必死でしがみ付いた。
「離せ、俺が時間をかせいでいる間にあんたこそ逃げるんだ」
「何をバカなことを言っているのだ。お前がどうこうできる相手なら、私にだって何とかなる」
「お前とは何だ、小娘の分際で!」
「ふざけるな、誰が小娘だ! それに、こうみえても私の方がお前より何倍も年長だッ」
くだらない争いをしている間に、オーガの攻撃が来た。
攻撃は遅く、かわせないほどのものではないが、その破壊力は凄まじく、一撃でも喰らえば即死だろう。
私と男は、とりあえず近くの民家の中に逃げ込んだ。
家の中を通り抜け、オーガの背後に回ろうと考えたのだ。
「あんたは逃げろ、人間の村は、人間の俺たちがまもる。エルフの女にまで迷惑はかけられん」
「まだそんなことを言っているのか。とりあえずこれだけは言っておくが、私はエルフではなくハーフエルフだ。半分はお前と同じ人間、同族だ」
「……ハーフエルフ? エルフと人間の混血か?」
「そうだ」
「だったら……なおさら、あんたは安全な場所へ……」
男が言いかけた、その時だった。
凄まじい音を立てて、家が崩れはじめたのだ。
「なんて力なんだ!」
私は舌打ちし、男とともに急いで家の外に飛び出す。
回りこむどころか、逃げ切ることも出来ない。
家が倒壊する直前、何とか外に出ることは出来たが、瓦礫の山と化したそこには、既にオーガが立っていた。
ダルフェイ……!
私は心の中で叫んだ。
一体何処へいったんだ。
まさか……まさかお前はもう――?
「早く逃げろ!」
この期に及んで、男はまだそんなことを言っていた。
もしかしたら、私を逃がす為に自分は死ぬ覚悟なのかもしれない。
私は迷った。
この男の決意に応えるべきか、それとも――。
「あんたは俺より強いのかもしれないが、女だ。俺は――二度と、目の前で女が傷つけられるのを見たくはない! ただ殺されるだけではすまないかもしれないんだぞ!」
その言葉に、私はハッとした。
まさかこの男は……。
この男は、ダルフェイの――?
「お言葉はありがたいが、あなたが死んでしまっては、この村に来た意味が無いのかもしれない」
私の言葉に、男は不思議そうな顔をした。
「下がっていたほうがいいのは、あなたの方だ。あなたは……」
ダルフェイという男を知っているだろう?
そう訊ねようとして、私は言葉を飲み込んだ。
ダルフェイは、もう殺られてしまったかもしれない。
だとしたら……この男は、何も知らずにいたほうがいいのだ。
「あなたのことは、命に代えても私がまもる」
私は意識を集中して、雷撃の魔法を唱えた。持てる魔力の全てを込めて、目の前のオーガに打ち落とす。
凄まじい衝撃と爆音。
反動に耐え切れず跳ね飛ばされた私の体を、受け止めてくれたのは例の中年の戦士だった。
「やったか?」
たとえ殺すことはできなくても、相当のダメージを与えただろう。
あとはきっと、この男の力でも何とかなる。
そう思った、刹那。
砂煙の中から凄まじい殺気が襲ってきて、私は慌てて、男とともに身を伏せた。
私たちの頭上を掠めて横なぎに振るわれた巨大な蛮刀が、背後の民家を破壊する。
「バカな……!」
砂煙の中から現れた姿に、私は思わずそう叫んだ。
落雷の直撃を受け、オーガの頭部は頭皮が剥き出しになり、酷い火傷に覆われていた。
だが、それだけだった。
「ふ、不死身か?!」
殺られる。
いや、最悪の場合、私は……私は、あいつに犯されるかもしれない。
襲い来る恐怖に思わずへたり込んでしまった私の前に、あの男が立ちふさがった。
「だ、だめだ!あなただけでも、逃げて――!」
オーガが、剣を振り上げる。
私は、悲鳴のように絶叫した。
「ダルフェイ――ッッ!!」
目の前の男が、驚愕をあらわに振り返った。
その瞬間だった。
「ウオアァァ――ッッ!!」
咆哮を上げ、砂埃の中を疾走してくる青年。
何処で手に入れたのか、その手には大剣が握られている。
血にまみれ、ボロボロに傷ついていても、見間違えるはずの無い――その顔。
「イアァァァァッッ!!」
鬼神のごとき斬撃。
その一撃に、オーガの右腕は根元から切断され、血飛沫とともに地面に転がった。
ビクビクと痙攣するその手には、強大な蛮刀が握られたままだった。
「ダル……!!」
「ラルム……無事で良かった」
そう言って微笑んで、しかしすぐにダルフェイの表情は戦士のそれへと戻った。
オーガが、ゆっくりとダルフェイを振り返る。
よく見れば、何処となく面差しの似ている、二人。
ダルフェイの、実の父親なのであろう、オーガ……。
「お前に、恨みは無い」
もはや出血多量で、死は時間の問題であろうオーガに、ダルフェイは静かに語りかけた。
「だが、お前よりももっと……遥かに大事なものが僕にはある。たとえ……お前が僕の実の父であろうと、僕は僕の愛するものをまもる」
確かな殺気を放っていても、そう語りかけるダルフェイの声は、何処か悲しげでもあった。
「せめて、安らかに死んでくれ」
ダルフェイの剣は、意外なほどにあっさりとオーガの首を切断した。
ボスが死んだことを悟ったのか、ザコどもはあっという間に逃げ去っていった。
先ほどまでの混乱が嘘のように、あたりには一気に静寂が満ちる。
「ダルフェイ……!」
静寂を破ったのは、私の上げた歓声だった。
思わず駆け寄って、その胸に飛び込む。
「ラルム……怪我をしているよ?」
自分の方が満身創痍なのに、ダルフェイは心底心配そうにそう言った。
「大した怪我じゃない。お前の方こそ、無事でよかった……」
「駆けつけるのが遅くなってごめんね。なかなか、オーガが見つけられなくて……君の使った魔法で、ようやく見つけられたんだ」
「オーガは、その巨体を隠すために姿が見えにくくなる魔法をかけているんだ。だから、近くに……奴の攻撃範囲にこっちから飛び込まない限り、見つけることは難しい」
そういったのは、あの中年の男だった。
「お前……あの、ダルフェイなのか?」
その言葉に、ダルフェイが体を強張らせた。
「まさか、父……さん?」
男の手には、まだ折れた鉄剣が握られていた。
私はハッとして、ダルフェイを護るように両手を広げて立ちはだかった。
この男は、オーガに強い憎しみを抱いている。
もしかしたら、ダルフェイのことさえ敵とみなすかもしれない。
私は、懇願するように叫んだ。
「ダルフェイは、あなたを助ける為にここに来たのだ! あなたを助けなければならないと……村をまもりたいと、そう言ってここまでやってきたのだ。どうかわかってやってくれ」
私の言葉に、男は面食らったような顔をして、それから、私の視線が自分の手に向かっていることに気づき、慌てて剣を放り投げた。
「本当にあのダルフェイなのか?」
「……そうだよ」
ダルフェイは、静かに微笑んだ。
「無事に……会えて嬉しいよ、父さん。僕にこんなふうに呼ばれるのは、もしかしたら嫌かもしれないけど……」
「何を言うんだ……!」
男――ダルフェイの父親は、そう叫んで泣き崩れた。
それは、安堵と、感涙……。
離れ離れになっていた息子と再会した、まぎれもない父親の涙だった。