悪夢
それから、約10年が過ぎた。
年月が流れ、少しずつだが確実に大人になっていくダルフェイ。変声期を終えたその声も、今は私よりずっと低く柔らかい。
たくましさを増してゆく少年の体。
それを目の当たりにすることが、私には耐えがたかった。
嫌悪と……そして、狂おしいまでの憧憬。
あの子を見ていると、日に日に自己嫌悪が増していく。
私には無いもの、私が欲しかったものを……あの子は、何の苦も無く手に入れることができるのだ。そう思うと、耐えられなかった。私にあるのは……ただこの不完全な、忌まわしい体ばかりだというのに。
気分が悪いといって、その日はダルフェイ一人を狩りに行かせた。
もう一人で森を歩いても危険はないだろう。筋力は私とは比べ物にならないほど成長したし、狩りの腕も確かだった。これから先あの子が生きて行く上で、私は必ずしも必要とはされないのかもしれない。そう思うと、彼の成長が嬉しい反面、どこか寂しくもあった。
しばらくベッドに突っ伏していたが、とても眠れるような気分ではなかった。
気晴らしにシャワーでも浴びようと、立ち上がる。
貧弱な体。
背は高いが、細い腕も、肩も、男らしいというには程遠い。
私はもっと、力強い体が欲しかった。
何処からどう見ても、立派な男に見えるような……そんな体が欲しかった。
いや、貧弱でも構わないのだ。
何処からどう見ても男にしか見えない体ならば……。
殆ど水に近い冷たいシャワーを浴びる。
ホッと息をつくはずのこの時間が、私には重苦しい。
誰にも見られないようにこっそりと、誰にも気づかれないよう静かに……細心の注意を払っても、床に叩きつけられる水音は、いつも私をひどく怯えさせた。
体を伝い落ちるしずくの流れに身を震わせ、気力を奮い立たせるように深く息を吐き出す。
水音が止んでも、次の行動を開始するまでに、私はいつも時間がかかった。
髪に染み込んだ水を絞り、浴室を出る。
柔らかいタオルに顔を埋めそのほのかな香りを感じると、ようやく呼吸を取り戻せるような気がした。
しかし……。
ああ、しかし、私はなんという不注意を犯してしまったのだろう――。
突然開け放たれた扉。
一瞬、慌てて照れたような笑みを浮かべたダルフェイの顔が、愕然と凍りつく。
「あ、ラル……ム、――?!」
信じられないものを見たというように、ダルフェイの目が、怯んだような色を宿して私を見上げた。
いや、信じられなくて当然だ。
私とて、こんな事実……生涯、目をそむけていたかったものを――!
「み、た……な」
絞り出した声は、ただの呻き声にしかならなかったかもしれない。
微かに……血の匂いがする。
眩暈が――。
倒れる。
そう感じた次の瞬間、私は意識を手放していた。
誰かが笑っている。
嘲るように、蔑むように。
不快な視線。視線。視線……!
好奇と、侮蔑の入り混じった――ああ、なんて嫌な目つきなんだ。
怖い。
怖い――!
自分の体を抱えるようにして、私は必死に走った。
何処までも続く、暗闇。
逃げて、逃げて逃げ続けても、この先には――。
この先には、何も……ない。
誰か、助けて……!
母さま、母様――!!
足がもつれ、転んだ拍子に腕と膝を擦りむいた。
モウ、ハシレナイ。
暗闇の中、それでもわかる……赤い、一筋の血の流れ。
イタイ。
倒れた私の髪を、誰かが引っ張る。
何故、私はこんな目にあわなければならないのだろう。
一体、私が何をしたんだ。
好きで生まれてきたわけではない。
いや、できることならば……私は生まれてきたくなどなかったのに。
怖い。
怖い――!
ダレカタスケテ……!!
つかみかかる、無数の手。
笑い声が聞こえる。
お前たちは誰なんだ。
何故、私をいじめるの……?
痛い。
痛い。
痛い。
もう私に触らないで。
お願いだから放っておいて。
ああ、真っ暗で……何も見えない。
体に纏わりつくものを必死に振り払い、這うようにして私は再び走り出す。
誰か、助けて……。
でなければ、殺してくれ……!
殺して。
お願いだ……。
もう、殺して……く、れ……。
寒い。
苦しい。
冷たい、冷たい……。
もう、耐えられない。
深い絶望の中そう感じた時、私はふと、何か大きく温かいものに包まれたような気がした……。