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サルマキスの淵  作者: レエ
第一章
6/28

悪夢

 それから、約10年が過ぎた。

 年月が流れ、少しずつだが確実に大人になっていくダルフェイ。変声期を終えたその声も、今は私よりずっと低く柔らかい。

 たくましさを増してゆく少年の体。

 それを目の当たりにすることが、私には耐えがたかった。


 嫌悪と……そして、狂おしいまでの憧憬(どうけい)

 あの子を見ていると、日に日に自己嫌悪が増していく。

 私には無いもの、私が欲しかったものを……あの子は、何の苦も無く手に入れることができるのだ。そう思うと、耐えられなかった。私にあるのは……ただこの不完全な、忌まわしい体ばかりだというのに。


 気分が悪いといって、その日はダルフェイ一人を狩りに行かせた。

 もう一人で森を歩いても危険はないだろう。筋力は私とは比べ物にならないほど成長したし、狩りの腕も確かだった。これから先あの子が生きて行く上で、私は必ずしも必要とはされないのかもしれない。そう思うと、彼の成長が嬉しい反面、どこか寂しくもあった。


 しばらくベッドに突っ伏していたが、とても眠れるような気分ではなかった。

 気晴らしにシャワーでも浴びようと、立ち上がる。

 貧弱な体。

 背は高いが、細い腕も、肩も、男らしいというには程遠い。


 私はもっと、力強い体が欲しかった。

 何処からどう見ても、立派な男に見えるような……そんな体が欲しかった。

 いや、貧弱でも構わないのだ。

 何処からどう見ても()()()()()()()()体ならば……。


 殆ど水に近い冷たいシャワーを浴びる。

 ホッと息をつくはずのこの時間が、私には重苦しい。

 誰にも見られないようにこっそりと、誰にも気づかれないよう静かに……細心の注意を払っても、床に叩きつけられる水音は、いつも私をひどく怯えさせた。


 体を伝い落ちるしずくの流れに身を震わせ、気力を奮い立たせるように深く息を吐き出す。

 水音が止んでも、次の行動を開始するまでに、私はいつも時間がかかった。

 髪に染み込んだ水を絞り、浴室を出る。

 柔らかいタオルに顔を埋めそのほのかな香りを感じると、ようやく呼吸を取り戻せるような気がした。

 しかし……。

 ああ、しかし、私はなんという不注意を犯してしまったのだろう――。

 突然開け放たれた扉。

 一瞬、慌てて照れたような笑みを浮かべたダルフェイの顔が、愕然と凍りつく。


「あ、ラル……ム、――?!」


 信じられないものを見たというように、ダルフェイの目が、(ひる)んだような色を宿して私を見上げた。

 いや、信じられなくて当然だ。

 私とて、こんな事実……生涯、目をそむけていたかったものを――!


「み、た……な」


 絞り出した声は、ただの(うめ)き声にしかならなかったかもしれない。

 微かに……血の匂いがする。

 眩暈(めまい)が――。


 倒れる。

 そう感じた次の瞬間、私は意識を手放していた。



 誰かが笑っている。

 (あざけ)るように、(さげす)むように。 

 不快な視線。視線。視線……!

 好奇と、侮蔑の入り混じった――ああ、なんて嫌な目つきなんだ。


 怖い。

 怖い――!

 自分の体を抱えるようにして、私は必死に走った。

 何処までも続く、暗闇。

 逃げて、逃げて逃げ続けても、この先には――。

 この先には、何も……ない。


 誰か、助けて……!

 母さま、母様――!!

 足がもつれ、転んだ拍子(ひょうし)に腕と膝を()りむいた。

 モウ、ハシレナイ。

 暗闇の中、それでもわかる……赤い、一筋の血の流れ。


 イタイ。


 倒れた私の髪を、誰かが引っ張る。

 何故、私はこんな目にあわなければならないのだろう。

 一体、私が何をしたんだ。

 好きで生まれてきたわけではない。

 いや、できることならば……私は生まれてきたくなどなかったのに。


 怖い。

 怖い――!

 ダレカタスケテ……!!

 つかみかかる、無数の手。

 笑い声が聞こえる。

 お前たちは誰なんだ。

 何故、私をいじめるの……?

 痛い。

 痛い。

 痛い。


 もう私に触らないで。

 お願いだから放っておいて。

 ああ、真っ暗で……何も見えない。


 体に纏わりつくものを必死に振り払い、這うようにして私は再び走り出す。


 誰か、助けて……。

 でなければ、殺してくれ……!

 殺して。

 お願いだ……。

 もう、殺して……く、れ……。


 寒い。

 苦しい。

 冷たい、冷たい……。


 もう、耐えられない。

 深い絶望の中そう感じた時、私はふと、何か大きく温かいものに包まれたような気がした……。


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