木漏れ日の中で
菜食を主とするエルフの血を引く私とは対照的に、肉食を主とするオーガの血を引くダルフェイにとって、ここでの食生活はかなり味気ないものだろう。ましてや育ち盛りの子供である彼に、いくら私が血の匂いを好まないとはいえ動物性の物をまったく排除した食生活をさせるのは、その成長を妨げることにすらなりかねない。
魚や貝類、沢蟹や小エビ程度なら今までも食事に混ぜてきたが、やはり彼には肉が必要だ。
いつも心配ばかりかけているおわびに彼の好む食事を提供しようと、私は弓を携え狩りに出かけることにした。
ダルフェイはまだ眠っている。その寝顔が幸せそうで、良い夢を見ているようだったので、わざわざ声をかけて行く必要もないだろうと思った。
途中でキノコや野草などを摘みながら、私は森の奥へと入っていく。
普段食料として動物を捕獲する必要が無いため滅多に狩りはしないのだが、エルフの血が良い方に影響し、弓は得意なほうだった。
森も少し奥まで来ると、ゴブリンやらコボルトやらの魔物がうろつくようになる。彼らと遭遇し、実際に何度か仕留めたこともあるが、できるならば無駄な争いは避けたかった。私は別に彼らに敵意を抱いていないし、相手にも無用な警戒をさせたくはないからだ。
気配を悟られにくいよう、木々の小梢を渡ってゆく。すぐに肩先に戯れてくる風の精霊たちに微笑み返し、私は獲物を求めてさらに奥へと進んで行った。
と、一匹の真綿のような色をしたウサギが、茂みの影から現れた。息を潜め、狙いを定めて弓を引き絞る。
次の瞬間、鋭い矢の一撃に体を貫かれたウサギは静かに草の上に倒れていた。
血の匂いに思わず眉をしかめたが、命を奪ったものに対する感傷があるわけではない。倒れたウサギの傍らに降りたち、血の匂いにひかれて余計な連中が集まって来ないうちに、私はすばやくその場を離れた。
帰路を急ぐ途中、ふと、遠くから何やら悲鳴のようなものが聞こえた。
否、それは泣き声だった。
方角を考えても、その泣き声の主がダルフェイであることは間違いない。
まさか……まさか、留守の間にモンスターにでも襲われたのでは?
たちまち胸中に広がる不安と後悔に、私はギリリと奥歯を噛みしめた。
次第に聞こえる声が大きくなってくる。
ラルム、ラルムと自分を呼ぶ声に、私は無我夢中で走った。
息を切らし、駆けつけた先に、見慣れた玄関。
そこで、ダルフェイは膝を抱えて大声で泣いていた。
「ダルフェイ……!」
その声に、ダルフェイは泣き晴らした顔を上げて、どこかきょとんとした様子で私を見上げた。
「ダルフェイ、どうした? 大丈夫か?!」
小さな肩を揺さぶって、私はたずねた。
ダルフェイの様子に、生まれてこのかたこんなに焦りを感じたことはないというぐらい、私は動揺していた。
「何があった……? どこか怪我でもしたのか?」
ダルフェイは涙に濡れた顔を私に向けたまま、何度も激しく頭を左右に振り、そして、つたない言葉で切れ切れに言った。
「ラルム、いなく、なったと……僕、また……」
また、一人になると思った。
その言葉が彼の口から漏れる前に、私は力いっぱい幼い体を抱き締めた。
ダルフェイが泣き止むまで……長いこと、ずっとそうしていた。
震える体のその温もりが、たまらなく愛しく感じた。
未だかつて、こんなにも自分が誰かから必要とされたことがあっただろうか?
ダルフェイ、お前のためならば、私はどんなことでもしてやろう。
たとえ何があろうとも、必ずお前を守ると誓おう。
だから――。
「もう泣くな、ダルフェイ。男の子がいつまでも泣いていてはみっともないぞ」
そういって、私はダルフェイの柔らかな胡桃色の髪を撫でながら立ち上がった。
「……いくぞ」
その言葉に、必死に腕に縋り付いてくる幼い姿。こんなときでさえ、優しい微笑みの1つも与えてやれない自分が心底嫌になる。
おわびに、今夜は特別な料理を作るから許してくれ。
そう心の中で告げて、私はダルフェイと共に家の中に入り、玄関の鍵をしめた。
翌日から、私は狩りに必ずダルフェイを同行させるようにした。
一人で家に残ることを嫌がったということもあるが、なにより彼が狩りの方法を教わりたがったからだった。
昨日、私がウサギを捕らえてきたことを知り、ダルフェイは喜びと同時に私に対する申し訳なさも感じたらしい。
そんなことを感じてくれる必要はまったくないのだが、血の匂いを嫌う私のかわりに、自分がその役目を背負えるようになりたいと、そう考えたようだ。
弓の練習に加え、私は剣術も彼に教えてやることにした。
この森には、たくさんのモンスターが住んでいる。いつか彼が本当に私の代わりに一人で行動できるようになった時、万一敵に襲われたとしても、無事に切り抜けられるようにしておきたかった。
そうして数ヶ月が過ぎたある日。
私たちはいつものように二人で狩りに出かけた。さすがに戦闘のプロである種族の血を引いているだけあり、ダルフェイの才能は目を見張るものがあった。動きはがさつでぎこちなかったが、闘争本能というものがあるのだろう。獲物を捕らえるのはダルフェイにまかせ、私は必死になって走り回っている彼の姿を好もしく見守りながら、周囲に敵の気配がないかいつも気を配っていた。
「きゃぁ!」
という小さな悲鳴と共に、ダルフェイが転んだ。どうやら木の根に足を取られたらしい。
「大丈夫か?」
泣きそうな顔をしながら、それでも必死に涙をこらえて頷くダルフェイ。だが、立ち上がろうとして再び彼は足首を抑えてうずくまった。
「……折れてはいないようだが、すぐに冷やしたほうがよさそうだな」
「ごめんなさい……」
「何を謝ることがある。近くに川が流れているからそこに行こう。さぁ」
背に負ぶさるように促すと、ダルフェイは戸惑いがちに、しかししっかりとしがみついてきた。
まだ軽く、小さな体。彼がいつか大人になったとき、それでもまだ私と共に生きることを望んでくれるだろうか。
そんなことを考えながら、私は木漏れ日の中を進んで行った。
二人とも無言のまま……それでも互いの存在を、何より近くに感じていた。