表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サルマキスの淵  作者: レエ
第二章(完結編)
15/28

暗い涙

 辛いことを思い出しながら語るというのは、きっとそれだけでかなりの体力と精神力を消耗するのに違いない。

 その夜、ラルムは疲れたといってろくに食事もとらないまま、倒れこむようにして眠ってしまった。

 一人で眠るとき、ラルムはいつもどこか苦しそうな表情をしている。悪い夢を見ているわけではないだろうが、眉を寄せて眠る癖は、昔から変わらない。

 起こしてしまうのも可哀想だし、かといって起こさないようにベッドに入るのは、がさつな僕には至難の業だ。今夜は別の部屋で寝ようかなと、寝室の入り口で迷っていると、眠りの浅いラルムが先に目を覚ましてしまった。


「……そんなところで何をしている?」


 不意に目を覚ましたときのラルムの機嫌は、いつもあまり良くない。


「あ……どこで寝ようか、迷ってて」


 そう答えると、ラルムはふと表情を和らげ、それから可笑(おか)しそうに笑った。

 ラルムのこんな表情は、とても珍しい。


「……お前は、変わらないな」

「?」

「お前がまだここへ来たばかりの頃を……ふと思い出した」


 まだ幼かった頃、血の繋がらない人間の父に捨てられ、一人当てもなく森を歩いていた僕をこの家に招いてくれたラルム。どうして僕なんかを拾ってくれたのかよくわからないくらい、ラルムは他人がそばに寄ることを嫌っていた。

 同じ家の中にいるのに、ほとんど顔も合わせない。顔を合わせても、話もしない。


 あるとき、目がさめると家のどこにもラルムの姿がなくて、僕は大泣きしたことがあった。

 捨てられたのかもしれないという不安と、居場所を失うことへの恐怖に震え、玄関で膝を抱えて泣いていると、そこにラルムが帰ってきた。

 いつになく慌てた様子で戸惑いながら僕が泣いている理由を訊ねていたが、僕はラルムが帰ってきたことへの安堵や、なんだかよく言い表せない様々な気持ちで混乱して、ただ大声で泣きじゃくっていたと思う。


 あの時、僕を抱きしめてくれた優しい温もり。

 とても力強く感じたその腕の細さに気がついたのはいつの頃だっただろう。

 僕を置いてどこかへ行ってしまったと思ったラルムは、ただ狩に出かけて僕のために一匹のウサギを捕らえてきてくれただけだった。自分は肉を食べられないどころか、僅かな血の臭いにさえ嫌っていたのに、育ち盛りの、しかもオーガの血の混じった僕を喜ばせようとして無理をしてくれたのだ。


 その夜、ラルムが作ってくれたシチューは本当に涙が出るくらい美味しかった。

 僕が泣いていた理由を話すと「私が出て行くくらいならお前のほうを追い出すに決まっているだろう」と、いつものように少しいらついたような口調で言ったが、僕は何故か嬉しくて、ただへらへらと笑っていたような気がする。

 ラルムは小さく肩をすくめ、それから一言、


「心配させてすまなかった」


 と、ぶっきらぼうに言った。

 それからだろうか。

 ラルムという人を僕はまだまったく理解したわけでなかったけど、少なくとも何か……絶対の信頼感を覚えたのは。

 それ以前は重く隔たる壁のように感じていたどことなく突き放したような態度も、ただ不器用なだけで、決して僕を拒否しているのではないとわかるようになった。

 言葉を交わさなくても、ラルムがそばにいるだけで安らぎを感じることが出来た。

 僕はココにいていいのだと……そう確かに信じられた。


「いつまでそこに突っ立っている気だ?」


 そういえば、確かにむかし何度もそんな風にいわれたような気がする。

 僕は人の傍にいることに不慣れで、しかしめっぽう甘えん坊だった。

 ラルムの傍に行きたいのになかなか傍に行くことが出来ず、僕はしばしば部屋の入り口で、ドアの陰に隠れるようにしてもじもじしていた。


 あの頃は何故なのかわからなかったけれど、今思えば僕と同じかそれ以上に他者との関係に不慣れだったラルムは、始めはそんな僕をいらだった様子で怒鳴りつけては追い返していたような気がする。

 いや、ラルムが追い返していたと言うよりは、僕のほうが驚いて逃げ出していたのかもしれない。ラルムは怒りっぽいが、決して意地悪だったり冷たかったりしたことはなかった。

 ラルムにはただ、戸惑ったり恥らったり、自分の気持ちをうまく伝えられなかったりすると、感情のコントロールが効かなくなってすべて苛立ちに変わってしまう――それはラルムが置かれてきた環境の残酷さ、孤独さゆえだけれど――そんな不安定な面があった。それだけなのだから。


「……そっちでいっしょに寝てもいいかな?」

「いまさらだろう。お前は私を起こしてしまわないかを気にしていたのだろうが、私はもう起きてしまったのだからな」

「あはは……うん、そうだね」


 僕は照れ笑いを浮かべ、ベッドに入った。かつてはラルムの部屋だった寝室。ラルム一人で眠るには大きすぎたはずのベッドは、僕が入ると少々狭いような気もするが、二人で寄り添って眠るには申し分のない大きさだった。

 このベッドについて、ラルムは「友人が作ってくれた」と言っていたが、その友人とやらが何を考えていたのかは、今はあまり深く考えないようにしようと思う。


「ねえラルム」

「ん?」

「昔……僕がまだここにきてしばらくだった時、ラルムはここで本を読んでて……僕が今みたいに部屋の入り口でモジモジしていたらさ、呼び止めて、隣に寝させてくれたでしょ?」

「ああ……お前はいつもなんだかそばに来たそうな顔をしているくせに、なかなか寄ってこなかったからな」

「あの時さ、ラルムは僕にその本を読んで聞かせてくれたよね」

「……そうだったかな」

「うん、そうだよ。内容は僕にはさっぱりわからなかったけど……」

「……」

「話はわからなかったけど、あの時、とても嬉しかったんだよ、僕」


 そう言って微笑むと、ラルムはぷいとそっぽを向いて「もう忘れた」と言った。

 不器用な照れ隠しは、今も昔もあまり変わっていないかもしれない。

 僕はラルムの肩に手を伸ばしてそっと抱き寄せた。未だに何処か不安と、戸惑いの混じったような表情をするラルムの頬に軽く触れて、僕は続けた。


「あの日、僕は君の腕に抱かれて……とても安心して眠ることが出来た」

「……」

「誰かが自分を守り包んでくれるという安堵(あんど)、その温もり、力強さ……それを僕に与えてくれた、僕に教えてくれたのは君だった」

「……それは、私が言うべきセリフだ」

「……」

「あの小さかったお前と……こんな関係になるなんて、あの頃は夢にも思わなかったな」

「……そうだね」


「おかしな話だが、正直言ってお前を拾った時、私はお前がいつか大人になることなど考えてもいなかった。エルフの血のせいで、時の流れに殆ど無縁であることも1つの要因だろうが……それよりもまず、ある程度分別(ふんべつ)のつく歳になったら、お前は私に嫌気がさして勝手に出て行くだろうとたかをくくっていたのだろうな。私はお世辞にもいい保護者と呼べるようなものではないし、他人に好かれる性格でもなかったから」


「出て行こうだなんて、一度も考えたことないよ。出ていけって言われても出て行かなかった」


 僕は、更に近くにラルムを抱き寄せた。戸惑っているのが直に伝わってくる。それを無視して、僕はその耳元に囁いた。


「ラルム、傍にいてくれてありがとう」

「ダル……」


 早い鼓動。

 抱き寄せた体から伝わってくる、その温かな鼓動に、僕はたまらない愛しさと欲望を覚える。


「……ラルム」


 名を呼んで、しかし僕はこみ上げる衝動を必死に堪えた。

 ラルムは疲れているんだ。ゆっくり休ませてあげなければ……。


「ダル」


 少しかすれたような、ラルムの声。


「力を緩めてくれないか……?」


 そう言われて、僕は慌てて腕を解いた。


「ご、ごめん……っ」

「いや……」

「ごめんね、おやすみラルム」

「……酷いな、寝てしまうのか?」


 すねたようなその声音に、僕はどぎまぎしてしまう。本気なのか、それとも単にからかっているだけなのか、表情の乏しいラルムからそれを判別するのは容易じゃない。


「……安心して眠りたいんだ」


 ラルムの手が、そっと僕の頬に触れる。ひんやりとした、冷たい手の平の感触。細くしなやかなその指……。

 僕はそれ以上何も問わず、静かにラルムに口付けた。

 強く抱きあい、お互いに何も考えられなくなるほど深く1つに溶け合い……。苦しいくらいの安らぎに包まれ僕らは眠りに堕ちていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ