告白
「いったい、今まで何処にいたんだ。いや……お前を追い出した俺が、こんなことをたずねるのはおかしなものだが」
ダルフェイの父は、喜びと戸惑いと苦悩が一緒に混ざったような声でそうたずねた。
荒れ果てた村での、しかし、明るい勝利の祝宴。
私とダルフェイは、今、その主役として迎えられていた。
「森に――ラルムが、僕を育ててくれたんだ」
ダルフェイは、人々に囲まれて照れくさそうに笑いながらそう応えた。
「ラルムさんが? そういえばハーフエルフだと言っていたな」
「ええ、こうみえても、私はあなたよりずっと年上です」
見かけはダルフェイと同じか少し上くらいにしか見えないだろうが、私はもうずいぶん長生きしている。その年月は、人間には想像もつかないことだろう。
村人たちの目に、私たちへの嫌悪は無い。多少は物珍しそうにはしているが、みな笑顔で好意的だった。
この日、死者の数はゼロだった。
もちろん、重傷を負った村人もいたが、みな命に別状は無いという。
その幸運を、私たちが加勢に来たおかげだと村人たちは思っているのだ。
そんなものは、私に言わせればただの偶然。
しかし……もしかしたら、気まぐれな神が、ダルフェイ父子の再会に、ちょっとしたプレゼントをしてくれたのかもしれない。
祝勝会は夜遅くまで続き、私はつい椅子にかけたまま、うとうとしてしまった。
「ラルム、大丈夫?」
「うん……?」
ダルフェイの声も、よく聞こえない。
「父さん、ラルムが……」
「ああ、今日はウチに泊っていけ。いや……何日でも、できればずっと一緒に、この村で暮らして欲しいんだ」
男の言葉は、まぎれもない本心からのものだっただろう。
激情にまかせ追い出してしまったが、この男はずっとダルフェイのゆくえを案じていたのだ。
その証拠に、最初に見えたあの疲れたような雰囲気が、今は全くといっていいほど感じられない。
「ありがとう、父さん。でもそれは……ちゃんと、ラルムと相談してから決めることにするよ」
ダルフェイは、そう言って私の体を軽々と抱き上げた。
少し恥ずかしかったが、あえて拒みもしなかった。
なんだか、村人の冷やかす声が聞こえる。
いつもならうるさいと一喝したかもしれないが、今は不思議と、悪い気はしなかった。
「大丈夫?」
ダルフェイの生家は、村の一番南の端に建っていた。
二階建ての、落ち着いた作りの建物である。
「大丈夫だ。少し酔ったのかもしれない」
その日は、ベッドに倒れこむようにしてすぐ眠りについてしまった。
こんなに大勢の人と話したのも、こんなに体を動かしたのも、もう、いつ以来だっただろう。
安らかな夜だった。
私は今日ここに来て……村を救うことができて、本当に良かったと思った。
翌日、目が覚めたのはもう日暮れ時だった。
気が付けばボロボロのまま、体についた血さえ洗い流してもいない。
急激に蘇った不快感に、私は寝かされていた二階から階下へと降りていった。
居間では、ダルフェイと父親が、テーブルを囲んでなにやら楽しそうに話をしていた。
「あ、ラルム」
「すまない、寝過ごした……」
「いいんだよ。それより、君も一緒に話をしない?」
「……その前に、できれば湯をお借りしたいのだが」
私がそういうと、ダルフェイの父はすぐに準備をしてくれた。
好意に甘えて、湯を浴びる。温もりが体に染み渡り、急速に体力が戻ってくるような気がした。
湯浴みを終えると、いつの間にか脱衣所に着替えが用意されていた。
広げてみると、なんと女物のセーターとスカート。
「……」
複雑な気分になったが、多分これはダルフェイの母親のものをわざわざ用意してくれたのだろう。
だったら、着ないわけにも行かない……。
かなり丈が短かったが、それほど着心地は悪くなかった。
なんだか恥ずかしい……そう思いながら、私は浴室を後にした。
居間に戻ると、テーブルには既に夕食の用意がされていた。
ダルフェイは私の格好をみて、呆けたような顔をして硬直した。やはり、おかしいだろうか?
「あの……」
「おやおや、やっぱり、服装が変わるといっそう綺麗に見えるな。やっぱり、女は女らしい格好をしたほうがいい」
満面の笑顔でそう言ったのは、ダルフェイの父親。
女じゃないなどと弁解したところで、いまさら面倒なだけなので、私はとりあえずぎこちない微笑を返して、ダルフェイの隣の席についた。
「お前……いつまでそんな顔をしているんだ。笑いたければ笑えばいいだろう」
そう言って睨みつけると、ダルフェイはなんだか慌てた様子で、そしてすぐに耳まで真っ赤になった。
「ち、違うよ、怒らないで。その……なんか、すごく綺麗だと思って」
「……は?」
一瞬何を言われたのかよくわからず、私はまじまじとダルフェイを見た。ますます萎縮し、小さくなってしまった彼の様子に、ようやく何を言われたのかを悟り、こっちまで気恥ずかしくなる。
「何をいちゃついてるんだ」
そう言って絡んできた彼の父に散々冷やかされながらその日の夕食が終わった。
楽しかった。
他人といることが、こんなに温かく感じたことはなかった。
心底幸せそうな、ダルフェイの顔……。
できることなら、ずっと失わせずにいさせてやりたい。
しかし……私には、ここにとどまる勇気は無い。
私は、密かにダルフェイとの別れを決意した。
真夜中。
月が若干西にかたむき始めた頃、私はこっそり、ダルフェイの生家を抜け出した。
永遠の別れというわけではない。会おうと思えばいつでも会える。
異種の血の混じった私たちは人間よりも遥かに長命だし、それだけに共有できる時間も長いはずだ。
しかし……だからこそ、彼はここにとどまるべきだと私は考えた。
つかの間でも……父とともに良い村人に囲まれ、幸せに暮らすことができるだろう、と。
静かな夜だった。
昨日ここで戦いがあったなどと、とても信じられないほどに。
いつか、また会おう。
そう心で呟き、私は一人、村の出口に向かって歩き出した。
森の入り口に差しかかろうかという、その時だった。
「本当に一人で行ってしまうつもり?」
そう、不意に後ろから声をかけられて、私はハッとして振り返った。
そこに、ダルフェイがいた。父親とともに……二人、仲良く並んで。
「……私は森へ帰る。ここは私の居場所ではない」
私は言った。
「だが、お前は紛れもなくこの村の住人の一人だ。父とともに幸せに暮らせ」
「……そういうと思ったよ」
ダルフェイは、落ち着き払った口調でそういった。何処か悲しげな……しかし、妙にすっきりとした笑みを浮かべて。
とっくに、別れる決意が出来ていたのだろうか。そうかもしれない。彼には私がいなくても、共にいてくれる優しい父親がいるのだ。
「さようなら」
と、ダルフェイは言った。
「また会えるね?――父さん」
私は一瞬、ダルフェイの言葉が理解できなかった。
「ラルム、一人で帰したりなんかしない。僕はずっと、君と一緒にいたいんだ」
「ばかな……お前には、お前を理解し守ってくれる父親がいる。わざわざ、私のようなものについてくる必要はないんだ」
「父さんは父さん、僕にはかけがえのない人だよ。でもラルム、僕は君と一緒にいたいんだ。君のためじゃない。僕の我侭だよ。僕は……君さえいてくれるなら、それだけで十分幸せなんだ」
「……」
言いながら、ゆっくりと近づいてくる、ダルフェイ。
その温かな腕の中に抱き寄せられ、私はひどく狼狽した。
「君を愛してるんだ、ラルム」
囁くような告白。
まるで幼子にでも言い聞かせるような、優しく温かなその響き……。
それからあとは、もうなにがなんだかよくわからなかった。
彼の父にどう言って別れを告げ、どうやって元の森の家に戻ってきたのかも、はっきりと思い出すことができない。
ほんの少し離れていただけなのに、なんだかずいぶんと久しぶりなような気がする我が家。
急に力が抜けて、私は家に入るなり、その場にへたり込んでしまった。
わかったことは、1つだけ。
また、ここで一緒に暮らせる。
ダルフェイとともに……ずっと、二人で――。




