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2016年/短編まとめ

三文芝居の人生を歩む

作者: 文崎 美生

「……あれ」


さらりと落ちてきた前髪に違和感を覚えて、眉根を寄せた。

落ちてきた前髪を掻き上げてみれば、そこにあるはずの存在がないことに気付く。

ヘアピンが、ない。


どこに落としてきたのだろうか、前髪を払いながら考えてみれば、思い当たるのは一つしかなかった。

ものの十数分前に別れた元彼の部屋にでも落としてきたのだろう。

取りに戻るのも癪だから、諦めて家にある予備を明日から使うことにしよう。

払った前髪が落ちてきてもう一度眉を寄せた。


最近はツイてないことが多かったが、これで厄祓いの一つでも出来ただろうか。

ジンジンと痛む手の平を見下ろして、駅前を歩く。


何の謝罪なのかも分からない謝罪を止めて、代わりに謝ってやった私はきっと酷い奴だろう。

謝罪をしたい人間の謝罪を止めて、先に謝るのはきっと、何よりも重い、重い罰。

浮気をしていたことなんて、もうずっと前から知っていたよ、なんて。

部屋の隅、ベッドの下に転がったピアスを見て、笑ってやった。


二ヶ月くらい前からまともな連絡を取らなくなり、一ヶ月くらい前に一度街で見掛けた彼は、いつもは付けないアクセサリーを付けていて、その服装も今までのものとは異なっていたのを覚えている。

その他SNSで上げられる写真も、まぁ、何というか、ブランドのシューズだったり、帽子だったり。

オシャレさんになりましたね、なんて呟いた私を、彼はきっと知らない。


そんなこんなで薄々勘づいていた私に、彼は感づくことが出来ずに、会いたい、なんて言い出して、甘えたいのか別れたいのか、その真意を見出すために会いに行ったのが間違いだったのだろうか。

俺の家に行こうと言った彼に頷いた私に、彼は料理のリクエストをした。

その料理に聞き覚えも見覚えも、ましてや作った覚えすらもない私の問い掛けに、彼は楽しそうだった顔を青くして黙り込んだ。


その後は無言で彼の家まで行き、謝罪をされたもので、謝罪をし返してあげた。

謝らなくてもいいよ、だってその新しい服も靴もアクセサリーも全部、私の為じゃなかったんだもの。

一度目の謝罪を聞いて、そう零した私に、彼は目を見開いて私を見た。

そこに映る私に表情なんてなかった。


その後だ、ピアスを見つけたのも。

取り敢えず一発だけ、と振り抜いた腕は、思いの外大きな音を立てて、その衝撃を手の平にもその奥の骨にも伝えてくれた。

乾いた音が反響し、静まるのを待った私は、微笑んで別れを告げたのだ。


多分、ヘアピンは、その時。


お気に入りだったんだけどなぁ……と呟いてみても、手元に戻ってくるわけでもない。

一応予備があるし、ヘアピンならまだいくつかあっただろう、いざとなったら買いに行けばいいし。

見つめていた手の平を握り締め、コンクリートを踏む足に力を込める。


悲しいわけではないけれど、視界が揺れた。

本人曰く浮気のつもりはなかったんだそうだ。

取り敢えず聞いてあげた弁解には、二回だけと会った回数の報告まで入れられていたが、そんな二回の中の食事が忘れられないのだろう。

その手料理が忘れられないのだろう。

つまりはそういうことじゃないか、揺れた視界から雫が落ちていくのが分かった。


悲しいんじゃない、悔しいのだ。

隠し通すつもりもなかったのか、とか、お前のためとかそんな言葉が欲しかったんじゃない、とか、私に非がなかったのかと問われれば、決してそういう訳でもないのだろうが、ただただ、漠然と悔しさだけが胸の中に落ちて残った。

しこりのように残ったそれは、ジクジクと音を立てて化膿して、私の視界を濡らす。


ブレザーの袖で勢い良く目元を拭う。

流れ落ちてくる前髪の鬱陶しいこと、鬱陶しいこと。

黒い前髪のカーテンで視界が狭くなり、私はその場で足を止めてしまった。

情けない、何だ、これ。

別れを告げたのは私だし、一発だけだけれど平手打ちをして手を上げたのも私だ。

何で泣いてんだ、私。


ずずっ、と音を立てて鼻をすすり、頬を拭う。

足元を見つめながら、ゆっくりと目を閉じたり開いたりを繰り返せば、真っ直ぐにコンクリートへと吸い込まれる雫を見た。

駅前は相変わらずの賑やかさだが、特に視線を感じることは、ない。

そんなもんだ、割と気にしてないものなのだ。


「……迷子?」


ふわり、俯かせた頭の天辺に落ちてきた言葉に、つい、顔を上げてしまった。

前髪のカーテンが揺れて、零れ落ちた雫のおかげで鮮明になった視界。

そこにいたのは見知らぬ男の人だった。


その人は切れ長の目を隠すような黒くて太めのフレーム眼鏡をしていて、小首を傾げながら私を見下ろしている。

赤いシャツに黒いネクタイは正直、堅気とは離れているような気もした。

見た目的には堅気でなくても、下級構成員っぽい。


目を見開いて、ほんの少し口も開けて、目の前の男の人を見上げる私は、なんて答えるべきなのか分からなかった。

迷子、その人は確かに私にそう問い掛けたのだ。

迷子、迷子に見えるのだろうか。

返答に困り眉を下げてみた。


「……うん、まぁ、ないよな。どう考えても地元っぽいしな」


下がった眉を見て頷くその人の視線は、私の着ている制服に向けられた。

自宅から一番近い高校に通っているが、その制服のブレザーは生徒達の間ではダサい、と評判だ。

白地のブレザーなんて目立つことこの上ないが、私は特にダサいと思ったことはない。


落ちて来る前髪を払い、その人の視線を追いかける。

白地のブレザーは襟元とボタンが水色で、その襟元には白のラインが二本。

それを見ながら、高校名を口にされて私は頷く。


「取り敢えず、脇に寄るか」


そう言ったその人は私の腕を支え、駅前の待ち合わせにも使われる植え込みまで移動させる。

雰囲気に飲まれた、というのは少しばかり表現が異なってしまうが、断るタイミングに腕を振り払うタイミングを見失ってしまった。


ざわざわがやがや、帰宅ラッシュが重なっているのか、スーツ姿の人や大きなスポーツバッグを持った学生が大勢駅から出てくる。

それを見ながら、私は何故か植え込みの端っこに腰を下ろした。


「はい、ハンカチ」


「え?」


「まだ使ってないから大丈夫。顔、拭いた方が良い、と思うんだけど?」


差し出されたチェック柄のハンカチと、差し出している本人を見比べれば、面白そうにレンズの奥の瞳を細められてしまった。

ぎこちなく手を伸ばして受け取れば、鏡ある?なんて聞かれて、条件反射のように頷いてしまう。


黒い革のスクールバッグからポーチを取り出し、その中に収められていた小さな手鏡を取り出す。

覗き込んで見た先には、頬に涙の跡を残し、目元を赤く染め上げた私がいた。

化粧なんて校則違反で呼び止められるようなものはしておらず、マスカラが!みたいなことにはなっていない。


頬の跡を拭っていると、隣からは「青春だねぇ」なんて年齢を感じる呟きが落ちてくる。

……年齢を感じると言っても私から見たその人は、二十代前半だ。

女子高校生ブランドを背負っていたら、それ以外はおじさんおばさんに見える、わけもなく、若いと思う。


「おじさんに話してみる?」


聞くも聞かないも、私の選択次第だよ、とでも言うような言葉に、私は静かに手鏡を仕舞った。




***




「ははっ、うはっ。そんなこと、マジであるんだ!」


眼鏡の奥の切れ長の瞳が細められて、その人はお腹を抱えて笑う。

その笑い方は正直言えば、悪役というか、本気で楽しんでいるものだった。

そうして私の話を聞いて、一頻り笑い終わると、深い息を吐き出して背中を伸ばす。


「俺が高校生ん時でも、そんなんなかったわ。してなかったわ」


「それが一番だと思いますよ」


はーっ、と楽しそうに言いながら、目尻に溜まったらしい涙を指先で払うその人。

私は借りたハンカチを握り、両足を手持ち無沙汰ならぬ、足持ち無沙汰に揺らす。

「そりゃそうだろ」なんて同意したその人は、何と言うか年上とは思えない気安さがある。

堅気に見えないとか、何で思ったんだろう。


話し始めてから三十分は経っているだろうが、その人は「難しいねぇ」なんて言いながら、時間を気にする素振りすらしなかった。

そんなその人の横顔を見ながら、指先で落ちて来る前髪をすくい上げようとしたが、それは何故か目の前から迫って来た手で止められる。


すくい上げ掛けた前髪が、何故か別の手ですくい上げられて、そっと耳に掛けられた。

前髪のカーテンがなくなり、確実に先程よりも視野が広くなっている。


「あぁ、確かに。こっちのが可愛いから、ヘアピンはあった方が良いかも」


ぱかり、声を掛けられた時と同じように口と目を開いて数秒。

取り敢えずと一発、元彼に向けたのよりも確実に弱い力で、ぺちり、音を立てて目の前の頬を叩いた。

更に数秒後には、駅前に響き渡る大きな大きな笑い声。


目を白黒させた私は、ハンカチをくしゃくしゃに握り締め、広くなった視界で笑うその人を眺めるだけ。

何だ、これ。

じわりと熱を孕んだ頬を手の甲で擦りながら、私はぎゅうっと眉を寄せてやった。


後日ヘアピンをして、綺麗に洗濯をしたハンカチを返しに駅前で歩き回っていれば、同じような声を掛けられて、答える代わりに名前を聞けば、同じように大きな大きな笑い声を聞くことになった。

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