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第2話

2.


 東海村の字石神より那珂町の本米崎周辺にかけ、家畜盗難事件が相次ぎ、一時的に全国的な話題となった。犯人はいずれも畜舎の鍵を開けずに豚やにわとりを盗み取るという異例の手口である。

 一連の家畜盗難事件が話題となったのは、もう一つ理由がある。同地域に若干いびつな〝ミステリー・サークル〟が出現していたからであった。

 現代でこそ、イギリスの二人の老人、バウアーとチョーリーによる悪ふざけであったことは周知だが、当時は「宇宙人からのメッセージではないか」等の憶測を呼び、茨城の事件はミステリー・サークル出現とも相まって、興味本位の大衆の耳目を惹きつけた。「家畜は宇宙人が連れ去ったに違いない」と主張する者が何人も現れたのも、愚かしいとはいえ事実である。

 実際の被害に関しては、10月上旬の一週間に発生したのが11件、被害総額は三百万円にも上る。不思議なことに、盗まれた畜舎や鶏舎の中には必ずうっすらと粘液のようなものが壁や金網に付着し残されていた。

 連日続く犯行に、地元畜産業者では東海村・那珂町の警察署と協力した家畜盗難防止に関する自警団を結成し、犯人逮捕のためのパトロールを開始する。犯行は主に明け方と夕刻に限られており、しかも湿気の少ない晴日の前後に発生している。パトロールは時刻と天候を基に、当番制で各畜産家が警察官と共に畜舎鶏舎を巡回すものであった。だがこうした住民達の努力を嘲笑うかの如く、犯人は犯行を重ねていたのだった。

 事件が二週間目を迎えた日曜日、地元T小学校で用務員(※現在 技術員と呼称)を務める菊野春男(54歳)は、小学生たちが平日飼育しているウサギに、早朝休日を返上し餌を与えるため出勤した。

 飼育小屋に入った際、菊野は異様な光景目にし声をあげた。

「なんだ、このなっとうは!」

 小屋の中央になっとうがこぼれている。いや、こぼれているのではなく、みずみずしく糸をひきながらゆっくりと回転していたのである。あたかも、蛇がとぐろを巻き臨戦態勢を整えるが如く、突如侵入してきた者への警戒姿勢をとっているかとも思えた。そしてなっとうの背後には、既に白骨化したウサギたちの哀れな死体が横たわっていた。

 菊野は校門前の電話ボックスに駆け込み、自警団本部となっている華村久太郎(62歳)宅に連絡を取った。電話ボックス内には、警察消防に通じる非常ダイヤルも備わってはいるものの、人的被害に及んでいない以上取り合わないであろうと冷静に判断したのだ。

 当初菊野の訴えは受け入れられなかったが、数度にわたる懇願の結果、ようやく自警団の内の3名が小学校に到着した。

 証言の通り、小屋の中にウサギの姿はなかった。そして残されていた白骨死体さえも無くなっていた。

「おじさん、本当に見たのかい。自分でウサギを逃がしてしまって言い訳しているんじゃないだろうね」

「馬鹿者め。本当に言い訳するのだったら、もっとまともな嘘をつくぞ」

 必死の抗議にも、自警団の者は苦笑いを浮かべるだけであった。

 結局ウサギがいなくなったのは菊野の過失であり、加えてあまりに異常な狂言による言い逃れをしたという疑いをかけられ、菊野は翌日、10数年務めてきた小学校の用務員職を自主退職させられた。

 温厚な人柄から、生徒と学校職員からも信頼されて来た菊野の、寂しい退職だった。


 依然として事件は頻度を増して発生し、養豚業者の中には度重なる被害により畜舎の閉鎖を余儀なくされる者も相次いだ。

 茨城県に於ける養豚業は、葉物野菜やさつまいも栽培と並んで重要な産物である。これ以上養豚業の閉鎖が続く場合は、ひいては県の財政にも大きな影響を与えかねない。

 事態の重大さを認識した茨城県警では、県警を主体として本格的に東海村・那珂町家畜盗難事件捜査本部を設置するに至る。自警団のみならず、各畜舎鶏舎に24時間警備員が張り付き、一切の怪しい人物を近づけない体制を、驚くべき迅速さで完成させた。畜舎内部にはセンサーを巡らし、10棟に1台の割合で、当時まだ充分普及していなかった防犯カメラを取り付けた。県警本部長の長野譲(51歳)は、捜査本部設置にあたり、報道各社に対し「犯人を1週間以内に逮捕し、畜産業を営んでおられる方々に対し、一刻も早く安心した夜を迎えて頂くつもりである」と豪語した。

 かくして、家畜盗難犯 対 茨城県警の対決が開始された(余談ではあるが、この過度とも思える厳重警備体制の裏側には、茨城県警という組織のデモンストレーション効果も多分に含まれていたと思われる。本部長たる長野が、後に県議会議員選挙に立候補する予定であったとの噂もあるが、実際のところ立候補には至ってはいないため、真相は不明である)。

 捜査が開始されて3日間は、盗難は発生しなかった。或いは犯人が先日の長野部長の会見を目にし、当分の間犯行を控えたかという推測も立てられたが、翌日には豚3頭が盗難にあってしまう。警備員交代の為に畜舎を離れた僅か5分程の間に、である。

 面子を潰された県警では、以前にも増して警備を強化し、犯人逮捕を目指したのは言うまでもない。


 警告灯を点滅させるワゴンタイプの警察車両に、懐中電灯を携えた警官が戻って来る。中で待機していたもう一人の警官に軽く敬礼をすると、手渡された缶コーヒーを一口含む。

「なあ、どう思う」

「どう思う、って何がだ」

 巡回を終えた山本忠巡査(30歳)は、待機していた佐山茂巡査(29歳)に問いかけた。

「おかしいとは思わないか。一頭の重量百キロを超える豚を、一度に3頭も、5分間でどうやって運び出したんだ。人間技で出来るものなのだろうか」

「できるできないが問題ではなく、今は事件を未然に防ぐことが先決だ。それは我々が考えるべきものではない」

 缶コーヒーの甘さに幾分眉をひそめ、山本はフロントガラスの向こう側に広がる闇夜を凝視する。

「納得できないんだ。佐山巡査は現場を見たことはあるか、あの粘膜を。何の目的であんな痕跡を残しているのだ。それに小学校の用務員の証言もある。或いはやはり人間以外の生物による……」

「世迷い言はそこまでにしてくれ」

 山本の言葉を遮り、佐山が立ち上がる。

「巡回に行ってくる。本部への連絡だけは忘れるな。明日は休暇を申請するよう、私からも口添えしておく」

 佐山は歩幅を広めて畜舎に向かっていった。車内に残った山本は、空になったコーヒー缶を片手に呟いた。

「……粘液の分析は行われていない。先の用務員の証言が狂言でないとしたら……」

 佐山の独り言は、数分を経ずして断ち切られた。畜舎の方角より、佐山巡査と思われる悲鳴が響いたのである。犯人を捕獲したものの、激しい抵抗に遭ったのかもしれない。山本は装備一式を確認し直すと、声のした畜舎の方向へ身を躍らせた。


 血も凍るような凄惨な光景が展開されていた。

 畜舎の床いっぱいに広がった大量のなっとうがうねりを成しながら、ゆっくりと豚を取り囲んでいく。取り囲む相手がなっとうのためか、豚は警戒する様子もない。なっとうがさざめきながら移動すること自体が充分異常だが、やがて豚を完全に取り囲むと、なっとうの一部が盛り上がり、恐ろしい速度で豚の顔面に覆い被さった。

 鼻と口の呼吸器系に流れ込み、悲鳴を上げさせる間もなく豚を窒息させる。仮死状態のまま地面に倒れ込んだ豚の身体を、次には遠巻きにしていたなっとうが一斉に覆い被さり、数秒を待たず完全に包み込んだ。豚の身体の輪郭に沿って盛り上がっていたなっとうだが、更にその数秒後には風船の空気が抜けるようにしぼみ始めた。

 一瞬、肋骨らしき白いものが突き出たが、直後になっとうに覆われ跡形もなく溶解した。獲物を得たなっとうは、畜舎の金網より野外に向かって緩慢な移動を開始する。

 二人の警官は、激しいおう吐感に襲われた。職務上、死体も何度か目にしたことはある。だが、なっとうが家畜を襲って喰うという、想像し得なかった事態に、これまでの価値観と理性が崩壊したのである。呆然と立ちすくむ二人の警官の前を、なっとうは悠然と去っていく。

「追跡するぞ」

 山本の一言に我に返り、二人の警官は懐中電灯をかざしてなっとうの行方を追った。

 粘液は途中で途絶えていた。

 畜舎には、犠牲となった豚の尾の先端のみが残されていた。

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