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アンラッキーチョイス― 爆弾と猫と元刑事 ―

作者: 秋月キアラ
掲載日:2008/02/17

 俺は昔から、人にこう呼ばれている。


 世界一ツイてる男。


 もちろん、褒め言葉として言われたことは一度もない。


 たとえば高校時代、修学旅行の自由行動で迷子になった俺は、偶然にも地元テレビ局の街頭インタビューに捕まり、全国ネットで「鹿せんべいを自分で食べようとして鹿に囲まれた男子高校生」として晒された。


 警察学校では、射撃訓練の初日に的ではなく、天井のスプリンクラーを撃ち抜いた。おかげで同期全員がずぶ濡れになり、教官から「おまえは犯人より先に署を壊す」と褒められた。いや、あれはたぶん褒め言葉ではない。


 結婚生活では、結婚記念日に妻へサプライズをしようとして、予約したレストランを間違え、知らない老夫婦の金婚式に乱入した。妻はその夜、俺ではなく老夫婦に花束を渡して帰った。


 現在。


 俺は独身。


 バツイチ。


 子どもは別れた妻のところ。


 そして職業は、しがない探偵――と言いたいところだが、正確にはまだ探偵ではない。


 警察官である。


 いや、だった。


 今は、ちょっとしたトラブルにより、警察手帳と拳銃を課長に預けている。


 世間ではそれを休職というらしいが、俺は人生における必要なアイドリング期間だと思っている。エンジンを温めているだけだ。決して停車しているわけではない。ましてや廃車寸前でもない。


 部屋は、駅前雑居ビルの四階にあるワンルームだった。


 表札には、手書きでこう貼ってある。


 《ユーヤ探偵事務所・準備室》


 準備室。


 なんとも可能性に満ちた言葉だ。


 まだ始まっていないだけで、失敗していない。


 俺は昨日、近所のマンションやアパートのポストに、片っ端から自作のチラシを突っ込んでおいた。


 チラシには、こう書いた。


 《浮気調査・人探し・迷い猫・その他人生相談まで。元刑事の確かな捜査力。初回相談無料。ユーヤ探偵事務所》


 我ながら完璧だ。


 ただし、プリンターのインクが切れかけていたせいで、後半の文字は薄く、俺の顔写真は半分だけ緑色になっていた。まあ、個性だ。


 そろそろ依頼人が来るころだろう。


 なぜなら、俺は世界一ツイてる男だからだ。


 ドンドンドン!


 ほら来た。


 俺はソファ代わりの折りたたみベッドから立ち上がった。


 ちなみに朝食兼昼食兼夕食として、冷凍のローストチキンをオーブンに突っ込んである。刑事時代に身につけた時間管理能力のおかげで、焼き上がりまであと少しのはずだ。


 玄関へ向かい、ドアを開ける。


「ご依頼ですか?」


 そこに立っていたのは、鼻息の荒い管理人のおばさんだった。


 目が怖い。


 手には俺のチラシが握られている。


「あんたね! これ勝手にポストに入れたの!」


「宣伝活動と言っていただきたい」


「迷惑行為って言うのよ!」


「いや、しかし、地域密着型の――」


「今度やったら警察に言うからね!」


「元警察ですが」


「だから何よ!」


 バタン!


 言いたいことだけ言って、管理人は帰っていった。


 まあ、こんなこともある。


 クレームが来るということは、チラシが読まれたということだ。つまり宣伝効果はあった。ポジティブに考えよう。俺は前向きな男だ。


 ドンドンドン!


 また来た。


 今度こそ依頼人だ。


 俺は髪を手ぐしで整え、なるべく渋い顔を作ってドアを開けた。


「ユーヤ探偵事務所へようこそ」


 化粧の濃い中年女性が、俺を押しのけるように部屋へ飛び込んできた。


 香水が強い。


 あと、声も強い。


「うちのシャルロットちゃんがいなくなったのよ! 早く! 早く探してちょうだい!」


「落ち着いてください、奥さん」


「奥さんじゃないわよ!」


「では、お嬢さん」


「それはそれでイヤミに聞こえるわね!」


 難しい依頼人だ。


 しかし、俺は元刑事である。現場にはいろいろな人間がいる。酔っ払い、怒鳴る上司、泣き崩れる被害者、なぜか全裸でコンビニに入った男。多少のことでは動じない。


「まず、シャルロットさんの特徴を教えてください。年齢、性別、最後に見た場所」


「年は五歳。女の子。ふわふわで、白と茶色で、ちょっと太めで、世界一かわいいの」


「お子さんですか」


「子どもよ!」


「写真は?」


「あるわ!」


 女性はスマホを取り出し、画面を俺に突きつけた。


 そこには、女性本人と、丸々太った猫が写っていた。


「こちらは……」


「シャルロットちゃんよ!」


「猫じゃないですか」


「うちの子よ!」


 なるほど。


 迷い猫。


 探偵業の第一歩としては悪くない。


 浮気調査や失踪事件より、むしろ平和でいい。猫は嘘をつかない。まあ、こちらの言うことも聞かないが。


「わかりました。引き受けましょう」


「ほんと!? よかった! 警察に言っても、猫は事件じゃないって!」


「警察にも都合がありまして」


「元警察なんでしょ? だったら何とかしてよ!」


 元警察という言葉が、こんなに早く役立つとは。


 俺は胸を張った。


「お任せください。シャルロットちゃんの行動範囲、好物、性格、過去の脱走歴などを――」


 そこで、女性が急に鼻をひくつかせた。


「ねえ、なんか焦げ臭くない?」


「俺は金がなくても風呂には入ってます」


「そういう臭いじゃないわよ!」


 焦げ臭い。


 その言葉で、俺の脳内にひとつの映像が蘇った。


 オーブン。


 チキン。


 設定温度二百二十度。


 焼き時間、適当。


「アアアアアアアッ!」


 俺はキッチンへ走った。


 オーブンの扉を開ける。


 中から、黒い物体が現れた。


 かつて鶏だったもの。


 今は、炭素に近い何か。


 煙がもくもく上がっている。


「よかった……」


「どこがよ!」


「火事になっていない」


 やはり俺はツイている。


 爆発もしなかった。


 部屋も燃えていない。


 チキンは死んだが、俺は生きている。


 人生とは、そういう取捨選択の連続だ。


「シャルロットちゃんはどうなるのよ!」


「もちろん探します。まずは聞き込みを――」


 ピンポーン。


 今度はチャイムが鳴った。


 探偵事務所らしくなってきた。


 依頼が連鎖する。


 成功者の匂いがする。


 俺は女性に手のひらを向けた。


「少々お待ちを。新しい依頼人かもしれません」


「猫より優先する気!?」


「依頼は順番に公平に扱います」


 ドアを開けると、宅配業者の青年が立っていた。


「お荷物でーす。サインお願いしまーす」


 依頼人ではなかった。


 だが荷物はありがたい。


 差出人を見る。


 空欄。


 宛名は俺。


 品名の欄には、こう書いてある。


 《花火》


 花火。


 季節外れだ。


 しかし、もらえるものはもらっておくのが俺の主義である。


 サインをして荷物を受け取り、部屋へ戻る。


「それ、今開ける必要あるの?」


 女性が眉を吊り上げる。


「あります」


「なんでよ」


「差出人不明の荷物は、中身を確認するのが元刑事の習性です」


「なら警戒しなさいよ!」


 正論だった。


 しかし、俺は段ボールを開けた。


 中には、丁寧に梱包された木箱と、封筒が入っていた。


 封筒を開ける。


 紙には一行だけ。


『花火は好きか?』


「粋だな」


「不気味でしょ!」


「たしかに、食べ物のほうがよかった」


 俺は木箱の蓋を開けた。


 その瞬間、部屋の空気が変わった。


 箱の中には、ドラマでしか見たことのないものが入っていた。


 デジタル表示。


 赤い数字。


 束ねられたコード。


 筒状の物体が数本。


 点滅するランプ。


 どう見ても、時限爆弾だった。


 残り時間。


 00:00:42


 女性が息を吸った。


「ば、ばばばばばばくだん!」


「落ち着いてください」


「落ち着けるわけないでしょ!」


「大丈夫です。俺は元刑事です」


「爆発物処理班だったの!?」


「いいえ。生活安全課です」


「終わったわ!」


 失礼な。


 生活安全課は市民の平和を守る重要な部署だ。


 ただし爆弾処理はしない。


 俺は箱の中を覗き込んだ。


 42秒。


 41秒。


 40秒。


 カウントダウンは律儀に進んでいる。


「奥さん」


「だから奥さんじゃない!」


「逃げてください」


「言われなくても逃げるわよ!」


 女性はバッグを抱え、ものすごい勢いで玄関へ走った。


 去り際に振り返る。


「シャルロットちゃん探してよね!」


「今それ!?」


 ドアが閉まった。


 部屋に俺と爆弾だけが残された。


 いや、正確には丸焦げのチキンもいる。


 37秒。


 俺は額の汗を拭った。


 こういうとき、人間の本質が出る。


 逃げるか。


 解除するか。


 俺は元刑事だ。


 市民の安全を守る男だ。


 たとえ警察手帳と拳銃を課長に預けていても、魂まで預けた覚えはない。


 それに、爆発すればこのビルだけでは済まないかもしれない。隣の部屋には、いつも爆音でゲームをしている大学生がいる。上の階には、毎朝五時に掃除機をかける謎の老人がいる。下の階には、妙に愛想のいい整体師がいる。


 みんな、少しだけ迷惑だ。


 だが、死んでいいわけではない。


「やるか」


 俺は膝をついた。


 こういう爆弾は、赤か青のコードを切ればいい。


 映画で何度も見た。


 問題は、コードが多いことだった。


 赤。


 青。


 黄。


 緑。


 白。


 黒。


 ピンク。


 七本。


 ラッキーセブンだ。


 ツイている。


 確率は七分の一。


 宝くじよりずっと当たりやすい。


 ただし外れたら死ぬ。


 33秒。


 俺は周囲を見回した。


「ハサミ……ハサミはどこだ」


 ない。


 なぜ必要なときにハサミは消えるのか。


 人類永遠の謎である。


 しかし俺にはナイフがある。


 さっきチキンを切るつもりで出しておいたナイフだ。


 チキンは切る前に炭になったが、ナイフは生きている。


 やはりツイている。


 俺は爆弾入りの木箱を抱え、キッチンへ走った。


 27秒。


 ナイフを掴む。


 どのコードを切るか。


 赤。


 俺の今日のシャツは赤だ。


 赤は情熱の色。


 勝利の色。


 そして俺のラッキーカラー。


 警察学校の教官は「おまえは赤信号も見落としそうだ」と言っていた。つまり赤は俺に縁がある。


 決まりだ。


「赤だ」


 俺はナイフを赤いコードへ当てた。


 24秒。


 手が震える。


 こんなとき、煙草があれば渋く一服するところだ。


 だが俺は禁煙中である。


 決して金がなくて買えないわけではない。


 22秒。


「世界一ツイてる男を、なめるなよ」


 俺はコードを切った。


 ブチッ。


 数字が止まった。


 00:00:07


「……止まった」


 俺は笑った。


 笑いが込み上げた。


 やはり俺はツイている。


 見たか、世界。


 生活安全課でも爆弾は止められる。


 課長に電話して言ってやろう。


 いや、その前に動画を撮るべきか。


 《元刑事、爆弾解除してみた》


 バズる。


 探偵業にも弾みがつく。


 そのとき、爆弾が鳴った。


 ピッ。


 数字が動いた。


 00:00:06


「おい」


 ピッ。


 00:00:05


「止まったんじゃないのか」


 ピッ。


 00:00:04


 俺の脳が、一瞬で冷静になった。


 爆弾を解除できないなら、選択肢はひとつ。


 逃げる。


 逃げ足には自信がある。


 刑事時代、犯人を追いかけるより、課長の説教から逃げるほうが速かった男だ。


 俺は窓を開けた。


 風が入る。


 外には夕方の街。


 道路。


 電線。


 向かいのビル。


 それから、地面。


 遠い。


 非常に遠い。


 ピッ。


 00:00:03


 俺は思い出した。


 ここは四階だ。


 ピッ。


 00:00:02


「……階段にすればよかった」


 ピッ。


 00:00:01


 俺は爆弾を抱えたまま窓から飛び出した。


 世界が斜めになった。


 空。


 ビル。


 俺の部屋。


 丸焦げのチキン。


 遠ざかる窓。


 そして、爆発。


 ドーン!


 炎と煙が背中を押した。


 ガラス片が陽を弾き、コンクリートの破片が飛び、俺はまるでアクション映画の主人公のように空中へ投げ出された。


 問題は、俺がアクション映画の主人公ではないことだった。


 地面が近づく。


 俺は叫んだ。


「やっぱりツイてねええええええ!」


 だが、ここで終わらないのが俺である。


 俺は世界一ツイてる男だ。


 落下地点には、ちょうど引っ越し業者のトラックが停まっていた。


 荷台には、ふかふかのマットレスが山積み。


 俺はその上へ背中から落ちた。


 ぼふん。


 肺の空気が全部出た。


 視界が白くなった。


 だが、生きている。


 全身は痛い。


 耳は鳴っている。


 髪は焦げ臭い。


 けれど、生きている。


 やはり俺はツイている。


 トラックの脇で、さっきの管理人のおばさんが口を開けていた。


「ちょっと! あんた何やってんの!」


 俺はマットレスの上で親指を立てた。


「宣伝活動です」


「警察呼ぶわよ!」


「元警察です」


「だから何なのよ!」


 遠くからサイレンが聞こえた。


 爆発の煙が、ビルの四階からもくもく上がっている。


 俺の探偵事務所・準備室は、準備段階で廃墟になった。


 だが、収穫もあった。


 爆弾の送り主。


 消えた猫。


 妙にタイミングの良すぎる宅配便。


 これは、ただの事故ではない。


 事件だ。


 そして事件があるところに、探偵の出番がある。


 俺はマットレスの上で、ゆっくりと身を起こした。


 そのとき、足元から「にゃあ」と声がした。


 見ると、トラックの荷台の端に、丸々太った白茶の猫が座っていた。


 首輪には、金色のプレート。


 《Charlotte》


 シャルロット。


 依頼対象、発見。


 爆発で吹き飛ばされ、四階から落ち、マットレスに助けられた直後に、迷い猫まで見つける。


 これ以上ない成果だ。


 俺は猫を抱き上げた。


 シャルロットは不機嫌そうに俺の顔を見て、前足で俺の頬を叩いた。


 痛い。


 しかし、これも信頼のスキンシップだろう。


「ほらな」


 俺は煙を上げる自分の部屋を見上げ、にやりと笑った。


「やっぱり俺は、世界一ツイてる男だ」


 その直後、上から丸焦げのチキンが落ちてきて、俺の頭に直撃した。


 意識が飛ぶ寸前、俺は思った。


 夕飯まで降ってくるとは。


 今日は、本当にツイている。

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― 新着の感想 ―
[一言] スピード感があって面白いと思いました。ですが、これを長編にしたらもっと主人公のハチャメチャぶりが出るのではないか、と思います。
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