必要なのは愛3
本当に短いです。
例えば…光ばかりでは眩しくて何も見えないように、闇ばかりでも真っ暗で何も見えない。
だから、光あるところに必ず闇もある。
光と闇は表裏一体。
それがお互いの優しさであり、また愛でもあるのだと思う。
それぞれの場所でそれぞれを尊重しあって、存在している。
…そうなると、嫁いで25年になる嫁の立場で考えた時、始めこそ多少のいがみあいなどもあったけれど、今ではそこそこの友好関係を続けている。
そんな中、ふと姑が発した「日常茶飯事」という言葉の読みが、「にちじょうさはんじ」ではなく、「にちじょうちゃはんじ」と誤った言い方をしている場合、「あはははは」とその場の空気を乱さぬように、間違いだと気づいても指摘などせずにやり過ごすのか?
それとも、話を遮ってまでも、「それ、にちじょうさはんじですから…」ときっぱり指摘するのか?
かと思えば、空気を乱さないような形で、さり気なく「にちじょうさはんじですよ。」と教えて差し上げるのか?
そのどれも、結局は「愛」ではないのか?
相手の為を思えばこその愛。
それとも、気づいてしまった自分がすっきりしたいだけの、自己満足なのか?
その線引きは…
「すいません、折角の思案中をお邪魔しますが…あのですね…早いところ仕事に取り掛かってもらえませんかね…」
背中に真っ白い羽をつけた美しい巻き毛の天使が、普段見せる穏やかな表情の中に若干のイラつきを混ぜた顔で、神様に書類の山を差し出した。
最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。




