ねじ巻き時計
通学中の10分くらいで思いついた設定なので、大分荒いです。
バックグラウンドも、続きもありません。
学校からのいつもの帰り道。
夕暮れ時の狭い癖に交通量の多いこの古臭い道路の、わずかに引かれた歩道を歩幅の短い彼女に合わせてゆたゆたと進む。右を向くと寒そうに両手をすり合わせ下を向いている彼女の姿。
車道側に女の子を置くなんて、さりげなく位置を変わってあげるくらいの良い男っぷりを発揮しなければならないような状況なのかもしれないが、なんだかそんなのもあざとくて、というかそんな余計な配慮は彼女には要らないどころかうざったがられる位だからあえてはせずに。
「寒いですねぇ~。」
機械じみた、どこかのアニメのキャラみたいな特徴的な声で彼女は俺を見た。
さっきまで彼女を眺めていたので当然眼と眼が合ってしまい、俺はそれを取り繕うように誰かにぶたれた蚊のような早さで左の方に顔を向け、わざとらしくせき込んだ。
「あぁ、そうだな……。」
話しかけられただけなのに、胸の鼓動は鼠のごとく速い。
いつもなら何の気なく続けられる会話も、鼓動の速さなんて気にすることなく出来る会話だって、今の俺に出来ないのは、この瞬間に覚悟を決めているからだった。
「まぁ冬ですしねぇ~。でも明日雪みたいですよ?はぁ~嫌だなぁ……。私雪は嫌いなんです。」
そんな俺の様子を知ってか知らずか彼女は、いつものように特徴的な声で心底やってられないというように顔を膨らませて拗ねた声を上げた。
「そんなこと言ってもな……。冬だからな……。」
「冬ですもんね。」
「冬だからな。」
「嫌だなぁ……。」
「嫌だな。」
「真似してるんですか~?」
絵に描いたオウム返しな俺に、のん気な彼女もさすがに勘付いたようで、それでも俺の違和感に気づいているというわけでもなく、ただ本当にわけがわからないと言った感じで不思議そうに尋ねてきた。
「真似してないよ。何でお前の真似なんかするんだ。メリットがない。」
何だかそんな間抜けな質問に、俺は拍子抜けしてしまった。
さっきまでの緊張が少し和らいで、鼓動の速さも止まった。
「まぁそうですねー。」
彼女は単純なのか素直なのかそんな説明で納得してしまって、「寒い、寒い」と言いながら両腕を交差させて肩をさすりながら、身体を丸くしてまた下を向いた。
「ふふっ。」
俺は小さく笑った。
あー何だ、緊張してた俺が馬鹿みたいだ。
彼女はいつでも彼女で、俺はそんな彼女に惚れたのだ。
「何笑ってるんですか~?やっぱり変です。今日のケンちゃんきもいです。」
彼女は今度は不思議そう、というよりは笑われたことが不快だったのか拗ねた顔をして、丸めた身体でこっちを見上げた。
寒さで赤くなった頬を丸めながら、身長的に上目遣いになっている彼女の姿は何とも可愛らしい。
「お前はいつでも変だろ?」
「うわぁひどいです。でもケンちゃん変ってことは認めたのです。やっぱりきもいです。」
「何できもいになるんだよ。」
「だってきもいからです。」
「ロジックがわからん。」
「ロジックという言葉の意味がわからん、です。」
「ロジックって言うのは……。」
「きもいです。」
「何でもかんでもきもいで済ませるな。」
「寒いです。」
「うわ、話逸らしやがった。」
それからの俺は、心臓に鼠を飼っていたことなぞ忘れ、いつもと同じように彼女との会話を楽しんだ。
からかうと傷ついたように見せる癖に、本音ではそのからかいがからかいだときちんと認識して許容してくれる彼女の優しい所も、俺は大好きだった。
相も変わらず彼女を車道側に置いたままで、俺たちは他愛もない、生産性のない会話をしながらゆたゆたと帰り道を歩いて数分後、1つの古アパートの前で2人は立ち止った。
築30年の木造建築アパートの3階。これが俺の家だ。
彼女はこのまま駅まで行くので、俺たちはいつもここでお別れだった。
そうしていつものようにこの古ぼけたアパートの前に、いつもとは違う面持ちで俺は立ち止っていた。
「ふぅ。毎回毎回思うのですが、良くこんなとこに住めますよねケンちゃんは。」
「住めば都。中は案外綺麗だし、何より家賃が安い。」
「男の子ですねぇ。」
「ありがとう。」
なんて俺たちはいつもここに着くと決まりきった定型文のようにこんな会話を交わす。
そして、「さよならです」という彼女の合図と共にお別れをするのだった。
「明日雪降ったら学校来ないと思います。」
「小学生か。」
「小学生なら逆に来ますよぉ。ケンちゃんは阿呆ですねぇ本当に。」
「もういいよ。」
呆れる俺を余所眼に彼女は「フフン、勝ったです」なぞとさぞ勝ち誇ったというように自慢げな、誇らしげな顔を浮かべながら小さくガッツポーズをしていた。
本当に彼女は見ていて飽きない。
「まぁ、風邪引くなよ。お前は馬鹿でも風邪引く厄介な奴だからな。」
「一度に複数の針刺すのやめてください。対応できないです。」
「複数って言っても2つだけだぞ。」
「2つは複数です。阿呆ですか。」
「あぁわかった悪かった。」
再び呆れた俺に気づかないのかまたも彼女は「フフン」という不気味な笑みを浮かべていた。
「でも、まぁ……ありがとうございます。」
彼女はさっきまでの勝ち誇った表情を元に戻し、小さく息を吐くように俺を見て微笑んだ。
その笑顔は雪原を駆ける白ウサギのように美しく、愛おしかった。
「あぁ……気をつけろよ。」
いつも見ている日常的な笑顔の癖に、俺は何故か見とれてしまって、せっかく大人しくなった鼓動もまた騒がしくなって、どもったような声しか出せなかった。
叶うならば、永遠に彼女と話していたいと思った。
「はい。……さよならです。」
そんな俺の気持ちなんて全く知らないのか、彼女はそうお別れの言葉を吐いてくるりと身体を回して俺に背を向けた。
違う。
俺は自問する。
これじゃいつものことじゃないか。
俺は今日覚悟してたんだ。
違う、違う、違う。
俺は今日、今日彼女に……
「待って。」
咄嗟に背を向けた彼女の左手を取った。
彼女は、今度の今度は本当に不思議そうに振り返って俺の顔を見た。
「まだ何かあるんですか。」
早く帰りたいのか彼女は、不満そうに低い声で訪ねてきた。
鼓動はあの時速くなったまま収まらない。
俺はそっと手を離し、至って平然を装った。
「なぁ……みいこ……俺……。」
「何ですか?」
駄目だ。必死で取り繕ってみても、どうしたって鼓動がうるさく、俺は生唾を飲み込んだ。
『なんでもない』って言って逃げるか?
そんな考えが一瞬でもよぎってしまった俺の脳をかち割ってしまいたい。
ここまで来て、引いてられるか。
みいこは怪訝そうに、迷惑そうに、不思議そうに俺を見上げていた。
「みいこ、俺、お前の事が……。」
「勘違いです。」
『好きだ』
そう言おうとしたところを、彼女に遮られた。
余りに唐突で、しかも意味のわからない言葉は俺の理解には及ばなかった。
「え……?」
情けないくらいに間抜けな声を、出すと言うよりは漏らすに近いくらいの音量で出した。
「好きだって、そう言おうとしましたか?」
みいこはそんな俺を見上げながら真剣な顔で聞いてきた。
「そうだ。」
俺も真剣な顔で、彼女に伝えた。
すると彼女は、『くすっ』っと無邪気に笑って言ったのだ。
「だったら、勘違いですよ、それ。」
「は……?」
「勘違いって言ってるんです。その、好きっていうの。」
訳がわからない。
こいつは何を言っているんだ。
唖然として声も出せない俺に、彼女はどんどん続ける。
「みいことケンちゃんは2人で一緒に居る時間が長すぎて、それで勘違いしちゃってるんですよ。ケンちゃんがみいこに恋愛感情なんて抱く訳ないですよ。冷静になってください、ケンちゃんらしくない。寒さで変になっちゃいましたか?まぁ、一晩暖かいお部屋で眠れば気付きますよ、『あぁやっぱり勘違いだった』って。」
彼女は依然として純粋な笑顔を見せながら、楽しそうに、嬉しそうに、優しく悟らせるように言った。
「ちょっと待てって、何だよそれ。」
納得できない俺はまたも彼女の左手を、さっきよりも強く握った。
すると彼女は……。
「離してください!!」
今まで見せたことの無いほどの大声で叫んだ。
「あ……ごめん。」
その声に驚き、俺はただ手を離すことしかできなかった。
「もう、帰りたいんです。寒いんですよいい加減。」
彼女は先程の大声が嘘だったかのようにいつもの拗ねた声で小さく呟いた。
「……。」
俺はもう本当にどうすればいいのか分からなくなって、泣きそうな顔で弱々しく彼女を見つめた。
「フフン、驚きましたか?ケンちゃんが変なこと言うから、ちょっとしたお仕置きです。今度こそ完全勝利です。」
「お前……。」
彼女はそんな俺を尻目に、勝ち誇ったように笑って見せた。
そして、
「さよならです。」
と無邪気に笑って手を振って、動けずに固まった俺の前から雪原を駆ける白ウサギのように走り去って行った。
「みいこ……。」
俺は呆然として赤く染まる景色の中に突っ立っていたが、暫く経って冷静になるとさっきの彼女の言葉が脳内を駆け廻って、俺は何とも腹立たしい気持ちになった。
糞、何だ、何なんだ。
『勘違いですよ、それ』
彼女はそう言った。
「勘違い・・・…?」
この胸の気持ちが?
俺は右手で服の左胸に当る部分を力任せに握りこんだ。
「みいこを見て感じるこの鼓動の速さが……勘違いだって……?」
そんなの、あってたまるか。
そんなのがまかり通ってたまるか。
俺がみいこと歩いて、会話して、その時感じていたこの熱い気持ちを、あいつは『勘違い』だと言って笑った。
そんなの……。
「あってたまるかよ!!」
俺は彼女以上の大声で叫び勢いよく走りだした。
俺の今のこの気持ちが、否俺がみいこと過ごした時間全てで抱いていたこの気持ちが、勘違いであるはずがない。
そんなのみいこじゃなくて、俺が一番良く知ってるんだ。
それに……。
「笑ってる癖に泣いてんじゃねぇよ……。」
『さよならです』と言った彼女の顔は笑っていたが、その目の端に光る涙を、『フフン』と勝ち誇ったように笑ったその声が震えていたのを、俺は見逃しはしなかった。
俺は彼女を追う為に全速力で走った。
どうせみいこのことだ、いつもの駅の無駄に長い階段を上がってちんけな改札を通り、いつもの場所の気持ちばかりに置かれているベンチに腰かけて、拗ねた顔して俯いてるんだろ。
俺は走って、走って、走って、走った。
どうせみいこのことだ、途中で疲れて歩いて駅に向かったに決まってる。
どうせこんな田舎だ、電車なんてそうすぐに来ない。
走って、走って、走って、無駄に長い階段を駆け上がって、改札なのかもわからない程ちんけな改札を通り、入口から数えて5番目に気持ちばかりに置かれているベンチに拗ねた顔して俯いている彼女の前で急停止した。
「はぁ……はぁ……はぁ……。」
今年一番位の走りっぷりを見せた為、俺は荒い呼吸で彼女に話しかけた。
「……ケン、ちゃん……?」
気配に気づいた彼女は、頼りなく拗ねたように呟きながら、ゆっくりと顔をあげた。
「みいこ……。」
その顔はさっきの笑顔とは全く別で、まるで3歳児が迷子になったかのように泣きじゃくった赤い目をしていた。
「な、何しに来たんですか……?」
俺の姿を確認して必死に両手で涙をぬぐい、精一杯強がった顔で彼女は放った。
そんな彼女の姿に、俺はまた腹が立って、腹が立ったその気持ちのままに叫んだ。
「何しに来たじゃねぇよ!!何だ、さっきのは。黙って聞いてりゃ調子乗りやがって……!!」
怒りを込めた声に驚いたのか、彼女は泣くのをやめて不安そうに俺を見上げていたが、そんなのもう俺には見えていなかった。
「俺がお前に抱く気持ちが、勘違いだと?ふざけんな!」
お前に、お前に何がわかるんだ。
「俺が今までお前に抱いて来た気持ちが、無邪気に笑うお前を愛おしいと思うこの気持ちが、勘違いだって言うのか?笑わせんなよ……。」
「だって……だって……。」
そこまで言うと彼女はまた泣きだした。そしてむくっと立ち上がって声にならない声で。
「ケンちゃんのその気持ちが、いつか変わって、みいこより好きな人が出来て、別れようって言われて、そのままずっと会えなくなるんじゃないかって、怖くて……。」
「みいこ……。」
「だったら、ずっと、ずっとこのままで、ずっと、と、友達のままで居た方が、幸せだって……そう、思って……。」
そこまで言って、彼女はわんわんと泣き出した。
そんな幼い子供のように泣きわめく彼女の姿に胸を痛めながらも、俺はそんな姿をひどく愛おしいと思った。
全く……こいつは……。
「だから……勘違いなんです……。ケンちゃんのその気持ちも、みいこの、この気持ちも……。勘違いだから……このまま、ずっと、友達のま」
ガシッ
「へ……?」
そこまで言って俺は、彼女を強く、強く、壊さぬように優しく抱きしめた。
さっきまで泣きじゃくっていた彼女の泣き声は、もう聞こえない。
まだそんなこと言いやがって。
「馬鹿か、お前は。」
そしてまたギュッと彼女を強く抱きしめ。
「この俺達の鼓動の音が、勘違いだって言うのか?」
彼女の耳元で囁いて、そっと、優しく笑って見せた。
「ケンちゃん……。」
彼女ははにかんだように微笑み返して……。
「皆が見てます。」
「え……?」
驚いて彼女を抱きしめたまま首を左右に振ってみると、いつもガラガラなはずの構内には何故か沢山の人が居て、その全員と言っても良いほどの人間が俺達の方を見ていた。
「あ、やば。」
暫しの静止と静寂の後、俺は光のごとく彼女を離して、今更取り繕うように両手で服を払ってゴミを取るふりをした。
「うわ、ケンちゃんひどいです。ここはずっと抱きしめたままでのエンドが理想的な場面ですよ。」
「TPOってのがあるだろ。ていうか早く教えろよ!」
「勝手に抱きついてきた癖に無茶なこと言いますね。」
「抱きしめる前に言えよ!そして抱きついてきたっていう表現はなんか変態みたいだからやめろ。」
「いや事実ですし。ケンちゃん実際変態ですし。問題無いと思います。」
「問題だよ!いやそっちよりももっと大事な問題がだな……。」
「ケンちゃんがキャラにも合わず臭いセリフ言ったことですか?それとも抱きついたついでにみいこにキスしとけば良かったなとか思ちゃったことですか?」
「頼む黙ってくれ。」
彼女は俺を追いつめるのは今しかないと思ったのかここぞとばかりに攻撃をしてきた。
何だこいつ。さっきとは違った意味で、すごく腹が立つ。
俺がどんな思いで告白したかも知らず、彼女はさっきまで泣きまくっていたことをすっかり忘れたのかひたすら無表情に、楽しむように、勝ち誇ったような顔をしていた。
その後も暫く俺の傷口を抉り、塩を塗りたぐる行為を続けていた彼女だが、
「でも……。」
ふとそんな顔をやめ、真剣な顔をして俺の目を見つめて話しだした。
「さっきの、勘違いじゃないんですよね……?」
「え……?」
「さっきの、鼓動は、勘違いじゃなくて、本物だって、信じて……良いんですよね?」
その目にはまた薄らと涙を溜めて。
本当に、こいつは、馬鹿だ。
「初めからそうだって言ってるだろ?」
勝ち誇ったように笑ってみせると、彼女は、
「はい。」
そう言って、無邪気に笑い掛けた。
それを見た俺はもうどうにも溜まらなくなって、本当にキスでもしてやろうかと思った気持ちを必死で抑え、代わりに右手で彼女の小さな頭をくしゃくしゃと撫でてやった。
『セットが崩れます~』と拗ねた声を出しながらも、彼女の顔はひどく嬉しそうだった。
どうやらいつもそうすぐに来ない電車は、人身事故の影響で更に遅れていたようで、それ故に多くの人が駅で足止めを食らっていたのだった。
「あ……。」
なかなか来ない電車を待ちながら2人で気持ちばかりのベンチに腰掛けているとふと彼女は思い出したかのように声を出した。
「みいこ、聞いてないです、ちゃんと。」
「は?」
「だから、告白。好きって、ちゃんと言ってもらってないです。」
「そりゃお前が途中で止めたからだろ。」
「う、それは……事実ですけど。でもちゃんと言ってほしいです。」
「土下座するか?」
「変態。」
俺ははははと小さく微笑んで、すっと立ち上がり彼女の前に立った。
彼女もゆっくり立ち上がって、俺の目を見つめた。
「みいこ。」
「はい。」
「俺は、お前が好きだ。」
みいこの澄んだ目を見て吸い込まれそうになるのを抑えながら俺は改めて告白をした。
「私も、ケンちゃんのこと、好きです。大好きです」
彼女はそう答え、また無邪気に、嬉しそうに笑った。
夕日が刻々と沈む中、なかなか来ない電車が見計らったかのような絶妙なタイミングでホームへとやってきた。
「あ、浮気したら宇宙の藻屑にしますからね。」
電車に乗る直前になって、彼女は勝ち誇ったように笑って言った。
「お前なら本当にやりかねないからやめてくれ。」
「勝ちです。」
「やっぱお前馬鹿だろ。」
「馬鹿って言う方が馬鹿ですよ?」
「謝るからもう黙ってくれ。」
いつもと同じ、生産性のない会話。
だけど、いつもと違う、友達ではなく恋人同士の会話。
そして彼女は電車に乗り込んだ。
「さよならです。」
こうして俺たちはいつもの挨拶でお別れをした。
「あぁ。また明日な。」
閉まった扉から見せる彼女の無邪気な笑顔はどうにも可愛くて、やっぱりあの時キスしとけば良かったななんて思いながら、俺は電車を見送った。
「ま、これからいつでもチャンスはあるか。」
こんなこと言ったらまたあいつに『変態』だとか言われるんだろうな。
いつもと同じ夕暮れの中を、いつもと違う心地の俺はそんな浮かれたことを考えながら家路へと着くのだった。
みいこみたいな女の子に懐かれたい……。