8th Association
竜は這うように飛んだ。その背に乗りながら、わたしはある違和感を感じていた。空気が、なんだか粘ついている。なんだか息苦しいというか。肺に入ると元の通り普通なんだけど。うーん、よく分からない。
……わたしの悪い癖だ。考え込んで、目の前の現実をつい蔑ろにしてしまう。今は、そんなことを考えている場合じゃないだろ。
遠くに空を飛ぶ空走族集団が見えた……。時代遅れのラッパ音を響かせて、縦横無尽に飛び回る。
胸くそ悪い。怒りがこみ上げる。と同時に、感覚が鋭利になる。視界が鮮明になる。遠くの空走族の連中の、姿形がはっきりと見える。
いた――。
暁光。なんたる暁光。ああ神様。なんとお礼申し上げれば良いのやら。こんなにあっさりと、都合良くやつらが暴れ、復讐の機会を与えてくれるだなんて。
「行こう、竜」
「けぇけっけっけっけぇけっけっけっけ! 燃えてやがるな小娘ッ!」
街がにわかに騒がしくなった。迷惑な空走族の許に現れた、あの素晴らしく頼もしい、正体不明の〝竜〟。緑の鱗が夕焼けに焼け付く。悠々と空を這う姿を、また目にできたのだから。
だけど、勘違いするな。お前らのためにわたしはここにいるんじゃない。大好きなふーくんを泣かせた報いを受けてもらうために来たんだ。
やつらもこちらに気づいた。狼狽えたやつがいた。怯えて逃げだそうかと迷っているやつもいた。
そして、竜に会えてあからさまに喜んでいるやつもいた。
「けぇけっけっけっけっけっ! 相変わらず他人様に迷惑かけやがってくそガキどもッ! しかしお前らも、オレ様に掛かれば赤子も同然ッ! 大人しくオレ様に成敗されな、くそガキどもッ!」
「やってみろ、くそ竜がァッ!! この上原槐が相手だコラァッ!」
野太い声。色黒で短髪大柄な男。先程、生意気にも喧嘩の仲裁(?)に入ったやつだ。こいつがボスザルか。竜を見て、一丁前に喜んでいる。倒すべき相手だとでも思っているのか?
竜にわたしの考えが伝わる。
「けぇっけっけっけ、ご名答。自己紹介の通り、名前は上原槐。この鼠聶団の頭で、このオレを何かと目の敵にする輩だ。コイツはそこそこ骨のあるやつだが、ほかは、まあ、表情の通りのカンジだ」
「こいつらのことなんて、知りたくもない。とにかく、コイツをやればあとはゴミだってことでしょ? さッさとやりなさい」
「けぇけっけっけっけっ! 恐い恐いッ!」
槐とかいう男は、スカイボードを操って空高く飛んだ。そしてようやく、竜の背に仁王立ちするわたしの姿に気づいた。
「てめぇ……誰だてめぇオイ……! 答えやがれコラァッ!」
わたしは答えない。ただ黙って、睨みつけていた。声を聞かれてバレたくない、というのも理由としてあるが、それ以上に、こんなやつらと、話をするのも嫌だった。穢らわしい。
槐の手に持つのは……RSD-0.5の武器だ。
思わず、噴き出した。わたしの持つRSD-3の武器に比べれば、玩具も同然だ。RSD-1以下の武器は、更に細分化される。RSDが低い武器ほど近接中心のもので、より身体能力に依存する。つまり原始的な武器と言うことだ。
槐の武器は、鉄パイプのような外形で、先端が青白く光っている。これで、一定以上の強さで殴ると、局所的に痛みを感じさせることができる。原始的な武器、ということで一見危なそうな印象を受けるが、叩いたと同時に先端が衝撃をほぼ吸収するような構造になっており、徹底的に殺傷力を排除している。つまり、実際の鉄パイプの方が遙かに危ない。でもまあ、この竜の硬そうな鱗を鉄パイプでどうにかできると思えないし、竜相手には、精一杯効果的なのかもしれない。
「てめぇ……笑いやがったなッ!」
槐はギリッと歯噛みした。どうやら一人前にプライドが高いらしい。お山の大将を演じるのはよっぽど良い気持ちになれるのだろうか。部下の教育もままならないくせに、笑わせるな。
竜はぐるんと身を翻し、気流を乱すと、槐のスカイボードは足を取られたようにふらふらになって、そのまま地面へと向かった。
叩きつけられる直前、加速度クッションが発動。槐は地面に赤い花を咲かせることなく、ゆっくりと着地した。一度加速度クッションが発動してしまうと、すべてのエネルギーを消費してしまうので、空を飛ぶ力を失った槐は、こちらを見上げて、悔しそうに舌打ちした。
わたしも同じように舌打ちする。痛い目に遭えば良かったのに……。
〝スカイボード〟。この名前自体は菱工航空の商標だ。空力的に有利で、運動性の高い前進翼。それを実現したのは、敢えて疑似等方性を崩した複合材材料。菱工航空の十八番。長年の利用により、安全率は1.1をようやく実現できた。しかし前進翼の不安定性は解消されない。それを乗り越えるために利用したのが、鼠の(大量の)心筋細胞と、ピエゾ素子の圧電・逆圧電効果。電子演算機構なしで、構造的な自動制御装置を実現した。
これには(というか実際のところ自動車でもオートバイでも)加速度クッションという安全装置の着用が義務づけられている。スカイボード内のエネルギーを爆発的に質力へ変換し、エネルギー保存則から、加速度の絶対値を減少させる構造……などと発表されてはいるものの、加速度をあからさまに減少させるほどのエネルギーがスカイボード内に蓄積されていないことは確実で、真相は開発元以外に知れていない(というか、この説明の論理自体、いろいろと破綻している)。また、どこが設計・開発・製造しているかも分かっていないほどだ。
さて、ボスザルが墜ちると、鼠聶団などと無駄に立派な名前を冠したやつらは、途端に烏合の衆へと変じた。連中の持っている武器もRSD-1を超えるものはひとつも無い。
「けぇけっけっけっけっ! さあ、こうなりゃすぐだッ! 全員、墜ちろッ!」
竜は人間の笑いののち、ゴォという動物的な咆吼。まるで獅子のよう。
すると、鼠聶団の連中が次々とバランスを崩して墜ちてゆく。竜の背に乗るわたしも、この光景には驚いて口をポカンと間抜けに開けてしまった。信じられない。いったいどんな魔法だ?
空に敵無しの突然変異種能力。こんな近くにいても、その正体が分からない。
わたしはただ、その光景を眺めていた。
墜ちてゆくその中には、ふーくんをいじめたやつも混じっていた。そして、よく見ると、スカイボード後部に取り付けられているはずの大きなタンク……つまり、加速度クッションが実装されていない。
自分で外したのだろう。軽量化、肝試し、体裁、いろいろ要因はあるが、なんにせよ馬鹿な選択だ。それによって、自らを危険にさらすことになるのだから。
反省しろ。反省できるからだでいられるかも分からないけど。
そして……わたしの期待とは裏腹に、連中は、ゆっくりと減速しながら地面へと墜ちていった。
そんな馬鹿な。どうして?
こんな冗談みたいなことができるのは、多分、ここには竜ひとりだけだろう。次々と墜ちてゆくやつらを、竜は、ひとりひとり丁寧に地面へ送り届けた。
何故だ。何故だ。
こいつらは、ふーくんを傷つけたんだぞ?
わたしの、誰よりも大切なあの子を、悲しませたんだぞ?
それなのに、それなのに、怪我ひとつ無しで返してしまうのか?
冗談じゃない、冗談じゃないッ!
「竜! 何故助ける!」
わたしは叫んだ。
その叫びで、わたし自身、はっと我に返った。驚いていた。
わたしは今、なんと言った? わたしは、やつらがどうなるべきだと思った?
「けぇっけっけっけっけっ。怪我させちまうとな、後味が悪いぜ? 寝覚めが悪いぜ? 殺しちまうと、特にな!」
「あ……あの……」
わたしは、わたし自身に戸惑った。わたしの内側にこんな凶暴性が潜んでいるなんて知らなかった。途端に視界が悪く……要するに元に戻った。竜との同調も、崩れかけた。そうしていると、パトカーのサイレンも鳴り出した。ぞくっと背筋が凍った。間抜けなことに、警察に捕まる可能性というのを、まったく考えていなかった。冷静になって考えて、恐ろしくなった。必死に竜にしがみついた。
「けぇけっけっけっ! ま、雑魚は大方片付いた。ここいらで退散するとするか。けぇけっけっけっけっけっ! 竜の大復活だ。お前ら人間は、オレのお陰で本日枕を高くして眠ることができるってわけだ、けぇけっけぇけぇっけぇっけっけっけっけっけっ!」