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3rd Installation

 確かに、竜がいてくれたら、と思うときはある。空を自由に、まるで這うように飛び回り咆吼ひとつで無法ものの空走族をばたばたと落としてゆく姿は頼もしく、実際空走族に代表される不良グループたちも大人しく潜まざるをえなくなった。

 でも、それが好ましい形だとは、思えなかった。

 治安の悪化……というか、現在問題視されている治安の二極下には、理由がいくつもある。警察機関の半民営化。半企業化。当然のように人員削減。人手不足を招き、するとこれまた当然のように、スポンサーの匙加減で人事が決定され、治安の安定化は各家庭の懐事情によって決定された。

 治安の悪化の要因として、なにより下層の人間が上層への希望を切断されてしまったことが大きいように思える。

『ひとりひとりがちょっとずつがんばって優しい社会にしましょう』

 そのお題目の下に社会が選んだのは、行き過ぎた成果主義。その弊害は、公立教育機関の削減、大学教育機関の企業化、雇用の減少に呼応するように労働時間が増加、共働きしても苦しい下層の生活……いちいち例を並べ上げれば暇がない。

 わたしたちの世界は、富の二極化ばかりではなく、より、下層が上層へ昇りにくくなった。結果、才能や能力ではなく、家柄ばかりが幅を利かせる世の中になってしまった。いわば成果主義によって、実力だけでは這い上がれない世界になってしまった。そんな世界を選択した。

 それらをどうにかしなくちゃ、どうしようもならない。暴力的な解決は根本的な解決にはならない。

 ……しかしまた、わたしも、そんな世界で恩恵を受けている側だ。

 と知ったのは、つい最近になってからだった。子供の頃から当たり前のように端末から閲覧してきた膨大なデータベースへのアクセス権限は、月当たり三万円の親の出費によって得られていたものだった。周りの人間も当然所持していたその端末自体、七万円の初期投資と月々五千円のネットワーク使用料を支払って初めて手に入れられるものだ。それを、落としたり濡らしたりして、壊してしまう子供が案外多かったのだから、恐ろしい。

 あの、コンビニ前でたむろしていたような人たちのことを、知らなかった。

 いや、遠巻きから眺めていた。存在は知っていた。でも、生活の苦しさまでは理解していなかった――。


 そんなことを考えようが、どちらにしたって朝は来る。昨日はついつい本を夜遅くまで読んでいて、この朝のだるさだ。「いってきます」と戸外へ出て、欠伸をひとつすると、

「桜ねぇ、おっきな欠伸」

 と生意気そうな男の子の声。はっと気づいて、手で口許を隠す。油断した。顔が熱くなる。前を見ると、元気そうな小麦色の肌の少年がわたしを指差して笑っている。

「ふーくん、おはよう……」

 ばつが悪そうに髪を梳く。そのランドセルを背負った少年は、わたしが挨拶すると、すぐにからかうような表情をやめて朗らかに笑った。

「おはよう、桜ねぇ」

 子供っぽい笑みと大人じみた気配りのアンバランスは、わたしの心を柔らかく、温かにした。

 (にい)()()(よう)。小学六年生で、歩いて三十秒と掛からない距離に住んでいて、わたしの従弟で、昔からこうやって「ふーくん」「桜ねぇ」と呼び合う仲だ。くりくりとした瞳と、どこか女っぽさを感じさせる顔。スポーツが得意で頭も良いときたもんだ。当然のようにもてるだろうな、と思いながらいつも眺めている。

「ふーくんは、今日から学校なの?」

 ふたり歩き出す。身長はわたしの方がだいぶ上だ。ふーくんは小六の平均よりも少し低く、それが悩みだ。それでもわたしに合わせようと大股で歩くから、わたしは特別ゆっくり進む必要もなかった。

「うん。桜ねぇはとっくに学校始まってたんだよね……。毎日、行ってるの?」

「……うん。特に、休んだりしてない。問題も、何も起こってないから」

「そっか。よかった」

 ふーくんは前を向いたまま、素っ気ない風に言った。胸の中が幸福に包まれる。心配されて、気遣われて、そしてそれを懸命に表に出さないようにしてくれている。なんて良い子なんだろうかと思う。こんな子がもてないはずがない。ああ、小六と高一、この年の差が恨めしい。しかも親戚だしなぁ……。

 などと思って歩いていると、駅の近くが、突如として人混みで溢れていた。その中心には、台に乗って時代遅れの拡声器でがなり立てるひとりの男がいた。緑の肌の、見たことのある男だった。そこそこ有名な政治家だ。一部の衆人は男の声に耳を傾けて陶酔しているような表情をしていた。男の演説がわたしの耳へと入ってきた。

 それはわたしにとって、あまり快いものではなかった。


「我々は、虐げられている!

 先ず悪名高き《突然変異種(ミユータント・)能力(アーツ)開示の原則》! 我々突然変異種(ミユータント)はこれによりおのれの突然変異種(ミユータント・)能力(アーツ)を、職場に、学校に、住む所の周りに、広く公表せねばならない! それがどれほどふざけているか! それがどれほど我々突然変異種(ミユータント)の苦痛となるかッ! 大衆どもは分かろうともしない! 周りのため? みんなのため? ふざけるなッ! こんなものはただの同調圧力に過ぎない! この国に生まれ、雛鳥のごとく口を開けていれば幸せを享受できていた、日本人であること以外誇るべき所のない、土人にも劣る下賤な輩どもだッ! 恐るべき同調圧力でもって、我々の平静を脅かす、劣等民族の群れでしかない、恥を知れッ!

 そしてまたやつらは、《人権侵害可能度数》などという基準でもって、我々突然変異種(ミユータント)を測り、ときに、我々の行動を制限しようとするッ! これは――」


 胸が苦しくなった。耳を塞ぎたくなった……。

《人権侵害可能度数》。これは突然変異種(ミユータント・)能力(アーツ)を〝身体可虐性〟、〝精神可虐性〟、〝人権侵害性〟でもって十段階の評価指数を定め、そしてその評価指数が高いほど、ときに激しい人権の制限(住所が公表される。自由な移動ができない。監視下にいなければならないなどの)を強いられる。ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために。実現されつつある、世界中のみんながちょっとずつ優しくなれる世界。能力のあるものは周りの人たちのためにできる限りの配慮をしましょう。

 それが嫌なのは確かだ。負担なのは確かだ。でも、どうしても、あそこで叫んでいる人たちと、仲間にはなりたくない。

 そして何より、《突然変異種(ミユータント)上位思想》……彼らの唱える思想だ。わたしたち突然変異種(ミユータント)は通常の人間よりも優れているという考え。どうしてわたしたちが大衆に合わせなければならないのか、どうして優秀なわたしたちが負担をしなければならないのか。

 ……嫌いだ。自分たちの正当性に酔いながら、まるで理解しないやつはすべて敵だと言わんばかりに喚き立てる。

 わたしはやはり、あんな人たちと同じだと、思われているのだろうか。

 でも、それじゃあ、わたしはいったい、何モノなのだろうか。彼らと同じじゃないとしたら、いったい。

 恐い。

 いや、何が恐いのか、実際には自分でもよく分かっていない。

 とにかく、逃げ出したくなる。わたしは、どうすればいいのだろうか。わたしは……

 不意に手をぐいっと引っ張られた。驚いて思考が中断される。すっ転びそうになったので急いで足を前に投げ出せば、自然小走りに引っ張られるままにからだが赴く。

「ちょっと、ふーくん!」

 ふーくんは黙ったまま、わたしの手を引っ張り続けた。喧噪が後ろ後ろへと追いやられる。気がつくと既に駅前まで辿り着いていた。ふーくんが止まると、わたしの足も止まった。黙ったまま。突然だった上になんの説明もないので戸惑った。

「ふーくん……どうしたの?」

 聞くと、ふーくんは振り返った。恐いくらいに真面目で、冷たく澄み切った表情をしていた。そしてこれまた突然、腕をぐっと引っ張られた。今度は下方向へ引っ張られたので、わたしは前屈みになった。ふーくんが背伸びした。わたしたちの距離が、ぐっと近づいた。

「桜ねぇは、桜ねぇだから」

 耳元に囁かれた。優しい吐息が耳と頬に当たる。不意打ちだ。何も考えられなくなった。

 そして離れると、いつも通りの笑顔になって、

「じゃあね、桜ねぇ!」

 と言って走り去っていった。


 なんて良い日なんだろう。混み合った電車へ乗って、降りてからもなお、幸せな気分でいた。デモなんてなかった。いや、むしろありがとうございました、といったところか。ふーくんの吐息が掛かったところに手をやる。感触を思い出し、楽しむ。自然、口の端がにやりと上がる。

「ぐふふふ。今日はもう顔を洗わずに過ごそう、そうしよう。お風呂も入らずに――」

「どーしたの桜? 気持ち悪いわよ?」

 不意打ちに背筋が伸びる。後ろから女の声。振り向くと訝しげな表情の百合の姿。そして我に返って、己の含み笑いに恥ずかしさを憶える。

「いやー、あのこれは……」

「なんか、良さげなエロサイト見つけ出したときの弟と同じ顔してたわよ?」

 ひどい! 恋する乙女の顔なのに! っていうか弟いたんだ。

「まぁいいけど……んじゃ悪いけど、わたしは急ぐわね! 家出てから宿題やり忘れたのに気づいたのよ。一刻も早く終わらせなきゃ、現国の鈴木にまーたねちねち言われる!」

 そう言って、百合は早々に走り去っていった。はぁ、とため息をつく。

 ……なんだか、気軽に声をかけられる間柄になっちゃったな。名前で呼び合うってなったときから覚悟はしていたけど。別にそんなものは望んでいたわけじゃなく……かといって拒否していたわけじゃないけど。これもまた、自分の属性を考えると、周りとどう接すればよいか分からなくなるときがある(公表しているのだから、まあ、受け容れてくれていると考えても良いんだろうけど)。

 ……特に、ふーくんとは。

 昔はそんなことあんまり考えなかった。

 お互い何の意識もせずに一緒にいられた。末っ子のわたしは下にできたこの子が嬉しくて、とにかくお姉さんぶろうとした。ふーくんはあまりに素直で、わたしの言うことを何でも聞いた。

 そう……例えば、幼き頃のふーくんにスカートを穿かせ、

「ふーくんかわいい! げきもえまじぷりちー! ふーくんみたいなのをたいりょうさつりくへいきっていうんだよ!」

「さくらねぇのほうが、ふーくんよりいっぱいかわいいよ?」

「そのわざとらしい、くびをかしげるしぐさ! ふーくん、だいいちいんしょうからきめてました! さくらのおよめさんになってください!」

「えー? およめさんはさくらねぇでしょ? さくらねぇはふーくんのおよめさんになってくれないの?」

「ぐぱぁ! なみだめでうえからめせん(※注・上目遣いと言いたい)とか、いかんですよいかんですよ! ぐへへへぇ……。でもへーき! ほーりつかわって、およめさんどーしでもけっこんできるんだって!」

「ほんと?」

「ほんとのほんとっ! それにいざとなったら、さくらがふーくんのおうじさまになってみせるから!」

「それだとふーくんおひめさま?」

「そう! ふーくんはおひめさま!」

 思い出し、頭を塀に思い切りぶつけたくなった。ああ、あの頃のわたしはどうかしてた。ふーくんおぼえてるかな。

 そんな感じで、幼い頃は平気で一緒にいることができた。でも自分が成長するにつれ、それが良いことだとは思えなくなってきた。わたしはふーくんを不幸にしてしまうんじゃないかって、そう思い始めた。

 わたしは、ふーくんから距離をとろうとした……が、駄目だった。ふーくんはわたしから離れようとはしなかった。確かにわたし自身意志が弱かった。ふーくんが好きだ、一緒にいたいって気持ちを抑えることができなかった。それに親戚だし無碍にはできないって事情もあった。

 でもそれ以上に、ふーくんの意志は強く、頑なだった。今考えると、あの頃のふーくんは人が変わったみたいにしつこかったなぁ。そして根気強くわたしに接してくれた。

 で、結局そこらへんはうやむやになって、まるで子供同士のままのような今の関係は続いている。

 ああ……どうすればいいのやら。

 どうすれば、ふーくんと一緒にいられる?

 ううん……、それだけじゃ駄目。

 どうすれば、ふーくんと一緒にいて、なおかつ、あの子を幸せにできる?

 答えなんて、分かっているんだ。あまりに明白で、単純で、それでいて難しい。

 誰よりも強くならなくちゃ駄目。自由でいて、周りを黙らせるには、力があって、誰よりも魅力的じゃなきゃ駄目。

 天を仰ぐ。

 そう、空を自由に這う、あの巨大な竜のように。

 竜。わたしは、あなたのやり方が正しいとは思えない。あなたを諸手を上げて賛同することができない。

 でも、あなたの力は欲しい。自由に勇敢に、我が物顔で天を駆けるあなたの力を……。


 ――フン、まったく勝手なもんだぜ。


 突如頭の中に流れ込んできた、何ものかの〝声〟。

 背筋が凍る。

 男か女か、低いのか高いのか分からない。それを果たして〝声〟と言っていいのか分からない、意味を持った信号のような何か。

 しかしそこには判然とした意志がある。

 立ちすくむ。胸中に沸いた、この感情は……畏怖?

 わたしは、その〝声〟方向へ行かなければならないような、そんな気がした。

 行ってはならないような、そんな気がした。

〝声〟の方向は、通りを行って、学校を過ぎた、小高い山の方向。

 分かる。あっちへ行ってはいけない。あっちへ行かなければならない。

 分かる。あっちへ行ってしまったら、わたしの人生は変わってしまう。

 わたしは、行くことを選んだ。


 変わることを望んだ。


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