2nd Definision
あぁ……計算、やっぱり間違えてた。組み合わせを考えるの忘れてた。三百人から一人の選び方は三百通り。三百人の中に一人〝突然変異種〟がいる確率は、300*(1/1000)*(999/1000)^299で、二十二%。
つまり、三百人のなかに〝突然変異種〟が二人以上いる確率は、四%……。思ったよりも絶望的だった。期待したわたしが馬鹿だった。
だって習ってないんだもん、女子高生になったばっかりだもん。知ってる方がすごいんだもん。
そんな出来事も、所詮は過去のこと。わたしは普通の女子高生ライフを過ごしている。一応、数人の人間の名前を憶え、話もした。相手もだんだんと慣れてきたらしい。
わたしの能力〝思考転写〟は、触れたものにのみ発動する……なんてこと、入学初日から公表したのだからみーんな知っているわけで、体育の時間の「ストレッチするからふたり組作って~」は流石に肝を冷やした。
しかしながら、人権ラブな、大人の真似ごとをしたがる子供は多い。
「奥村さん、一緒にやりましょうか」
と校長同様の笑みで近寄ってくる人らを、存分に利用させてもらった。
いやまあ、親切でやってくれたの人にその言いぐさはない。性格悪いかもしんないけど……仕方ないんだ。こうやって生きるしか、方法はないもの。
ま、昔と違って能力制御に関しては何の心配もない。不測の事態に陥らなければ、わたしの思考が自分の意志と無関係に相手に流れ出す、なんてことはありえない。
とにもかくにも、わたしは、所詮、〝思考転写〟能力者であること以外は普通と何ら変わらぬ女子高生でしかない。学校生活においてこの能力を使うつもりは毛頭ない。それが、早いところ広まってくれることを願う。
そんな普通の女子高生なので、目の前で人が突然倒れたときにはびっくりした――。
はじめは自分が何かしてしまったのかと思った。テレパスしか能がないくせに。やがてそれが病気か何かだろうと気づきはしたものの、まったく動くことができなかった。
駅。人混み。無意識下に浮かぶ、「誰かがやってくれるだろう」の文字。危険回避。事なかれ主義。
傍観者効果。
それこそ国境民族を越えた人間の本性。人間として、一番正しい行動。
そしてまた、それを振り切れる人間もいる。近くにいたスーツ姿のサラリーマン男性と、わたしの後ろにいた、同じ制服の女子高生だ。サラリーマンが倒れた男の肩を叩き、声をかける。その間、女子高生はてきぱきと気道の確保と脈の確認をしていた。
そんな出来事の真っ只中だというのに、その女の子のかわいらしさに目を奪われてしまった。
小さく華奢なからだ、長い黒髪、二重で大きい瞳。当然のようにもてるだろうな、と思った。
サラリーマンが、
「誰か、救急車を!」
と叫んだ。辺りの人間は、忙しげにきょろきょろと見回して、ただ、あたふたしていた。なんて奴らだろう。これが人間の本性なのか? 目の前に、苦しんでいる人がいるっていうのに。
当然、わたしも含めて。
わたしもまた、どうしていいのか分からなかった。あたふたと、まるでアリバイ作りのように忙しげに髪をいじって周りを見回していた。
「そこのあなた!」
かわいらしい声に、ドキッとした。例の女子高生の声だった。不運なことに、目が合った……だけではなく、その女子高生の人差し指が、わたしに向けられていた。
「AED持ってきて!」次いで女子高生はホームの上り側を指さした。「向こうにあったから!」
わたしはわけも分からず走った。どうしてわたしがこんなことをしなくちゃならないのか。どうしてほかの人を指名しなかったのか。混乱から、驚きから、立派な女の子に対しての恨み言が、次々浮かんだ。後ろから、女子高生が辺りから次々指定して、的確な指示を出している声が聞こえた。
さて、倒れた男性は、適切な処置によりしっかりと心臓を動かして、救急車で運ばれていった。隊員の話では、その甲斐あって命に別状はないだろう、とのことだ。
疲れた……。電車は止まっていた。遅刻は確定。しかしながら不可抗力の遅刻だ。堂々としていればいい。ホームのベンチに腰掛けて、乱れる心を落ち着かせるために、何度も深呼吸をしていた。
「やっほー♪ さっきはありがとね」
女の子の声。見上げると……いや、わたしは座っているのに、視線の高さはさほど変わらないようだ。先程の女子高生が笑顔で立って、手を振っていた。
「あ……」
わたしは何か言おうとして言葉に詰まった。女の子は構わず続ける。
「いやー、助かったよー。わたしひとりじゃどうしようもなかったからね」
にっこりと笑った。あっけらかんとした笑みだ。わたしの好きな人の笑みに似ていた。それが気に入った。その笑みの奥深くにはいつも、悩みや苦しみがあることを知っていた。
「わたしは……何も……」
声が、震えていた。あ、泣く。また泣いちゃう。肩が震えて、目頭が熱くなって、涙が頬を伝うのに時間は掛からなかった。これは情けない。情けないけど、止められない。目の前で突然倒れ込んだ姿を思い出した。びっくりした。恐かった。人が死ぬのを見たことは、いまだなかった。
その女子高生は、わたしの隣に座って頭を撫でてくれた。
「大丈夫大丈夫。救急隊員の人も、大丈夫だって言ってたでしょ? 大丈夫だから」
大丈夫を繰り返す。分かっている。きっとあの人は無事だろう。分かっているんだ。でも止められない。
過去の人が思い描いた未来の形。多くのことが実現している。わたしが生まれる少し前に化石燃料に依存しない発電システムが開発され、十年前から誰もが簡単に空を飛べるスカイボードが菱工航空から開発され、つい五年前、癌は不治の病ではなくなり、ひと月前、人類からエイズが完全に撲滅されたことが発表された。
でも赤ちゃんはいまだ日本でも千人に一人は突然死を迎え、ナイフで動脈を切り裂けば途端に死んでしまい、適切な処置をしなければ心臓発作で簡単に死んでしまい、餅で死を迎える人は毎年百人を超える。簡単なんだ。
……わたしはまた、AEDを取りに行ったときこの子に心の中で悪態をついたことを思い出した。途端に居心地が悪くなった。けど、この子は、わたしが落ち着くまでずっと頭を撫でていてくれた。
女の子の名前は〝高橋百合〟。そしてどうやら名前で呼び合うことに相成ってしまった。しかし同じ制服を着ている時点で〝この子〟と言う呼び方は間違っていたかも知れない。
同じ高校。同じ一年生。それどころか、意外にも家が近くらしい。百合の住む団地は、歩いて十分と掛からない。ニアミスしていても不思議じゃないが、何せ、現今の地方過疎化と人口密集だ。いちいち憶えていたら頭がパンクしてしまう。
電車が止まったので、わたしたちは百合の提案により学校まで歩くことにした。この選択は失敗だろう、と歩きながら考えた。多分、ここから学校まで人の足じゃ一時間以上掛かる。大人しくホームに残った生徒はもっと早く着いてしまうことだろう。どちらにしろ遅刻だとはいえ、これは流石に……今のうちに言い訳を考えておかなければならない。
わたしたちは歩きながら話した。
「……傍観者効果。たとえば今日の駅の構内とか、ああいう人混みで大事が起こったとして、率先して動ける人は少ない。『誰か』と言われて自分から動ける人は、あまりいない。だから、あなたのやった、誰でも良いから指名して頼むことは、正しい」
「へー、そうなんだ」
百合はあっけらかんと、目を丸くして、わたしの言葉に感心を表明した。
「……」
こっちが驚いた。半ば呆れてしまった。てっきり分かってやったのだと思っていた。
「わたしね、よく電車の中で痴漢に遭ってたの。誰も助けてくれなくて恐かったけど、いつからか忘れたし何が切っ掛けかも忘れたけど、ああいう風に、周りの誰かを指定して助けを求めたら、案外みんな優しく助けてくれたんだよね。それから、何か助けてもらいたいときは、『誰でも良い』じゃなくって、『あなたに助けて欲しい』ってするようになったの」
この言葉に、今度はわたしの方が感心してしまった。嫌なことがあって、打開策を見つけて、更にそれを教訓に成長して、あっけらかんとそれを話す。全部、わたしにはできないことだ。
百合は大きく伸びをして、
「でも本当に、いざってときに自分や周りを助けるのは、そういう知識なんだろうなぁ。応急処置の方法だってそうだけど。知っているか知らないか。それだけで案外、人って死んだり生き残ったりしちゃうんだろうね」
わたしはきゅっと唇を噛む。違う。わたしは、知っていた。ああいう場合の処置判断も、傍観者効果も、AEDの場所さえも。
でも、結局できなかった。
人間の本能だ、仕方ない。と思うことは、ちょっとできそうにない。
「……なーんか、嫌な感じ」
不意に百合がわたしの袖を引っ張った。百合の視線の先には、スカイボードを傍らに置いてコンビニ前にたむろし、こちらをじろじろと眺める〝いかにも〟な不良グループがいた。
慌てて視線を逸らす。空走族だ。スカイボードを操って空を勝手気ままに駆ける。
「最近、一層でかい顔しちゃってさ。〝竜〟が居なくなって、いい気になってんのよ」
〝竜〟――。
空想上の生き物でしかなかったそれは、わたしたちの街に、確かに居た。
正しくは、蛇の突然変異種……だと言われている。謎の突然変異種能力を駆使し、空を自由に飛び回り、空走族などをバンバン撃退してきた。
突然変異種は人間ばかりじゃない。当然動物にも存在する……が、あまり多いわけでもない。突然変異種になる動物の特徴として、ペットや神社などで祀られたもの……つまりは人間に深く関わったものが多く、なまじ原因が分かっていないせいで、オカルトチックな流言が飛語している。
動物の……いや、動植物の突然変異種に関しては、絶対数が少ないせいか法整備がしっかりとなされているとは言いがたく、また人権団体・動物保護団体の半狂乱な圧力により、知性の認められる動植物の突然変異種は、曖昧な安全基準により〝準ヒト〟として一定の人権が与えられている。わたしたちの街の空を守ってきたこの〝竜〟は、今まで誰ひとりとして怪我をさせたことがない。だから、害のない突然変異種として警察機関などに捕まることなく悠々と空を飛んでいた。
「どこに消えちゃったのかね-、竜のヤツは。お陰で、あーゆーのが幅を利かせるようになっちゃったのよねぇ……。警察も全然取り締まらないし」
「……警察機関は、半民営化以来、人員削減が止まらない。今の時代、警察が守れるのは、お金持ちだけになっちゃった」
「そうなのよねー。まったくもう、本当に死んじゃったのかしらねぇ……」
百合は少し寂しそうに空を仰いだ。