1st Activation
Science Fictionです。
きっと。
春。四月。新しい年度。まだ見ぬ出会いに心躍らせる。どこもかしこも晴れ渡り、あまりに眩しすぎてまったく見通すことのできない景色を前にし、右も左も分からずに、目を慣れさせ未来を眺望することだけに必死にならざるをえない、そんな、疎ましくも希望に溢れた季節。
さて、わたしも今日から高校一年生。新しい学年どころか、新しい学校。
強要される変化、強要される出会い。
良いも悪いもどんなことも、素知らぬ顔で残酷に過去へ追いやって、新鮮さを無理強いされる今にいたって、わたしはひとり、どんよりと沈んだ心持ちでいた。
周囲はざわざわと期待と不安を含んだ熱気を、放ったり、あてられたりして、実に活気で溢れているというのに、わたしはひとり、とぼとぼと、半ば孤独に酔っているかのように、自分の心が熱を持つのをあえて拒否するように、冷たい気持ちであることを努め、歩いていた。
ほかのみんなは、下駄箱前に張り出された紙を見て、あるものはきゃあきゃあと騒ぎ立てながら、あるものは芝居臭く意味もなく頷きながら、おのおのの教室へと散っていった。
わたしは違う。わたしはひとり、自分のクラスと下駄箱を確認した後、なんとなんと入学初日から校長室を目指さなければならなかった。
〝わたしはひとり〟――。
本音を言えば、わたし以外にもわたしと同じような奴がいてくれたら、と思っていた。世間的に、〝わたしと同じとされているのは〟、千人にひとり存在すると言われている。
……ん? よく考えてみれば、決して絶望的な数字ではない。この学校の、ひとクラスあたりの人数は約二十人。それが一学年五クラスで、全校生徒計三百人。〝わたしと同じもの〟は年齢や性差、場所に偏りは確認されてない。
よし、しっかりと計算してみよう。まず、三百人の中で〝わたしと同じもの〟がひとりもいない確率は千分の九百九十九を、三百回掛ける、と……電卓いるな。ポケットから端末を取り出して(999/1000)^300を入力。答え、七十四%。
次に、〝わたしと同じもの〟がひとりだけである確率は、(1/1000)*(999/1000)^299……百分の七%。
こんなの切り捨てちゃって良いから、我が校に〝わたしみたいなの〟が、ふたり以上いる確率は、おお、おおよそ二十五%だ。
なんだなんだ。意外といるもんだなぁ。ちゃんと数字としてみると、案外安心できるものだ。気が楽になった。……計算、間違ってないよね?
端末をしまう。別に、同じ境遇のものと仲間意識を持ちたいってわけじゃない。そういう傷をなめあうような関係は、わたしみたいなやつは、望んじゃいないと思う。産まれながらにして〝特別だ〟と言われ慣れてきたわたしたちには。
単に、周りの興味が分散されてくれれば、と思っているだけ。お互いがお互いのデコイになってくれれば、それでいい。
……それだけで、どれほど心強いことか。
さて、校長室はどこにあるのやら。当然だ、初めて来る場所だもの。
まあいいや、と少々自暴自棄のように校内を歩いた。
念のため早く家を出たから、時間はある。何となく、二階を選び、歩き、運良く早々、件の場所へと問題なくたどり着くことができた。冒険にもならなかった。昔から、直感は当たりやすかった。
自分の選択の正しさにちょっといい気になりながら、ドアを二度ノックする。……あれ、三回が正しいんだっけ。まあいいや。宝塚じゃあるまいし、入学したての女子高生にそんな細かい礼儀を求められることはないだろう。
「どうぞ、お入りください」
女の、柔らかな声が中から聞こえた。そこそこ年季の入った声だった。
「失礼します」
と、高校入試の面接で初めて覚えた所作でもって中へ入る。
そこでまず見つけたのは、満面の笑みでわたしを迎え入れる、先程の声の主であろう女の校長の姿と、薄い髪で同様の顔をする男の(恐らく教頭の)姿だった。
……よく見る顔だ。
幾度となく見せられた顔だ。大人と、大人の真似をする子供に向けられてきた顔だ。
いかにも〝わたしは人権を大切にします〟って顔だ。
〝わたしはあなたを差別しないことが唯一の自慢です〟って顔だ。
それで、もうひとり、ついでのように、少々こわばった表情の若い女教師もいた。
「待っていましたよ、〝奥村桜〟さん」
「はい」
笑顔のままの校長に、ただ素っ気ない返事をした。愛嬌がある方じゃないけど、無理に期待通りのリアクションを返す方でもない。そもそも期待通りのリアクションが分からない。だってこんなの、「はい」以外になんと返せばよかったのか。
そして校長は「我が校は全世界人権基準を厳しく守っている」だの「重大な人権侵害は二十年以上ない」だの、「弊社商品は特定保健用食品を取得しています」みたいなテンションで長々と演説した。
うんざりした。小・中・高、ここまで変わらないだなんて。まるっきりテンプレ通り。教頭も、同じような顔でうんうんと頷いていた。
ちらりと校長の隣、教頭とは逆方向に視線をやる。こわばった表情の女教師と目が合った。そして不自然な笑みを返される。随分差別的な反応だ。差別的だけど、この中じゃ一番好感が持てた。人間らしかった。そして、相手の立場だったら同じ反応をしていただろうな、と思った。
校長の話を聞き流して、校長室を出た。教頭と、若い女教師に促されるままに廊下を歩く。そして、女教師の遠慮がちな口から衝撃の事実を告げられる。
「えっと、奥村桜さん……。今年度は、えっと……、所謂〝突然変異種〟はあなたひとりだから……」
「……そうですか」
おどおどとした女教師の言葉に、素っ気なく返した。が、少なからず動揺していた。
確率的に何ら不思議はない。覚悟はしていた。でも改めて事実を突きつけられると、単純に恐怖した。からだが震えた。
もう既にほかのみんなは体育館に集まっているらしく、校舎は静まりかえっていた。不意に外から、オートバイの爆音が響いた。電気自動車、圧電式駆動自転車、それからスカイ・ボードが支配的な現代において、ガソリンを燃料とする、あまりにうるさすぎるそれは、一部好事家の迷惑極まりない趣味としか受け取られていなかった。
教頭がいかにもといったふうに顔をしかめて、
「まったく、困ったものですな。前時代的な代物にいつまでも執着し、ひとの迷惑顧みず自慢げに騒々しく爆音を鳴らす。まったく、恥ですな。安全装置もろくに整備されてない、危険なモノでもあります。さっさと規制すべきでしょう。アメリカでは既にその採択が決まっているというのに、この国はいつも遅れています。まったく、ねえ、そう思うでしょう?」
「は、はい……」
演説口調は癖になってしまったのだろうか? 教頭のどこか自慢げな表情に、女教師は、ただおどおどと返す。
わたしは、無意識にきゅっと唇を噛んでいた。からだが震えていた。
恐かった。教頭が持っているような、ごく一般的な思想が。
校長や教頭のような人間が、どうしてわたしを受け容れているか。詰まるところ、単に〝無害だから〟に他ならない。
こういう人たちは、ひとたび口実を手に入れたら……わたしが何らかの強力な力を手に入れたら、途端に、排除しようと躍起になる。人権の名の下に。最大幸福の大義の下に。
この力、捨てたいだなんて、もう贅沢は言わない。でも、どうか成長しないで欲しい。せめてこのままでいさせて欲しい。変わらないで欲しい。
「ささ、どうぞどうぞ」
教頭が恭しくわたしを導いた。
わたしは、壇上を歩いた。体育館の、全校生徒の、親の、教師の、あまたなる奇異の視線を、一点に集めていた。とうに、わたしの紹介は済んでいるらしい。
からだが震えていた。口を開けば、震えた声が空気を揺らすことは分かっていた。
でも、逃げたいだなんて思わなかった。
違う。
逃げることなんて、ずっと前に諦めていた。諦めることしかできなかった。
〝早く終われ〟。
そう願うしかできなかった。そしてそれをできるのは自分だけであることは、ずっと前から分かっていた。
《突然変異種能力開示の原則》。
みんなが安心して住めるように。みんなが心やすく過ごせるように。そのために、〝突然変異種〟は自分の能力を開示しましょう――。
みんながちょっとずつ優しくなれる世界のために、弱者のために我慢をしましょう。それが、わたしたち人類の本来あるべき姿なのです――。
「わたしは……」
予想通り震えるわたしの声は、マイクにまったく入っていなかった。
こんなんじゃ、駄目だ。早く終わらせるために、がんばらなくちゃならない。
まだ慣れないのか。今まで、幾度となくやってきたことじゃないか。毎年毎年、うんざりするくらい繰り返してきたことじゃないか。
「《突然変異種能力開示の原則》により公表します。わたしは、突然変異種です。突然変異種能力は〝思考転写〟……。《人権侵害可能度数》は、2です。よろしくお願いします」
わたしが頭を下げると、定型通りの拍手が起こった。
なんのための拍手だ。何がよろしくお願いしますだ……。
心の中で毒づいて、そそくさと退場した。自分の、鼻を啜る音で、ようやくわたしが泣いていることに気づいた。目頭が熱かった。いつから泣いていたのだろうか、分からなかった。
悔しかった。
何に、だろうか……。
分からないまま、わたしの、いつも通り最悪な入学式は終わった。