春の片隅
春なんて来なければいいのに
どうしようもなく――怖い
春が来れば
雪が解けてしまえば
あなたが本当に離れていってしまう気がして
冬が終わった
寒くて厳しくて、物凄く長い冬が
桜も咲き始めた
日本人が一番愛する花
新しい季節と一緒に愛でる花
……でも、私は
桜の花が美しいとは、思えない
薄紅色の花弁
舞い散る花びら
人間の風情に反するように、
私はそれが憎かった
あなたが今、どこかで
その花びらの一枚に向かって『綺麗だね』って言っている気がして
あなたが今、誰かと
その花びらを見て、『好きだよ』って言い合っている気がして
春の色を見るたびに苦しくなって
いつもあなたの背中を思い出して
まるで体の一部が、あなたの大きな背中に縋ったまま、一緒に離れて――
―――千切れてしまったみたい
痛みが教える
私の心は、今もあなたの隣にあるってことを
取り返しに行く勇気もないまま
まるでお互いに返し損ねてしまったペアのストラップみたいに
今もまだ、そこにある
でもストラップと違うのは
あなたの心は私の隣にないということ
壊してしまえれば、どれだけ楽か
壊れてしまえば、どれだけ楽か
でも、出来ない
舞い落ちる雪と光の中で出会ったときの
あのときの笑顔のまま、あなたは私の記憶の中にいて
私もあなたの記憶の中で笑っていれば良いな、ってそう思った
だけど、涙が止まらない
もしあなたの記憶の中で私が笑っていても
あなたが私の記憶を思い出すことは、きっとない
今私の目の前を舞い落ちていったのは雪じゃない
儚く色づいた、桜の花びら
春なんて来なければいいのに
どうしようもなく、怖い
春が来れば
雪が解けてしまえば
あなたが本当に離れていってしまう気がして
春色に染まっていく街
パステルカラーの服を着て
甘くて柔らかい色のお菓子を焼いて
みんな
悲しい別れを乗り越えて、新しい出会いに心を躍らせてる
あの子は、大好きな彼とお花見にいくんだって
新しく買った服を着て、空いっぱいに広がった桜を見るんだって
女の子の顔をして、私に話してくれたよ
『楽しんできてね』
私はずっと、愛想笑いをしていたよ
本当はね
私も買ったんだ
あなたが好きそうな花柄のワンピース
可愛いって、またあなたが言ってくれる気がして
でも、それを着て鏡に映った私は
あまりにもちぐはぐで、惨めで醜かった
部屋にあるのは、あなたが買ってくれた、白いマフラー
それを付けられる季節はもう来ない
あなたが似合うって言ってくれた
暖かいニットのカーディガン
それを着られる季節はもう来ない
そろそろ仕舞わないとね
あなたが買ってくれた、サンタの帽子をかぶったぬいぐるみ
ペアで二つを置いていたのに、片方はどうしてないの?
残された女の子は、すごく可哀相で、寂びしそうで
まるで私みたいって、そう思った
シンデレラに憧れていた
魔法が解けても、追いかけてきてくれる王子様
あなたとの思い出は、雪の妖精がくれた魔法だったのかな
――きっとそうだよね
雪の魔法は、春になったら『溶けて』しまうから
ガラスの靴を置いてきても、私の王子様は追いかけてはくれないから
春なんて来なければいいのに
どうしようもなく、怖い
春が来れば
雪が溶けてしまえば
あなたが本当に離れていってしまう気がして
―――凍ったはずの醜い私が、溶けて流れてしまう気がして
『春なんて、来なければいいのに』
春の片隅にうずくまりながら
私は一人、そう呟いた
Spring is here.