皮肉な男と毒舌な日常
けだるい熱気が必要以上に俺の体力を奪っていく。
全校生徒達の集団熱は体育館中を満たしており、壁際にいる先生方も非常に暑苦しそうだ。
太陽のような頭頂部をした校長先生が、壇上の上で長々と饒舌に夏休みの思い出を語っている。
心底どうでもいい。きっとみんなも同じ事を思っているはずだ。
「―って事がありましてね~。あぁ、そうそう。あまり大きな声で言えないんですが」
マイクを通して喋っておいて「大きな声では」とか、あまりにもお粗末な話だ。現国担当の先生も苦笑いをしている。
今日は夏休み明けの九月一日。久しぶりの学校と、二学期の始業式が執り行われる今日は、恐らく全生徒にとって最も忌むべき日であると思う。
特に今年の夏は記録的な猛暑で、その尾がズルズルと置き去りにされており、九月に入った今日も夏休みの時と同じ素晴らしい温度だった。
まだ座っているからギリギリ耐えれるものの、いつ誰が倒れても決しておかしくはない状態だ。
「暑い……」
俺は誰に言うでもなくポツリと言った。すると、前に座っているクラスメイトがこちらを向き言った。
「暑い暑いって言うから暑いのよ。こんな時だからこそ、逆に寒いと言えば救われるのよ」
と、淡々と説明をしてきた。彼女の言い分を聞き終え、俺はさらに眩暈がした。十八年間生きてきて、その台詞は軽く百回以上は聞いた。
「その言葉はもう聞き飽きた」
俺は毅然とした主張と一緒に、力強く言葉を続けた。
「他にも、金曜日の帰りのHLとかで先生が『明日は―』とか言い間違えて、それを聞いた生徒が『先生、明日は土曜日ですけど学校ですか?』って、つっこむのあるじゃんか。アレとかも聞き飽きた。いい加減スルーしてやれよって感じだ。お前だって、月曜日と言い間違えた事くらい分かってんだろ、って言いたい。そう思わない?」
「そんな事情をあたしが知ってる訳ないでしょ。言われも無い非難を受ける覚えは無いわ」
彼女は更に眉をひそめ、口を尖らせながら言った。
「早く教室に帰りたいわ。誰か倒れでもすれば、こんな不毛な集会なんかすぐ終わるのに」
そう愚痴を言う割に、彼女の表情は無表情に近く、とても暑がっているようには見えなかった。
肌は真っ白で、体の線も細く、見た目だけで判断したらかなり華奢なのだが。
「だったら、お前が倒れれば早いンじゃないか?」
俺は自然と、いつものように皮肉交じりに言った。
しかし、彼女は若干表情を変え、珍しく驚いているようだった。
「……あぁ、それもそうね。口先だけじゃダメよね」
「はぁ?」
俺が素っ頓狂な声をあげると同時に、彼女はパタッと体を横に倒した。その光景を見ていた担任の先生が、壁際から足早に近づいてくる。
「樽見、どうした? 大丈夫か?」
先生が必死に話しかけるが、樽見は顔を床に向けており表情が読み取れない。傍から見れば暑さに耐えきれず倒れた、と解釈されるだろう。
どれは、先生もしかりだ。樽見の迫真の演技により、先生は完全に騙されてしまっていた。事態を重く見た先生は、樽見を両手に抱え上げ体育館の出入り口へと急いで出て行ってしまった。
〇
結局集会は、樽見のおかげですぐに切り上げられた。
嬉々するクラスメイト達は各々の友達の机に集まって、夏休みでの出来事を大声で話している。海に行っただ、キャンプに行っただ、ハワイに行っただ、お互いの自慢合戦が始まっていた。
俺は特にする事も無く机に突っ伏していたら、ハワイに行ったという女子が、お土産と称してクッキーを三枚くれた。口の中は暑さのせいで水分が乏しいっていうのに。
「あー、ありがと」
俺は一割の感謝と、九割の皮肉交え笑顔で言った。
しかし貰ったからには、ずっと手に持ったまま、という訳にもいかないので仕方なく口に三枚纏めて放り込む。
結果は想像通りで、口の中がパサパサになった。元々クッキーは紅茶と一緒に食べる物なんだから、食べられたクッキーの方も不満だろう。
俺は今食したクッキーの気持ちを適当にくみ取り、椅子から立ち上がり一階の自動販売機の元へと向かった。
〇
ガタコンッ。
鈍い音が聞こえ、取り出し口から落ちてきた午後に飲む紅茶の缶を取る。
プルタブを開け、一気に半分ほど飲み干す。
「ぷはぁー……ん?」
右側の通路から一人の女生徒が歩いてくる。樽見だった。
「よう、熱中症大丈夫か?」
いつも通りの皮肉を交じえて、俺は樽見に話しかけた。
樽見も俺の存在に気づき、髪をいじりながら近づいてきた。
「ええ、おかげさまでね。それで? あの集団自殺会場からみんなを解き放った、英雄の私に対して何かする事があるんじゃない?」
集団自殺会場って物騒な……まあ多少は的を射てるかもしれないが。
「つーわれてもなぁ」
いきなり褒美を献上しろと言われても、どうしろと言うんだ。
まさか、金でもよこせというんじゃないか?
俺は何を言われるか、多少ドギマギしながら樽見の言葉を待った。
「なら、ソレでいいわ」
樽見が指差す方向を見ると、今俺が飲んだばかりの紅茶の缶だった。
「あなた、知ってる? その紅茶を午前に飲むと、血を吐きながらのた打ち回って死ぬのよ」
「あー……もうちょっと早く言って欲しかったな」
どんだけ罪深い飲み物なんだよ! と心の中でつっこみをいれた。
樽見はクスクスと笑い、俺もつられて笑ってしまった。
「ま、百二十円であの場から救ってくれたのなら安いもんか。ほら」
「ん……って、コレ半分くらいしかないじゃない。これじゃ六十円よ」
などと文句を言いながらも、樽見はそのまま一気に中身を飲み干した。
そのまま空になった缶をゴミ箱の中にシュートしてみせた。
綺麗な放物線を描きながら、缶はきっちりゴミ箱に入り、その結果に樽見は腕組みしながら「うんうん」とご満悦の表情を浮かべた。
「ねえ。今日ってこれから何かあったかしら?」
「えー、と。確か今日は集会が終わったら、そのまま帰りのHLで下校だったかな。あー、でも集会が無くなったから、下手したらその分何かするかもしれないな」
「そう。なら今日はもういいわ。帰る」
そう言い終えると、唐突に樽見は元来た道へと踵を返した。しかし、数歩歩いた所でこちらを振り返り呟いた。
「あなたもどう、帰らない?」
樽見の予想外の提案に、俺は深いため息をつきながら言った。
「お前なぁ―」
〇
俺が通っている高校は、小高い丘の上に建てられているため、行きは上り坂、帰り道は必然的に下り坂を行く事になる。そのため徒歩の登下校は少々辛い。
「うえー、汗が止まんねぇ。……てか、俺がこんなに苦しんでるのに、何でお前はそんな涼しそうな顔してんだ……? ってどした?」
「いいえ、別に。ただ、物は試しねと思っただけ。まさか本当に、あなたが帰るとは思ってなかったから」
そう。俺は今、樽見と二人で下校していた。
まだ、今日の学校の終了時間になっていないのにもかかわらず。きっと今頃、担任の先生は俺の事を探しているだろう。
「まあ……気分か。始業式とかのために、学校に来る意味なんて、俺は無意味と思ってるからさ。早く帰って明日の予習でもした方が、ずっと建設的だ」
そう俺が言うと、樽見はジーッと俺の顔を見た後、小さなため息を漏らした。
「あなたって、頭が良いくせに何かと融通きくわよね。あなたみたいなエリートには、学校をサボるなんて選択肢は無いんだと思ってたわ。それに皮肉屋だし」
皮肉っぽく樽見は言っているが、俺は特には気にならなかった。
だが、最後のは関係ないんじゃないか?
「エリート=固物ってのは安直だぜ? あと言っとくが俺はエリートじゃねぇ」
「皮肉屋ってのは否定しないのね」
「まあ、自覚はある」
樽見は俺の答えに多少納得のいかないような顔をしたが、すぐにいつもの無表情になり呟いた。
「ねぇ、私思うのよ」
「何をだ?」
「『秘密』って漢字あるわよね。私はあの文字が大嫌いなの」
「はぁ?」
突然過ぎる話の方向転換に焦りつつも、何とか話を合わせてみる。
「つまりは、どういう意味だ?」
「だって、書きにくいじゃない。あの心の上位互換のような『必』が最悪。勿論『秘密』の意味も好きじゃないわ」
「ふ、ふーん」
どうして今そんな話を振ったか疑問だったが、樽見は本当に忌々しそうな顔で言っている。特に他意はないのだろうか。それとも俺をからかっているのか?
「俺、何かお前に秘密にしてた事あったっけ?」
「さあ? 仮にあったとして、あなたが私に対して秘密にしている事を、私が知る訳ないじゃない。バカ」
「ああ、そりゃそーか」
物凄く納得した。言ってみて自分でもバカな発言だと思った。
気が付けば道もだいぶ平坦になってきた。あまり会話をしていなかったが、歩くスピードが早いためか、割と早く坂道を下ってきたようだ。
今更気づいたが、俺は歩くのは早い方なので、樽見はわざわざ俺のスピードに合わせて歩いてくれたようだ。やはり、樽見は見た目に反して体力があるのだろう。
俺は額に溜まった汗を拭きとる。下り坂とはいえ、この暑さの中歩くのは結構きつい。この恨めしい炎天下に嘆いている俺とは対照的に、樽見はまったく汗をかいていなかった。
「樽見。お前全然汗かいてないが、大丈夫か? 汗ってのは逆にかいていないとヤバいんだぜ」
「お気づかいどうも。だけど、そんな心配されるほど私は柔じゃないわよ。だって、私は東南アジア出身ですもの」
「そうなのか?」
「嘘」
「……さいですか」
コイツ、息を吐くように嘘つきやがった。
さも当たり前かのような表情で、樽見はしたり顔をした。こいつの表情は、つねにポーカーフェイスだ。
「まあ暑いのに慣れてるのは事実。蒸し暑いのは嫌いだけど」
「じゃあ今日の始業式とかは最悪だったんだな」
「そうね。特に校長の話の馬鹿さ加減ときたら、酷かったわね」
そう言って、樽見は俺を見下すように睨んできた。
……何故俺を睨むんだ。校長の話じゃなかったのか?
「そうそう。まだあなたとはメールアドレスを交換してなかったわよね」
またもや話が急展開した。樽見は前置きというものを知らないのかもしれない。今日はやたらと樽見に振り回される一日だなと感じた。
「お前は便利な英語の翻訳サイトみたいだな。主語しか言わんのか」
「携帯貸して」
樽見は俺の皮肉を完全に無視し手を差し出してきた。仕方なく俺は、ポケットから二年前の機種の携帯を取り出し、樽見に渡した。
「古いわね。アンティークショップで買ったのかしら」
「んなわけないだろ! つか、携帯なのにアンティークっておかしいだろ!」
樽見は毒を吐きながらも、自分の携帯と俺の携帯を交互に操作し、器用にボタンを押していく。
「ん」
「お、おう。ありがと」
樽見から差し出された俺の携帯を手に取り、電話帳を開く。た行の一番上に、樽見の名前があった。樽見の名前を確認し終えると同時に、画面が一瞬暗転しメール受信画面になった。
簡素な着信音が鳴り、送られてきたメールを見ると、やはり送信者は樽見だった。
メール文には一言「コンビニ」とだけ書いてあった。
軽く意味を悩み、樽見は現在コンビニに行きたいという意思表示って事に気付き「了解」と文を打って返信した。
すぐに樽見の携帯が鳴った。テクノポップ調の音で、樽見はすぐに携帯を開く。しかし、俺が送ったメール文が原因なのか樽見は眉を思いっきりひそめた。
「口で言いなさいよ」
「えぇ!?」
そ、そんな理不尽な……俺は心の中で小さく呟いた。
〇
後日談。
終業式。明日から冬休みとあって気分は良好。だが、天候は最悪だった。
大吹雪の中、学校へ登校しクタクタのまま体育館へ。現在は校長先生がいつにもまして寒い発言をかましてる。巨大ヒーターが四隅に設置されてるが、俺らのクラスは、体育館のちょうど真ん中に座っているので、この辺りにはちっともその温もりが伝わらない。
「-って事がありましてね。その晩のメニューは豚の生姜焼きだったんですよ。たまには妻の料理を手伝おうと台所に行くと、妻が『肝心の生姜を買い忘れた』と私に言ったんです。そこで、私が一言こう言いました」
校長はそこで話を切り、数秒の沈黙した空気が流た。生徒達にも微量の緊張感が流れる。
そして、校長は悠然と口を開いた。
「しょうがないね、と。ハッハッハ!」
窓は当然閉まっているはずなのに、吹雪のような風が体育館を駆け抜けた。理不尽な怒りが、心の奥底で小さく火を灯した。
「あぁ、さみぃ……」
自然と口から漏れた苦言に、俺の前に座っているクラスメイトの肩が微かに揺れたように見えた。
すると、ソイツはそのまま横へパタッと倒れた。壁際にいた担任の先生が足早に近づいてきた。
倒れたクラスメイトに必死に話しかけているが、反応は無く一言も喋らなかった。それどころか、今度は激しく体を震わせだした。
先生は焦りながらクラスメイトを背負い保健室へと向かおうとした。先生が俺の横を通り過ぎる瞬間、背負われている生徒と目が合った。
「お大事に」
俺は言った。酷く皮肉めいた口調で。
生徒はニヤリと口元をゆがませ、先生と一緒に体育館を出て行った。
一応補足をしときます。最後に言った校長の親父ギャグですが
「生姜無い」と「しょうがない」がかかってるんです!
あぁ、寒い…。