追放された鑑定師令嬢は、折れかけの妖刀と婚約破棄されたので国を出ます ~散り際にだけ光る、鈍色の刀と踊る~
「アイリス・ヴェルデ。お前との婚約を破棄する」
王立騎士学園、卒業式典の大広間。
磨き抜かれた大理石の床に、第二王子ロイド・アルヴェストの声が響き渡った。
数百の視線が、いっせいに私に突き刺さる。
「君の家が管理する『鈍色の妖刀』は、いざという時にしか光らぬ役立たずの鈍らだ。──お前もその刀と同じ、価値のない女だ」
ざわ、と会場が波打つ。
金髪碧眼の王子は、勝ち誇った顔で隣の少女の腰を抱いた。聖剣に選ばれた聖女、エレナ・ミラ。可憐な彼女は儚げに目を伏せ、それでいて口元だけがわずかに笑っている。
私は──アイリス・ヴェルデは、静かに頭を下げた。
「……承知いたしました。長い間、お世話になりました」
取り乱しもせず、涙も見せず。淡々と踵を返す。
そんな私の背中を見て、ロイドは「最後まで人形のような女だ」と鼻で笑ったらしい。
だが、彼は知らない。
この地味な栗色の髪と、伏せた瞳の奥で、私が何を考えていたかを。
(──いやいや。鈍色に見えてるの、お前らの目が節穴なだけだろ)
前世、私は現代日本で三代続く刀剣研師だった。
地金の状態、銘、魔力の残量、研ぎ癖。刀を見れば一瞬で見抜く。その記憶と技術を、この異世界に丸ごと持ち越して生まれてきた。
(時雨は「役立たずの鈍ら」なんかじゃない。抜くたびに命を削って光る、“散り際特化”の名刀なんだわ。……いや、正確にはそれも誤解なんだけど)
背後で、ロイドが婚約破棄の“正当性”を朗々と語っている。
どうぞ、ご存分に。
あなたが手放したものの価値を、あなたはこの先、嫌というほど思い知ることになるのだから。
大広間の扉が、私の背後で重く閉ざされた。
◇
「……で、あの王子とかいうの、殴っといたほうがよかったですか?」
屋敷に戻るなり、侍女のノーラがそばかすの浮いた顔を怒らせて詰め寄ってきた。
「会場の陰でこっそり中指、立てておきましたけど」
「やめなさい。バレたら不敬罪よ」
「バレてませんって。お嬢様、あの王子様、絶っ対後悔しますよ。なんなら今のうちに賭けます? 一年以内に泣きついてくるほうに私、給金半分」
(……賭けにもならないわね。それ)
私は苦笑して、自室の奥へ向かった。
鍵をかけ、簞笥の底から一振りの刀を取り出す。
鞘を払えば、あらわれるのは──くすんだ鈍色の刃。
光を宿さず、ただ静かに沈んでいる。世間が「役立たずの鈍ら」と侮る、妖刀・時雨。
私は打ち粉を打ち、砥石を用意し、いつものように研ぎはじめた。
前世から染みついた手つき。刃に心を通わせるように、ゆっくりと。
「……また泣きそうな顔してんな、お前」
ふいに、声がした。
刃のきらめきが人の形に凝り、私の傍らに少年が座っている。銀鼠色の髪、鞘走りのように鋭い眼。十五、六ほどの姿をした、時雨の付喪神──シグレ。
数百年前、人の姿を封じられた刀の魂。誰にも研がれず心を閉ざし、鈍っていた彼は、私の毎晩の手入れで少しずつ姿を得るようになっていた。
「泣いてないわ。ただ、清々してるだけ」
「……婚約破棄されたんだろ。俺のこと『鈍ら』とか言われて」
「言われたわね。事実無根だけど」
シグレは膝を抱えて、ふてくされたようにそっぽを向いた。
「言っとくけどな。俺を抜けばお前が死ぬ。──だから、頼られても困る。俺は誰も守らねぇ。守れねぇんだよ」
ぶっきらぼうな声。でもその指先が、かすかに震えている。
数百年、そう思い込まされてきた刀の魂。
私は研ぎの手を止めずに、静かに笑った。
「知ってるわ。あんたが優しいから、そう言うんでしょ」
「……別に、お前のためじゃねぇ」
耳が、赤い。
(ほんっと、国宝級のポンコツだわ)
その夜も、シグレは私の膝の上で無防備に眠ってしまった。手入れの時間だけは、素直になる寂しがり屋。
そして私は、決めていた。
この理不尽な国も、報われない奉公も、ぜんぶ手放す。
──辞めさせていただきます。
◇
「お父様。国を、出ようと思います」
翌朝。私は父ガーランド・ヴェルデの前で、まっすぐに告げた。
代々「妖刀・時雨」を封じ守るヴェルデ家。王家から「役立たずの鈍らを抱える無能な家」と侮られながら、それでも誇りと重責を背負ってきた実直な武人。
そんな父の返事を、私は静かに待った。
「……この国の理不尽な奉公も、報われない婚約も、ぜんぶ辞めさせていただきます。時雨を連れて」
父はしばらく、何も言わなかった。
重々しい沈黙のあと、そのごつごつした手が、私の頭にそっと乗った。
「……行け」
涙をこらえた声だった。
「行け、アイリス。お前の目は、俺たちの誰よりも遠くを見ている。時雨を──あの子を、頼む」
「……はい。お父様」
「当然、私もお供しますからね!」
扉の陰から、ノーラが荷物を抱えて飛び出してきた。
「他の誰が、お嬢様のお茶の淹れ方を知ってるって言うんです? それに旅先での鑑定ざまぁ、絶対おもしろいに決まってますし!」
「あんた、目的が不純よ」
こうして、私たちは出立の朝を迎えた。
──ところが。
馬車に荷を積み終えたその瞬間、王都の空に、けたたましい鐘が鳴り響いた。
非常時を告げる、連打の警鐘。
「……あの鐘は。まさか」
父が青ざめる。
「魔物だ……っ! 隣国から、魔物の大侵攻ッ!」
ノーラの叫びに、城壁の向こうを見やる。
地平線が黒く塗りつぶされていく。無数の魔物の群れ。その最奥に、ひときわ巨大な影──魔物の王。
聖女エレナの聖剣は、光を放ちこそすれ、群れを殲滅する力はなかった。
ロイドの剣は、魔物の王の張る結界を、一撃も通せない。
王都は、あっという間に陥落寸前へと追い込まれていった。
私は馬車の上で、静かに空を見上げた。
「……間が悪いにも、ほどがあるわね」
傍らのシグレが、鈍色の刃を握りしめて、青ざめていた。
◇
「アイリス! アイリス・ヴェルデ!」
馬に鞭を打ち、血相を変えて駆けつけたのは、第二王子ロイドだった。
つい昨日、衆人環視の中で私を「価値のない女だ」と切り捨てた男。
その男が今、額を地面にこすりつけんばかりに、叫んでいる。
「頼む……頼む、あの鈍らを貸せ! お前の家の妖刀を! 王都が、民が、滅んでしまう……ッ!」
ざわ、と避難する人々がざわめいた。
昨日の光景を覚えている者たちだ。掌を返す王子の姿を、みな見ている。
私は、馬車から静かに降りた。
そして、淡々と切り返す。
「だが、断る」
ロイドの顔が、絶望に歪む。
「……そ、そんな……!」
「……と、言いたいところですが」
私は彼の脇を、すっと通り過ぎた。
「勘違いなさらないで。私が動くのは、民のためです。あなた方、王家のためでは断じてありません」
「なっ……」
「それと、ひとつ訂正を。──時雨は『鈍ら』ではありません」
私は城壁の縁に立ち、黒く蠢く魔物の海を見下ろした。
「聖剣が浄化しかできず、魔物の群れも王の結界も断てないことに、あなたはお気づきですか? ええ、そうでしょうね。武具の真価を見抜く目を、あなたは一度も持たなかった」
ロイドの背後で、聖女エレナが真っ青な顔で立ち尽くしている。彼女の聖剣は、儚く光るばかりで、一匹の魔物すら滅ぼせていなかった。
「そんな……私の聖剣が、届かない……どうして……」
「選定を誤ったのは、時雨でも私でもない。──あなた方の、目です」
私は鈍色の刀を抜き放った。
その瞬間、隣にシグレが顕現する。銀鼠色の髪を風になびかせ、けれど、その顔は苦しげに歪んでいた。
「……やめろ、アイリス。俺を本気で振るえば、お前が死ぬ。伝承のとおりだ。俺は──俺は、お前を守れない刀なんだよ!」
数百年、そう信じ込まされてきた魂の、悲鳴だった。
私は、微笑んだ。
「大丈夫。──ここからが、種明かしの時間よ」
◇
前線。魔物の王の結界が、王都最後の防壁を軋ませていた。
私はシグレを構え、彼の魂に語りかける。
「シグレ。あんた、ずっと勘違いしてきたのよ」
「……勘違い、だと?」
「時雨が持ち主を殺すのは、“未熟な研ぎのまま、無理に力を引き出すから”。刃が心を閉ざしたまま暴走すれば、そりゃ持ち主だって巻き込まれる。だから『使えば死ぬ呪われた妖刀』なんて伝承ができた」
私は、この数ヶ月の毎晩を思い出す。
打ち粉を打ち、砥石をあて、心を通わせるように研いできた夜を。
「でもね。正しく研がれて、遣い手ときちんと心を通わせた刀は──持ち主の“命”じゃなく、“覚悟の一瞬”を糧に光るの」
鈍色の刃が、私の手の中で、かすかに脈打った。
「あんたは死ぬために光る刀じゃない」
シグレの鋭い眼が、大きく見開かれる。
「……アイリス」
「誰かを守るために──いちばん美しく光る刀なんだよ。私が、ちゃんと研いだ。だからもう、大丈夫」
数百年、誰にも研がれず、心を閉ざしてきた鈍色。
その魂が、ほどけていく音がした。
「……ああ、くそっ。ずるいぞ、お前。そんなふうに言われたら──守りたくなるじゃねぇか……ッ!」
刹那。
鈍色の刃が、白銀に燃え上がった。
それは、まるで──満開の桜。
閉ざされていた全魔力が、命ではなく、覚悟を糧に解放される。散り際にだけ光ると侮られた刀が、散ることなく、いっそう美しく咲き誇った。
「いっけぇ、時雨ッ!」
私が振り抜いた白銀の一閃は、魔物の王の結界を、豆腐のように両断した。
光の刃が扇状に走り、黒く蠢く群れを、根こそぎ浄化していく。
数瞬の後。
──静寂。
地平線を埋めていた魔物の海は、跡形もなく消え去っていた。
私の隣で、シグレが荒く息をつき、そして、へなへなとその場に座り込む。
「……生きてる。お前も、俺も」
「言ったでしょ。大丈夫だって」
「……別に。心配してねぇし」
耳が、真っ赤だった。
(また耳が真っ赤。……ほんと、しょうがない刀ね)
私は、思わず吹き出してしまった。
◇
戦が終われば、掌を返すのが人の常だ。
「アイリス! 君を誤解していた! すまなかった。どうか私と復縁を──いや、ヴェルデ家の再登用を!」
ロイドは、震える声で私にすがりついた。
昨日「価値のない女だ」と切り捨てた口で、今日は「誤解していた」と言う。
実に、わかりやすい。
「お断りします」
私は、ひとことで切り捨てた。
「わ、私は王子だぞ! 私と結婚すれば、お前は──」
「ロイド様」
静かに、私は彼の言葉を遮った。怒鳴りもせず、ただ淡々と。
「あなたの聖剣が浄化専用で、群れも結界も断てなかったこと。もう、諸国に知れ渡っていますよ。聖女エレナ様が、戦力として一切計算できなかったことも」
ロイドの顔から、血の気が引いていく。
背後で、エレナが崩れ落ちるように膝をついた。
「……そんな。私の力は、万能だったはず……なのに……」
万能だと信じ込んでいた自分の力が、いざという時、なんの役にも立たなかった。その事実に、彼女はようやく気づいたのだ。
「武具の真価を見抜けず、地味だと侮った令嬢に、国を救われた第二王子。──さて、歴史書にはどう記されるでしょうね」
「そ、そんな……」
「失ってから気づいても、もう遅いのよ」
すでに、私のもとには諸国から使者が殺到していた。
命を削らず名刀の真価を引き出す“正しい研ぎ”。地金も銘も魔力残量も一瞬で見抜く鑑定眼。その価値が、白銀の一閃とともに、世界中に知れ渡ったからだ。
引く手あまた。けれど。
「どこの国にも仕えるつもりはありません。私は──流れの研ぎ師になります」
私は、傍らのシグレを見た。
彼はもう、鈍色ではない。人の姿を確かに得て、白銀の刃を宿す、私だけの相棒。
「行きましょう、シグレ。ノーラも」
「おう。……どこへでも、ついてってやるよ」
「あら、素直じゃない」
「うるせぇ。……別に、お前のためじゃねぇし」
「はいはい、出ましたよ、シグレさんの照れ隠し! お嬢様、こいつまた耳赤いですよ!」
「ノ、ノーラ! てめっ……!」
笑い合いながら、私たちは王都に背を向けた。
呆然と立ち尽くす王子と聖女を残して。
空は、どこまでも高く晴れていた。
「鈍色に見えても、磨けば光る。人も、刀も、たぶん同じ」
私は、白銀の刀をそっと撫でた。
──さて。次の国では、どんな“鈍ら”が、私を待っているのだろう。
(了。……とはいえ、旅はまだ始まったばかり)




