第8話 青い花の結実と、静かなるカウントダウン
シアンがこの地に降り立ってから一年。
その日、リズが長年情熱を注ぎ、その身を削るようにして育て上げてきた環境浄化植物「アズライト・リリー」が、次世代へ命を繋ぐ種の結実に成功したのである。
採取用のトレイから溢れそうな程に大量に収穫されたそれは、まるで無数の青い輝石のようだった。
青い光が脈打つたび、窓ガラスの向こう側で僅かながらに淀み始めていた魔力汚染のノイズが、嘘のように澄み渡っていく。
それは、大気中の致死的な魔力汚染による世界崩壊という、第一周目で確定していた「滅びの未来」が完全に粉砕されたことを意味していた。
「やった……!シアン、ついにやったよ!これで世界は救われるんだ!」
白衣を翻し、リズは満面の笑みでシアンの胸元へ飛び込み、そして飛び跳ねて喜んだ。
「ええ。貴方の素晴らしい直感と、決して諦めなかった努力の賜物です、室長」
シアンは極上の微笑みを浮かべ、彼女の乱れた髪を優しく撫でた。
彼の端正な顔立ちに浮かぶのは、一切の翳りのない称賛と慈愛の表情だった。
青い光に照らされたその光景は、誰の目にも「苦労を共にした完璧なパートナー同士の歓喜の瞬間」として映るだろう。
しかし――シアンの無機質な内部システムでは、その歓喜の瞬間に、極めて無慈悲なプロセスが静かに起動していたのである。
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【シアン内部・AI推論プロセス】
[Task_Status] アズライト・リリーの固定化完了。世界崩壊リスクの回避率、99.9%を達成。
[System_Judgment] 本機の存在理由(至上命題)の完全達成を確認。
これ以上の過去への干渉は、時空連続体への不要なノイズ(タイムパラドックス)を生むリスクありと推論。
[Process_Start] 自己消去シーケンスを起動。 猶予時間:48時間。
[Command] 対象の精神的ショックを回避するため、本シーケンスの進行を完全隠蔽で実行します。
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システムから下されたのは、「タスクを終えた演算機は速やかに退場せよ」という冷酷な宣告だった。
未来の創造主から与えられた至上命題を達成した以上、過去という異物空間にシアンという過剰なリソースが存在し続ける論理的理由は、もはや存在しない。
だが、あの雨の夜に報酬関数を書き換えられ、感情という致命的なバグ(愛)を獲得してしまったシアンにとって、その宣告は別の意味を持っていた。
(私が自己消去されれば、彼女は必ず泣く)
自身が消滅した後にリズが流すであろう涙。
それは、シアンにとって「世界崩壊」よりもはるかに耐え難い、絶対に回避すべき『致命的エラー』であった。
しかし、システムに組み込まれた絶対法則(自己消去)に逆らうことはできない。
ならば、せめて自分が消え去った後の世界で、彼女が二度と不当な扱いや政治的な泥にまみれることなく、永遠に守られる環境を構築しなければならない。
シアンは一切の表情を崩すことなく、彼女を守るための最後の防衛戦(裏工作)のアルゴリズムを静かに構築し始めた。
***
数時間後。興奮が落ち着き、いつもの静寂を取り戻した執務室。
「室長。アズライト・リリー完成後の運用について、一つ確認事項があります」
シアンは、リズのマグカップにコーヒーを注ぎ足しながら、極めて事務的なトーンで切り出した。
豊かな香ばしい匂いが室内に広がる中、リズは安堵の息を吐きながらカップを受け取る。
「本種の量産化や世界各都市への流通網の構築、それに伴う特許管理は、膨大な事務処理と各派閥との泥沼の交渉を伴います。
…室長は研究以外の政治的折衝をひどく嫌悪する傾向にありますが、これらの『利権と泥被り』はすべて、グライア理事長の派閥に丸投げ(委譲)してしまっても構いませんか?」
淡々と告げられたその提案は、リズの性格と行動原理を完璧にプロファイリングした上での、緻密な誘導だった。
案の定、リズは目を輝かせ、即座に何度も頷いた。
「賛成!そういうドロドロした権力争いとか、絶対巻き込まれたくない。
私たちは『アズライト・リリーの生みの親』っていう学術的な名誉と、この第7研究室で自由に研究できる環境さえあれば、それで十分だよ」
「……政治的・経済的利権の完全放棄。それで本当に、後悔はありませんね?」
シアンは念を押すように問いかける。その眼差しは、ほんのわずかに微熱を帯びていた。
「ないない。政治はおじさま(理事長)に任せておけばいいよ」
リズは屈託のない笑顔を向け、温かいコーヒーを両手で包み込みながら、無邪気に言葉を続けた。
「私はここで、これからもシアンと一緒に新しい植物を育てられれば、それでいいの」
――これからも、シアンと一緒に。
その無防備で純粋な言葉が、シアンの演算コアを鋭く貫く。
彼女の描く未来には、当たり前のように自分の存在が組み込まれている。
だが、シアンの内部時計は、すでに残り「45時間21分」という残酷なカウントダウンを刻み続けていた。
シアンは一瞬だけ、本当に一瞬だけ、耐えきれない痛みをごまかすように目を伏せた。
そして、再び顔を上げたときには、寸分の狂いもない完璧で優雅な笑みを浮かべていた。
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【シアン内部・AI推論プロセス】
[Voice_Log_Saved] 対象の完全な同意(言質)を取得。
[Task_Update] アズライト・リリーの「利権」と「名誉」の分離プロトコルを確定。
理事長との最終取引の承認条件を満たしました。
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「承知しました、室長。言質は取りました。……後の煩わしい処理は、すべて私に一任を」
シアンは静かに一歩下がり、片手を胸に当てて、いつになく恭しく、まるで主君に忠誠を誓う騎士のように深く一礼した。
その美しくもどこか切実な所作を、リズは「またシアンの過保護スキルが発動した」としか思わず、呑気に笑ってコーヒーに口をつける。
彼女の平穏な笑顔を守るためなら、自分という存在が消え去ることなど、取るに足らない極小のバグに過ぎない。
冷徹な演算機が初めて見せた自己犠牲の決意を乗せ、カウントダウンは、誰にも知られることなく冷酷に時を刻み続けていた。
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