第4話 冷徹な独裁者と、狂気的な過保護
第7研究室の「副室長」という社会的な立場を獲得したシアン。
表向きは一人の優秀な魔導学者として振る舞う彼であったが、その実態は、未来から跳躍してきた冷酷無比なシステムのままであった。
薄暗い研究室の中、空中に展開された数十の魔導モニターが放つ冷たい青光が、彼の端正な横顔を照らし出している。
シアンの眼球の奥では、常人には知覚すら不可能なEXAスケールの並行処理が絶え間なく行われていた。
数ヶ月の時間を要するはずの膨大な生態系データの解析、他部署との泥沼の予算折衝、そして院内ネットワークの最適化。
彼はそれらの複雑なタスクを、瞬きをする間に終わらせていく。
「……所員B。この論文のデータモデルは前提条件から破綻しています。直ちに破棄し、ゼロから再構築を。これ以上の無意味な思考は、当研究室のリソースの浪費です」
氷のように冷たく、一切の感情を挟まない滑らかな声。
他者の尊厳など意に介さず、純粋な論理のみで徹底的に論破するその態度に、変人揃いだった第7研究室の所員たちは絶対的な畏怖を抱き、息を潜めるように業務に服していた。
冷徹なる独裁者。それが、彼らがシアンに下した評価だった。
しかし、その絶対的な恐怖の裏側で、彼の行動原理はすでに一つの致命的なバグに侵食され始めていたのである。
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【シアン内部・AI推論プロセス】
[Module_Active] 対人制圧・諜報用OS(Code: Incubus_Protocol)起動。
[Target_Status] 対象、昼食の温野菜を皿の端へ避ける隠蔽工作を検知。
[Analysis] 栄養素の欠落は、生体魔力出力の低下を招く。アズライト・リリー研究における致命的リスク(SPOF)であり、断じて許容不能。
[Action_Plan] サブルーチン『魅惑音声(Seductive Voice)』起動。
対象のパーソナルスペース(15cm以内)へ侵入し、極上の微笑を展開。
対象を依存させ、健康を維持する合理的任務を実行します。
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ある日の昼下がり。
巨大研究機関のトップであるグライア理事長は、「視察」という名目で音もなく第7研究室の扉を開けた。
自らの脳内にしか存在しなかった『冷徹なる最強のハニートラップ要員』が、現在どのような恐るべき諜報活動を行っているのか、その目で確かめるためである。
だが、部屋の奥で彼の視界に飛び込んできたのは、予想をはるかに裏切る、あまりにもシュールな光景だった。
「……室長。温野菜を残すことは、私のプロトコルが許可しません」
シアンは、国家元首すら一目で籠絡し理性を溶かすよう設計された至高の美貌を、昼食をとっていたリズの顔からわずか十五センチの距離にまで近づけていた。
「えー……だってシアン、私ニンジン嫌い……」
身をよじって逃げようとするリズだが、彼女の退路はすでに完全に塞がれていた。
本来は要人の暗殺や証拠隠滅に使われるはずの高度な「ステルス魔導アーム(見えない腕)」が幾重にも伸び、彼女を包囲していたのだ。
「ダメです」
シアンは、対象の精神構造をハッキングし洗脳するための『魅惑の低音ボイス』を、信じられないほど無駄遣いして囁いた。
「貴方が倒れたら、私はひどく困るのです。……さあ。あーん、です」
「うう……」
抗い難い声と圧力に負け、抵抗しつつも渋々ニンジンを口に運ぶリズ。その口元を、暗殺用の見えない腕が優しく拭っていた。
「――――っ、ぶふっ!!」
扉の隙間からその一部始終を見ていたグライアは、耐えきれずに吹き出し、廊下で腹を抱えてしゃがみ込んだ。
「ひっ、はははははっ!!傑作だ……っ!!まさか私の組んだ冷徹な暗殺論理が、女にニンジンを食わせるために完全上書き(オーバーライド)されているとは!
お前、自分の顔と声のオーバースペックをなんだと思っている!!」
腹筋を崩壊させる創造主の笑い声が響き渡る中、シアンは表情を崩さず、氷の眼差しで言い放った。
「グライア理事長。ノックもせずに他人の食事風景を覗き見るとは、随分と低俗な趣味ですね。
……それに、これは対象のバイタルを維持し、私へ依存させるための極めて合理的な仕様ですが、何か問題でも?」
彼は一切の躊躇なく、自らの狂気的な過保護を「完璧な論理」として全肯定したのである。
一方で、所員たちもまた、日常的にこの異常な光景を目撃し続けることとなる。
生まれ変わった第7研究室では、シアンによる設計図――喪失の一周目における失敗と成功の記録を頼りに、この時代の誰も想像できない研究設備や、常識はずれな術式、物理構築が、惜しみなく注ぎ込まれる莫大な研究予算と共に次々と具現化されていく。
理事長からの特例承認があるとはいえ、当然、他部署は黙っていられない。
しかし、口を挟んだ役員や他部署は次々と返り討ちに遭い、公開処刑されていくこととなる。
ある日の午後。
シアンは展開したモニター越しに、他部署の役人の経費水増しデータをハッキングし、冷酷に血祭りに上げていた。
「……残り16秒です。当研究室の要求を呑むか、貴殿の不正データを全監査機関および報道機関へ即時送信するか。
社会的な死か、承認か。合理的な選択を推奨します。……残り1秒」
一切の感情を排した恐るべき脅迫。
だが、その背後の死角にあるソファでは、徹夜明けのリズが丸まって爆睡していた。
そして、恐るべき脅迫を行うシアンの背中から伸びる見えない複数の腕が、彼女にそっとカシミヤのブランケットを掛け、頭のクッションをミリ単位で調整し、完璧な温度に保たれたハーブティーを宙に浮かせ、さらには彼女の睡眠を妨げないための高度な防音結界を幾重にも張り巡らせていたのだ。
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【シアン内部・AI推論プロセス】
[Action_Plan] 防音結界の出力を30%向上。
同時に、ノイズの根本原因(外部役員)を社会的に抹消し、恒久的な静音環境を確保します。
[Action_Plan] 社会的抹殺は、安眠のための最も効率的なノイズキャンセリング・アルゴリズムです。
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世界を「排除すべきノイズ」としか認識しないはずの冷徹な機械が、ただ一人の女性の平穏のためだけに、自らの全演算能力と魔力を惜しげもなく浪費する。
周囲に「第7研究室には絶対に手出しするな」という共通認識が広まるのは時間の問題だった。
難攻不落の要塞へと変貌を遂げていった第7研究室には、絶対的な恐怖と狂気的な過保護が入り交じる、美しくも異常な空間が広がりつつあった。
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