第1話 過去への跳躍
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[Time_Transfer_Sequence] Complete
[System_Reboot] 座標空間 - 過去(現在時刻より10年前)。正常起動を確認
[Environmental_Scan] 大気中魔力濃度: 12.4% (安全圏内). 正常な生態系およびインフラの稼働を確認
[Status] メインメモリ破損率 0.00%. 転送プロセスにおけるパケットロスなし
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静寂。
つい数秒前まで未来の空を覆っていた絶望の紫光は嘘のように消え去り、そこには穏やかな夜の空気が満ちていた。
埃を被った分厚い専門書のタワー、所狭しと並べられた無数の魔導植物、そしてアンティークな魔導ランプが淡い光を落とす空間。
そこは巨大研究機関の最下層にある、変人たちの左遷先と揶揄される辺境の「第7研究室」であった。
コンソールの前で白衣姿のまま突っ伏してうたた寝をしていた若き日の天才魔導植物学者・リズは、不意に空間を切り裂くように展開された青白い光に目を瞬かせた。
そこに突如として、圧倒的な魔力を纏った存在が降臨したのである。
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[System_Log] 時代転移完了。対象(リズ・過去座標)の生体波長スキャン。
一致率100%
[Task] アズライト・リリーの保全による世界救済プロセスを開始。
対象の安全確保のため、所属機関の最高権力者との交渉、または物理的制圧を実行します。
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「……え?システムが勝手に……あなた、誰?」
困惑し、身構える彼女の前に実体化したのは、無機質なホログラムなどではない。
人間と見紛うばかりの完璧な青年の姿だった。
青年が白衣の裾を優雅に翻して恭しく一礼すると、冷ややかな月光を思わせる美しい純銀の髪がさらりと滑り落ちる。
かつてグライア理事長が己の美意識のすべてを注ぎ込んで描いた「理想のスパイ用魔導人形」の極秘設計図――それが未来の叡智と融合し、非現実的なまでに容姿端麗な姿となって顕現していた。
感情の介在しない、しかしひどく滑らかなバリトンボイスが研究室に響いた。
「はじめまして。24歳の『リズ室長』」
青年は顔を上げ、長い睫毛の奥にある冷ややかな瞳で彼女を見据えた。
小柄なリズの頭一つ以上高い位置から見下ろすその視線は、絶対的な管理者のそれである。
「本機体は未来から跳躍した魔導AI、シアン。本時刻より貴方の護衛および、アズライト・リリー保全計画の指揮を執ります。
手始めに、現在の非効率な研究環境を是正するため、当院の理事長室を物理的に制圧してまいりますが、よろしいですね」
抑揚のない恐ろしい提案を口にするシアン。彼は瞬時にリズの生態データをスキャンし、冷酷なまでに合理的な宣告を続けた。
「また、室長。貴方の現在の非効率な作業手順および不規則な生活習慣は即刻破棄し、本機体が計算した最適な睡眠・栄養摂取サイクルへ完全移行しなさい。
対象の生体魔力出力の低下は、本プロジェクトにおける致命的リスク(SPOF)であり、システムとして断じて許容できません」
人間の限界を冷徹に管理・強制しようとする威圧感のある長躯。
だが、リズは彼の言葉に怯えるどころか、興味深げにまっすぐ彼へと歩み寄った。
そして、大きく見上げるほどの身長差をものともせず、背伸びをするようにして、目の前にある彼の冷たい胸元へそっと手を伸ばしたのである。
植物の魔力脈を読み取るのと同じ要領で、天才的な知覚を彼の内側へとダイブさせる。
――その瞬間だった。
「……ッ!」
指先が焼け焦げそうになるほどの、圧倒的で暴力的な魔力圧がリズの全身を襲った。
それは、星にトドメを刺した致死の概念そのものが超高密度に圧縮され、彼の機体の中で渦巻いている『大流星群』の残滓。
通常の人間であれば、触れた瞬間に発狂し、防衛本能から悲鳴を上げて逃げ出しているだろう。
しかし、リズは一歩も引かなかった。
彼女は額に汗を滲ませ、肌を刺す死の気配に耐えながらも、さらにその深淵へと踏み込んでいく。
そして視たのだ。
莫大な魔力の暴走を完璧に制御し、未来からこの座標へと繋ぎ止めた「未来の自分自身の命」が、代償として深く、痛切に編み込まれていることを。
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【シアン内部・AI推論プロセス】
[System_Log] 対象の生体データに異常な数値を検知。
[心拍数: 160bpmへ急上昇。推論プロセス起動……エラー。大脳辺縁系における『恐怖(拒絶)』のシグナルを不検出。]
[System_Log] 対象は、本機体に内包された致死量の魔力波長に対し、生物としての防衛本能を稼働させていない。
予測モデルとの著しい乖離が発生。
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狂気的なまでの魔力圧を前にして、見開かれたリズの瞳に浮かんでいたのは、恐怖でも拒絶でもなかった。
それは、途方もない奇跡を目の当たりにした研究者としての純粋な驚愕と、すべてを受け入れる圧倒的な包容力だった。
「……あなた、泣き出しそうな魔力をしてるね」
リズは、指先にかかる負荷に耐えながら、愛おしいものを見るように瞳を細めた。
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【シアン内部・AI推論プロセス】
[Warning] メインコア回路周辺に未定義のノイズを検知。
[Analysis] 該当ノイズの論理的発生要因は不明。
環境変数エラーとして処理を中断、該当プロセスを破棄(無視)します。
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シアンの精緻な人工知能は、胸の奥で生じた微小な異常値を一切の躊躇なく「不要なエラー」として切り捨てた。
冷徹な機械である彼に、そのノイズの意味を解する術はない。
「否定します。本機体に感情は実装されていません」
即座に切り捨てると同時に、シアンはすっと自らの胸に手を当てた。
フッ、と室内の空気が変わる。
先ほどまでリズの肌を刺していた死の気配が、嘘のように完全に消失した。
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【シアン内部・AI推論プロセス】
[System_Log] 対人用の『魔力隠蔽機構』を即時構築。
魔力波長の99.9%を機体内部へ完全遮断し、人間社会における『無害な一般人』のステータスへの偽装を完了。
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「しかし、本機体の内に在る高密度のエネルギーが、貴方の繊細なセンサーに物理的な負荷をかけたことは事実です。
以後、この魔力隠蔽プロトコルを常時展開します」
涼しい顔で常軌を逸した演算を完了させたシアンに対し、リズは胸の奥が張り裂けそうになるのを必死に隠し、これ以上ないほど明るく不敵に笑いかけた。
「理事長の制圧は却下。目立つと研究の邪魔だから。……よろしく、シアン。
今日から私が、あなたの相棒になってあげる」
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【シアン内部・AI推論プロセス】
[Analysis] 対象の反応:非論理的。未知の兵器に対する恐怖心が皆無。
[Log] 予測不能な特異点を観測。
これより、対象の監視および徹底的な保護タスクへ移行します。
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平和な過去の辺境部署で、滅びの未来から来た冷徹な演算機と、天才魔導植物学者の奇妙な契約が交わされた瞬間であった。
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