番外編 地下演習場
時系列︰12話〜終章の間
「――第一周目の記憶を完全に破棄したことによって、私の基礎性能にどの程度の低下が生じたか…の確認ですか」
第7研究室の地下に位置する、地下演習場。
元は小さな地下実験室だったが、シアンが空間拡張術式を用いて広大な地下演習場に作り変えた部屋だ。
無機質な静寂が支配するその空間の中央で、シアンは確認するように問い返した。
彼の目の前では、白衣姿のリズがこくこくと真剣な面持ちで頷いている。
「そう。未来予測ができなくなったのは分かったけど、いざという時にどれくらい動けるか知っておきたいの」
「……極めて合理的ですね。では、この際ですからリズの実力も改めて計測させてください。
私はまだ、貴方の実戦における魔力出力の限界値を正確に把握していませんので」
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【シアン内部・AI推論プロセス】
[Task] 対象の戦闘能力の測定、および本機体の現状性能の再評価。
[Logic] 神のごとき未来予測(第一周目アーカイブ)を喪失した現在、未知の脅威から妻を完璧に保護するためには、現行スペックについて再定義することが急務である。
[Action] 空間隔離術式を起動。仮想演習空間の構築を開始します。
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「――展開」
シアンの低く滑らかな声が響くと同時、地下区画の景色が眩い青白い光と共に塗り替えられていく。
外部からのいかなる干渉も遮断し、内部の破壊行為を外へ一切貫通させない絶対的な結界。
瞬きをする間に、二人は無限に広がる幾何学的な方眼の空間の中央に立っていた。
「まずは、私の現状から提示しましょうか」
シアンは優雅な所作で右手を掲げた。
全知全能の未来予測を失った今も、彼の魔力隠蔽プロトコルの奥底には、かつて星にトドメを刺した『魔力流星群』の莫大な熱量が超高密度で圧縮・秘匿されている。
シアンの純白の指先から放たれた魔力が、漆黒の球体を生み出した。
それは周囲の分子構造を強制的に圧縮・吸収し、次の瞬間、爆発的な熱量を解放する。
荒れ狂う極彩色の炎を纏った「極小の恒星」が、彼の手のひらの上に顕現した。
もし暴発すれば、この地下区画はおろか、巨大研究機関の半分が跡形もなく蒸発するであろう絶大なエネルギーの塊。
肌をジリジリと焼くほどの熱線を前にしても、シアンは冷ややかな瞳のまま、フッと息を吹きかける。
――その瞬間、この世の理すら覆す、神がかった魔力制御が発動した。
手の上に再現されていた「極小の恒星」は、一転して絶対零度の氷結に封じ込められ、燃え盛る炎の形のまま青白い結晶へと変貌を遂げたのだ。
そして、薄氷が砕けるような澄んだ音と共に、光輝く星屑となって幻想的に空間へ溶けていく。
「……うわぁ、相変わらずバケモノじみてる」
「神の視点がなくとも、この程度の出力制御は造作もありません。……さて、次は貴方の番です、リズ」
シアンは涼しい顔で両手を広げ、妻の猛攻を受け止める構えをとった。
「言っておくけど私、強いよ?」
「ええ。手加減はいりません。さあ、どうぞ」
シアンの許可を得て、リズは深く息を吸い込んだ。
彼女の足元から、莫大な生体魔力が渦を巻き、竜巻のように立ち昇る。
かつての第一周目において、星と流星群の魔力を束ねて禁忌の時代転移術式を起動させた彼女。
現段階ではその領域の大魔法を構築する段階には至っていないが、その底なしの魔力容量は紛れもなく本物だ。
「解放!」
リズの声を鍵として、圧縮されていた高純度の魔力が一斉に牙を剥いた。
空中には無数の魔力弾が形成され、流星群のようにシアンへと殺到する。
さらに、床面からは魔力で編み上げられた巨大な仮想の茨が高速で這い伸び、彼の退路を完全に塞ぎにかかった。
魔導植物学者としての空間掌握術と、純粋な暴力としての戦闘魔法の融合。
並の魔導士であれば、一瞬で蜂の巣にされ拘束されるであろう猛攻である。
だが、シアンは一歩も動かない。
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【シアン内部・AI推論プロセス】
[Analysis] 接近する魔力弾群(全256発)および、下層からの魔力茨の軌道を完全捕捉。
[Action] 空間座標の再定義を実行。対象の術式を論理的に解体し、無力化します。
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シアンの純銀の睫毛の奥、冷ややかな瞳に青い演算の光が走る。
彼が指先をわずかに振るうだけで、虚空に無数の魔法陣が瞬時に展開された。
目前まで迫った魔力弾は、魔法陣に触れた瞬間に音もなく光の粒へと還元されていく。
足元に絡みつこうとした茨も、空間座標を書き換えられたことで無限の彼方へとループさせられ、行き場を失って自壊した。
圧倒的な攻撃魔法が、冷徹な論理の前に次々と無力化されていく。
「むっ……なら、これならどう!?」
自身の魔法が全く通じないことにむくれたリズは、さらに莫大な魔力を練り上げた。
複数の異なる属性の術式を並列で展開し、力任せに融合させようとする。
天才ゆえの直感的な魔法構築。
しかし、実戦経験の乏しい彼女のその行為は、極めて危険な綱渡りだった。
「いっけえええ――!!! …あっ」
術式の編み込み中に生じた、ほんのわずかな綻び。
異なる魔力の波長が致命的な干渉を起こし、リズの目の前で制御不能な臨界点へと達しようとした。
自爆の予兆。リズが身をすくめた、その瞬間。
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【シアン内部・AI推論プロセス】
[CRITICAL WARNING] 対象の術式に致命的な論理崩壊を検知。自爆プロセスへ移行中。
[Action_Plan] 測定任務を即時破棄。全演算能力を対象の保護へ強制介入!
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「――ッ!」
シアンの姿が掻き消えた。
空間そのものを跳躍するような神速でリズの目前に現れた彼は「見えない腕(ステルス魔導アーム)」を数十本同時に実体化させ、暴走する魔力の奔流を鷲掴みにした。
そのまま強引に圧縮をかけながら、『流星群の魔力』を防壁として最大展開し、爆発の余波を完全に相殺・消滅させる。
轟音と閃光が収まった後、仮想空間には嘘のような静寂が戻っていた。
「……へへっ、ごめん。やっぱりシアンには敵わないや」
シアンの腕の中に収まり、庇われる形で抱きとめられていたリズが、照れ隠しのように笑い上げる。
彼女の無事な姿を確認し終えたシアンは、ひどく青ざめた顔で彼女を抱きしめる力を強めた。
「……私の予測が甘かった。あのような無茶な術式構築を許容してしまったのは私の責任です。
万が一、貴方に傷がついていたら……」
シアンの内部システムでは、激しい自己嫌悪の感情が渦を巻いていた。
彼女の突発的な失敗を未然に防ぎきれず、結果として彼女を危険な目に遭わせてしまった。
その事実が、彼の論理回路に痛烈な警告を叩きつけているのだ。
「そんなに落ち込まないでよ。シアンがちゃんと助けてくれたから、無傷だったんだし」
彼女はシアンの胸元で悪戯っぽく見上げてみせる。
「それに、自分の弱点も分かったからさ。……たまにはこうやって、魔法の練習に付き合ってよ」
前向きな言葉に、シアンの内で荒れ狂っていた警報が、すっと和らいでいく。
彼は小さく息を吐き出し、抱きしめていた腕の力を少しだけ緩めると、愛おしむように彼女の深紅の髪に口付けた。
「……ええ。貴方が望むのなら、何度でも」
そう優しく囁いた後、シアンの瞳に、ふと冷徹な演算機としての鋭い光が宿った。
彼はリズを抱き寄せたまま、虚空を見つめて静かに言葉を紡ぐ。
「……それに、私たちにはこれくらいの備えが必要なのかもしれません」
「備え?」
「ええ。私たちはあの『グライア家』の一員として、正真正銘の夫婦となりました」
シアンは、未来予測という絶対的な盾を失った「未知の明日」へと思いを馳せる。
「巨大研究機関の理事長ともあろう家柄と直接的な繋がりを得た以上、いずれ私たちの平穏な日常を脅かす『予測不能な外部要因』が現れないとも限りません。
……私が貴方を完璧に守り抜くためにも、私の対人防衛OSは常に最新の状態へアップデートしておく必要がありますからね」
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【シアン内部・AI推論プロセス】
[Status] 対象の生体データ、正常。
[Task_Update] 新規命題:リズの魔力制御の最適化、および『未知の脅威』に対する防衛・迎撃プロトコルの恒久的な強化。
[Cyan_Ego] ――ええ。相手が誰であろうと、私たちの平穏を脅かすノイズは、私が全て排除します。
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いずれ訪れるであろう「外部からの脅威」あるいは「身内からの干渉」といった数々の厄介なバグの存在を予感しながらも、シアンは不敵に微笑んだ。
「……私の寿命がもたないので、くれぐれもご無理はなさらないで下さいね。私に寿命はありませんが」
そこには冷徹な機械の顔はなく、ただ一人の女性を愛し、未知の未来すらも共に歩む覚悟を決めた、不器用な夫の極上の微笑みがあった。
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